朝は雨止みを待ってのお散歩です。
ひめちゃんと獅子丸は、第一陣で出ました。
タバサねーちゃんと小次郎パパが第二陣で、堀之内を西に出ます。
あれ、タバサねーちゃんの向こうに、シラサギです
「よくここにいるよね。何かご馳走でもあるのかな?」
サギさん、ちょっとだけ身震い、そのあとまた畦を闊歩です。
少ししたら、遠くを見つめています。
彼(?)はちょっと目を離した隙に、南の空に飛び立ちました。
カメラは間に合いませんでした
タバサねーちゃんとパパは、諏訪神社の境内を廻って帰ります。
季節外れのツツジが満開です。
何本も咲いてます
山名への行き来には倉賀野(高崎市)を通ります。
倉賀野(くらがの)の閻魔堂は、日光例幣使街道の始点です。
何度か通りましたけど、駐車場が見つかりません
中山道に入ってまもなく、コンビニがあります。
木部氏館跡・心洞寺を後にして、このコンビニに直行しました。
アイスコーヒをゲットして、ちょっとだけ駐車させて頂きます。
駐車場内には、「駐車は20分以内にして下さい。」の表示
急いで閻魔堂に行きます。
あの信号(下町)を向こうから来ました。
新しそうなきれいな閻魔堂です。
説明板を確認です。
江戸時代、日光東照宮には毎年四月に朝廷からの使いが派遣されていた。これを日光例幣使と言う。例幣使は、京都を出発し中山道を下り上野国倉賀野で玉村への道をとり、下野国楡木で壬生道、同国今市で日光道中に入った。例幣使道(街道)は、一般的に倉賀野から楡木までとされる。
この辻には、常夜灯と道しるべ及び閻魔堂がある。
常夜灯の基台には、四面にわたり各地の問屋・旅館・著名人三百十二名の寄進者の名前が刻まれており、この中には相撲関係者も見られ、長く大関をつとめた雷電為右衛門や鬼面山与五右衛門など三十八名も含まれている。
あの信号(下町)を過ぎると、道は左右に分かれます。
常夜灯を確認です。
右・中山道、左・日光道です
台座には確かにたくさんの人名です。
雷電為右衛門・木村庄之助はっきり読めます
道しるべも確認です。
ここから、右は江戸道(中山道)、左は日光道(日光例幣使街道)に別れたのです。
ここが日光例幣使街道の始点なのです
道標の後ろは、南無阿弥陀仏です。
では、閻魔堂に参拝です。
新しいお堂の由来があります。
浄土宗阿弥陀堂だったんですね。
老朽化した阿弥陀堂を、父母の供養の為に再建寄進した方がいるのです。
失礼して覗かせて頂きます。
閻魔様の後ろに阿弥陀様です。
合掌
実家の近くに、例幣使街道・木崎宿がありました。
例幣使街道はとても気になる街道です。
そうそう、ひめちゃんたちのママ・七海ママの故郷も、日光例幣使街道・柴宿(伊勢崎市)でした。
やっと日光例幣使街道の始点を確認できました
そのうちに、終点も確認したいものです