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“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

農林漁業再生へ早期除染を訴え 二本松で復興大会

2012年03月18日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
「福島県の70%が森林、双葉郡の75%が山林。住宅だけでなく山林の除染もやらないと福島県の復興にはならない。」JA福島五連の庄條会長は「福島原発事故は収束するどころか拡大している。私たちの願いは、豊穣な大地と海を取り戻し、住み慣れた故郷に帰還して、農林水産業にいそしみ、安全安心な農林水産物を、自信を持って消費者に届け、喜んで食べていただくこと。内外の英知を結集した効果的な除染対策を早急に示してほしい」と訴えました。

福島県内だけに限定しても除染は想像を絶する規模と資金が必要になっています。70%の森林、山野をどのように除染するのでしょうか。物理的に可能かを考えるとよく分かります。人間が立ち入ることが難しいような山林、山野に大量に放射性物質が降りそそぎ、汚染されています。その木、土、枯葉などに残っているセシウム、放射性物質を取り除くことが出来るのでしょうか。この1点を考えただけでも原子力災害、事故のとてつもない被害、損害の大きさが分かります。

海の汚染は、どうなっているかもよく分かっていません。福島県、茨城北側沿岸の漁師は「魚を獲ることを禁止されています」。漁業補償をすれば済む話ではありません。同時に、魚、海産物にセシウム汚染がどのくらい広がっているかは調査すら出来ていません。宮城県などでも市民から「魚は大丈夫か?セシウム汚染はないのか?」の質問、意見が出されています。
東京電力、野田政権、経済産業省、原子力保安院、文部科学省は情報の全面開示、汚染状況の調査をきめ細かく、多箇所、頻度を上げて、定期的に行い、結果の公表を行うべきです。

<農林漁業再生へ早期除染を訴え 二本松で復興大会>

 福島県内の農林漁業団体が17日、二本松市で復興大会を開いた。「本年を『復興元年』と位置付け、産業再生にまい進する」とした大会宣言を採択。政府と東京電力に対し除染の推進や賠償の完全実施を求めた。
 県農協5連などから生産者約1000人が参加し、福島第1原発事故による沿岸漁業の休漁や農作物の風評被害などの現状を語った。双葉地方森林組合の秋元公夫組合長は、高い放射線量が測定されている双葉郡の窮状を報告。「郡内の75%が森林だが、除染は全く進んでいない。仕事がなければ住民は戻れない」などと訴えた。
 大会に出席した平野達男復興相は食品の放射性セシウムの新基準値が適用されるのに合わせ、検査体制を強化する方針を示した。「県産品の風評被害を解消するには至っていない。原発事故以前のように、品質で評価される状況を取り戻したい」などと話した。


野田政権、原発再稼動の動き

2012年03月18日 09時34分51秒 | 臼蔵の呟き

野田政権は、停止中の原子力発電所の再稼動に向けての動きを加速させています。今朝のテレビ番組でも意見がいろいろ出されていました。
男性の半数以上が、再稼動を容認しているとの調査結果に関して。男性も女性も家族を守り、育てる点で同じであるのに、なぜ男性の半数以上が原子力発電所再稼動を容認するのか?

男性出席者は「男性の多くは仕事をしていて、企業の操業に影響がある電力の不足に関して何とかしたいと思い、再稼動容認派が多いのではないか」との議論でした。田中法政大学教授(女性)は「女性も家族を養っており、男性だけが家族を養っているわけではない」「男性が長期的視点で物事を見ることが出来ていない結果ではないか」との指摘がありました。正論です。

河野洋平さん(元自民党)が「国会事故調査委員会の結果を見て判断すべき」と意見を述べました。国会が事故調査委員会で調査し、その報告が6月くらいに出るのにそれを待つ、見てから再検討することが出来るはずだ。なぜその結果を見ないので「野田政権が再稼動を急ぐか理解できない」と。国会がもっと強い権限、意見を表明し、野田政権の動きをけん制すべきだ。正論です。

地元自治体が「再稼動を受け入れる=合意」が前提としている点に関して。出席者からの意見で「地元の定義がおかしい」「事故が起きて汚染される地域は立地自治体ではない」「しかし、立地自治体だけの判断で再稼動をさせるのは理屈としておかしい」との意見がありました。正論です。

夏に向けて、企業が操業するのに電力が不足するとの大手企業、経団連からの突き上げに野田政権が応える=再稼動をさせる。この結論ありきと、企業論理優先、安全軽視の姿勢が野田政権の特徴になっていることがよく分かります。宮城県でも「女川原発廃炉の会」が初めて、結成されました。

東京都慰霊堂

2012年03月18日 06時00分12秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。今日は、東京大震災で亡くなった方たちの慰霊堂の話です。

東京都墨田区の両国駅の近くに、横綱町公園があります。この公園は他にも名前を持っています。「被服弊跡」「東京都慰霊堂」「東京都復興記念館」です。この公園の歴史がこの名前そのものとなっています。

1922年(大正11年)に陸軍被服弊の移転に伴い東京都がここに公園を作っていました。その最中の、翌年1923年9月に関東大震災が起きました。

話は変わりますが、地震で亡くなった方の原因について、今回の東日本大震災は津波による溺死または圧死、阪神淡路大震災は建物倒壊による圧死、そして関東大震災は火災による焼死がほとんどです。

関東大震災は今から89年前の午前11時58分に発生しました。昼時ということでいたるところで火災が発生しました。多くの方が、両国の被服弊跡は広大な空き地になっているからということで避難してきました。避難者は家財も持って来ました。これが悲劇となりました。

被服弊跡に三万八千人の老若男女の男子がぎっしりと身動きもできない程になっていました。そして阿鼻叫喚の地獄絵のようなことが起きたのです。持ってきた箪笥や風呂敷包に火が燃え移りました。さらに信じられないことに、火災旋風が起きたのです。火災旋風とは燃える火により酸素が不足し、その酸素補給のために猛烈な突風が吹くことですが、これにより人々が炎の中に吸い込まれたというのです。

  

ここに慰霊堂が作られ、五万八千人の遺骨が納められました。奇跡的に第二次世界大戦の東京大空襲でも燃えずに残りました。この慰霊堂は東京大空襲による殉難者の遺骨も合わせて現在焼く163,000体の遺骨が安置されています。

  

東京大空襲犠牲者を追悼し平和を祈願する碑です。季節ごとに花々は植え替えられます。冬から春はパンジーが植えられています。平和のシンボル鳩でしょうか。

  

合掌