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“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

ドイツが許されて日本が許されない本当の理由

2015年07月26日 10時00分32秒 | 臼蔵の呟き

ドイツが許されて日本が許されない本当の理由

<ビデオニュース・ドットコム >石田勇治氏(東京大学大学院教授)

 戦後70年を迎えるにあたり、安倍首相は「戦後70年談話」を発表する意向を示しているが、そこでは相変わらず「謝罪の有無」や「反省の表現のあり方」などが問題となっている。一体、日本はいつまで謝り続けなければならないのだろうとの思いを持つ向きもあるだろう。

 談話の内容を検討している首相の私的諮問機関である21世紀構想懇談会からは、謝罪にこだわるよりも未来志向をなどといった考えが示されているようだが、やはり今度もまた「おわび」の有無をめぐる論争は避けて通れそうもない。

 一方、日本と同じ枢軸国として先の大戦を戦い、暴れるだけ大暴れした挙げ句に無条件降伏をしたドイツは、今年5月に一足早く戦後70年を迎えているが、そこでおわびや反省が問題になったという話はついぞ聞かない。日本とは比較にならないほどの規模で世界を大戦の惨禍に巻き込み、ナチスによるユダヤ人の大虐殺という人類史上類を見ない負の歴史を抱えるドイツは、この70年の間に見事にその過去を克服し、国際社会から信頼を勝ち取ることに成功しているように見える。

 ドイツに過去を克服することができて、なぜ日本にはできないのか。

 ドイツの近現代史やジェノサイド問題に詳しい東京大学教授の石田勇治氏は、ドイツの過去の克服の道程は、決して順風満帆にして平坦なものではなかったという。むしろドイツも日本と似たような、過去に対する反省と忘却や自己正当化の間を揺れ動きながら、様々な紆余曲折を経て、今日の信頼を勝ち得るまでに至ったのだという。そして、その信頼を勝ち得る上でポイントになったものは、ナチズムを全面的な否定するとともに、その被害を補償し、ナチの蛮行に加担した人物を徹底的に司法訴追することによって初めて達成されたものだったと石田氏は指摘する。

 ヒトラー政権の下で世界を戦争に巻き込んだドイツは、日本と同様に一度は、敗戦とともに国際社会からの信頼を完全に失った。その後、ドイツも日本と同様に、連合国によって開かれたニュルンベルク国際軍事裁判で裁かれるが、ドイツ自身の手による責任追及はそれだけで終わらなかった。実はドイツはニュルンベルク裁判の結果を公式には受け入れていない。その代わりに、ドイツはドイツ自身の手で、自国の刑法に従った司法訴追を徹底的に行い、今日にいたるまで9000人以上を刑事訴追している。

 また、被害補償においては2000年に政府と民間企業が共同出資して設立された基金「記憶・責任・未来」によって、戦時中の強制労働の補償として主に東欧在住の167万人もの被害者に対して約5800億円の補償金を支払うなど、積極的にこれに応じる姿勢を見せてきた。戦後長らく分断国家だったために国家賠償が行えなかったという理由はあるにせよ、国会賠償に任せきりだった日本との違いが、そこでも際立っている。

 実はドイツ国内では刑事訴追や補償対象の拡大に対して多様な意見があったが、ドイツでは政治指導者が一貫してこうした取り組みを続けてきた。結局はこうした取り組みが周辺国からの信頼回復につながり、ドイツの今日のヨーロッパにおける指導的立場を支えていると石田氏は言う。

 石田氏はドイツによる「過去の克服」において、主だった補償や刑事訴追が終わった今日、「公的記憶の形成」が重要な意味を持ち始めていると指摘する。これは悲惨な過去を公的な記憶として保存し継承していこうというもので、市民活動の中から様々な取り組みが展開されているという。「つまずきの石(Stolpersteine)」と呼ばれる活動もその一つで、ナチスによって強制送還され殺害されたユダヤ人がかつて居住していた家の前に10センチ四方の真鍮板の碑を埋め込み、往来する人がその史実に気付くような仕掛けになっている。碑にはかつてそこに住んでいたユダヤ人の名前と彼らが戦中にどういう扱いを受けてどこで亡くなったのかなどが記されているという。日常生活の中で常にドイツ戦時下の歴史や記憶を維持していくことが難しくなりつつある中で、いかにして公的な記憶として過去を継承していくか。つまずきの石を設置する際には役所の許可が必要で、時には反対する現在の住人もいるが、それらが全て過去を想起する装置として機能しているという。

 翻って日本の戦後70年間はどうだっただろうか。1971年のドイツ統一百周年に際した演説でハイネマン大統領が「ビスマルクからアウシュビッツ収容所」に至るドイツの近代史を反省的に振り返ったのとほぼ同じ頃、日本では当時の佐藤栄作首相が明治百年奉祝式典で明治以来の日本の歴史を振り返る式辞を述べているが、その中には侵略戦争を反省する言葉は無かったと石田氏は言う。また、戦後40年にあたる1985年には、西ドイツのワイツゼッカー大統領が有名な荒野の40年演説の中で「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目となる」と演説して世界から注目を集めたのに対し、日本では同年8月15日に中曽根首相がA級戦犯が合祀されて以来初めて、靖国神社に公式参拝を行っている。ドイツが世界にメッセージを発する一方で、日本は何も発信していなかったのはなく、しっかりと誤ったメッセージを発していたと言わざるを得ない。

 頻発する政治家による過去の侵略や蛮行を正当化するような不規則発言は言うに及ばず、もっぱら東京裁判に戦争責任の追及を委ねることで、独自の戦争責任の追求を怠り、戦後補償についても国家間賠償に任せてそれ以外の補償については消極的な姿勢を続けてきた日本の「過去の克服」のための努力は、ドイツのそれと比べた時に大いに見劣りすることは否めない。ドイツと日本では戦争犯罪のスケールが違い過ぎるとの言い訳も聞かれるが、より大きな負の遺産を背負ったドイツがいかにして過去を克服したかからは、日本も学ぶところは多いはずだ。

 戦後70年を迎えるにあたり、国際的な信用と信頼を勝ち得るために今、日本は何をしなければならないか。ドイツが過去の克服のために経てきた紆余曲折の歴史と、そうした中で最終的に信頼を勝ち得ることができた原因や背景を検証しながら、ゲストの石田勇治氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。


「抗日戦争」の著者が語る日中関係、「中国はもはや1937年の中国ではない。」中国メデイア

2015年07月26日 08時30分05秒 | 臼蔵の呟き

「抗日戦争」の著者が語る日中関係、「中国はもはや1937年の中国ではない。今の中国には日本を攻撃する力が十分にある」―中国メディア

紛争や問題を武力に頼り、相手を威圧すれば、必ずその報復と武力衝突になることをこの言明が物語っています。安倍、自公政権が行う歴史改ざん、従軍慰安婦の国家関与の否定、南京虐殺などの否定などは、何一つ侵略された国家から見れば容認できる話ではありません。

過去の日本が起こした侵略戦争の歴史認識に関する愚かな安倍、自公右翼議員などの言動が相手国との関係を著しく傷つけることを許してはなりません。「日本の軍国主義と日本国民はまったくの別物だ。この点を理解すべきだ。現に、日本の知識人たちは安倍首相の政策に抗議の声を上げている」その通りですが、政権を担う安倍、自公政党を政権から退陣させなければなりません。

<レコードチャイナ>

2015年7月23日、中国メディア・捜孤は、「抗日戦争」の著者で中国人民解放軍少将の王樹増(ワン・シューズン)氏に、過去・現在・未来の日中関係についてインタビューした記事を掲載した。

抗日戦争から70年たった今、王氏は「あの戦争があったからこそ、中国は世界の4大列強国入りを果たすことができた」と語る。アジアで軍国主義やファシズムと戦い、これに勝ったことは「世界に対する最大の貢献」だったと話す王氏は、現在の日中関係について、「中国人、特に子供たちには理性を持った思考力が必要だ」と訴える。

「今の子供たちは感情的で、日本車を破壊したり、すぐに『売国奴』呼ばわりして他人を攻撃する。こうした極端な行為は理知的ではない。日本の軍国主義と日本国民はまったくの別物だ。この点を理解すべきだ。現に、日本の知識人たちは安倍首相の政策に抗議の声を上げている」と指摘した。

また、「もし、日本の右翼分子が歴史を歪曲し、憲法改正や再武装を推進するのであれば、われわれは安倍首相に『中国はもはや1937年当時の中国ではない』と告げることになるだろう。安倍首相の思想は満州国建設の急先鋒であった外祖父の時代にとどまったままだ。中国は昔の中国とは違うということをはっきりとわからせなければならない」と述べた。

さらに、「もし戦争が起こってしまったら、今の中国は攻撃するに足りる十分な能力を有している。侵略者を徹底的にたたくだけの能力があると責任をもって断言したい」と語った。(翻訳・編集/本郷)

 


寂聴さんと美輪さんが戦争法案の反対訴え 被爆地長崎

2015年07月26日 05時30分11秒 | 臼蔵の呟き

争法案に対して、学者、科学者が1000名を超える規模で反対声明を出す状況になっています。また、文化人の中でも戦争反対、戦争法案反対を公に言明する方が沢山出ています。当然と言えば、当然ですが、安倍、自民党右翼議員の威圧発言がある中で、公然とかれらを批判することは勇気のいることです。

安倍、自公政権は宣伝文句として「法の支配する民主国家=日本」だと公言しています。しかし、彼らのやっていることは独裁政治そのもの、言論・報道の自由を否定し、思想信条の自由を蹂躙すうること以外の何物でもありません。本当に独裁的な安倍、自公政権です。

このような政権の威圧、暴言に負けることなく、徹底して彼らを批判し、小数派にすることが必要です。そのための少しの勇気と、民主的な学者、知識人、文化人を勇気づけ、守らなければなりません。

<東京新聞>

 戦後70年をテーマに、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(93)と歌手美輪明宏さん(80)によるトークショーが25日、被爆地・長崎市であり、寂聴さんは「長崎と広島の犠牲を繰り返さないでほしい」と話し、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案に反対するよう会場に呼び掛けた。美輪さんも法案を批判、政治家の資質を見極めるよう訴えた。

 長崎県美術館で開催中の「瀬戸内寂聴展」に合わせた企画。県民ら約2千人が時折、拍手しながら話に聞き入った。

 寂聴さんは「良い戦争とか、何かのための戦争はなく、人殺しだ」と強調した。

(共同)