晴れて暖かい一日でした
でも風が強い
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、昼間はテラスの自分のお部屋(サークル)で過ごしました。
演技派女優のひめちゃんは、最初はブルブル震えます。
おかあさんがどうしてもおうち犬させてくれないとわかるまで震えます。
見事な演技派女優です
2020年5月の黒柴家族です。
ひめちゃんは、まだ演技派女優開眼前です。
獅子丸は実家に帰って11ヶ月です。
パパもママもいて、賑やかな黒柴家族でした
家綱討ち死に前裏の事、付けたり、家中友軍の事 続きです。
去る程に家中、主の行衛を見失い互いにせんかたなく、同二日の暮れ時に、越中が宿所へ立ち寄りて、声高に云う、「御辺は足利に縁者ありけるは、長尾方と一味して、主の御出馬を留め、敵を城の辺りに防ぎ置きたかりしを、君ご存じありて、かんどう仰せられける談、御かんどうなるとも、家老の身として主の先途、見届け申さん事、是れ逆心にうたがいなし」と、口々に呼ばわり、時を作りて乱れ入る。
越中少しもさわがず、元心明らかなれば、「君の御行衛知らずなりは追い腹切って、冥途の御供にと思い宛、汝等も後にせん道連れよ」と、「扨(さて)も眼前の主の敵討ち居ずして、忠義を勤むる家老を討たとは、うろたえ者の名、世の常の人にふれけるなり。喧嘩にまけて妻子を討つにことならず。主君の敵は汝等なりと、出て物見せん」というままに、三十余人、魚鱗につらね、突いてかかれば、心得たりと二百余人、鶴翼に開き引き包み、殊に正月二日夜闇の事なれば、手先まかせの闇打声をしるべにおつまへり。
川十文字に破る巴の如く押し廻り、火花を散らして切結ぶ。その内に風上より火をかけ、その上、越中を初めて良等ども大半討たれ、手負い、死者数知れず。
越中も今は是れ迄鳴りと火中に飛び込み、腹切ってほのおにこけて失せにけり。
折節風はげしく大火におよび、いらざる火事を求めて、火中町に至る迄類火あるこそあわれなり。
その後、越後より虎房を宗綱と改名して、家督相続せられたり。
あらすじです。
家中は主君の行方を見失ってどうしようもなく、二日の夕方大貫越中守の宿所にやって来ました。
そして、「あなたは足利に親戚があるから長尾とつるんで、御主君の御出馬を留めたのだ。家老の身として、たとえ勘当されても、主君の行方を見届けるべきだ。そうしないのは、逆心を抱いているということだ。」と、みんなで叫んで、鬨の声をあげて乱入した。
越中守は少しもさわがず、「御主君が行方不明になってしまったので、追い腹を切ろうと思っていたところだ。おまえらも道連れせよ。」と云い、また、「目の前の主君の敵を討たずして、忠義の家老を討とうなんて、うろたえ者だと世間に自分たちでいっているのだぞ。御主君の敵はお前達だ。」
激しい戦になりけが人や死者がたくさん出ました。
そのうちに火が風上よりかけられました。
越中守も今はこれまでと、火中に飛び込み切腹して果てました。
折からの強風にあおられて、火は街中にまで燃え広がってしまいました。
その後、越後から虎房を迎えて、宗綱と改名して家督を相続させました。
本文は、ここまでです
ああ長かった
やっと終点にたどり着きます
このあと、家臣団の名簿があります。
そのあと、後書きで終になります。
あと2~3回かな?
もう少しだけ『桐生老談記』にお付き合いくださいませ
何という結末でしょう
宗綱が見つからないのは、大貫越中守のせいと攻めてきたのです
これでは、この家中はうまくいくはずなどありません。
「その後、越後から虎房を迎えて、宗綱と改名して家督を相続させました。」、こんなことありましたっけ?
江戸時代中期には、たくさんの通俗軍記物語が書かれたという事です。
語られたり、演じられたり、読まれたようです
「魚鱗につらね、鶴翼に開き」を検索すると、『前太平記』の一節がでてきました。
大貫越中守の最期の場面、『前太平記』の一節とよく似ています
平将門の最期の場面、7人の将門が「魚鱗につらね、鶴翼に開き」戦っています
『桐生老談記』の作者・高橋守行(1716~1766)は、『前太平記』の熱心な読者だったかもしれませんね
初稿 2020.05.18
改稿 2025.03.26
( 家綱討ち死に前裏の事、付けたり、家中友軍の事 終 )