黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

境界をまたいだパワースポット・旧常楽寺石塔群

2020-09-30 20:25:35 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸は、今朝も北の方にお散歩です。

白い彼岸花の付近は、草刈りされていましたけど、彼岸花はしっかり無事でした

意図的に刈り残されたようです

 

おや、この道も草刈りされています

行く手に、ススキの穂が上がってます。

明日は、旧暦の8月15日です。

十五夜って、本来はこの季節なのですね。

かぐや姫も、汗を掻かずに昇天できたことでしょう。

ススキと赤城山のコラボです

季節がしっかり巡っているようです

 

 

常楽寺から、旧常楽寺石塔群の所在地(新田木崎町1664-7)をナビに入れて到着です。

道の反対側に、上田島会館の駐車場があります。

ちょっと失礼して、駐車です。

閉鎖的でないのはいいですね

説明板があります。

ここは木崎なのですね。

隣というか、地続きですけど上田島会館は、上田島です。

常楽寺は、ここにあったのです

常楽寺は久しく無住であって、その由緒は不詳なのですか

山号が紫雲山であることは、中世往生譚の収束後の創建でしょう。

紫雲は、極楽往生する人を迎えに来る仏が乗る大事なアイテムです。

それ以前に、寺があった可能性もありそうです。

古い形の宝篋印塔です

南北朝時代の銘があるのですね

康永、貞和、暦応、みんな北朝の年号です。

いったいどんな人々の建立なのでしょう?

 

南北朝時代の五輪塔が一基とあります。

延文も北朝の年号です。

並んでいる三基の五輪塔はみんな同じように古そうです。

これが一番古そうかな?

一番左にあるお地蔵様は、常楽寺の文字がみえそうな感じです。

こちらは江戸時代のものかな?

 

 

隣に赤い鳥居があります。

稲荷神社です。

社殿の額は失われていました。

 

 

後ろに、江戸時代の石造物です。

青面金剛が目立ちます

如意輪観音の右の方は、ちょっと気になります。

意図的に開けられた穴のように見えますけど。

 

 

お堂があります。

お不動様ですね。

常楽寺でもらってきたパンフレットによれば、このお不動様は非常に珍しい「なみきり不動」という事です。

「なみきり不動」、普通には海上安全不動明王のようですけど

何はともあれ、合掌

 

 

周囲には遊具があります。

本来ならば、地域の子供達が元気に遊んでるはずです

 

 

振り向けば、上田島会館です。

墓地は旧新田町木崎、ここは旧太田市上田島です。

今ではともに太田市ですけど。

境界をまたいだパワースポットなのです

 

 

 

 

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東国花の寺・常楽寺(後編)

2020-09-29 21:54:47 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、高縄の集会所のあたりを歩いてきました。

今朝の赤城山は、雲が沸き立っていました。

バットマン、頑張って稲田を守ってます。

ここの彼岸花は、まだ芽を出したばかりです。

満開の彼岸花もあちこちにあります。

 

 

常楽寺の案内図です。

だいたい東の方を散策終わりました。

彼岸花は、まだ芽をだしたばかりでした。

 

心池から、太子堂を経て、古代蓮の池にいきます。

 

きれいなホトトギスです

いつもは地味な花なのに、素敵な貴婦人に見えました

 

さりげなく羅漢さんです

太子堂の前には、真っ白な秋明菊です

おや、ここにもさりげなく羅漢さんです

象に乗ってます。

岩陰のこの方は、何に乗っているのでしょう?

後ろ足と尻尾だけでは、ちょっとなんだか分かりません。

こちらは獅子の赤ちゃんに頬ずりしているようです。

 

古代蓮の池を歩きます。

蓮の花は終わっていますけど、なかなかの風情です

花の季節に、ぜひ訪れたいものです。

 

またまた、さりげなく羅漢さんです

おや、向こうの方はどなたでしょう?

お釈迦様かな?

 

烏枢沙摩明王堂(うずさまみょうおうどう)の案内です。

トイレ・休憩室になっているのです。

普段ならば、一休みしたい所です。

時節柄、そうそうに引き上げます。

 

本当にさりげなく、景色に埋没して羅漢さんです

 

おや、この方は?

さっきの方に似ています。

お釈迦様ですね

 

満開の彼岸花(曼珠沙華まんじゅしゃげ)には逢えませんでした。

でも、さすが花の寺です

他の花々が、十分楽しませてくれました

この日の主役は秋明菊かな?

 

旧常楽寺墓地(新田木崎町)には、新田町指定重要文化財「旧常楽寺石塔群」があるということです。

ちょっと足を延ばしてみましょう

 

 

 

 

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東国花の寺・常楽寺(前編)

2020-09-28 22:37:29 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ます。

あ、今朝も豚舎の前に白鷺の姿があります

ひめちゃんとサギさんのコラボです

諏訪神社の向こうの高台を歩いて帰ります。

赤城山がこんなに緑に見えたのは、久しぶりです

 

 

9月17日、東国花の寺・常楽寺を訪問です。

特別な日でもなかったはずですけど、次々と人が訪れていました。

山門を入るとすぐ右に、七福神のお出迎えです。

みなさんおそろいです。

鐘楼堂のまわりには、白い秋明菊です。

その奥には、ノウゼンカズラと濃ピンクの秋明菊です。

 

左には子育て水子観音蔵です。

彼岸花が少し咲いています

 

参道を本堂・客殿に進みます。

 

途中古い石造物があります。

右から2番目、阿弥陀三尊は目立ちます

同じく3番目、青面金剛も個性的です

 

本堂で、合掌

さて、御朱印をいただきましょう。

 

隣の客殿を尋ねます。

紫雲山坊とあります。

御朱印をお願いして、待っている間に、付近をウロウロです。

 

曼珠沙華(彼岸花)は、目を出したばかりです。

観音様がお出ましになるには、ちょっと早かったかな。

 

太い絡まった藤の藤棚です。

花が咲いているときは、みごとなものでしょう

 

いただいたパンフレットによれば、この池は心池です。

心字地ではなく。

さりげなく羅漢さんがいます。

こちらにも、羅漢さんです。

ツツジが咲いてると思いましたけど、よく見るとサルスベリの花の落花です。

石宮様もあります。

 

御朱印ができたようです。

ご本尊は十一面観音です。

「彼岸花は、まだですね。」

「はい、いつもはもう咲いているのですけど お彼岸頃が満開になると思います

 

 

常楽寺は、いただいたパンフレットによれば、

真言宗豊山派の寺で明治に入り、旧宝泉村大字上田島の3ヶ寺が合併して『紫雲山阿弥陀院常楽寺』として、現在の地に移り今日に至る。

 

ここは旧宝泉村上田島(ほうせんむらかみたじま)です。

木崎宿のすぐ東です。

 

彼岸花には、ちょっと早かった

でも、季節外れの楽しませてくれる花々でいっぱいです。

 

 

(つづく)

 

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木崎宿色地蔵と貴先神社別当・長命寺

2020-09-27 21:43:35 | 群馬県・東毛

今朝はやっと雨も上がり、ひめちゃんは獅子丸と、北の方にお散歩です。

赤と白の彼岸花が満開です

ひめちゃんは、夕方は小次郎パパと南の方にお散歩です。

こちらは、白い彼岸花はありません。

でも、赤い彼岸花が満開です

彼岸過ぎですけど、今ひめちゃんちのあたりは彼岸花が満開です

 

 

先日、東国花の寺・常楽寺(太田市上田島町)を訪問しようと出掛けました。

ここは彼岸花のお寺ということです

 

途中、新しい例幣使街道木崎宿の道標から、少し北東にある色地蔵にの寄り道です。

久しぶりの訪問です。

茅葺きで、いい雰囲気です。

お賽銭投入口から、カメラがちょっと失礼します。

合掌

脇に説明板があります。

(台座の)銘文から、風邪のはやる季節になくなった子供達の霊を慰め、子供達の成長を祈願して建立した「子育て地蔵」であったことがわかります。~中略~こうして数多くの色街の女(飯売女)が訪れたことから、何時の間にか「色地蔵様」と呼ばれるようになり、木崎音頭にも唄われるようになったのです。

そうだったのですか

 

 

さて、道の反対側にある長命寺にも寄って行きましょう

こちらは初めての訪問です。

わりとこじんまりとした感じです。

門前の石造物です。

 

門を入ると、左に小高い丘があります。

これは、古墳のようです。

墳丘の一角には、水子地蔵尊です。

墳丘上には、五輪塔と双体道祖神があります。

墳丘上から、街が見えます。

おや、緑の大きな実が落ちてます。

実のなる大きな木があったのです

カヤの木です

まだ新田の名木にはなってないようですけど、かなり大きいです

 

墳丘の北側には六地蔵です。

おや、後ろの方はどなたでしょう?

ちょっとお地蔵様ではなさそうです。

 

さて、本堂に参拝です。

照光山の山号です。

『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』(上毛文庫)によれば、

寺伝によると延長三年(925)に小野道風の開基、右大臣大僧都延寂の開山で創建された真言宗の寺である。その後、木崎宿の大火ですべてが焼失した。そこで慶長3年(1598)に、元新田領勢多郡后之郷の地に良山法師が再興し、中興開山となった。郷内の大小の神社はすべて長命寺の支配下に置かれ、文和三年(1354)に建てられた貴先神社は別当になっていた。この神社は称徳天皇を祭主としたので、長命寺の院号を称徳院という。

すごい由緒です

元新田領勢多郡后之郷って、どこだ?

 

御朱印をと庫裏に行こうとしましたけど、しっかりフンスがあります。

まあ、諦めましょう。

 

色地蔵の風景にもう一度触れて、彼岸花の寺を目指します。

彼岸花咲いているかな?

 

 

 

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やっと辿り着いた赤堀八幡宮

2020-09-25 16:11:43 | 群馬県・東毛

朝、今にも泣き出しそうな空の下、ひめちゃんと獅子丸は、堀之内の北を廻ってきました。

いつの間にか、ひめちゃんちの数少ないバラに大きな実が付いています。

お昼近くになると、本降りの雨です

久しぶりに、みんな小屋の中で過ごしてます

 

 

 

万日堂付近に、史跡巡りの案内があり、指さしている方に向かいます。

まもなく八幡宮に到着です。

入り口には、訪問者を拒絶するロープが張ってあります

さっきは諦めましたけど、今度は何としても駐車しなければなりません。

 

ロープの前に、ちょっと駐車して、大急ぎで参拝です。

遊具もあって、本来は人を受け入れたはずですけど、人を拒絶するようになった理由があるのでしょう。

狛犬は見当たりません。

 

とりあえず、拝殿で参拝です。

脇には八幡神社の獅子舞の説明板があります。

平成12年の日付です。

 

神社の由緒もあります。

ちょっと分けて、確認です。

建久年中、京都の石清水八幡宮より、新田義重が勧請した。

もとは別の場所にあって、安永年間に現在地に建立されたのですね。

安永年間といえば、世良田の毛呂権蔵が、上野国をあちこち旅し『上野国誌』を著した頃です。

『上野国誌』もそのうちに、精読しなければなりませんね。

左上のうす黄色の部分は、写真がボケボケで残念

 

本殿は、堅くガードされているようです。

 

拝殿前から鳥居を振り返ります。

一の鳥居の向こうは、空き缶がいっぱいでした。

 

さて、車が邪魔だとクレームが来ないうちに退散しましょう。

ジョイフル本田に寄って、ひめちゃんたちのお買い物をしていきましょう

もうすぐジョイフルという所まで、車のナビは新田赤堀町でした。

この先の左の方には重殿水源があり、中世においては戦略上重要な場所だったのでしょう

 

ところで、新田義重が石清水八幡宮から勧請した8社の八幡宮とは何処でしょう?

いろいろ検索しましたけど、具体的にどこか分かりません

 

でも、(旧尾島町)岩松八幡宮は、新田義重が石清水八幡宮から勧請した八幡宮です

18年の3月に訪問してありました。

こちらも奉納の獅子舞をしていると、近くの青蓮寺で出会ったおじさんは言ってました

 

 

 

 

 

 

 

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