黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの鹿田山漫遊記・番外編(長円寺の大カヤ)

2020-05-30 21:36:11 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸は、元気に山上城付近を歩いてきました。

暑いよー

まだ8時ちょっと過ぎなのに、暑さ全開です

山上城の紫陽花は、まだのようです。

これから、晴れた日は、もう少し早めにお散歩に出ようね

 

 

 

 

山際の重制石幢をあとに、大きなカヤの期を探して南に下ります。

資料を持ってこなかったので、カンを頼りにあっちへ、こっちへ。

やっぱり見つからないね、又にしよう

あれ、前方に「カヤの木→」の表示です

 

ありました

上の方が少し折れているようです。

見つからなかったわけです。

 

人間もタバサちゃんも、ちょっと水分補給してから散策です

 

説明板があります。

樹齢500年、幹の太さ6mとあります。

長円寺は、元禄16年8月15日に建立されて、今は廃寺になっているのですね。

カヤの実が結核に効くとされた時期もあったのですね

 

ここにあったお寺は長円寺、不動寺ではありませんでした

「もしかしたら、塙保己一生家裏の龍清寺(埼玉県本庄市)にカヤの実を持って行った修行僧のいたお寺かな?」、そんな淡い期待もあったのですけど

 

龍清寺に、

300年前に、上野国新田郡笠懸在の不動寺から、修行僧・袋算がやって来たのです。彼は修行の旅に出るときに、師匠から榧(かや)の実を持たされたのです。彼はこの地を修行の地と定め、榧の実を撒きました。榧はみるみる大木になり大量の実を付け、その実は灯油や薬種となり村人を潤しました。

とありました。

そうそう大きなカヤの木があるわけではないんですけど

 

石造物がいっぱいあります。

お堂もあります。

 

まず、みどり市指定重要文化財の方に参拝です。

「地元産の天神山凝灰岩を素材として、南北朝時代に造られた一尊一基の阿弥陀三尊、江戸時代の初め、長円寺の西方役100m程の所から掘り出されたもの」とあります。

長い間お疲れ様です、合掌

 

さてお堂の方に参拝です。

後ろ姿で失礼します。

アタチも参拝です

おや、お堂の扉が開きます

長円寺のご本尊ですね

合掌

静かに扉を閉めます。

 

暑いよー

今日と同じように、暑い日でした

白柴タバサちゃんにも、とっても暑い日でし

 

実は、ここはチハヤ養護園の駐車場なのです。

長円寺は廃寺になりましたけど、チハヤ養護園によって長円寺の記憶が守られているのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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白柴タバサちゃんの鹿田山漫遊記 5(永平寺52世の生家と山際の重制石幢)

2020-05-29 21:20:13 | 群馬県・東毛

昨夜は、雷雨になりました。

でも、今朝は、スッキリと晴れました。

影は、まるで魔女サマンサと子ども達といった印象です

ひめちゃんと獅子丸は、今朝も北の方にお散歩です。

今だけの景色、田んぼに逆さ赤城です

田植えの済んだ田んぼが増えています。

それにしても、細い水路が縦横に走り、水を供給しています。

水田は大河だけでは成り立たず、細い水路が必要なのです

 

 

 

鹿田赤城神社から、道路を南に渡ります。

11番・山際の子育て地蔵堂と10番・重制石幢をめざします。

おや、何かあります

屋敷神の稲荷様でしょう。

「永平寺52世」と「生家」の文字が読み取れます

実は、この永平寺52世の生家を探してここらに来た事があります。

 

『笠懸村誌』(下巻・昭和62年)に「永平寺52世宣峰禅師」があります。

宣峰禅師は、曹洞宗の本山永平寺五十二世をつとめ、勅号を給わった高僧である。江戸中期の延享三年(1746)、鹿田村において、父吉沢五郎右衛門・母とみの三男として生まれた。~中略~禅師は幼名を真三郎といい、粕川村の龍源寺(吉沢家の菩提寺)で得度した後、修行を重ね、関三ヶ寺の一つ、下総の総寧寺の四十世となった。後、江戸幕府の台命により文化五年(1808)十二月二十七日、同寺から本山の永平寺五十二世に就任することになった。

 

前回は東から来て、路上駐車だったので、ここまで来ませんでした

重制石幢のあたりで納得して帰ってしまったのです。

歩くって大事ですね

この先は、個人のお宅のようです。

永平寺52世の生家確認はここまでです。

 

隣の山際の子育て地蔵堂と重制石幢(じゅうせいどうしょう)に行きます。

 

東から回り込みます。

説明板もあります。

室町時代の物ですか

室町時代の六地蔵様にご挨拶です。

暑いよー

日陰においで

木陰はいいねえ

 

ここはりっぱな石造物がある墓地です。

さすが永平寺52世の故郷です。

 

 

子育て地蔵堂にも寄ります。

前回お会いしたかどうか記憶にありません。

でも、合掌

 

上の道に戻ります。

タバちゃん、待っててね

おかあさんは、車を取りに鹿田神社に戻ります。

暑いけど、もう一ヶ所だけ寄って行きましょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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白柴タバサちゃんの鹿田山漫遊記 4(新田氏ゆかり?の鹿田赤城神社)

2020-05-28 21:09:18 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。

途中、ひめちゃんが動かなくなりました。

2名のワンコ連れの見知らぬおじさんが、後ろからやって来たのです。

獅子丸は、「ワンワン、俺は強いんだぞ」と、ちょっと威嚇。

おじさんは、「元気な子だね

ひめちゃんは無言です。

見ず知らずの相手の時は、獅子丸に任せるらしいです。

行く手に浅間山と榛名山が見えます

 

ひめちゃんと獅子丸は、薬師の道に入ります。

あれ薬師様、なんだかさっぱりしています

ひめちゃんと獅子丸は、掘り返す場所のトリッコかな?

ひめちゃんの勝ちです

獅子くん、ひめちゃんに譲ることを覚えました

 

帰り道、蕨沢川に架かる神社橋脇の、石造物廻りもきれいになってます

百番供養塔隣は、馬頭観音でした

今まで隠れている部分が多くて、よくわかりませんでした。

下にいるのは、馬のようです。

もしかしたら、とても珍しいのでは

 

 

 

5月25日、タバサちゃんのたってのリクエストで、お出掛けです。

鹿田山漫遊記の再開です

急なお出掛けだったので、かなり準備不足です。

でも、今回はタバサちゃん用のお水はしっかり持って行きました

 

鹿田山の南面、鹿田赤城神社に到着です。

きょうもしっかり漫遊記しまーす

クラシックな階段を登ります。

あれ、手水鉢に大中黒(おおなかぐろ)の紋がある

りっぱな灯籠が何組もあります。

「伊勢大廟参拝記念」の文字が見えます。

ここら辺からも伊勢参りに行ったのですね。

 

あたちも、参拝です

屋根の上にも、社殿の中にも、新田氏の紋所・大中黒です

 

社殿から見下ろすと、みどり豊かな笠懸野です。

神社のすぐ下を岡上用水が流れ、みどり豊かな笠懸野になったのです。

 

社殿の後ろには、石宮様です。

あの吹き上げの建岩から移された山神様かな?

 

タバサちゃんは、隣の集会所が気になるようです。

同じ階段をおりてもつまらない。

そっちに行こう

 

集会所の前に出ると、おや、鳥居があります

ここは、もともと赤城神社の境内だったようです。

ちょっと鳥居を出てみます。

 

あれ、大きな庚申塔があります

この先は、清泉寺ということになりそうです。

準備不足なので、北行きはここまでにしましょう。

 

実は、この清泉寺のあたりは、泉沢城(いずみさわじょう)跡といわれています。

泉沢城は、『笠懸村誌』(昭和60年)によれば、

満氏、経氏の頃は、新田義貞の活躍した時期である。新田一族の盛んなときに、徳川氏の分族が新田荘北限の鹿田泉沢に別業地として砦や館を構築し、そこに居住して当地の経営に当たっていたものと考えられる。

そして、その後の「泉沢氏の消息」や、「鹿田泉沢の戦いと赤堀氏」についても述べられています。

 

タバちゃん、今日は南に行こう

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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やっぱりトラウマです

2020-05-27 22:08:35 | 日記

昨日の夕方のお散歩は、悲惨でした

途中で突然集中豪雨になり、降りしきる雨の中をずぶ濡れになって帰ったのでした

 

今朝は晴れました

ひめちゃんの影も尻尾がちゃんと丸まってます

獅子くんの足も長くなってます。

 

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

おや、何だろう?

赤ちゃんのようだけど?

 

赤城山も爽やかに晴れました

左の田んぼは、先日カモたちが食事をしていた所です。

田植えが済むと、もう影もありません。

 

帰り道、水路脇に大きな桑の木があります。

実がなってます

ドドメがいっぱいなってます

実家では、昔、養蚕をしていました。

蚕に食べさせるために、桑をいつも切っていました。

桑ってこんなに大きくなるものとは知りませんでした

あとどのくらいで完熟かな?

 

 

穏やかに日中が過ぎて、夕方のお散歩です。

ひめちゃんは、小次郎パパと、南の方に出ます。

でも、二人とも早々と用をたして、帰ろうとします

確かに、空には怪しい雲が出ています

堀之内のすぐ南のこの辺りは、10年くらい前に耕土改善とか行われ、昔日の面影はありません。

やっぱり昨日の夕方の記憶がよみがえったのです

仕方がない帰ろうか。

 

帰ってまもなく、パラパラと少し雨が落ちてきました

わあ、コジちゃん予報、当たりました

トラウマになってるんだね

これから雨の季節、なるべく雨を避けてお散歩しようね

 

 

 

 

 

 

 

 

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雷電宮の大雷神社

2020-05-26 22:13:05 | 群馬県・中毛

夕方のひめちゃんと小次郎パパのお散歩は、20年に一度の豪雨の中のお散歩になりました

まずは、出だしからです

ひめちゃんは、4時半過ぎ、パパと南の方にお散歩に出ました。

庚申塚古墳の当たりで、ライバル黒柴デナちゃんと、「ワンワン、あたちの方が強いんだぞ」と吠え合いました。

デイナちゃんのおばあちゃんが、「ポツポツ、落ちてきたねえ

でも、まだまだ、序の口、気にせずお散歩を続けます。

近くにルピナスが咲いています

ちょっと借景で、はいポーズ

ルピナスは種を付けています。

ここには毎年咲いているように思います。

案外丈夫な花なのかもしれません。

雨は、まだ気になりません。

近くには、巨大な道祖神があります。

かつてはたくさんの人々が行き交った場所なのでしょう。

 

いつものように、更に南に行きます。

中学校の信号の所で、ちょっと強くなりました

早く帰ろう。

雨はどんどん強くなります

まるで集中豪雨の中です

前が見えません

ひめちゃんもパパも、盛んに身震いして、雨を払います

おかあさんは、しかたなくトレーナーで目の辺りをぬぐいます

なんとか、帰り着かなくてはなりません。

県道沿いには田んぼが広がり、雨宿りする場所もありません

やっとのことで、玄関に到着

玄関でふきふきしてもらいます

人間も犬も、頭の先から足の先まで、ずぶ濡れです。

2000年の秋に柴犬散歩を始めて20年、こんなお散歩は初めてでした

 

 

 

上植木廃寺跡の帰り道、気になる神社がありました。

いつもは気にも留めずスルーしているのですけど、上植木廃寺跡の説明板に新里雷電山で焼いた瓦も使われていたとありました。

雷電山には、雷電神社があります。

「大雷神社」って、たぶん雷電神社の流れかな?

「おおいかづちじんじゃ」と読むのでしょうか?

鳥居には、雷電宮とあります。

三の鳥居まであります。

 

一の鳥居わきに大きな碑があります。

まったく読み取れません。

それよりも、散乱(?)している石が気になります

 

まあ、とにかく参拝です

りっぱな社殿です。

おや、右の方に土俵のようなものがあります

 

まあ、とにかく参拝、参拝。

振り返って見ると、御利益ありそうな落ち着いたたたずまいです

 

おじさん、邪魔

でも、重厚なりっぱな社殿です

向拝には、みごとな彫刻があります。

龍が生き生きしています。

鱗・爪、リアリティーたっぷりの龍です

二礼二拍一礼で参拝です

 

拝殿脇にも鳥居があって、奥に石宮がたくさんあります。

手前には、小さいながらも鳥居のある石宮様です

奥にも石宮様です。

ここは周囲より少し高くなってます

本殿も、大きく立派です。

さっき碑の下に石もあったし、もしかしたら、ここが墳丘の上かもなんて思いました。

伊勢崎の古墳地図では、ここは古墳ではないようですけど。

 

さて、県道に戻り、新里の雷電山を通って帰りました。

ここには、笠塔婆とよばれる阿弥陀三尊があります。

(当日は寄らなかったので古い写真です)

山の頂上には、もちろん雷電神社があります

 

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