黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

将門の手を祀った伝説・大手神社

2021-11-30 15:38:49 | 太田・足利の将門伝説

寒い寒い朝でした。

ひめちゃんはタバサねーちゃんと、新沼&童沢貯水池までお散歩です。

 

乳牛さんの小屋は、ビニールトタンで覆われています。

寒かったものね。

春になって、トタンが取り払われるまで逢えないね。

 

東の新沼は静かです。

あれ、アオサギさんが約1名です。

アオサギさん、久しぶりです。

 

西の童沢貯水池も静かです。

けさは更に水位が下がって、カモさんたちの姿もありません。

目立たなく、シラサギさんがいるだけです。

 

少し暖かくなったね。

早く帰って、朝ご飯にしましょう

 

 

 

太田市只上町の心王寺を後に、鹿島橋で渡良瀬川を渡り足利市に入ります。

国道67号線をひたすら東に、足利赤十字病院を過ぎてまもなく、左折です。

 

この目立つ看板、気にはなってましたけど、やっと訪問の動機が得られました

足利市のHPによると、大手神社は

『手の力を強くしたい』『字が上手に書けるように』『手先の技術があがるように』『手の病気が治りますように』…この神社は手の神様です。そして、願い事が叶ったらお礼として『手首』や『手形』の絵馬を納めます。

大手神社の伝説

天慶の乱(てんぎょうのらん、939年~940年)で、平将門(たいらのまさかど)が藤原秀郷(ふじわらのひでさと)に討ち取られた時、五体がバラバラになって各地に墜落しました。その時落ちてきた『手』をまつったのが大手神社だといわれています。

将門に関する伝説は、ほかにも小俣町の『鶏足寺(けいそくじ)』、大前町の『大原神社(おおはらじんじゃ)』、樺崎町の『子の権現(ねのごんげん)』などがあります。

 

 

左折して振り返ると、後ろは足利赤十字病院です。

そして、鳥弁の登利平(とりへい)も見えます。

登利平は足利からの帰りに、よく寄ってお弁当を購入してます

 

 

路地を入り駐車場に駐車、鳥居から入り直しです

 

クラシックな手水社があります。

奥には、地域の集会所かな?

 

二の鳥居の脇に、大手神社の伝説があります

ところが、また別のいつの頃からか、その祭神は平将門であるとして、その将門が藤原秀郷に殺されたのは、桔梗姫が秀郷に将門の居場所を指さして教えたからだと伝えられ、その後、大手神社の敵は桔梗姫であるところから、この神社のある新屋敷町では、桔梗の全てをきらい、たとえば着物の柄にいたるまで使用しない習慣があると云われている。

このあたりでは、桔梗は嫌われているんですか

 

 

社殿で、2礼2拍1礼で参拝です

 

小さな神社ですけど、社殿の彫刻はなかなか立派です

ふと上を見ると、手があります

 

赤い手形の額が奉納されています。

大手神社ですものね

改めて、2礼2拍1礼です。

 

 

手水社の竜の向こうに、小さな石宮があります。

狐さんかな?

 

 

手の神様・大手神社、近くをよく通ってます

また、機会があったら参拝しまーす

 

帰りに、もう一ヶ所将門伝説の鶏足寺に寄ってきましょう。

 

 

(つづく)

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将門伝説の心王寺由来

2021-11-29 15:38:36 | 太田・足利の将門伝説

今朝は、第一陣で獅子くん一人散歩で、上の沼を目指します。

途中の乳牛さんの牛舎で、「おはよう

みんな朝御飯中です。

 

東の新沼に到着です。

あれ、珍しくシラサギさんが、向こう岸を歩いています。

西の童沢貯水池は、水がとても少なくなってます。

カモさんたち、いないかな?

と思いきや、みなさん飛び立ちました。

けっこういつも通り、みなさんここで生活しているようです。

 

さあ、帰りましょう。

朝陽を浴びて、籾殻の山を背景にりりしい獅子くんです。

ここには毎年籾殻が置かれますけど、何時の間にか土に帰ってます。

 

 

 

(11月20日)東毛の将門伝説を記した由来記が、只上(八幡)神社そばの心王寺(太田市只上町)にあるというので、出かけました

高速道路(北関東自動車道)の脇を、墓地の方から進入して訪問です。

 

墓地から人家前を通って、門柱前です。

大きな石造物です。

お地蔵様、ちょっと寂しそうかな?

 

門柱から入って参拝です。

しっかりした門柱で、大正5年12月の建立です。

100年前は、賑やかだったのでしょう

 

堂宇は1つだけです。

額は「薬師如来」です。

薬師如来がご本尊ですね。

ご本尊は厨子の中でしょうか?

合掌

 

 

さて、堂宇脇の由来記を確認です。

 

医王山正徳院心王寺由来

天慶三年二月十四日常陸国岩井ノ戦ニ破レテ平親王将門公ハ一族郎党ヲ引連レテ渡良瀬川ヲ登リ只上リ内出ニ住居シ佐野ニ本拠ノ有ル藤原藤太秀郷トノ一戦ヲ計リタリ。然ルニ天慶三年旧七月二十三日妾桔梗ノ前ノ手引ニ秀郷ノ二男藤原次郎桐生氏ノ祖蘇鉄ノ影ヨリ弓ニテ射殺ス。其ノ首ヲ以ツテ逃ゲシヲ只上リ八幡宮ノ所デ取遮ッタト言フ。~(中略)~故ニ今ヲ去ル約六百七十年前岡崎此ノ地ニ寺ヲ建立シ心王寺ト命名祖先将門公兄弟一族郎党ヲ供養シテ成仏ヲ祈念スル。~(中略)~大日本史上将門公ハ反逆臣ト記載サレシタメ渡良瀬川沿岸ノ将門公政頼公ヲ祀ル神社寺院ハ明治四十年皆祀神由来ヲ変ヘ終ッタ残念也。只上八幡宮ハ将門公ノ胴体ヲ祀ル故ニ御胴八幡ト言フ。市場八幡宮ハ将門公ノ足ヲ祀ル。五十部大手権現(神社)ハ将門公ノ手ヲ祀ル。大前大原神社ハ将門公ノ腹ヲ祀ル。

 

平将門の子孫が建立したんですね

そして、これを記した人も将門の子孫なのですね

 

平将門は此の辺りに居住して、藤原秀郷と決戦しようとしていたけれど、愛妾・桔梗の前に裏切られ、秀郷の次男によって射殺されたんですか

遺体はバラバラになり、それぞれ落ちたところで祀られているんですね。

 

 

境内脇から墓地を通って帰ります。

将門伝説と高速道路、不思議なコラボです

 

今回は鹿島橋で渡良瀬川を渡ります。

この左手の岸辺りが、只上八幡神社の裏手・八幡川原ですね

 

県道67号線に出て右折、大手神社(足利市五十部町)を目指します。

この大きな手の神社、意味が分かりませんでした。

なんとなく納得して、初めて参拝です

 

(つづく)

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将門の胴体を祀った伝説・只上八幡神社

2021-11-27 19:58:26 | 太田・足利の将門伝説

ひめちゃんはタバサねーちゃんと、諏訪神社の向こうの高台・山上の薬師の道を歩いてきました。

浅間山は見えません。

吹雪いているかな?

赤城山も、ちょっと吹雪いているみたい。

寒い一日になりそうです。

ひめちゃんたちは、一昨日から床暖マットの2枚目が入りました。

さらなる防寒対策、この冬は早めかな?

 

 

 

『上州坪弓老談記(じょうしゅうつぼゆみろうだんき)』という、江戸時代に書かれた本があります。

戦国時代の上州の攻防戦が描かれています。

上杉謙信は、由良氏の領土を通過して、佐野に向かったことがありました。

広沢(桐生市広沢町)の寄居を、乱暴狼藉の限りを尽くして通過します。

 

由良氏は、謙信の通過に際して、「早速胴湖・市場・八幡へ人数を出し、敵の有様を見合すべし。」といいました。

胴湖はどこだかわかりません。

市場は太田市市場町、只上(ただかり)町の隣です。

八幡は、只上八幡神社のあたりだと思われます。

 

いろいろ検索していくと、なんとこのあたりには、平将門伝説があったのです。

「将門が射殺されたとき、その身体はバラバラになり、何カ所かに落下した。只上八幡宮は将門の胴体を祀ったところ、なので、御胴八幡とも言う。市場八幡宮は足を祀り、大手神社は手を祀っている。」とか

 

 

まあとにかく只上八幡神社に行ってみましょう

現在は、只上神社です。

立派な神社だけど、ちょっと寂しい

 

でもしっかり現役です

赤ちゃんの命名があったようです

2礼2拍1礼です

 

由緒があります。

ここは「山田郡毛里田村大字只上(やまだぐんもりたむらおおあざただかり)」だったのです。

山緒不詳ですか

 

 

社殿を左から一回りです。

落ち着いたというか、落ち着きすぎた感じです。

なんとなく昭和の雰囲気

 

 

境内社も多くはありません。

 

 

古いながらも、りっぱな社務所があります。

かつては、大いに賑わったのでしょう。

将門も由良氏も、その記憶はありませんでした

 

 

でも、将門の身体がばらバラになり、何カ所かに祀られているというのは、興味深い話です

それも、東毛に

 

 

さあ、帰りましょう。

県道の信号に出ました。

信号は、只上八幡前です

信号に「只上八幡神社」の記憶が残っていました

 

 

信号角のコンビニで、古印最中(こいんもなか)のお店をナビに入れて、足利に向かいます。

渡良瀬川の右岸を走り、緑橋で足利に入りました。

望むらくは、少し上流の鹿島橋を渡ると、好かったのですけど。

 

 

古印最中の香雲堂本店に到着です。

時間は、午前11時58分です。

お店の隣のミニ織姫神社から、00の時間になると、織り姫様がお出ましになるはずです。

あれ、今日はお出ましがありません

システムが変わったかな?

でも、いつも通り、古印最中を買って帰りました

 

 

(つづく)

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笠塔婆を訪ねて(丁間稲荷の笠薬師塔婆)

2021-11-26 16:06:10 | 群馬県・中毛

昨日の朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、東の牧場の方にお散歩です

 

彼女はいました

生きていました

少し元気になったかな?

 

家族4名のハウス前には、まるでみんな生きているように、カイバがあります。

バイバイ、また来るよ

 

ひめちゃんたちは、上の武井沼を通ります。

あれ、珍しく南の沼に、カモさんがウジャウジャです

 

 

 

安養寺の笠塔婆あと、高崎イオンモールで右折、ひたすら東を目指します。

利根川手前の問屋町の信号を左折、餃子の王将駐車場に入ります。

ちょっと失礼します。

駐車させて頂いて、隣の丁間稲荷神社を訪問です。

ここにも笠塔婆があるということです。

 

鳥居の前に、説明板です。

この笠塔婆は、現在地より約300m北の笠薬師と呼ばれた場所から、道路建設のため、今の市に移された。県内最古の様式を持ち、笠の部分は寄棟本瓦?という形式を表現している。塔身の4つの面」には、釈迦、薬師、弥勒、阿弥陀が、仏像の背面から発する光を炎のように表現した二重の火炎光背とともに彫られている。平安時代末期から鎌倉時代初期に造られたものと考えられ、中世の仏教の民衆への浸透を知るうえでもきわめて重要なものである。

 

雷電山の笠塔婆より、古そうです。

 

本来の神社についての説明板です。

 

では、鳥居をくぐって参拝です。

 

狛犬さんは、二組です。

奥の狛犬さんです。

犬でも狐でもなく、ライオンのような狛犬さんです

 

 

拝殿で、2礼2拍1礼です

ここで行き会った地域のお年寄りが、ダベリングをしたくなりそうな雰囲気です。

 

 

右側から社殿裏を廻ります。

 

やっぱり稲荷神社です

 

 

社殿の西に、笠塔婆が見えてきました

 

東が正面のようです。

南からです。

西からです。

北からです。

みなさんよくぞご無事で、今日まで。

合掌

 

由来碑があります。

 

由来碑の側には、たくさんの小さな石仏です。

一緒にお引っ越ししてきたのかな?

 

傍らに、全てを見て来たような巨木の松の木がありました。

さようなら

雷電山の笠塔婆、どんな笠をかぶっていたのかな?

 

王将さん、そのうちに寄りますね

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笠塔婆を訪ねて(上大島安養寺跡の笠塔婆と怖い馬頭観音)

2021-11-25 18:34:25 | 群馬県・中毛

今朝は、獅子丸が第1陣のひとり散歩で、堀之内を西に出て、山上の薬師の道を歩いてきました。

最近、ちょっと小次郎パパに似てきたかな?

 

薬師様の向こうは、ブロッコリー畑です。

遠くに見える浅間山は、白いです

本格的に降ったようです。

今朝は寒かったものね。

 

 

 

ひめちゃんちのある旧新里村には、行仙上人がいたという雷電山の東麓に、中世の笠塔婆(かさとうば)が2基あります。

でも、笠は失われていて、笠塔婆とはどんなものか、想像するしかありません。

でも、よく想像できません

いろいろ検索すると、最近よく行っていた高崎のイオンモール南を下ると、安養寺跡の笠塔婆があります。

 

同名の安養寺は新里にもあり、また実家の近く(太田市安養寺町)にもあります。

 

11月14日、安養寺に惹かれて、上大島安養寺の笠塔婆に逢いに行ってきました。

 

上大島安養寺は、現在高崎市上大島町公民館になってます。

公民館をナビに入れて、迷うことなく到着です

会議でもあるのでしょう。

地域の方が集まっているようです。

 

静かに、笠塔婆に面会です。

公民館の前の方に、ありました

新旧の説明板があります。

笠塔婆としては、県内最古のものなのですね

 

正面に阿弥陀如来像が半陽刻され、向かって右面に不動明王像、左面に毘沙門天像が線刻されている。正面下部には、「文永元年大才甲子(1264)四月廿九日願主沙弥西佛敬白」の銘がある。西佛は安養寺ゆかりの在家信者と思われる。

 

ここは榛名町だったのですね

 

ちょっとお顔が変かな?

合掌

下部を確認です。

説明板の文字のように見えます

 

右の側面には、なんとなく不動明王が見えます

隣にも、不動明王がおいでです。

 

左の側面も確認です。

毘沙門天ということですね。

 

あらためて合掌

 

 

隣には、石仏群です。

ちょっとお顔が痛々しい方々もいます。

合掌

 

 

少し離れた所にも、石仏群です。

大きな馬頭観音と、その隣に丸い小さな馬頭観音です。

共に大正時代のものです。

馬頭観音以外にも、いろいろな方がいるようです。

穏やかなお顔が印象的な如意輪観音です。

こちらも、穏やかなお顔のとんがり帽子が似合う如意輪観音です。

みなさんに、合掌

 

笠塔婆の道を隔てた民家の庭にも、安養寺の遺物かな?

 

雷電山の笠塔婆、笠を想像しながら訪問できそうです

さようなら、ありがとう

 

 

帰り道、さっき気になった路傍の石造物に、こんにちは

双体道祖神と、馬頭観音です。

合掌

 

おや、道の反対側にも、馬頭観音です。

合掌

 

側面に文化11年(1814)とあります。

自転車に乗ったおじさんがやって来ます。

 

「こんにちは

「こんにちは この石仏は、ちょっと怖い話があるんだよ。ほら、割れているだろう 昔はもっと道ばたにあったんだ。道路工事でここに移転したんだけど、道ばたにあった時、タクシーがぶつかったんだ タクシーの運転手は、その時に割れたのと同じ所が動かなくなっちゃったんだそうだ

 

右肩から右足にかけての外側が、割れています。

右肩から右足にかけて、動かなくなっちゃったということかな

 

「ありがとうございます。気を付けて帰ります

 

榛名山が迫って見えます。

ここは、群馬郡榛名町でしたね。

 

もう一ヶ所、笠塔婆を確認して帰ります

 

(つづく)

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