暑いけれど、曇り空の朝です。
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました
ひめちゃんは、もうじき11歳半になりますけど、まだまだ健脚です
そして、自分の意思をしっかり持ってお散歩する頑固者です。
日光裏街道、周辺の文化財29番・小島田の道しるべを探します。
小島田公民館の近くらしいです。
実は、30番・小島田の供養碑訪問の後、細道をたどって、小島田公民館前に出ました。
公民館は、会議中だったのか、カーテンが開いていて、おじさんが数名みえました。
これは公民館に駐車して、探索というわけにはいきません。
やむなく退却です
次は、用足しのついでに寄ろうとしました。
ところが公民館の庭で、男女のカップルが、仲良くバドミントンをしています。
やむなく、また退却です
(2021年)3月4日、「今日こそ」と三度目の正直、公民館南のショッピングモールに駐車して、歩きます
ちょっとした坂です
頑張ってというほどでもないですけど、まあ頑張って到着です
あのりっぱな如意輪観音かな?
台座に、地名があるかな?
ためつすがめつ眺めても、地名がなさそうです
すぐ後ろの、古い石造物が気になります
もしかして、長明寺の記憶かな?
(このあたりには、戦国時代、上杉謙信に寄って焼かれてしまった長明寺という大きな寺があったと云います)
ふと振り返って、道路脇の百番供養塔をみると、台座に「左日光」の文字が見えます
右は「??波」
日光例幣使街道の2番目の宿場・柴宿から日光裏街道は始まってるはずだけど。
柴宿(伊勢崎市柴町)は、七海ママの故郷です
とにかく、やっと見付けた、小島田の道しるべです
でも、ここから左に行くと、墓地の中、人家です。
もしかしたら、移動しているかな?
安永四乙未(きのとひつじ)年(1775)とあります。
世良田の毛呂権蔵が『上野国志』を著した翌年です。
安永年間には、人びとの往来が盛んだったのですね
奥は墓地になっています。
そしてその奥にお寺ではなく、人家です。
でももしかしたら、かつてはお寺とか修験者とかの住まいだったかも知れませんね
上杉謙信に焼かれたという巨大な長明寺、その長明寺がなくなっても、ここはパワースポットであり続けたのです
墓地の隣は神社です。
神明宮です。
石造物が神社の方にもあります。
かつては、塀などなく、神仏習合していたのでしょう
道祖神、きっと活躍していたことでしょう
神社の隣は、小島田公民館です。
いやむしろ、小島田公民館の敷地の中に、神明宮があるといった方がいいかもしれません。
道の向こうにも、何かありそうです
(つづく)
(2021.03.10投稿、2023.07.31改稿)