讃岐おばさんのひとり言4

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オパティアにて

2012-07-05 18:00:00 | 東欧 2012年7月
18時にクロアチアのオパティアにあるホテル アガヴァに到着。

その前に、スロベニアからの出国手続きですが、今度はバスの中に係員が入ってきて、パスポートにスタンプを押してくれました。

クロアチアへの入国もバスの中でスタンプを。
で、私達のお部屋。
19世紀築の邸宅を利用したホテルだそう。
ゆったりしていますね。
ベランダからはアドレア海が見えて素敵です。
ホテルでの夕食の後、港まで出かけましょう。

20時、まだまだ明るいです。
穏やかなアドレア海。



では、明日に備えて今夜も早めに就寝ですzzz2zzz2zzz2

ポストイナ鍾乳洞へ

2012-07-05 10:29:00 | 東欧 2012年7月
ジリジリと暑くなってきましたsun
途中、道路工事中で渋滞がありましたよ。
ポストイナに着きました。

12時過ぎ、こちらで昼食です。
レストランに見えないですね。
騎士の鎧や兜を飾っていました。
で、まずサラダ。
鱒の焼いた物とジャガイモ。
デザートはアップルパイだったかな?

13時15分、
雨がポロポロ降ってきました。

この橋を渡って鍾乳洞入り口へと。
鍾乳洞の入り口で乗るトロッコの時間は14時なのでそれまでお土産入り場をウォッチング~
正面の洞窟からは涼しい風が吹き出ていますsymbol6
蜂蜜やラベンダーのポプリが売られていました。
フクシアが綺麗でした。
雨も止んで、まもなく入場です。
2人ずつ座ります。

鍾乳洞の中の気温は年中8℃、上着が必要です。
スピードが速くてジェットコースターに乗ってる気分。
ぶつかりそうhi



約10分後、トロッコ列車から下りて遊歩道での鍾乳洞観察となりますが、ここからは一応撮影禁止です。
1ユーロで日本語オーディオを借りれたのですが、どうせ聞いても忘れるだろうと、添乗員さんの後にくっついて英語案内の和訳を聞きます(笑)
第一次世界大戦時にロシア兵捕虜たちによって架けられたというロシア橋。

入場チケットのモデルになってる真っ白い鐘乳石は「ブリリアント」と名付けられています。
ここでは皆さんが写していたのでストロボを使わずにase2

本当に真っ白でキラキラしてとても綺麗でしたkirakira2

これは、
水槽にいた「類人魚」という白い四足の生き物。


約1時間の遊歩道での見学が終わり、再度トロッコ列車に乗って出口へと。
類人魚の道案内がありましたniko

17時、今夜のホテルがあるオパティアへ移動します。

ブレッド湖にて

2012-07-05 01:50:00 | 東欧 2012年7月
5時40分、ぐっすり寝て気持ち良い朝を迎えました。

朝食の時間まで、ブレッド湖を散策してきます。
崖の上にあるブレッド城、昨晩はライトアップされてたそうで、30分かけてお城まで行った元気な人が居ました。
6時08分、逆さブレッド城。
カエルちゃんのゴミ入れ。
聖マリア教会が見えます。
睡蓮はまだお休みでした。


で、7時からの朝食はホテルにてバイキング。
しっかり食べて、8時にバスで出発します。

と言っても、1~2分で到着。
8時9分、ブレッド湖観光、ブレッド城も見る位置に寄って感じが変わりますね。
睡蓮ももう開いていました。
チトー大統領の別荘だったホテルの前を通り、手漕ぎボートに乗ってブレッド湖の中の小島に建つ聖マリア教会へと。
一人一人、左右に分かれて慎重に乗らないと転覆するそうで、スリル満点です。

教会への石段は99段、結婚式を挙げる花婿さんは花嫁を抱っこして上がらないといけないそうで、昨日の夕方に見た花婿さんもちゃんと上れたのかなぁ~
ではでは、願い事が叶うという鐘を鳴らしましょう。
聖マリア教会は15世紀に建てられたそうで、52mの塔と99段の階段があります。

まずマリア様にご挨拶。
願いを強く思いながらこの紐を引っ張り、上にある塔の鐘が鳴ると叶うそう。

引っ張っているときは分からないのですが、外に出ると綺麗な音色が聞こえてきます。
このパイプオルガンも当時の物だそう。

この塔から鐘の音が聞こえてきます。
教会の前にあるお土産屋さん。
葡萄が美味しそう~
また手漕ぎボートに乗って戻りますよ~
私達の船頭さんはとってもハンサムさんheart
チトー大統領の別荘だったホテルの前で。
  
とっても優しい絵ですね~

ふとじじいさんを思い出しましたwink

周囲約6キロというブレッド湖を回って、
聖マリア教会も遠くになりました。

この建物は?
オーストリア時代に造られた列車の駅です。
こんな蒸気機関車が走っていたのでしょうか。
ブレッド駅。
ただいま9時45分。
現在はイタリアになっている「トリエステ」からチェコの「プラハ」まで鉄道は通っていたそうです。

では約100キロ先の鍾乳洞へsymbol5