ひめちゃんは、もうじき13才と3ヶ月になります。
3週間ほど前に、タバサねーちゃんが逝ってしまい、初めて一人になりました
やっと最近、タバサねーちゃんのいない日常を受け入れ始めています
2000年の秋に、新田のジョイフル本田で黒柴の男の子・三四郎に出逢って、お散歩に出るようになって、失われた歴史が語りかけてくるようになりました
書き留めて置かなくてはとの思いで、ブログを始めました。
gooは、画像がたくさん上げられて、写真いっぱいの記事が書けました
何時の間にか限界近くなって、新ブログ「続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ」を立ち上げ、こちらはあちこちに散らばった記事の総集編としてきました。
「はてなブログ」に、お引っ越し完了しました
新ブログ名は「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3」です
https://samanthahonami.hatenablog.com/
画像のお引っ越しで失敗したのが、21枚ありました。
まあ、古い古い犬たちの画像かな
18000枚余りの画像が、お引っ越し出来たことに感謝です。
最初は「続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3」に新着記事、「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3」に総集編のつもりでした。
けれども、先にお引っ越しした「ひめ3」がメインとの扱いです。
画像も、1つのアカウントのブログは共用のようです。
「続・ひめ」の画像も「ひめ3」の画像も、両者1ヶ月の仕様率が○○%と表示されます。
そうすると、メインの「ひめ3」に新着記事、「続ひめ」は総集編とした方がスッキリです
「続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3」は、あちこちに散らばった記事をまとめて総集編的に、「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3」は新着の写真いっぱいの記事でやって行った方が良さそうです。
はてなブログは、メインの「ひめ3」に新着記事、「続ひめ」は総集編とさせていただきます。
「ひめ3」で連載中の、「総集編・『上野国志』にみる行仙上人と善昌寺」があと5編あります。
終わるまで「ひめ3」で、以後の総集編は、「続ひめ」でと言うことになります。
『桐生老談記』を読み終えて(やっぱり山上さんはいなかった)
やっと『桐生老談記』が読み終わりました。
手に汗握る場面もなく、さほどの感動もない、おじいちゃんの独り言のようでした。
ただ、江戸時代後期には、日本語の表現は現代にかなり近づいていました
敬語の使い方は、筆者には難しかったようです。
もしかしたら、これから校正するところで、まだ未完成なのかも知れません。
やはりかなり構成に無理のある物語です
前書き部分には、27の見出しがあります。
1、桐生家中騒動の事、付けたり、落城の事
2、里見系図の事、付けたり、落城の事
3、桐生取り立て由来の事
4、由良、長尾会合のこと、付けたり、水論注進の事
5、桐生家中、帰り忠の事
6、桐生、細川を滅ぼすの事
7、膳、桐生合戦の事、付けたり、両家縁談の事
8、成繁公、桐生へ入部の事、付けたり、寺社の事
9、高津戸城、取り立ての事、同落城のこ事。
10、越後勢、到着の事、付けたり、石原への夜討ちの事
11、成繁公逝去の事、付けたり、葬送の事
12、国繁公、立腹の事、同勢揃いの事
13、松嶋使者の事、付けたり、水死の事
14、桐生、新田勢揃えの事、付けたり、使者討ち死の事
15、黒川評定の事、付けたり、和睦の使者の事
16、奈良坂合戦の事
17、新田、早撃ちの事、付けたり、和睦調うの事
18、松嶋式部、沼田へ行く事、付けたり、越後勢、小俣責めの事
19、小俣城主の事、付けたり、越後勢、小俣責めの事
20、膳備中守、討ち死にの事、渡良瀬満水、越後勢水死の事
21、新田より小俣へ加勢の事、小田原へ早撃ち付けたり事
22、渋川勢揃い、並出陣の事
23、膳一族評定の事、付けたり、財宝配分の事
24、長尾飛駒責めの事、同落城の事
25、佐野宗綱短気の事、付けたり、出陣の事
26、宗綱討ち死に前裏、付けたり、家中、友軍の事
27、山中、久留川城主阿久沢、松島が事
実際の本文中の見出しは、ちょっとちがったりして35ありました。
1、桐生城主の事、並びに家中騒動の事
2、里見系図の事、付けたり落城の事
3、由良長尾会合の事、付けたり、水論注進の事
4、桐生閑心院新田へ御目見え桐生謀反を調べ新田書状の事
5、桐生家中の談判露見の事
6、桐生合戦の事、木村、岩下、広瀬、山越討ち死にの事、付けたり、桐生落城の事
7、桐生代々の事、付けたり、細川滅亡の事
8、膳の桐生取り合いの事、付けたり、両家縁談の事
9、由良信濃守源成重公桐生へ御入部の事、付けたり、寺社の事
10、高津戸城取り立ての事、付けたり、城主の事
11、越後勢着来、養命夜討ち ・
12、成重逝去、付けたり、葬送の事
13、国重公立腹の事、付けたり、軍評定勢揃いの事
14、高津戸合戦の事勝安和睦を願う事、付けたり、両勢討ち死にの事、此処に寄せ手引退く事
15、養命の城夜討ちの事、付けたり、敵味方討ち死にの事
16、久留川城主系図の事、付けたり、武田に随見の事
17、国重公立腹して久留川責め軍評定の事
18、桐生新田勢揃い出陣の事、付けたり、桐生使者討ち死にの事
19、奈良坂合戦の事、同止まる事
20、新田へ早打ちの事、付けたり、和談調う事
21、松嶋式部沼田行きの事、付けたり、久留川城静まる事
22、野州小俣の城主のこと、付けたり、越後勢小俣攻めの事
23、小俣合戦の事、付けたり、敵敗軍の事
24、寄せ手敗軍、膳備中守討ち死にの事、付けたり、渡良瀬川満水、越後勢水死の事
25、新田より小俣へ加勢の事、付けたり、小俣より小田原へ早打ち、義勝帰国の事
26、渋川勢揃いの事、付けたり、諸勢出陣の事
27、膳の一旗評定の事、付けたり、諸宝配分の事
28,膳城兵火の事、付けたり、渋川勢帰陣の事
29、長尾方彦間責め勢揃えの事
30、飛駒夜討ち、兵部之介病気、同落城、付けたり、百姓討ち死にの事
31、宗綱短気に依って不慮の最後の事
32、宗綱行衛を尋ね、佐野合戦延引の事
33、家綱討ち死に前裏の事、付けたり、家中友軍の事
34、桐生家とその周辺の家臣団の名簿
35、あとがき
注目するべきは、「細川内膳話と小雀」の話です
膳さんもよく出ていました
黒川衆もよく出ていました
里見兄弟の話もたくさんありました
桐生氏については、少なすぎです
でも織物の町桐生の誕生は、江戸時代のことなのでやむを得ないのかもしれません。
そうそう、山上&山上氏については全く記述があありませんでした
山上という言葉は江戸時代の桐生には存在しないかのようです
『桐生老談記』に、長い間お付き合いいただきありがとうございました
そして、「黒柴ひめちゃんの葛塚城村だよりⅢ」に、長い間お付き合いいただきありがとうございました
初稿 2020.05.29 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2025.05.10
( 『桐生老談記』 完 )