晴れて暖かい一日でした
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、昼間はお外のサークルで過ごしました。
昨日、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、女淵城址に行ってきました。
早咲きの桜が咲き始めていました
2020年3月、タバサねーちゃんは、女淵城址に行きました
元気溌剌、熟女のタバサねーちゃんでした
『桐生老談記』 新しい章です。
家綱討ち死に前裏の事、付けたり、家中友軍の事・その1
去る程に、評定に云う、宗綱短気を起こして元朝に駆けだし給う時に、家老の大貫越中留めて云う、今日は元朝と云い、庚申の次の日、俗に言う大悪日の当たり候えば少し御延慮の旨申されければ、宗綱怒って、おろかなる敵に矢を打ちかけられ、悪日なれどもその場を免れ、後日に吉日を見て善の失い返す法やあらん、汝が様なる愚か者は、我が家には勘当なりと、つきはなしてで給う。
不思議や其の時、白狐一疋走り来り、道をさえ切り、或いは馬の尾に取り付き、馬は内に駆け入ること、三度なり。
斯くの如く、さまざまの不思議ありしを、短気に任せ押して出給いしが、はたして相なく失せ給うこそ、あさましけれ、寔(まこと)や宗綱のの給うも一理あり、また越中が云うも、全く其の日ばかり延引すにもあらず、心静かに勢を揃え、打ち立つべきとの心底なりしを、宗綱思慮なくしてかんげんを待ち得ず、かやうの主、才心のたかいの事、是一つの前後なりしが、一城の主たる身、軽々しく一人で出で失い給う事、さながら疋夫の振舞いと、悪名を浮世にまで流し給うぞ、はかなけれ。
題名の家綱は、宗綱の間違いでしょう
宗綱として、あらすじの確認です。
元日に、領主佐野宗綱は出陣しようとしました。
家老の大貫越中は、留めようとしていいます。
「今日は元日で、まして庚申の次の日で大悪日です。少しお待ちください。」
宗綱は怒り、「お前のようなおろか者は、我が家中から勘当する。」と云って出陣してしまいます。
その時不思議なことに、一匹の白狐が現れました。
狐は道を遮ったり、馬のシッポに取り付きました。
馬は三回も戻ってしまいました。
このような不思議なことがあったのを、宗綱は短気にまかせて出陣し、亡くなってしまいました。
宗綱の行為は、まことに匹夫(つまらない人間)の振る舞いでした。
家綱と宗綱を作者が間違えたのでしょうか
それとも、書き写していく中で、間違えたのでしょうか
まあ、元日に出陣したのは宗綱なので、宗綱で間違いないでしょう
庚申信仰は、江戸時代にはとても盛んでした。
人間の体内の三尸(さんし)が、天に昇って寿命を司る神にその人の過失を報告するのを防ぐ為に、庚申の夜は眠らないで夜を明かす「庚申待」が行われたのです。
三尸は人間が眠らなければ天に登れません。
したがって寿命を削られることもありません。
戦国時代には、どうだったのでしょう
天正11年(1583)の大晦日は、庚申の日だったのでしょうか?
天正12年(1584)は、甲申(こうしん、きのえさる)の年でした。
宗綱の討ち死にの一つの原因として、庚申の次の日で大悪日だったことがあげられています。
白狐が現れたんですね
なんと神の使い白狐が現れて、出陣を妨害したのです
白狐は、稲荷大明神のお使いで、江戸時代以降は、憑きもの落としや開運出世・商売繁盛の御利益があるとして庶民の信仰を集めていたそうです
初稿 2020.05.14 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2025.03.21
( つづく )
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