黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

葛塚城鬼門の長安寺(後閑の五輪塔)

2020-04-24 16:04:48 | 旧勢多郡とその周辺・総集編

昨日の夕方、ひめちゃんは動物病院で狂犬病の予防接種をしてきました。

実はかなりのへたれのひめちゃん、車の中では過呼吸状態でした

でも、フラリアの検査で血液採取をしてその結果を待っているうちに落ち着いて、無事に終わりました

今朝は獅子丸と、諏訪神社の西の高台を歩いてきました

晴れて気持ちがいいね

でも、久しぶりなので、ひめちゃんの耳は情報収集中です。

ここには、時たま犬を放してお散歩するおじさんが出現するのです

耳の向きが変わりました。

大丈夫なようです

今朝は、浅間山がきれいに見えます

まだ、雪があります

菜の花の所の小道を通って帰ります

浅間山が、さらにはっきり見えます

あれ、除草剤の海だ

道ばたに薬師仏が集められています。

薬師様、除草剤のせいで、実力を発揮できません

もう一ヶ所も同じようです

今こそ、出番だと思うのですけど

 

 

 

葛塚城堀之内の外、丑寅(北東)の鬼門に長安寺はありました。

南勢多郡仏教会の廃寺報告書に長安寺があります。

 

長安寺(天台宗新川善昌寺末)

山上に存在した。寛保2年(1742)に『前橋藩領内寺院本寺併所附帳』に記載されている。明治10年(1877)内務省地理局へ出された『上野国郡村誌』に東西27間、南北14間、境内の面積は一反2畝1歩と記されている。明治12年に内務省へ出された『上野国寺院明細帳』には記載が無いことから、江戸時代前期頃に創建され、明治12年までには廃寺になったものと考えられる。

 

獅子丸が7年間養子に行っていた家を、仮に獅子丸家と呼びます

その獅子丸家のおとうさん(元飼い主)によれば、長安寺は、獅子丸家のご先祖・本橋院殿寶輪廣譽大居士(ほんきょういんでんほうりんこうよだいこじ)が建立したといいます。

本橋院殿は、山上城落城の供養の為に、前橋橋林寺末・常広寺を開基し、さらに葛塚城鬼門に長安寺も建立したのだそうです。

そして、常広寺のほうは、実質的開山である常広院殿にまかせ、自分は長安寺に依ったといいます。

長安寺は、獅子丸家の個人経営的な面が強かったようです。

僧侶独特の墓もいくつかありますけど、無住の期間もけっこうあったようです。

いつのころからか、しだいに地域の人々も受け入れるようになったようです。

 

ここに、後閑(ごか)の五輪塔があります。

桐生市のHPによると、この五輪塔は室町時代前期の特徴をもっているとあります。

 

そうすると、長安寺より古いことになります

そうすると、長安寺以前に寺が存在した可能性があります

葛塚城鬼門にあることから、寺があって当然です

五輪塔のパーツもころがってます。

 

長安寺の北東には、額のみ残る八幡宮があります。

地元では八幡様といって祭礼をしているようです

このあたりは、長安寺以前からパワースポットだったのです

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 海なし県の鹽竈(しおがま)... | トップ | 羽生衆の記憶 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旧勢多郡とその周辺・総集編」カテゴリの最新記事