黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

日光裏街道総集編13(やっと見つけた小島田の道しるべ)

2023-07-31 21:58:32 | 日光裏街道総集編

暑いけれど、曇り空の朝です。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました

ひめちゃんは、もうじき11歳半になりますけど、まだまだ健脚です

そして、自分の意思をしっかり持ってお散歩する頑固者です。

 

 

 

 

日光裏街道、周辺の文化財29番・小島田の道しるべを探します。

小島田公民館の近くらしいです。

 

実は、30番・小島田の供養碑訪問の後、細道をたどって、小島田公民館前に出ました。

公民館は、会議中だったのか、カーテンが開いていて、おじさんが数名みえました。

これは公民館に駐車して、探索というわけにはいきません。

やむなく退却です

 

次は、用足しのついでに寄ろうとしました。

ところが公民館の庭で、男女のカップルが、仲良くバドミントンをしています。

やむなく、また退却です

 

(2021年)3月4日、「今日こそ」と三度目の正直、公民館南のショッピングモールに駐車して、歩きます

ちょっとした坂です

頑張ってというほどでもないですけど、まあ頑張って到着です

 

 

あのりっぱな如意輪観音かな?

台座に、地名があるかな?

ためつすがめつ眺めても、地名がなさそうです

 

 

すぐ後ろの、古い石造物が気になります

もしかして、長明寺の記憶かな?

(このあたりには、戦国時代、上杉謙信に寄って焼かれてしまった長明寺という大きな寺があったと云います

 

 

ふと振り返って、道路脇の百番供養塔をみると、台座に「左日光」の文字が見えます

右は「??波」

日光例幣使街道の2番目の宿場・柴宿から日光裏街道は始まってるはずだけど。

柴宿(伊勢崎市柴町)は、七海ママの故郷です

とにかく、やっと見付けた、小島田の道しるべです

 

でも、ここから左に行くと、墓地の中、人家です。

もしかしたら、移動しているかな?

安永四乙未(きのとひつじ)年(1775)とあります。

世良田の毛呂権蔵が『上野国志』を著した翌年です。

安永年間には、人びとの往来が盛んだったのですね

 

 

奥は墓地になっています。

そしてその奥にお寺ではなく、人家です。

でももしかしたら、かつてはお寺とか修験者とかの住まいだったかも知れませんね

上杉謙信に焼かれたという巨大な長明寺、その長明寺がなくなっても、ここはパワースポットであり続けたのです

 

 

墓地の隣は神社です。

神明宮です。

石造物が神社の方にもあります。

かつては、塀などなく、神仏習合していたのでしょう

道祖神、きっと活躍していたことでしょう

 

 

神社の隣は、小島田公民館です。

いやむしろ、小島田公民館の敷地の中に、神明宮があるといった方がいいかもしれません。

道の向こうにも、何かありそうです

 

(つづく)

 

(2021.03.10投稿、2023.07.31改稿)

 

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日光裏街道総集編12( 鷲峯山馬頭院祝昌寺・摺墨の記憶を訪ねて2 )

2023-07-25 21:52:09 | 日光裏街道総集編

今日は、朝から猛烈な暑さでした

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、字塚越の庚申塚古墳を歩いて、早々にお家に帰りました。

去年の今頃は、けっこう岩神沼まで行って、沼下のヒマワリ畑にも寄ってました

去年は、今年のように、朝から猛烈な暑さではなかったようです。

タバサねーちゃんも、14歳になったばかりで、病気知らずでした

 

 

 

 

 

(2021年3月)山王日枝神社を後に、なんとか祝昌寺の南に出てやっと到着しました

名馬・摺墨の遺体を葬ったという祝昌寺です。

 

門柱の左右に仁王象です。

 

 

門柱を入って、駐車場になってます。

駐車場の片隅に、寺の由緒があります。

鷲峯山馬頭院祝昌寺、すごい正式名称です。

いかにも、名馬・摺墨と関係ありそうな寺名です。

曹洞宗で、開山は前橋橋林寺(きょうりんじ)三世ですか

常広寺と同じ橋林寺末なのですね

今度常広寺に行ったら、和尚さんに聞いてみましょう。

知り合いかも知れませんね。

 

鎌倉時代の武将梶原景季が源頼朝より拝領した愛馬「摺墨(するすみ)」がこの地で亡くなったため、庵を建てて供養したのが始めとされる。

 

そうなんですか

鏡田とは、ちょっとニュアンスが違う表現になってます。

 

 

左手に、大きくきれいな観音様です。

牛頭観世音菩薩とあります。

頭の上は、何となく、そう言われればそのような

 

山門には、曹洞宗祝昌寺です。

 

道すがら、いい言葉があります。

目で見せて 耳で聞かせて して見せて ほめてやらねば 人は育たぬ

そうですね

 

右手には幼稚園が見えます。

かつて常広寺が幼稚園も経営していたように、ここでも幼稚園経営もしています。

手前のお堂は、文殊堂とあります。

幼稚園といいコラボのお堂です

文殊菩薩さまのお姿は、外からはうかがいしることは出来ませんでした。

 

本堂は、耐火建築です。

本堂右下には、たくさんのお地蔵様です。

 

 

本堂左下には、「本堂建設之碑」です。

もしかしたら、これは古い本堂の鬼瓦?

左奥に、かなり古めの宝篋印塔が見えます

 

摺墨の墓です

馬の墓が宝篋印塔って、他にあるのかな?

とにかく、歴史を秘めた古い宝篋印塔です

合掌

 

本堂脇には、古い石造物です。

 

古い歴史がありそうなのに、思ったより古い石造物が少ないです。

境内には、墓地もたくさんあって、みんな比較的新しそうです。

本堂は耐火建築です。

 

もしかして、火災に遭って再建されたのかな?

 

駐車場の桜のつぼみが膨らんでいました。

時節柄、御朱印をお願いするのを控えました。

そのうち世の中が落ち着いたら、御朱印を頂きにうかがいましょう。

 

そろそろ「御朱印を」と尋ねてもいいかな?

 

(2021.3.7投稿、 2023.7.25改稿)

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日光裏街道総集編11(山王日枝神社)

2023-07-20 20:58:54 | 日光裏街道総集編

朝も強すぎる日射しの中のお散歩です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、朝は一緒にそこそこの距離をお散歩です。

ちょっと最近は距離が短めです。

15才になったタバサねーちゃんは、あまり遠出を好まなくなりました。

緑内障を患って、見えにくいことも関係してるかな

夕方は別メニューで、ひめちゃんは元気にしっかり南の方を歩いてきます

 

去年の7月の2人です。

やっぱり、日射し強かったね

 

 

 

(2021年3月)

名馬・摺墨(するすみ)の墓があるという祝昌寺を目指します

史跡・鏡田(かがみだ)から、3kmくらいかな?

日光裏街道からは少し外れるけど、さほどの距離ではありません

ナビに祝昌寺の☎番号を入れて出発です。

ナビ様の言うとおり、素直に進みます。

途中、目立つ神社があります

帰りに寄るつもりで、とりあえずパス

ところが、ナビ様の言うとおりに行っても、祝昌寺に入れません

祝昌寺裏の細道を廻って、また神社前です

 

 

明るい神社前に戻ってきました

これは神様が「寄って行け」ということのようです

日枝神社です。

りっぱな社殿です。

 

「手水社の柄杓は使うな、鈴をならすな」等の参拝の注意書きがあります。

初詣の時の混雑対策かな?

神社って、病魔退散とか、悪霊退散の御利益があるはずだけど

 

「日枝神社畧記」があります。

所在地は、前橋市山王町14-2です。

ここは、山王町なのですね

うーん、よく見えません

貞観二年清和天皇の御宇(858)、嵯峨天皇の皇子二品親王忠長卿上野太守に任ぜられたのを?して、九ヶ村の郡代相謀り社殿を造り近江国鎮座の日吉山五大権現の神を遷座して、産土の神と仰ぎ安心立命と天下太平五穀豊穣を祈ったのが本神社の興りである。

だいたいそんな風に見えます

まあ、とにかくとっても古い神社ということになります

 

2礼2拍1礼で参拝です

拝殿の額は、山王宮です。

 

鮮やかな拝殿です

青獅子と猿が見えます

象は白象(びゃくぞう)かな?

 

本殿も、鮮やかです

 

本殿裏を一回りしてきました。

やっぱり、華やかな拝殿です

御利益あるかな?

 

 

境内にあった、注連縄付きのこの石、説明もないけど気になります

文字がありそうだけど

 

 

境内社・山王天満宮です。

梅の花に天満宮、似合います

 

 

隣は、厳島神社(いつくしまじんじゃ)です。

やはり、梅の花が似合います

 

 

梅の花満開の山王日枝神社、元気をもらいました

また、祝昌寺を目指します

 

 

(2021.3.6投稿、2023.7.20改稿)

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日光裏街道総集編10(駒形宿駒形神社・摺墨の記憶を訪ねて)

2023-07-13 22:47:58 | 日光裏街道総集編

雨の残る朝でした。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内の西の方を歩いてきました。

すっきりしない、案外蒸し暑い一日でした。

 

以前は、2人は、天神田(字天神の田んぼ)を歩いた後、ケンくんちによく寄ってました

去年の今頃、ケンくんちに寄った2人です

タバサねーちゃん、積極的だったんだ

 

 

 

 

史跡・鏡田(かがみだ)の説明板に、「名馬・摺墨(するすみ)の遺体は祝昌寺に葬られ、その一部は駒形神社にもある。」と記されていました。

では、摺墨の記憶を訪ねて、駒形神社と祝昌寺に行ってみましょう

 

まず、駒形神社です

(訪問は令和3年2月21日です。)

明るい神社です

 

駒形カルタ?

西暦1648年、東善(ひがしぜん)より数戸引っ越し、駒形新田として町を形成し、日吉山王を氏神とした。

宝永七年になって、戸数も増加し小屋原泉蔵寺(せんぞうじ)より駒形明神をもらい受け、これを氏神とした。

町の形成は江戸時代の初期ですか

約50年後、宝永7年(1710)になって、駒形明神を小屋原の泉蔵寺からもらったのですか

 

牛頭天王獅子頭の説明板です。

駒形町は江戸時代に藩主酒井氏の命令で町づくりがはじまったといわれる。しかし、大勢の人を寄せて町づくりを行うことは決して容易なことではなかった。そこで、駒形住民統合の象徴として、この牛頭天王を祀り住民の団結を図ったといわれる。

「江戸時代に藩主酒井氏の命令で町づくりがはじまった」のですね

なるほど、新しい町づくりは大変ですね

駒形明神をあげちゃった泉蔵寺はどうなったのでしょう?

そのうち行ってみましょう

 

 

明るい境内です

 

右の狛犬です。

左の狛犬です。

比較的新しいかな?

 

手水社には、馬です。

駒形神社ならではですね

 

ここにも神社の由緒があります。

境内は馬蹄形をなし源頼朝の愛馬の蹄と伝えるものが御神体の一部にある。勧請年月は元亀元年と伝えられる。「上野国郡村誌」

神仏混淆時代は小屋原町の天台宗泉蔵寺に属していたが、慶安年間(1650)頃東善養寺阿(現前橋市東善町)より数戸この地に移転以来漸次戸数が増加により社殿を改築し別当「山伏修験本明院」を設け駒形の氏神とした。社殿は宝暦七年(1757)に改築したが・・・・・・(後略)・・・・・

落ち着いた色合いですけど、読みにくい

 

 

華やかな社殿で、2礼2拍1礼で参拝です

 

元気はつらつ、青龍です

 

あら、獅子も青獅子

元気はつらつです

 

 

マスクをした神馬もいます。

走るときは外さないと、酸欠状態になっちゃうよ

 

社殿の裏の廻ると、双体道祖神があります

近くから移動してきたという説明があります。

仲良く手を取り合ってます

宝永2年(1705)の年号が見えます。

社殿の改築(宝永7年)より古いんですね

 

社殿裏には、たくさんの石殿・石造物です。

 

本殿はさっぱりしています

 

 

 

さて、神社前の神主さん宅で、御朱印を頂きます

 

ふと、駒形神社オリジナルの御朱印帳が気になりました。

「馬の絵ですね

「はい、拝殿の天井絵です。ご神体に馬の蹄があるのです

「そうですか。では、この御朱印帳いただきます

 

この御朱印帳、もったいなくてまだ使ってません

 

(2023.03.05投稿、2023.07.13改訂)

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日光裏街道総集編9(駒形宿・茂平地蔵と鏡田)

2023-07-09 15:48:34 | 日光裏街道総集編

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、蕨沢川のクネクネ道を歩いてきました。

道はまっすぐではなかったんですね。

古い道の名残が感じられる道です。

 

タバサねーちゃんは、先日15歳になりました

小さい頃は皮膚炎に悩まされましたけど、いつの間にか治って、昨年の暮れまで病気知らずでした

暮れに発熱し、緑内障になり皮膚炎も再発してしまいました

目の方は目薬を朝晩点眼、皮膚炎は暮れに注射と服薬しましたけど、あとは自然治癒力を期待しています。

ワガママ全開の妹・ひめちゃんとうまく共存しています。

長生きしてね

 

 

 

 

日光裏街道・大胡道(街道を歩く・日光への脇往還)の、駒形宿(前橋市駒形町)付近です。

22番・駒形長寿観音堂と茂兵衛地蔵を訪ねます。

 

真っ赤な駒形茂兵衛地蔵尊のお堂です

中には、力士姿の駒形茂兵衛像です。

いくら検索しても、「一本刀土俵入(いっぽがたなどひょういり)」の主人公ということしかわかりません

ここ駒形の出身だったんですね。

合掌

 

かわいい狛犬です

こんにちは

 

さて、駒形長寿観音堂は何処だろう?

 

南にお堂があります。

子育て地蔵とあります。

古い石仏が少しあります。

お堂の中には、ベビー用品を一杯身につけたお地蔵様?

よくわかりません

長寿観音堂はないようです。

 

霊園の一角のようです

まあ、とにかく合掌

 

 

南に下ります。

道ばたの空き地になにやら看板が

「伝説 鏡田」ですって

源頼朝が、牧狩りの帰りにここを通ったんですか

自分の雄姿を映し見たので、鏡田なんですね

その時名馬・摺墨(するすみ)に乗っていたんですか

摺墨は、ここらで突然死したんですか

摺墨の遺体は祝昌寺に埋葬され、駒形神社にも一部が保管されているんですね

一部が保管されているって、どういう意味かな

これは、祝昌寺と駒形神社、ぜひ行ってみなければなりませんね

 

 

 

(2021.2.26投稿、2023.7.9改訂)

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