黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

惟喬親王伝説の里・その1(惟喬親王宮)

2022-03-18 13:10:29 | 群馬県・東毛

雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、ビンボー合羽でお散歩です。

 

昨日の夕方、ひめちゃんたちは、お散歩途中でケンくんに逢いました

大好きなケンくんに逢えて、あたち幸せです

あたちも、ケンくんに逢えて幸せです

つかの間の逢瀬でしたけど、みんな満足でした

 

 

先日(2月23日)、桐生市南公園の梅まつりをタバサねーちゃんと訪問しました。

帰りがけに、この先もっと南に行ったら何処に行くのかな?

2月26日、この先に、行ってみました

(タバちゃんは、おうちでお留守番です。)

南公園を素通りして、県道332号線を南に下ります(向こう側からやって来ました)。

 

しばらく行くと右手に沼が出現、そのかたわらにわずかな駐車スペースがあります。

 

道の反対側に、鳥居が見えます。

行ってみましょう。

 

一応草刈りしてあるようです。

でも、険しい道です

鳥居には、「惟喬親王宮」の額が架かります

鳥居には、平成元年(1989)も文字が見えます

心細く、篠竹生い茂る参道を進みます。

 

しばらくして、やっと石宮と碑が見えてきました

 

碑文を確認です。

貞観十四年(872年)文徳天皇の第一皇子として生誕された惟喬親王が上野太守に除せられた折りこの地に御所を構えられたと言い伝えられている。親王は常に京都を偲び懐しみ山河の名称を「天王山愛宕山東山西山加茂川」等々京都の地名を名付けて穏やかで静かな風習と敦暑な人柄を限りなく愛されたという。

 

ええツ

上野国は確かに親王任国でした。

でも、親王が親王任国に赴任することはなく、次官(上野の場合は上野介)が赴任して、トップとして実際の政務を取り仕切ったと言うことです。

まして、ここは上野国府からも遠い東毛の地です

 

都を思わせる地名があるので、そこからのロマンかな?

 

江戸時代に、『桐生老談記』や『今泉古事談』を著した高橋守行(たかはしもりゆき、1716-1766)は、ここ長岡の地も領主から管理を任されていました。

もしそのころに、この地(太田市西長岡町)に惟喬親王伝説があったら、きっと記録したことでしょう



 

比較的新しいロマンかな?

ある時期、人々の心をわしづかみにしたのでしょう

現在は、隣のゴルフ場に押され気味です

 

まあとにかく、2礼2拍1礼です

 

 

さて、帰りましょう。

松の実が、いい雰囲気です

 

鳥居を出て、どっちに行こうかな?

まだまだ、惟喬親王伝説に関係あるところがありそうです。

 

桐生南公園の先は、なんと惟喬親王伝説の里だったのです

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 梅干しに惹かれて箕郷梅林へ | トップ | 惟喬親王伝説の里・その2(... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

群馬県・東毛」カテゴリの最新記事