黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

佐貫庄・実相寺(じっそうじ)

2019-10-28 16:29:36 | 親鸞ゆかりの旅

ひめちゃんは、タバサねーちゃんと一緒に七海ママの昼散歩に付き合いました。

ママとタバサねーちゃんといっしょだと、一番下の子どもに返れます

 

 

宝福寺の御朱印をいただきに、実相寺を訪れます。

車で5分ほどだったと思います。

駐車場からとにかく庫裏を目指します。

和尚さんも帰っていて、宝福寺と実相寺の御朱印とともに、冷えた御茶の缶もいただきました

気温が上がってきたので、冷たい御茶はありがたかったです。

 

さて本堂に参拝です。

本堂は新しいです。

真言宗なので、ご本尊は不動明王です。

欄間に竜と鳳凰です。

 

「天井を見てください。」と和尚さん。

わー、天井絵です

でもどうして鶴が3羽真ん中にいるのでしょう?

極楽に鶴が導いてくれるという話でしょうか?

ここは「鶴舞う形の群馬県」の鶴の頭の部分です

作者の意匠にそんなことがあったのかも知れません。

この本堂でいろいろのイベントも開かれているという事です。

 

実相寺は、慶長18年(1609)板倉沼で二代将軍徳川秀忠の白鳥狩りが行われるからという理由で、周辺の18軒の農家と供にここに移転させられたそうです。

以来400年白鳥狩りは行われていないそうです。

現在、沼は埋め立てられ、工業団地になっているということです。

実相寺も、それなりの歴史をもったお寺です

 

境内を散策です。

いろいろな羅漢さんです

 

豊作なでカッパとあります。

はじめまして

 

お願い地蔵です。

どんなお願いを聞いてくれるのかな?

 

ペット供養塔です。

さっき庫裏で愛犬の塔婆を見ました。

家族として、人間と同じように菩提を弔うのでしょう。

 

隣に小さいながらも神社が見えます。

愛宕神社でした。

火伏せ・防火の神様ですね。

実相寺も何度か火災に見舞われているようですから、ここに愛宕神社があるのも納得です。

 

 

いただいた御朱印です。

阿遮羅とは不動明王の別称だそうです。

お忙しい中、お付き合いくださってありがとうございました

 

 

これにて、とりあえず「親鸞聖人ゆかりの旅」は終了です

 

 

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親鸞聖人の転機・佐貫庄宝福寺

2019-10-27 22:00:13 | 親鸞ゆかりの旅

 

ひめちゃんたちの晩ご飯は、秋刀魚(さんま)ご飯のトッピングがつきました

いつものように刻んだキャベツとドッグフードに、塩なしで焼いた秋刀魚をほぐしてごはんに混ぜた、秋刀魚ご飯がつきました。

1尾を6名で山分けです。

みんな大好きです

今年は、塩を振ってない生秋刀魚がなかなか手にはいりません。

きょうは、クチバシがオレンジの新鮮な秋刀魚と逢えました。

 

 

 

「親鸞聖人ゆかりの旅」のツアーのなかで、佐貫の宝福寺(群馬県板倉町)が「自力本願から他力本願へ回心の転機となった地」であると知りました

佐貫庄(さぬきのしょう)は群馬県です。

ちょっと遠いけど、行ける範囲です。

行ってみよう

国道50号線から太田市内で南下し、国道354号線でひたすら東に向かいます。

 

ナビの指示通りで、ちゃんと到着です

向こうに見えるのは、板倉高校の体育館ですね。

かつての宝福寺は、広大な境内を持っていましたけど、板倉高校に敷地を譲渡し、現在は八分の一の広さになってしまったということです。

 

山門を入って左側に駐車場と墓地があります。

石造物がいっぱいです

左の石柱には、「親鸞聖人直作阿弥陀如来像 聖徳太子尊像 玉日宮像 性信上人(しょうしんしょうにん)古蹟」とあります。

横を見ると、寄進者は江戸日本橋の人です

案内板というか、説明板というかでしょうか?

江戸時代には、親鸞聖人ゆかりの寺、また、東上州観音霊場第一番の寺として、多くの人が訪れた事でしょう

隣のお地蔵様は、穏やかなお顔なのに、ちょっとおいたわしい

 

そばにある大きなお地蔵様はご無事のようです

 

さて、堂宇の方に行ってみましょう。

 

あれ、開いてる

いつもはしっかり閉まっているという話ですけど、開いています

 

本堂で法事があるようです。

境内を散策させていただきまーす

 

門を入って左側に、性信上人坐像のあるお堂です。

たぶん耐火建造物なのでしょう。

性信上人は、親鸞二十四八からのうち第一高弟となります。浄土真宗の開祖親鸞が流罪を解かれ、新潟より関東へ入る際、性信が、道案内を務めたとされています。親鸞が四十二歳、建保二年(1214)のことです。そして親鸞は法福寺(現宝福寺)において、「浄土三部経」を千回唱えようとしますが、読み始めて数日で止め、常陸国(現茨城県)に赴いたということです。

横にも説明板があります。

 

太子堂です。

そういえば、宝福寺の開基は聖徳太子だそうです

 

隣に同じような建物があります。

「本尊佛如意輪観音像」とあります。

そういえば、ここは東上州観音霊場の一番札所でした

 

鐘楼堂です。

シンプルイズベストです

 

門の付近に石造物がいくつかあります。

その中でこの方が目立ちました

やさしそうな青面金剛です。

踏み有蹴られている邪鬼も丸顔でかわいい

見ざる、聞かざる、言わざるもはっきりわかります

 

 

法事が終わって、墓地の方に移動するようです。

和尚さんも出てきました

「あのう、御朱印はいただけますか?」

「今は用意がしてないので、向こうの寺まで 来てください。」

「はい、うかがいます。」

実は宝福寺は現在無住で、近くの実相寺で兼務しているそうです。

 

後ほど実相寺でいただいた御朱印です。

閉まっていると思っていた境内が、開いていて、散策できました

現在兼務している実相寺も、親鸞聖人ゆかりの寺になりますね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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駆け足で二宮尊徳資料館&桜町陣屋跡

2019-10-25 21:15:57 | 親鸞ゆかりの旅

冷たい雨の一日です

ひめちゃんたちは、レインコートを着てのお散歩です。

七海ママのレインコートも、基本的には貫頭衣(かんとうい)で、両サイドをお腹で併せてマジックテープで止めています。

ママのだけ、ちょっとかわいいデザインです

 

 

 

10月5日、最後の訪問地は二宮尊徳資料館と桜町陣屋跡でした。

実は、先に訪問した専修寺も二宮尊徳資料館も、旧二宮町にあります。

ウィキペディアによれば、二宮町は昭和29年(1954)に誕生し、平成21年(2009)に真岡市に合併し消滅しました。

町名は、二宮尊徳にちなむとあります


資料館の入り口に、二宮尊徳の像があります。

ちょっと小さめです。

資料館の中に大きな尊徳像があります。

人々を受け入れてくれそうな、大きなおだやかそうな人でした

この像の前で、二宮尊徳についてのビデオをみました。

館内はカメラ禁止でした

 

二宮尊徳というと、薪をしょって読書をしている像のイメージしかありませんでした。

疲弊した農村を立て直し、現在の農協のもとになる思想も持っていたとは、すごいことです

資料館を見学して、この町が彼にちなむ町名を選択したというのも納得です

 

慌ただしく見学して、桜町陣屋跡跡に足を延ばします。

土塁に囲まれている感じです。

 

説明板があります。

桜町陣屋は二宮尊徳(金次郎)が活躍した場としてしられています。文政6年(1823)、二宮尊徳は小田原藩主大久保忠真の命により、疲弊していた桜町領を復興するために、相模国栢山村(神奈川県小田原市)からやってきました。尊徳は、この地で報徳仕法と呼ばれる独自の農村経営法と思想哲学を編み出し、26年もの間ここを拠点に、桜町をはじめ近隣の村々の復興につくしました。

あの茅葺きの建物は、二宮尊徳の活動の拠点だったのです

左をみると、案山子(かかし)がいっぱいです。

収穫した稲が干してあるようです。

振り返ると、確かに土塁です。

中世の葛塚城も、もしかしたらこんな雰囲気だったかもしれません

 

 

陣屋の間取り図があります。

 

一番左は確かに土間です。

奥に進みます。

だいたいの人は、ここから引き返して行きました。

でも、隣に神社が見えます

あれが、二宮神社ですね

気になる石造物があります。

 

こちらに足を向けたのは、顔見知りのRさんと2人だけでした。

集合時間が迫っていたのです。

二宮尊徳のイメージの社殿です

いつもだったら、後ろに回ったり一周したりするんですけど、ここで退却です。

心の中で、2礼2拍1例礼で参拝です

ダッシュで、集合場所に戻ります

 

 

 

 

 

 


 

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親鸞聖人ゆかりの寺・高田山専修寺(後編)

2019-10-22 19:01:06 | 親鸞ゆかりの旅

雨の朝でした。

ひめちゃんと獅子丸は、レインコートを着てのお散歩になりました。

何故か今朝はよくマジックテープが外れました

まあ、古いので仕方ないことですけど、同じような犬用のレインコートを最近見かけません。

ひめちゃんたちが使っているのは、貫頭衣の様に、かぶって両サイドをお腹でぺったんするという簡単な形です。

獅子丸は、一昨年の夏17歳の天寿を全うした、三四郎のお古を使ってます

 

 

 

専修寺(せんじゅじ)境内の散策が続きます。

鐘楼です。

よそでは見かけない、鎌倉時代を彷彿させる力強い鐘楼です。

嘉永二年(1849)は、黒船が浦賀にやって来た年ですね

激動の時代を見守ってきたんですね

 

 

境内の散策を続けます。

クラシックな境内です

右の建物だけ、ちょっと新しいような

 

 

鐘楼の向こうに見えた御影堂(みえいどう)に向かいます。

説明板があります。

親鸞聖人を祀った建物なのですね。

靴を脱いで、参拝です。

中には椅子があって、腰掛けてガイドさんの説明を聞いたと思います。

「見真」って、なんだろう?

帰宅後検索してみると、「見真」とは親鸞聖人の諡(おくりな)で、「明治9年(1876)明治天皇より見真大師(けんしんだいし)の諡号を追贈された」のだということです

聖人の入滅から、600年も経ってます

 

 

御影堂で参拝を済ませて、庫裏の方に行きます。

御朱印がありそうです

「ただいま、混み合ってますので、お時間を頂きます。」

「ええ あのう、書き置きないですか?」

「あります。」

何種類かありましたけど、1枚選んで日付を入れてもらいます

如来堂のご本尊様です

急いでみなさんの後を追います。

 

 

 

 

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親鸞聖人ゆかりの寺・高田山専修寺(前編)

2019-10-21 22:14:41 | 親鸞ゆかりの旅

朝、ひめちゃんは獅子丸と、諏訪神社の西の方を歩いてきました。

赤城山には、雲が沸き立つように見えました。

帰り道、ひめちゃんは、「みどりのおじさん」を発見してしまいました

小学生の登校途中で、交通指導の旗振りをしているおじさんです。

おじさんはみどりの帽子をかぶっています。

あれ、今までかぶっていたっけ?

でも、ひめちゃんは彼を覚えていたのです

彼が出現すると、まもなく黄色い帽子の小学生集団がやってくるのです

クワバラ、クワバラ

大急ぎで、逃げ帰りました

 

 

10月5日、水戸から栃木県真岡市の高田山専修寺(せんじゅじ)に向かいます。

到着すると、3人のガイドさんが待っていてくれました。

3班に分かれて、見学・参拝です。

クラシックな門が見えてきました。

ガイドさんの説明があります。

ガイドさんは、「専修寺は親鸞聖人が建てた唯一のお寺です。」と何度も強調していました。

総門が見えます。

総門脇に説明板があります。

稲田の後に、ここに来たのです。

「初期真宗教団の根本道場として隆盛を見た」とあります

 

総門脇に巨大な木があります。

何の木だろう?

境内案内図があります。

ケヤキの木です。

そういえば、実家にあったケヤキの木もこんな感じでした

ただ、こぶのようなものはなかったですけど。

 

総門脇の通路を入ります。

「振り返って総門」です

さすが「本寺高田山専修寺」の風格です

 

立派な楼門があります

向こうに、如来堂が見えます。

楼門の説明板があります。

この楼門は元禄年間の建立なのです。

400年も経っているのです

 

楼門をくぐって、如来堂に参拝です

いただいた「如来堂の説明」によると、

この如来堂は、本寺専修寺の本堂であり、昭和五十六年に国の重要文化財の指定を受けています。このお堂は嘉禄二年(1226)に親鸞聖人が建立されたとされています。全国でも親鸞聖人が自ら建立した唯一のお堂と言われています。

親鸞聖人が建立したお堂なのですね

「現在のお堂は延享元年(1744)に再建されたもの」とあります。

 

ご本尊に参拝です。

もちろんお賽銭をいれて、手を合わせます。

「如来堂の説明」によると、

正面に見えている「一光三尊佛」はお前立ちの「一光三尊佛で中央に阿弥陀仏、向かって右は観音菩薩で健康を按じてくれます。左は勢至菩薩で智恵を与えてくれる仏さまです。

 

 

善光寺伝来の秘仏がご本尊なのですね。

静かに合掌です

 

 

 

 

 

 

 

 

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