黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・室田の滝不動尊

2021-09-29 15:54:10 | 群馬県・西毛

ひめちゃんと獅子丸は、久しぶりに、東の牧場に行きました。

ヤギさんいるかな?

あれ、赤い首輪のかわいい子がいる

つながれています

アタシは、この間ひめちゃん顔負けのすごいジャンプ力で、フンスを乗り越えていたものね。

あれ、ボクの方もヒモ付きです。

両親の方が、フリーみたいです。

バイバイ、また来るよ

 

ひめちゃんたちは、サマンサ坂を通って帰ります。

さあ、早く帰って朝ご飯にしましょう

 

 

 

(室田の瀧不動尊、境内の散策を続けます。)

滝に打たれている不動明王です。

合掌

 

更に行くと、目立たなく不動明王です。

合掌

 

池の側のお宮、御神酒が辨天です。

弁天様です。

弁天様の奥にも、滝不動です。

ちょっと優しそうかな?

合掌

 

 

さらに奥の霊場がありそうです

でもちょっと不安です

退却した方が良さそうです

 

 

本堂前を通って帰ります。

 

おや、目立たなく、小石の滝不動がたくさんあります

賽銭箱に、いくらか喜捨して、一体いただきます。

御朱印はいただけませんでしたけど、小さな滝不動尊をいただきました

また何時の日か、御朱印をいただきにうかがいます

 

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室田の瀧不動尊

2021-09-28 15:48:41 | 群馬県・西毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ます。

あれえ、遅れていく黄色い帽子の小学生がやって来ます

急遽、天神田(字天神のたんぼ)に避難です。

こっちは通学路じゃないから安心だね

 

ひめちゃんちのガーデンには、また椿が咲きました。

名前は忘れました。

でも斑入りの葉っぱです。

こんなに早く咲いたことはなかったと思います

一方、遅咲きのひまわりも咲いています。

初秋のひまわりも、いいもんだ

 

 

 

県内には、滝不動という霊場がいくつかあるようです。

9月15日、西毛にちょっと足が付いたついでに、西毛で有名な室田の滝不動を訪ねました

心細い山道を走り、赤い旗が何本もはためいている坂を下りました。

なんとか到着です。

 

駐車場から砂利を踏みしめ、御堂の方に歩きます。

 

 

手前の御堂は納骨堂です。

 

墓地にはたくさんの墓石です

 

 

奥に進むと、医王殿です。

医王、つまり薬師様がおいでのようです。

合掌

 

 

いよいよ本堂(不動堂)です。

うわー、すごそう

高崎市のHPによれば、

滝不動は中室田字不動にあり、下室田町の大福寺の境外仏堂として、また病気治療の霊泉として近郷近在に知れ渡っています。本堂は明和4年(1767)に室田村の名工清水谷仁右衛門藤原貞宴による作と伝えられています。善光寺や山形県の立石寺と同様に、御堂の内部に向拝を設けているという特徴があります。

 

病気治療の霊泉として、近郷近在に知れ渡っていたのですね

たくさんの人が、病気平癒を祈って集まったのでしょう。

りっぱな本堂、納得です。

 

「北関東三十六不動尊霊場 第三番札所」の文字が輝いています

御朱印いただきましょう

 

向拝の獅子、獅子くんに負けないくらい元気そうだよ

 

ご本尊の不動明王さまに、合掌

さて、御朱印を頂きましょう

 

本堂の下で、植木屋さんが作業中です。

階段を降りて、声を掛けます。

「あのう、御朱印はどちらでいただけるのでしょうか?」

「そこだよ。」

階段下に、それらしい建物があります。

「こんにちは。」何度声を掛けても、返事がありません

植木屋さんに、「返事がないんですけど

「出かけちゃったかな?」

「そうですか、残念 お手数をおかけしました。」

気を取り直して、境内の散策続けます

 

 

(つづく)

 

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日光例幣使街道の始点(倉賀野宿の閻魔堂)

2021-09-02 17:57:11 | 群馬県・西毛

朝は雨止みを待ってのお散歩です。

ひめちゃんと獅子丸は、第一陣で出ました。

 

タバサねーちゃんと小次郎パパが第二陣で、堀之内を西に出ます。

あれ、タバサねーちゃんの向こうに、シラサギです

「よくここにいるよね。何かご馳走でもあるのかな?」

 

サギさん、ちょっとだけ身震い、そのあとまた畦を闊歩です。

少ししたら、遠くを見つめています。

彼(?)はちょっと目を離した隙に、南の空に飛び立ちました。

カメラは間に合いませんでした

 

タバサねーちゃんとパパは、諏訪神社の境内を廻って帰ります。

季節外れのツツジが満開です。

何本も咲いてます

 

 

 

山名への行き来には倉賀野(高崎市)を通ります。

倉賀野(くらがの)の閻魔堂は、日光例幣使街道の始点です。

何度か通りましたけど、駐車場が見つかりません

中山道に入ってまもなく、コンビニがあります。

木部氏館跡・心洞寺を後にして、このコンビニに直行しました。

アイスコーヒをゲットして、ちょっとだけ駐車させて頂きます。

駐車場内には、「駐車は20分以内にして下さい。」の表示

 

急いで閻魔堂に行きます。

あの信号(下町)を向こうから来ました。

新しそうなきれいな閻魔堂です。

 

説明板を確認です。

江戸時代、日光東照宮には毎年四月に朝廷からの使いが派遣されていた。これを日光例幣使と言う。例幣使は、京都を出発し中山道を下り上野国倉賀野で玉村への道をとり、下野国楡木で壬生道、同国今市で日光道中に入った。例幣使道(街道)は、一般的に倉賀野から楡木までとされる。

この辻には、常夜灯と道しるべ及び閻魔堂がある。

常夜灯の基台には、四面にわたり各地の問屋・旅館・著名人三百十二名の寄進者の名前が刻まれており、この中には相撲関係者も見られ、長く大関をつとめた雷電為右衛門や鬼面山与五右衛門など三十八名も含まれている。

 

あの信号(下町)を過ぎると、道は左右に分かれます。

 

常夜灯を確認です。

 

右・中山道、左・日光道です

 

台座には確かにたくさんの人名です。

雷電為右衛門・木村庄之助はっきり読めます

 

道しるべも確認です。

ここから、右は江戸道(中山道)、左は日光道(日光例幣使街道)に別れたのです。

ここが日光例幣使街道の始点なのです

 

道標の後ろは、南無阿弥陀仏です。

 

では、閻魔堂に参拝です。

新しいお堂の由来があります。

浄土宗阿弥陀堂だったんですね。

老朽化した阿弥陀堂を、父母の供養の為に再建寄進した方がいるのです。

 

失礼して覗かせて頂きます。

 

閻魔様の後ろに阿弥陀様です。

合掌

 

 

実家の近くに、例幣使街道・木崎宿がありました。

例幣使街道はとても気になる街道です。

そうそう、ひめちゃんたちのママ・七海ママの故郷も、日光例幣使街道・柴宿(伊勢崎市)でした。

 

やっと日光例幣使街道の始点を確認できました

そのうちに、終点も確認したいものです

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根小屋・鹿島神社(防人の記憶)

2021-08-30 18:09:42 | 群馬県・西毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、南に回り込みます。

あれ、ケンくんだ

ケンくんも気づいて、道ばたに避難してくれました。

獅子くんは戦闘モードです

バイバイ、そのうちにひめちゃんだけで行くよ

 

常広寺の外墓地そばには、桜の花です

暑いよ

おりこうに、ガードレールの影を歩きます。

 

 

 

 

鹿島山宝性寺の隣、鹿島神社にも寄ってみます。

駐車場は閉ざされていますけど、根小屋町信号脇のわずかのスペースに失礼します

 

鬱蒼とした参道を進みます。

 

あ、電車の通過です

 

目立たなく線路です。

 

電車が去って行きます。

隣の鹿島山宝性寺の境内を通過して行きます。

 

幣束が新しいです。

8月7日に一応祭礼があったかな?

桜の木もかなりの古木です。

 

苔むした階段を登り、拝殿で参拝です

 

脇の社殿のこの方はどなたかな?

 

 

 

隣のお寺が鹿島山宝性寺(かしまさんほうしょうじ)、山号に神社名が使われているということは、神社がかなり古くからこの地に存在するということです

 

境内には一切説明板はありませんでした

いろいろ検索していると、南八幡の案内人さんのブログに、高崎自然歩道・山名城趾から根古屋城趾に向かう途中の案内板「鹿島神社と防人」がありました

引用させて頂きます

 

飛鳥時代この国の若者は、碓氷の嶺を越え、遠く筑紫の国の防人として召されていった。

日の暮れに碓氷の山を越ゆる日は

夫なのが袖もさやに振らしつ

上代、東国の防人は国を立つとき、鹿島の神を祀ったという。鹿島立ちである。この尾根道の東の麓に鹿島神社がある。その昔この地から筑紫へ召された若者がいた。残されたものが鹿島立ちを祝った場所に、鹿島明神の洞を建てて若者の無事を祈った。その若者は再び故郷の土を踏むことができたのか・・・その址に鹿島神社が残った。いつの頃からか神社では毎年8月7日に七日火という万燈花火を打ち上げて、祖霊を慰める様になった。

 

 

防人として旅立つ夫は、残る妻に「いつまでも愛してるよ」と思いっきり袖を振って、去って行ったのでしょう

もしかしたら山ノ上地蔵尊のそばにあったあの案内板の近くに説明板があったのかな?

 

茨城県鹿嶋市の鹿島市郷土かるたにも、

 

日本を護る防人赴く鹿島立ち(にほんをさきもりおもむくかしまだち)

 

防人に選ばれた人たちは旅の安全と無事に故郷へ帰れることを祈って出発しました。これが鹿島立ちの起源です。

現在も旅の安全を祈って好い旅であるように願いをこめて旅に出発することを鹿島立ちと言われています。

 

 

 「日の暮れに碓氷の山を越ゆる日は夫なのが袖もさやに振らしつ(ひのくれに うすいのやまを こゆるひは せなのがそでを さやにふらしつ)」の『万葉集』の歌は知っていました

「鹿島立ち」の言葉と由来、初めて知りました

 

 

 

 

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特殊な石造物に惹かれて(鹿島山宝性寺)

2021-08-28 15:52:58 | 群馬県・西毛

昨日の夕方、ひめちゃんは獅子丸とタバサねーちゃんの3名で、おとうさんを連れてお散歩に出ました。

大丈夫かな

ちょっと時間がかかりましたけど、明るく元気に帰ってきました

 

とっても仲良くお散歩できたそうです。

タバサねーちゃんが、うまくリードしてくれたのでしょう

15才になった小次郎パパが、足腰が弱ってきているので、パパだけ別、あとの3名のお散歩が増える可能性があります

 

 

 

 

金井沢碑のあと、県道30号線で木部城趾&木部城主の菩提寺・心洞寺に向かいます。

まもなく、右側に目立つ大きな石造物があります。

鹿島山宝性寺(ほうしょうじ)です。

なんとも大きな不思議な目立つ石造物です

先を急いだので、この日はここまで。

 

『ぐんまのお寺真言宗』(上毛新聞社、平成13年)によれば、

すぐ東には八月七日の七日火で有名な鹿島神社が隣接している。そのためこの寺は山号寺号を鹿島山宝性寺と称している。~(中略)~

また県道の宝性寺入り口には高さ118センチの正徳六丙申(1716)六月の庚申塔、高さ285センチ、普門品供養塔(裏は百万巻)は中台部分に三面六臂の馬頭観音と如意輪観世音像を浮き彫りにした特殊塔で、右には緑野郡猫屋村、左には明和九年辰年(1772)が刻されているが、供養塔は全体が蓮華座上にあり、邪鬼がそれを支えている。~(中略)~

当寺の裏山には新四国霊場がある。市内唯一の小四国霊場で、祠宇国八十八ヶ所の砂を集めた碑を廻るようになっている。

 

 

後日、出直しました

大きな特殊塔を、まじまじ見ます。

如意輪観音かな?

邪鬼がいるようでもあるけど?

ちょっとよく分かりません。

とにかく合掌

 

 

境内に駐車して、本堂を目指します。

なんと、踏切を渡ります

境内を、上信電鉄が通っているのです。

 

古刹かと思いきや、けっこう新しい石造物もあります。

ご本尊は十一面観音ということなので、十一面観音かな?

 

古い石造物が集まってます。

古い石造物の向こうに見えるのは上越新幹線です。

不思議なコラボです

 

ちょうど和尚さんが脇からお帰りです。

法事でもあったのかな?

「こんにちは

「こんにちは

 

 

境内の散策続けます。

 

本堂前で合掌

弘法大師さまかな?

 

 

境内の整備が進んでいるようです

 

四国霊場はあるかな?

なさそうです

それにしてもこの塔は目立ちます。

 

 

さて、御朱印を頂いていきましょう。

庫裏を訪ねます。

「ウチは御朱印やってないんです。」

「それは失礼しました。入り口の大きな石造物に惹かれて、境内を散策させて頂きました。ありがとうございました

 

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