黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

家型埴輪出土・小林天神古墳

2020-04-20 15:30:03 | 旧勢多郡とその周辺・総集編

雨の朝です

この時期に冷たい雨です

ひめちゃんたちは、今日もビンボーカッパでお散歩です

弾むように、元気に帰ってきました

 

獅子丸のは、実は桐生市指定のゴミ袋の応用編です。

切り開いて、ビニール風呂敷とほぼ同じ大きさにカットして使いました。

数日前、市指定のゴミ袋が足りなくなったので、桐生マーケットシテイで購入してきました。

広げてみて、ビックリです

新里で売っているのとは、別物です

そういえば、東の桐生に住む友人が言っていました。

「新里が桐生に合わせればいい。」と。

合併前、桐生市には指定のゴミ袋がなく、黒ビニールの大袋で出していたのです

東の桐生市で購入してきた45リットル入りの袋の薄いこと

それに持ち手の部分がありません

現在新里地区で売られているのは、合併前の「新里村指定ゴミ袋」の新里村を桐生市に変えただけのものです。

東の桐生市の人は、丈夫で使い勝手の良い桐生市指定ゴミ袋を知らないようです。

使い勝手の悪い桐生市指定ゴミ袋、ビニール風呂敷不足の時に、切り開いて利用しましょう

 

 

新里中央小学校の校庭には、古墳があります。

校庭の北の端で、古墳と意識している人は少ないようです。

校門に「関係者以外は立ち入らないでください。」の表示があります。

もとPTAなので、敢えて失礼します

校庭に入らないと、古墳は見学できないのです。

PTAのころは、古墳があることは知っていましたけど、関心がありませんでした。

 

古墳の前に、何か建物があります。

家型埴輪がある

休憩用ベンチもあります。

手前は藤のない藤棚のようです。

もともとは、地域の人も受け入れる空間として作られたようです。

大きな家型埴輪です

思わず廻りを一周してしまいました。

家型埴輪です

PTAだったころ、こんなのあったっけ?

あら、ちゃんと説明板もあるじゃありませんか

本来は直径42m、高さ3mの規模を有する円墳であったと推定される。

石室内からは副葬品として鉄刀2振、金環9個、丸球50個、鉄鏃(やじり)、須恵器等が出土している。墳丘上からは円筒埴輪のほか、家形埴輪、鞆型埴輪、人物埴輪頭部が出土しており、家形埴輪は、現在、東京国立博物館に所蔵されている。

そうすると、ここにあるのはそのレプリカですね。

ここで出土した家形埴輪は、東京国立博物館に収蔵されるほどすばらしいものだったのです

 

残りの出土物は、新里郷土資料館でしょうか?

資料館は、村の頃、留守番のおじさんがいて、いつでも見学できました。

桐生市になってから、留守番のおじさんもいなくなり、いつも閉ざされています

「御用の方は新里支所に連絡してください」なんて、貼り紙があるだけです

 

墳丘を眺めると、石室入り口がわかります。

南を向いています。

やはり、校庭から出ないとわかりません

子ども達が入らないように、ひらがなで「あぶないからはいってはいけません」とあります。

でも、石室探検をしたというような武勇伝も聞いていません。

大人も子どもも、あまり関心が無いようです

 

墳丘の東の方に、かなり大きな石宮があります

子どもの背丈を超えてしまいそうです

祠の前に、何かの礎石のようなものが2つありました。

2つだけなので、建物ではなく、鳥居の沓石(くついし)でしょうか?

すべての鳥居がそうではないですけど、多くは沓石の上に乗っているだけといいます。

絶妙のバランスで立っているんだそうです

ここには、鳥居があったのです

ここが天神様です

かつては、墳丘上にあったという天神様がありました

 

小林天神古墳の家型埴輪、こんなにすごい埴輪が小学校の校庭にあったんですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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