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黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

『桐生老談記』を読み終えて(やっぱり山上さんはいなかった)

2025-05-10 14:16:20 | 桐生老談記の世界

 ひめちゃんは、もうじき13才と3ヶ月になります。

3週間ほど前に、タバサねーちゃんが逝ってしまい、初めて一人になりました

やっと最近、タバサねーちゃんのいない日常を受け入れ始めています

 

2000年の秋に、新田のジョイフル本田で黒柴の男の子・三四郎に出逢って、お散歩に出るようになって、失われた歴史が語りかけてくるようになりました

書き留めて置かなくてはとの思いで、ブログを始めました。

gooは、画像がたくさん上げられて、写真いっぱいの記事が書けました

何時の間にか限界近くなって、新ブログ「続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ」を立ち上げ、こちらはあちこちに散らばった記事の総集編としてきました。

 

 「はてなブログ」に、お引っ越し完了しました

新ブログ名は「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3」です

https://samanthahonami.hatenablog.com/

画像のお引っ越しで失敗したのが、21枚ありました。

まあ、古い古い犬たちの画像かな

18000枚余りの画像が、お引っ越し出来たことに感謝です。

 

最初は「続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3」に新着記事、「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3」に総集編のつもりでした。

けれども、先にお引っ越しした「ひめ3」がメインとの扱いです。

画像も、1つのアカウントのブログは共用のようです。

「続・ひめ」の画像も「ひめ3」の画像も、両者1ヶ月の仕様率が○○%と表示されます。

そうすると、メインの「ひめ3」に新着記事、「続ひめ」は総集編とした方がスッキリです

 

「続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3」は、あちこちに散らばった記事をまとめて総集編的に、「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3」は新着の写真いっぱいの記事でやって行った方が良さそうです。

はてなブログは、メインの「ひめ3」に新着記事、「続ひめ」は総集編とさせていただきます。

 

「ひめ3」で連載中の、「総集編・『上野国志』にみる行仙上人と善昌寺」があと5編あります。

終わるまで「ひめ3」で、以後の総集編は、「続ひめ」でと言うことになります。

 

 

 

『桐生老談記』を読み終えて(やっぱり山上さんはいなかった)


やっと『桐生老談記』が読み終わりました。
手に汗握る場面もなく、さほどの感動もない、おじいちゃんの独り言のようでした。
ただ、江戸時代後期には、日本語の表現は現代にかなり近づいていました
敬語の使い方は、筆者には難しかったようです。
もしかしたら、これから校正するところで、まだ未完成なのかも知れません。
やはりかなり構成に無理のある物語です



前書き部分には、27の見出しがあります。

1、桐生家中騒動の事、付けたり、落城の事
2、里見系図の事、付けたり、落城の事
3、桐生取り立て由来の事
4、由良、長尾会合のこと、付けたり、水論注進の事
5、桐生家中、帰り忠の事
6、桐生、細川を滅ぼすの事
7、膳、桐生合戦の事、付けたり、両家縁談の事
8、成繁公、桐生へ入部の事、付けたり、寺社の事
9、高津戸城、取り立ての事、同落城のこ事。
10、越後勢、到着の事、付けたり、石原への夜討ちの事
11、成繁公逝去の事、付けたり、葬送の事
12、国繁公、立腹の事、同勢揃いの事
13、松嶋使者の事、付けたり、水死の事
14、桐生、新田勢揃えの事、付けたり、使者討ち死の事
15、黒川評定の事、付けたり、和睦の使者の事
16、奈良坂合戦の事
17、新田、早撃ちの事、付けたり、和睦調うの事
18、松嶋式部、沼田へ行く事、付けたり、越後勢、小俣責めの事
19、小俣城主の事、付けたり、越後勢、小俣責めの事
20、膳備中守、討ち死にの事、渡良瀬満水、越後勢水死の事
21、新田より小俣へ加勢の事、小田原へ早撃ち付けたり事
22、渋川勢揃い、並出陣の事
23、膳一族評定の事、付けたり、財宝配分の事
24、長尾飛駒責めの事、同落城の事
25、佐野宗綱短気の事、付けたり、出陣の事
26、宗綱討ち死に前裏、付けたり、家中、友軍の事
27、山中、久留川城主阿久沢、松島が事

実際の本文中の見出しは、ちょっとちがったりして35ありました。

1、桐生城主の事、並びに家中騒動の事
2、里見系図の事、付けたり落城の事
3、由良長尾会合の事、付けたり、水論注進の事
4、桐生閑心院新田へ御目見え桐生謀反を調べ新田書状の事
5、桐生家中の談判露見の事
6、桐生合戦の事、木村、岩下、広瀬、山越討ち死にの事、付けたり、桐生落城の事
7、桐生代々の事、付けたり、細川滅亡の事
8、膳の桐生取り合いの事、付けたり、両家縁談の事
9、由良信濃守源成重公桐生へ御入部の事、付けたり、寺社の事 
10、高津戸城取り立ての事、付けたり、城主の事
11、越後勢着来、養命夜討ち ・
12、成重逝去、付けたり、葬送の事
13、国重公立腹の事、付けたり、軍評定勢揃いの事
14、高津戸合戦の事勝安和睦を願う事、付けたり、両勢討ち死にの事、此処に寄せ手引退く事
15、養命の城夜討ちの事、付けたり、敵味方討ち死にの事
16、久留川城主系図の事、付けたり、武田に随見の事
17、国重公立腹して久留川責め軍評定の事
18、桐生新田勢揃い出陣の事、付けたり、桐生使者討ち死にの事
19、奈良坂合戦の事、同止まる事
20、新田へ早打ちの事、付けたり、和談調う事
21、松嶋式部沼田行きの事、付けたり、久留川城静まる事
22、野州小俣の城主のこと、付けたり、越後勢小俣攻めの事
23、小俣合戦の事、付けたり、敵敗軍の事
24、寄せ手敗軍、膳備中守討ち死にの事、付けたり、渡良瀬川満水、越後勢水死の事
25、新田より小俣へ加勢の事、付けたり、小俣より小田原へ早打ち、義勝帰国の事
26、渋川勢揃いの事、付けたり、諸勢出陣の事
27、膳の一旗評定の事、付けたり、諸宝配分の事
28,膳城兵火の事、付けたり、渋川勢帰陣の事
29、長尾方彦間責め勢揃えの事
30、飛駒夜討ち、兵部之介病気、同落城、付けたり、百姓討ち死にの事
31、宗綱短気に依って不慮の最後の事
32、宗綱行衛を尋ね、佐野合戦延引の事
33、家綱討ち死に前裏の事、付けたり、家中友軍の事
34、桐生家とその周辺の家臣団の名簿
35、あとがき

注目するべきは、「細川内膳話と小雀」の話です
膳さんもよく出ていました
黒川衆もよく出ていました
里見兄弟の話もたくさんありました
桐生氏については、少なすぎです

でも織物の町桐生の誕生は、江戸時代のことなのでやむを得ないのかもしれません。
そうそう、山上&山上氏については全く記述があありませんでした
山上という言葉は江戸時代の桐生には存在しないかのようです

『桐生老談記』に、長い間お付き合いいただきありがとうございました

そして、「黒柴ひめちゃんの葛塚城村だよりⅢ」に、長い間お付き合いいただきありがとうございました

 

 

初稿  2020.05.29  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2025.05.10

 



( 『桐生老談記』 完 )

 

「黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ」のgooでの投稿は、本日をもって終了致します。

「はてな」でもお待ちしています

 

 

 

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『桐生老談記』あとがき

2025-05-07 19:30:55 | 桐生老談記の世界

昨日の冷たい雨は止んで、晴れました

ひめちゃんは堀之内を西に出て、天神田を歩いてきました。

珍しく、妙義山が見えます。

元ケンくんちの畑付近を歩いて帰ります。

ケンくんちには、新しい子が来ているようです。

 

 

 

『桐生老談記』あとがき


天正十二年、新田金山の合戦ある所に、新田金龍寺と世良田長楽寺、この両僧にて和睦を乞いけるに、早速に御両家御承引ありて、早速和睦あり。北条勢も越後勢も小田原に帰陣あり。同天正十八年、小田原北条氏真公は関白秀𠮷朝臣の為に落城に及びけり。この時に新田上野介国重、北条に御加勢あり。これにより、新田、足利の両家、豊臣朝臣より国替え仰せ付けられ、国重常州牛久へ国替えなり。足利の則長公は常陸水戸城主佐竹佐中将義宣の方に落ち給う。時に渋川相模守源義勝殿は、武州川越城主秋元但馬守殿方へ落ち給う。
扨て、山中久留川城主悪沢能登守、松嶋式部小輔降参の節、新田殿への書面に曰く、「我々両家の儀は、その昔、将軍八幡太郎源之義家公、奥州征伐のみぎり、阿部貞任九州へ流罪を仰せ付けられ、七百三十人にて御供仕り、義家公仰せられけるは、碓氷峠を越えては百人の外供なりがたしと仰せによって、百人供致し、残る者どもは、皆々奥州へ帰り、我らは介便の中次ぎの為にこの地に残り、この谷合いを拝領致し、義家公より御朱印頂戴致し、悪沢と申すは栗谷川次郎の末孫、松嶋と申すは鳥海弥三郎の末裔に御坐候えば、天喜五年(1057)十月上旬より、この所に徘徊致し、桐生の旗下にて桐生殿敗残の後、新田の旗下を願わんこそ、この方無念なりと申し上げられたり。

 



あらすじです。


天正12年(1584)、金山城の攻防戦で、由良家と北条家は、新田金龍寺と世良田長楽寺の仲介で和睦しました。

北条勢も越後勢も小田原に帰りました。


天正18年(1590)、小田原の北条氏真公は、関白秀𠮷朝臣の為に落城させられました。

この時、新田上野介国重は北条に加勢しました。
これにより、国重は常陸国牛久へ国替えとなりました。

足利の則長公は常陸水戸城主佐竹佐中将義宣をたよって落ち延びました。
渋川相模守源義勝殿は武州川越城主秋元但馬守殿方へ落ち延びました。

ところで、久留川城主悪沢能登守は松嶋式部小輔降参の節に、新田殿への書面でいいました。

「我々両家は、その昔、将軍八幡太郎義家公、奥州征伐の時、阿部貞任九州へ流罪となり、730人でお供してきました。碓氷峠のむこうは百人だけにせよということで、百人がお供し、残る者たちはみんな奥州へ帰りました。我らは連絡役としてこの地(黒川谷)に残り、この谷合いを拝領しました。義家公より御朱印いただいてます。悪沢は栗谷川次郎の末孫、松嶋は鳥海弥三郎の末裔ですから、天喜五年(1057)十月上旬より、この黒川谷で生活し、生き残るために桐生の旗下になりましたけど、桐生殿敗残の後は、新田の旗下になることに一切雑念はありません。」と申し上げました。



なんともスッキリしない幕切れです。

天正12年の金山城攻防戦にどうして、越後勢がいて小田原に帰るのでしょうか?
確かに小田原征伐の後、由良氏は牛久に配置転換されましたけど、長尾さんも牛久に行ったはずです。
武将達の名前も、まあ物語ですからいいんでしょうけど、ちょっと現実の方々とは違うことが多いです(´・_・`)

『上州坪弓老談記』では、由良氏と北条氏の和睦の使者として、小田原へ行ったのは、金龍寺(太田市)と長林寺(足利市)です。

長林寺には、足利長尾氏累代の墓があります。


後半なぜか黒川衆の出自について述べられています。
実は、これは嘘であるらしいですね(;゜0゜)


江戸時代に旗本として生き残った阿久沢氏が、幕府に提出した文書では、全く違う出自が記されていたといいます。
黒川衆としてのステイタスを高めるために創作された、壮大なロマンだったようです。

次回全体を見返して、『桐生老談記』を卒業したいと思います(^-^)/

 

 

初稿  2020.05.25  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2025.05.07

 

 

(つづく)

 

 

はてなブログにお引っ越し完了しました。

新ブログ名は「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3」です

https://samanthahonami.hatenablog.com/

画像のお引っ越しで失敗したのが、21枚ありました。

まあ、古い古い犬たちの画像かな

18000枚余りの画像が、お引っ越し出来たことに感謝です。

「ひめ3」は、あちこちに散らばった記事をまとめて総集編的に、「続ひめ」は新着の写真いっぱいの記事でやっていきます。

「はてな」でもお待ちしています

 

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上杉民部大輔則政家臣(桐生又次郎親綱家臣および諸家家臣団・その6)

2025-05-04 21:12:01 | 桐生老談記の世界

ひめちゃんは、なんとなく寂しそうです。

13才にして、初めてたった一人になりました。

普通は生後2~3ヶ月で体験することを、今体験しています。

昼間は、テラスの自分のサークル、夜は室内犬です。

でも、おとうさんがサークルのそばを通ると、演技派女優満開です。

ブルブル震えたり、ハアハア苦しそうにあえいだり。

スワ、大変とサークルから出してもらって、そこらを歩いて、しっかりお家に上がり込みます。

 

2020年5月の黒柴家族です。

楽しかったね

 

 

 

桐生又次郎親綱家臣および諸家家臣団・その6



上杉民部大輔則政家臣   

岡谷加賀守   柳沢隼人之介   本田与七郎     上原出羽守     上原隼人之介

梅野弥五郎   上原備中守    斎藤卯之介     白沢勘五郎     岡谷越後守 

望田縫殿之介  佐藤次郎九郎,    岡谷丹波守     早野曇之介     井草左衛門

野口備前守   伊藤河内之介    馬場治郎兵衞    瀬山丹後守     原市之介

用土新左衛門  中島図書      秋元上総之介    大沼太郎八     奥貫玄蕃

矢場左馬之介  友成源太左衛門   竹井将監      針谷勘六      永田八右衛門

坂井源六    彼内伊右衛門   梅沢新左衛門    関根彦兵衛    清水清六

永島彦宗    新谷四郎左衛門   永野源藏      香取助兵衛    内藤仁左衛門

井又源六    佐藤弥兵衛     芝山七兵衛     吉田与右衛門   桑原門右衛門

柄越与右衛門  増田郷右衛門    新藤松右衛門    富田重兵衛

 

 

     北条氏政公より新田金山討手の大将には

北条安波(房)守   松田尾張守    芳賀大和守     北条美濃守    大道寺駿河守

伊勢大和守      中条出羽守    間色(宮)豊前守  山角上野之介   桑名掃部

大畑兵庫之介

 

 

     謙信公より加勢の大将として

真江山城守     柿崎和泉守    木数(牧)近江守   長尾玄与斉    川田伯耆守

秋田備後守 

 

 

上杉民部大輔則政家臣は、総勢49名です。

名前に違和感があります。

官途名の人物はそれなりの重臣でしょうから、バラバラというのは、ちょっと変です。

そもそも、上杉民部大輔則政って変。

上杉民部大輔則政とは、関東管領・上杉憲政のことでしょう。

彼は民部大輔を名乗った事はなさそうです。

一般的には、兵部少輔とされてます。

関東管領職を上杉謙信に譲ったのでしたね。

武将としては、華々しい活躍もなかったですけど、なにせ関東管領です。

「上杉民部大輔則政家臣」と呼び捨てには、違和感があります。

それに人数も少なすぎかも?

 

唐突に小田原北條氏の金山城攻撃のメンバーが出てきます。

もしかしたら、『桐生老談記』の作者は、由良氏のその後を書く予定だったかも知れません。

 

『桐生老談記』ですけど、桐生の殿様は桐生又次郎親綱と呼び捨てでした。
由良信濃守源成重公、長尾但馬守平則長公、北条氏真公、由良氏と北条氏に好意的です。
渋川相模守源義勝殿、まあ好意的です。
謙信公、謙信にも好意的です。

由良氏が桐生を支配した期間はさほど長くはなかったけれど、善政をしたと評価されているようです。


あれ、わが新里の山上氏は、一度も『桐生老談記』に登場しませんでした。
山上城と別城一郭といわれる、膳城の膳さんは何度も出ているのに。

 

このあと、後書きがあります。
もう少しお付き合いくださいませ。

 

( 桐生又次郎親綱家臣および諸家家臣団 ・終 )

 

はてなブログにお引っ越し完了しました。

新ブログ名は「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより3」です

https://samanthahonami.hatenablog.com/

画像のお引っ越しで失敗したのが21枚ありました。

まあ、古い古い犬たちの画像かな

18000枚余りの画像が、お引っ越し出来たことに感謝です。

「ひめ3」は、あちこちに散らばった記事をまとめて総集編的に、「続ひめ」は新着の写真一杯の記事でやっていきます。

「はてな」でもお待ちしています

 

 

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渋川相模守源義勝殿家臣(桐生亦次郎親綱家臣および諸家家臣団・その5)

2025-04-21 18:10:15 | 桐生老談記の世界

一昨日の土曜日午後、16才と9ヶ月のタバサねーちゃんは、静かに虹の橋を渡りました

一週間ほど前に脳障害を起こし、目の玉がクルクル回って首も曲がってしまいました

動物病院で5日間注射をして、「これで様子を見ましょう。5日後にまた来て下さい

七海ママも同じことになりましたけど、彼女は戻って普通の生活が出来るまでに回復しました

先生は、「食事も吐かなければ、あげて大丈夫ですよ

チュールとお水を口に押し込んで食事にしていました。

19日・土曜のお昼もチュールを飲み込みました。

そして静かに寝ました。

夕方、そのまま目が覚めないことに気づきました

逝っちゃったね

でも、頑張ったね

ママが迎えに来たのかな

 

昨日、七海ママのそばに埋葬しました。

墓標代わりのぬいぐるみは、タバサねーちゃんのおへやにずーっといたクマさんです

 

 

本日は元気溌剌、2019年3月の熟女タバサちゃんです

タバサねーちゃんは、ぬいぐるみを解体新書しない子でした。

ひめちゃんは、解体新書名人です。

フレンドリーで、人間のお出かけの良き伴侶でした。

この頃はまだ、ひめちゃんとのお散歩は少なかったようです。

同じレインコートを来た、珍しいツーショットです

 

 

 

 

桐生亦次郎親綱家臣および諸家家臣団・その5

 

     渋川相模守源義勝殿家臣

石井尊空    山本雅楽之介   小泉平四郎     石井安芸守     神梅主税之介

松本小太郎   石井丹波守    小野里頼母之介   石渡弥五郎     大川土佐守

小柴民部之介  湯沢藤八郎    牛窪丹波守     桑子左近之介    大屋新八郎

久杉丹波守   柏瀬左近之介   山田市重郞     窪田豊前守     多部田内匠之介

片岡金五郎   籾山出羽守    寺田牛之介     三浦久四郎     近藤加賀守

勝手主計    松野尾彦三郎   加藤隼人      増田主計      市場長七郎

伊藤左内    長嶋平内     阿戸左京      湯島七内      竹石大内蔵

荒井左京    寒梅九郎左衛門  和泉源太左衛門   和田三郎兵衛    間々田左衛門

前原七郎左衛門 大美賀次郎八   石村民部      根川八弥      柏木孫八

 

総勢45名、ちょっと少ないですね

小田原にまで参上するのは、大変でしょう。

安芸守、土佐守、丹波守、丹波守、豊前守、出羽守、加賀守、45人中7名も官途名があります

少し多すぎるのでは

下に実名も欲しい所ですよね

外にも官途名っぽい名前もあります。

 

作者は、名前の作成に苦労していたかも

 

お殿様は、渋川相模守源義勝殿です。

公がつきませんね。

由良氏&長尾氏より、一歩劣ると見なしているのかな

 

 

初稿  2020.05.21  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿  2025.04.21

 

(つづく)

 

 

いつもご訪問ありがとうございます

gooは画像がアップしやすくて、多くの画像付きの記事が書けました。

現在はてなブログに移行中です。

画像が多い(18066枚ですって)ため、あと数日かかりそうです。

新ブログは、「samanthahonamiのブログ」です。

https://samanthahonami.hatenablog.com/

まだ勝手が全くわからず、右往左往してます。

 

「桐生老談記の世界」が、あと何回かあります。

もうしばらくこちらでも記事をアップする予定です。

よろしくお願いします

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長尾但馬守平則長公家臣(桐生亦次郎親綱家臣および諸家家臣団・その4)

2025-04-16 22:11:29 | 桐生老談記の世界

ひめちゃんは、また皮膚炎になってしまいました

動物病院に行って、注射をしてお薬をもらいました。

待合室にいた猫を連れたおじさんが、「歯がきれいですね スケーリングをしてるんですか?」

「いいえ。歯磨きガムは食べてますけど。夕食にはいつも基本的にキャベツが付きます キャベツの上にドッグフードと缶詰です。今の時期はアブラナのこともあります。茹でたアブラナは大好きです。生でも食べます。」

「そうですか 知らなかった

まもなく彼は呼ばれてお会計をして、「お先に」と去って行きました。

ひめちゃん歯がきれいなんだね

キャベツ効果かな?

 

2020年4月のひめちゃん、ケンくんちに寄ってます

この時は一人だったのかな?

七海ママが一緒だと、ケンくんはママに先にご挨拶に行ってしまいます

獅子丸が一緒だと、ライバル意識むき出しにしてヤバいです

ひめちゃんは、ママや獅子丸とお散歩もするけど、ケンくん大好きだったのです

犬は人間が思う以上に感情を持っています。

 

 

 

長尾但馬守平則長公家臣

細川源三郎   白石豊前守    市川主馬之介    小沼荘九郎     久米伊賀守

関口右馬之介  名草与八郎    小曽根筑前守    江川海老之介    川岸平四郎

関原丹波守   丸山清介     竹村甚四郎     開原越前守     内田庄之助

田嶋藤次郎   大沼田淡路守   高山右馬之介    秋田権太郎     大沼田丹後守

 

家宮三之助   五十部小太郎   窪田若狭守     杉木修理之介    岡田源八郎

久下越後守   市川右衛門    藤阪源五郎     白石備前守     山川左右衛門

粗彦九郎    江戸豊前守    十内掃部      阿左美半四郎    栗崎山城守

矢野九郎兵衛  小屋新三郎    野田志摩守     村松小兵衛     朝倉久五郎

大畑佐渡守   関口太郎左衛門  大久保甚五郎    山口播磨守     寺田重郎左衛門

熊田権九郎   長嶋淡路守    野田源太左衛門   益田平四郎     彦馬筑前守

小泉伊右衛門  助戸八王     琴寄丹後守     嶋田伊右衛門    小菅弥市郎

立木図書    斎藤作左衛門   梅川源次郎     山下主膳      佐川田喜右衛門

設楽新三郎   荒井図書     大田治部      小花弥五郎     安田金内

長谷川道平   戸嶋甚五郎    五十嵐大膳     山川左内      竹沼左内

渥美源四郎   江戸宗印     菅沼左内      窪田金七郎     大畑治郎

嶋崎弥内    樺崎小太郎    栗原内膳      阿形源内      山岸勘十郎

大嶋弥平治   阿左美治部    籾山久兵衛     小川才兵衛     嶋田伊右衛門

南左衛門    岩下主計     田嶋内膳      宮崎五太夫     芳野加右衞門

湯沢越前守   柳田平内

 

 

総勢92名です。

この家中も、山上氏家臣団のように、名字+ミドルネーム+ファーストネームなんて統一されていません。

豊前守・伊賀守・丹後守・山城守・筑前守・越前守などの官途名がある人は、功績のある人だと思いますけど、分散して普通の人に交じってます

 

そもそも、「長尾但馬守平則長公」とは変です

まあ呼び捨てではないので、好意的評価でしょうけど。

由良成重の次男で国繁の弟、足利長尾氏を継いだのは、長尾顕長(あきなが)です。

足利長尾氏には、顕長の先々代に憲長(のりなが)がいます。

通称はともに新五郎、官途名は但馬守ですけど

時代的に少しずれている

本文中で、彦間を攻めて佐野宗綱と戦ったのは長尾顕長です。

 

 

(つづく)

 

 

初稿  2020.05.21  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿  2025.04.16



 

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