黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

県境を越えて妻沼聖天様(狛犬のいる参道)

2020-06-30 20:56:17 | 埼玉県

朝、ひめちゃんたちのお散歩の時間は、まだ雨が降っていませんでした

お散歩から帰って朝ご飯が配られる頃には、しとしと降り出しました

 

雨にも負けずに、今日もヘメロカリスや紫陽花は、きれいに咲いています

和の雰囲気(ジャパネスク)のヘメロカリスです

絞りの紫陽花が、もう一種類ありました。

共に、キウイフルーツの棚の下にあります。

ここには、鉢植えの紫陽花もあります。

小雨になった頃を見て、幾鉢か、地植えにしました

 

 

名物の大きな稲荷寿司は売り切れでした

とりあえず、和菓子屋さんにあったどら焼きを買って、空腹をなだめます

 

付近の地図があります。

中央を走る国道407号線、刀水橋の向こうで太田市内に向かってます。

帰りは、この407号線を北上し、薮塚・笠懸廻りです。

 

紫陽花は多いとはいえませんけど、所々に咲いています。

やはり、紫陽花の季節です

 

また、門があります。

シンプルだけど、クラシックな重厚な門です。

さらに向こうにも門があるようです。

 

仁王門です。

あれ、今度は狛犬もいます。

なんとも愛らしい狛犬です。

爪も丁寧に表現されています。

 

聖天様の由来について案内があります。

当山は治承三年(八百数十年前)の庄司斉藤別当実盛公が本尊聖天さまを総鎮守としてお祀りし民衆の祈願所として開創されました。

本坊は真盛公の二男良応僧都が聖天行者の修行所として建立されました。

 

「民衆の祈願所」って、すばらしい

 

以前参拝した歓喜院本坊は、落ち着いた雰囲気でした。

そうだったんですか、聖天行者の修行所だったんですね

 

仁王門の仁王様です。

なぜか、左の仁王様にだけ、清酒力士の奉納です。

仁王様、「悪疫調伏」お願いしますね

 

仁王門をくぐり、いよいよ本殿です。

 

その前に、右手にある受付所で、御朱印をお願いします。

いただいた御朱印です

 

本殿に参拝です。

でも、まっすぐは進めません。

石舞台があるからです。

この前もあったっけ?

全く記憶にございません

 

回り道で、本殿です

龍がいます

 

本殿前には、大きな大きな賽銭箱があります。

ご本尊様から遠いですけど、心をこめて合掌

 

ここにも狛犬です

 

右の狛犬です。

おや、奥の方に赤い橋が見えます

あっちへは行った事がありません。

 

左の狛犬です。

料金所があります。

本殿の彫刻を拝観するには、料金所を通過しなければなりません。

せっかくですもの、もちろん拝観料700円を払って、拝観します

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

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県境を越えて妻沼聖天様(斉藤実盛の記憶)

2020-06-29 23:01:29 | 埼玉県

朝、ひめちゃんは小次郎パパと、ほぼいつも通りにお散歩できました。

赤城山の木々が、生き生きと見えます。

ここが葛塚城堀之内の北端です。

ひめちゃん大事な時なので、突き当たりを左折して帰ります。

 

あれ、いつも通る道に、大きなトラックです。

急遽脇道に入ります。

ここは、れっきとした市道ですけど、豚舎と豚舎の間の道で、普通の人は通りません。

葛塚城堀之内の内曲輪です。

まわりの石は葛塚城の石と云いたいところですけど、どうも古墳の石のようです。

葛塚城は、山上にたくさん存在していた古墳を利用していたかも知れません。

 

 

 

25日の昼ごろ、雨が上がりました

遠くにお出掛けするには、ちょっと遅い

そうだ、県境を越えて、妻沼聖天様のおいなりを買ってこよう

県境を越えた移動が可能になっています。

さすがに山上城趾公園からも、他県ナンバーの車お断りのバリケードは撤去されました。

国道17号線(上武道路)を尾島で降りて、利根川沿いに刀水橋(とうすいばし)まで出ます。

刀水橋を渡ってほどなく到着です

 

貴惣門から入ります。

巨大な荘厳な門です

 

右手にひっそりとお地蔵様です。

柔和なやさしそうなお方です。

首はしっかり付いてます。

 

左には「めぬま歴史の道」と「貴惣門」の説明板です。

 

2年半ぶりです。

いくつかの斉藤実盛(さいとうさねもり)ゆかりの史跡に行った事があります。

 

では、貴惣門をくぐります。

みごとな龍です

 

左右に、仁王様です。

調伏の文字が見えます。

今みんなが一番のぞんでいる御利益ですね

 

紫陽花の一角があります。

左奥に、斉藤実盛の銅像があります。

「こんにちは。お久しぶりです

白くなった髪を、鏡をみながら、墨で染めています

細部にわたって実に細かく作られています

実は実盛の兜(かぶと)と言われるものが、石川県小松市の多太神社に伝わるそうです。

熊谷市立熊谷図書館刊の『斉藤氏と聖天堂』(平成25年)に、その兜の写真があります

確かな資料によって、兜も創作されているのです

 

 

この歓喜院聖天堂は、平安時代末期に、この地を治めていた斉藤別当実盛が開いた聖天堂が元とされているのです。

実盛は、幼い駒王丸(のちの木曽義仲)を助けます。

そして、その木曽義仲と戦って戦死するのです。

 

文部省唱歌・斎藤実盛の歌詞があります。

一、年は老ゆとも、しかすがに

  弓矢の名をばくたさじと

  白き鬢髭墨に染め

  若殿原と競いつつ

  武勇の誉れを末代まで

  残しし君の雄々しさよ

二、錦かざりて帰るとの

  昔の例ひき出でて

  望の如く乞ひ得つる

  赤地錦の直垂を

  故郷のいくさに輝かしし

  君が心のやさしさよ

 

一番は、老齢になったとは言っても、武門の名誉を朽ち果てさせまいと、白くなってしまった髪の毛や髭を墨で染め、若い者に交じって戦い、末代まで残した武人らしさをうたいます。

二番は、彼が着ていた錦の直垂の物語です。

生まれ故郷の越前に錦を飾り散ったのです

 

スイッチをおすと、メロディーが流れるはずです。

あれ、流れません

 

じゃあ、お寿司でも買ってそこらでたべましょう。

ここの名物は、大きないなり寿司なのです

あれえ、本日売り切れですって

 

(つづく)

 

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白柴タバサちゃんの新田荘遺跡・円福寺参拝記(後編・国良親王って誰だ?)

2020-06-28 21:27:13 | 群馬県・東毛

夕方、ひめちゃんは小次郎パパと南の方に出掛けました。

まもなく、ケンくんちのおばあちゃんに行き会いました。

「ケンちゃんは、お散歩にいっていないよ。」

ひめちゃんは、ケンくんちのおばあちゃんをケンくんちのおばあちゃんと認識しているようです。

あたち、ケンくんに行く

じゃあ、行ってみよう

パパが一緒ですけど、留守なら大丈夫です。

早くいこうよ

恋する乙女の後ろ姿です

 

 

 

十二所神社の前を通過すると、鳥居があります。

神社の参道は、こちらのようです。

国良親王御陵と大きな石柱があります

どうやらこの茶臼山古墳の一部を、そう言っているようです。

 

ところで国良親王ってだれだ?

今回初めて気になりました。

新田と関係あるのだから、南朝の方でしょう

 

ふと、花見塚神社のことを思い出しました

旧尾島町の新田義貞と勾当内侍(こうとうのないし)の墓がある所です。

 

つつじ咲く花見塚神社、去年の4月末です。

菊のご紋があります

左側額の文です。

右の額の文です。

宗良親王(むねながしんのう)の第1子とあります。

母は山吹姫、つまり新田義貞と勾当内侍の娘とあります

そうすると、新田義貞の孫ですか

宗良親王は、後醍醐天皇の皇子で、南朝のために東国でずーっと戦ってました。

どこを検索しても出てこない国良親王の足跡は、花見塚神社にあったのです

 

墳丘上にはなにもありません。

 

十二所神社の階段を降ります。

あたちは前向きに降りられます

 

降りながら眺める観音堂は、結構立派です。

観音霊場の御朱印出るのかな?

観音堂の前を通過して、向こうの坂から降ります

観音堂の脇に覆い屋のある石造物があります。

ここら辺はいつも蚊がいっぱいです

ムヒは必需品です。

 

新田氏累代の墓に降ります。

説明板ももちろんあります。

付近には、史跡がいっぱいです。

また、そのうちにゆっくり歩いて見ましょう

 

ジョイフル本田に寄って、お昼を買って帰ります。

タバサちゃんは、お店の前でよい子で待ってます

 

 

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白柴タバサちゃんの新田荘遺跡・円福寺参拝記(前編)

2020-06-26 22:30:19 | 群馬県・東毛

ひめちゃんちに、蓮の花が咲きました

大きなビニール鉢で育てられています。

栽培担当者ではないので、詳細は分かりませんけど、去年は咲かなかったと思います。

 

朝も夕方も、ひめちゃんは小次郎パパ小次郎パパとお散歩です、

ごく普通に、同じ所に首を突っ込んでいます

その日はもう少し先のようです

 

 

脇屋の赤城神社をあとに、ついでだから久しぶりに円福寺に寄ってみよう

記憶を辿りながら、到着です

「中世の武士」をイメージさせるような山門です。

「東上州霊場第十八番 千手観音」ともあります。

観音霊場でもあるのですね

山門脇に説明板があります。

円福寺(えんぷくじ)は正式名称を御室山金剛院円福寺といいます。真言宗の寺で新田本宗家第四代の新田政義(まさよし)が開基したと伝えられ、政義が京都御室の仁和寺の阿闍梨静毫(あじゃりじょうごう)が開山(初代住職)といわれます。

『吾妻鑑』によれば、政義は寛元2年(1244)京都大番役として在京中、幕府の許可を得ず突然出家したため幕府の咎(とが)目を受けて所領を没収され、由良郷別所村に蟄居(ちっきょ)することになりました。

 

山門をくぐると、向こうが茶臼山古墳です。

おじさんとタバサねーちゃんは、さっさと左に行ってしまいます

琵琶(びわ)を奏でる弁天様です

赤い社が、本来の弁天堂なのでしょう。

かつては廻りに、いっぱい水があったのでしょう。

 

本堂に向かいます。

本堂は新しいですね。

屋根の新田の大中黒の紋が目立ちます。

でも、本堂は堅く閉ざされています

古墳の方に行きましょう

 

あれ、お地蔵様、どうして鉄格子の中なのですか?

 

墳丘上の建物に向かいます。

超クラシックな階段です

アタチもがんばります

門の向こうには、真っ赤な建物です

千手観音とあります。

観音堂です

あれ、今までここが十二所神社だと思ってました

山門脇に、ここは千手観音の霊場だとありました。

そうだったのですか

ここも堅く閉ざされて、千手観音のお姿は望めませんでした

かつては、霊場巡りのたくさんの人々が訪れた事でしょう

 

右奥に見える素朴な建物が十二所神社のようです

ここも堅く閉ざされていました。

太田市HPによると、

十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)は、円福寺本堂の西、茶臼山古墳の後円部墳頂近くにあります。創建された時代は不明ですが、中に16体の神像が安置されています

そのうち5体には正元元年(1259)の銘があり、円福寺の初代住職阿闍梨静毫(あじゃりじょうごう)が、現世安穏と極楽往生を祈願して、同年10月5日に造像したことが刻まれています。

 

あの16体の神像はここにあるのですか

神社の雰囲気ではありませんね

鳥居は何処にあるのでしょう?

 

(つづく)

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白柴タバサちゃんの犬散歩禁止・脇屋赤城神社参拝記

2020-06-25 21:40:13 | 群馬県・東毛

ひめちゃんは、恋の季節が始まったばかりのようです。

恋に老獪な小次郎パパは、静かにその時を待ってます。

発情が始まってから13日目~14日目が、もっとも妊娠の可能性が強いと言われています。

ひめちゃんは、まだ幾日か気を付けながら、パパとのお散歩ができそうです。

パパは恋する娘のボデーボードのようです。

ひめちゃんは、普通はマーキングはしません。

でも、発情中はあちこちにマーキングします。

「○月○日、あたちスタンバイOKよ」と触れ回っているようです。

普段は気にしない、あの子のうちの塀にもお知らせです。

あの子は、この間まで赤ちゃんだったようだけど、いつのまにか大きくなってました

パパはひめちゃんのマーキングの跡に、自分もマーキングして、匂いを消しています。

お疲れ様

 

 

川場村の岩観音は、新田郡脇屋村の正法寺の僧・良圓が、南北朝時代に北朝方の大友氏と南朝方の新田氏の合戦の戦没者を弔う為に建立したといいます。

そうだ、久しぶりに正法寺に行ってみよう

タバちゃんも、一緒に行こう

 

ところが、正法寺の近所はどの方向も通行止め

やっと集会所に出ると、道路工事のおじさんが「地元の人以外はダメです。」

「いつまでですか?」

「7月31日までです。」

仕方がないけど、何のための工事?

あてもなくウロウロしていると、神社があります。

ゴミ収集場所と兼用の駐車場があります。

鳥居の額を見てビックリ

赤城神社です。

質素な良い感じです

きれいな芝生ですけど、むむ「犬の散歩禁止」とな

パターゴルフ場になっているのです

あたちは散歩ではなく、参拝ですから進みます

赤ちゃんが生まれて参拝に来て、名前を書いた半紙を張っているのです

日本の心が残ってます

犬の散歩禁止なんて閉鎖的な事をいってますけど、社殿は開放的です

 

石造物を確認に裏に廻ります。

おじさん熱心に見ています。

「赤肥大明神」の文字が見えます。

わりと石造物が少ないです。

庚申塔の類はほとんどありません。

きれいに整理されたパターゴルフ場の一角という雰囲気もあります

日本の心の残し方の一つの方法なのでしょうけど

 

 

 

 

 

 

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