黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

仁田山郷・仁田山城の麓にて(後編)

2022-03-30 17:26:53 | 山田川紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、久しぶりに少し足を延ばして、、新沼&童沢貯水池に到着です

誰もいないみたいだよ。

新沼は、極端に水が少なくなってます

かろうじて黒いカモさんが2、3羽泳いでます。

 

沼の間の桜、大分先進んでいます

もうすぐ、満開です

隣の童沢貯水池はどうかな?

新沼よりさらに水が少なくなってます

カモさん&サギさん、みんなどうしたんだろう?

 

 

 

(仁田山城居館跡・蓮慶寺跡)道向こうの、赤い屋根の御堂が気になります

ちょっと行ってみましょう。

赤い屋根の下は、茅葺きかな?

石造物もあります。

御堂の中は、まだまだ現役のお不動様のようです

合掌

 

 

さて、記憶にある交差点を左折します。

灯籠には、石尊宮(しゃくそんぐう)です。

石尊山の山頂には、石尊宮が祀られていると言います。

目立つきれいな表示です。

新しそうです。

 

石尊山を見ながら、矢印に従って坂を登ります。

 

右手に、石尊山登山口の表示です。

民家の間を歩いて登るみたい

ちょっとご遠慮です。

 

少し行くと、石造物群です。

石造物群の左には、あるかなきかの道です。

もしかしたら、山の向こうに出る道があったかな?

谷山城(やつやまじょう)跡とか桜峠(さくらとうげ)にも行けたかな?

老談記によると、里見兄弟の父・里見上総入道は仁田山城から退き、谷山城で自刃したということになってます。

 

もう少し先まで道がありますけど、ちょっと不安

このまま行くと、谷山城跡とか桜峠にも行きそうな感じもします。

でも、無理をせず引き返します。

 

仁田山城のあったという、石尊山を見上げて帰ります

ここら辺からは、山を越えて仁田山郷・小平(おだいら)に抜ける道があったのでしょう。

小平側を走る県道334号線にも、今は廃道になっているけれど、東の山に向かう林道があったと思われる場所がいくつかあります。

 

もう少し山奥に入り、谷山城跡や桜峠を越えれば、小平です

 

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仁田山郷・仁田山城の麓にて(前編)

2022-03-29 14:46:15 | 山田川紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、久しぶりに東の牧場に行きました。

やっぱり、ヤギ家族の復活はなさそうです。

ひめちゃん、かなりモコモコが進行してます。

タバちゃんは、まだかな?

小次郎パパの手術から一ヶ月経ったら、シャンプーにしましょう

 

上のタケイ沼を目指します。

水位の下がった南の沼には、だあれもいません。

いつものようにたっぷり水位の北側の沼には、大勢のカモさんです。

 

サマンサ坂を通って帰ります。

 

 

 

 

仁田山城(にたやまじょう)のあった仁田山は、中世には仁田山郷(にたやまごう)でした。

そして、なんと里見兄弟が立てこもったという高津戸城も、同じ仁田山郷だったのです

現在現在では桐生市川内町とみどり市大間々町で別々の町ですけど、同じ仁田山郷だったのです

 

「角川日本地名大辞典(旧地名編)」によれば、

仁田山郷(中世)

戦国期に見える郷名山田郡のうち地名は,沼沢地を意味するアイヌ語のニタに由来するともいう。天正元年と推定される年未詳12月27日の藤生紀伊守宛由良成繁書状(東京大学文学部所蔵由良文書/県史資料編7)には,由良氏の要害普請に用いる用材について「以前仁田山衆之剪候木とも,馬を云付必可差越候」とあり,当地周辺から伐採されたことがわかる。天正2年2月朔日の由良成繁宛行状(広沢前原氏文書/群馬県古城塁址の研究)では「仁田山郷之内後東寺三貫文地,充置候処,不可相違有候」と見え,当郷内所領が山同主税介に宛行われており,当地が由良氏の勢力下に置かれていたことがわかる。天正2年と推定される年未詳10月18日の由良国繁宛足利義氏書状写(集古文書/埼玉県史資料編6)によると,同年当地方に進出した上杉謙信と由良氏との合戦について「谷山落居之由,一段無心元候,併楯籠人数無恙之由,簡要候」と見え,谷山における合戦の由良方の不利を気遣い,北条氏照の援軍が下総栗橋に在城している旨を告げている。谷山における合戦については足利氏側と上杉氏側との認識に混乱があり,同年と推定される年未詳10月19日の上杉謙信書状写(太田文書/同前)では「自沼田抱候向仁田山・横瀬……従十三取詰,十五即時ニ攻覃,彼城ニ籠者共,一駄一人不残,男女共ニ悉なてきりニ成之候」と見え,仁田山城を攻略したとある。谷山城は桐生市川内町5丁目の字麦生小路の北方にあり,遺構は現存している。また仁田山城はその北東方の石尊山頂にあり,谷山城とともに一体を成していたものである。大正8年3月9日の武田勝頼定書(北条文書/県史資料編7)に「為金井新右衛門尉分改替,仁田山一跡被下置畢」と見え,当地が北条長門守に宛行われており,当地は一時的に武田氏の支配下に置かれたと推定される。天正12年5月28日の阿久沢彦次郎宛て北条家朱印状(京都大学所蔵阿久沢文書/同前)には「仁田山之内」として塩原・あさ原・小平・塩沢・高津戸などの地を,五覧田攻略の戦功により宛行っている。天正13年12月7日の極楽院鎮良判物写(極楽院文書/同前)では,本山派の修験宗で上野国年行事職を持つ極楽院が了大寺に対して桐生の総年行事職を預け置くとともに「広沢・仁田山之儀」に相違なきよう命じている。室町期に上仁田村・中仁田村・下仁田村に分かれたという(山田郡誌)。現在桐生市川内町に仁田山の字名が残っており,郷域は渡良瀬川が大間々町から桐生市にかけて湾曲して流れる内側左岸の地域で,現在の桐生市川内1~5丁目から大間々町東部を含む地域と考えられる。             
  

現在の桐生市川内1~5丁目、みどり市大間々町東部(塩原・あさ原・小平・塩沢・高津戸など)が、仁田山郷だったことになります

ことの真偽は別として、近世の老談記では、里見兄弟の父・里見上総入道は、仁田山城主であったとされます。

 

数年前にも訪問してあるはずですけど、写真も記録もありません

今回再訪です

タバサねーちゃんも、白瀧神社の後で同行しています。

でも、残念ながら、出演回数が少なかっったのです。

 

 

白瀧神社から、県道228号線を北上します。

しばらく走行すると、記憶にある交差点に出ました

でも、こんなにきれいな表示だったかな?

 

Uターンして、仁田山城の居館跡だという寺院跡の、わずかなスペースに駐車です。

 

小さな御堂があります。

蓮慶寺・庚申堂とあります。

ご本尊様かな?

合掌

 

ここは階段を登らなくて、いいね

 

 

かなりの数の石造物があります。

お地蔵様のお首は、合わない感じです

 

道の向こう側に、赤い屋根の御堂が見えます。

ちょっと気になります

 

ここにあった蓮慶寺の歴代名が刻まれています。

合掌

延命寺の末ですか。

そのうち、延命寺も行ってみましょう

 

 

仁田山城のあったという、石尊山(しゃくそんざん)を望みます

さて、「仁田山城→」に行く前に、道の向こうの赤い屋根の御堂もちょっと参拝です

 

 

 

(つづく)

 

 

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白柴タバサちゃんの白瀧神社参拝記

2022-03-28 15:26:42 | 山田川紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出て、高縄の集会所を廻って帰ります。

あれ、タオルのウクライナ国旗が風になびいています。

 

ひめちゃんは、ご褒美の催促です

最近は、お散歩中には、シニア用のドッグフードを一握り持って行きます。

結構、楽しみにしているようです。

 

桜の古木の田んぼ道を帰ります。

桜の開花が始まってます

振り返って赤城山です。

この道は、獅子くんとよく歩いたね

 

 

 

 

3月20日、八幡宮の後、白瀧神社(桐生市川内町5丁目)を訪問です。

新しい駐車場が出来たというので、そちらに廻ってみます。

けっこう広いです

 

 

ここは、大きな岩の後ろです。

前に回ると、日本遺産・白瀧神社の指標と、説明板です。

日本遺産なのですね

 

 

本来はこの鳥居をくぐって参拝でした。

 

 

大岩の向かい側にも、説明板があります。

あの大岩は、耳をあてると機音(はたおと)が聞こえたという「降臨石」ですね

有名な「白瀧姫伝説」もあります

延暦13年(794)または天久3年(1112)って、ずいぶんと離れてます

どうしてかな?

縁結びの御利益もあるんですね

 

 

クラシックな神楽殿も健在です。

説明板は、かなり劣化しています

現在でも神楽が舞われているのですね。

 

 

さて、拝殿で参拝です。

2礼2拍1礼です

最近どこかで、白瀧神社にも書き置きの御朱印があると言うのを、見たような気がします。

でも、ありません

勘違いかな?

やはり書き置きでいいから、御朱印が欲しいですね

 

 

おや、拝殿の脇に、針塚が見えます

初めて気がつきました。

行ってみましょう。

上りにくそうだよ

やっぱり、登るの大変です

 

 

針塚の後ろには巨大なケヤキの木です。

これが樹齢300年のケヤキだね

すごい

まさに御神木です

 

 

左手には本殿です。

あれ、本殿わりとスッキリした造作です。

本殿脇の石段を、踏みしめて降ります。

 

ふう、疲れた

 

でも、がんばりました。

まだまだ、若いもんには負けられません

 

 

階段を降りて、駐車場に向かいます

さて次は、里見兄弟の話で有名な、仁田山城付近の散策です

 

 

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白柴タバサちゃんの小平・長尾根から川内への漫遊記

2022-03-26 15:35:56 | 山田川紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出ます。

ガラス破片に気を付けながら、葛塚城の堀切跡を歩きます。

でも、マンボー解除、またミニカーのサーキット場には車が来ています

明日からは、また足を怪我しないように、別の道を歩きましょう

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、岩神沼に目指します。

アオサギさん、いるかな?

 

残念、今朝はいませんでした。

 

高縄の摩崖仏・裏を通って帰ります。

桜の芽が膨らんでます

 

 

 

今日は、小平の成満院に用事があります。

タバサねーちゃんも、一緒にお出掛けです。

 

まず、アレスくんに「こんにちは

あれ、タバちゃん、そっぽを向いてます

タバちゃんが用心して、仲良く出来ませんでした

エリザベスカラーをしたアレスくんは、タバちゃんには、未確認の生物に見えたようです。

バイバイ、またね

 

 

さて成満院で用事を済ませて、元・福岡中央小の信号を左折、山道を進みます。

川内5丁目に出るはずですけど、心細くカーブの多い道を進みます。

 

あれ、石造物がある

長尾根公民館です。

ちょっと寄って行きましょう。

 

大きな大きな石造物もあります

庚申塔や青面金剛、馬頭観音等です。

あれ、僧形の墓標もあります

お寺があったかな?

 

後ろからも失礼します。

みなさん、ちょっと寂しそう

 

『大間々町誌基礎資料Ⅺ 大間々の社寺 平成9』によれば、ここは薬師堂でした。

薬師堂 公民館のところにあった。

昭和十年頃には茅葺屋根のお堂が残っていた。当時、梅田にいたヨセアンという小脇に枝をいっぱい抱えた乞食が長尾根によく来ては、水を運んでいくばくかの金銭を得ていたが、そういう人たちが薬師堂に寝泊まりしていた。薬師堂の裏は墓地であったが、大正時代にはほとんどが整理されてしまい、現在では一基残るのみである。戸数が減ったために、維持するのが困難になったので整理されたという。

厄除けの仏様として信仰を集めていたが、お堂が荒れてしまったため、本尊は桐生市須永町の雲祥寺へ預けられている。

 

 

バス停があります。

 

バス停の後ろには、句碑です。

稲架組みて 赤城の風を 誘い出す

刈り取った稲を束ねて、竹竿に干す、秋の情景です。

 

あれ、タバちゃん、ショックです。

タバちゃんのリードには、お持ち帰り用のビニール袋がついてます。

持ち帰らない子がいっぱいいるのかな?

 

タバサねーちゃん、クンクン情報収集です。

やっぱり、結構来てるのかな?

 

 

道の向こう側に、直売所が見えます。

行ってみましょう。

直売所には、雪割草しかありません。

雪割草1ポット手に取り、代金100円を入れます。

 

 

長尾根公民館に別れを告げて、ひたすらカーブの道を進みます。

 

 

道なりに下ると、八幡宮(桐生市川内町5丁目)の脇に出ました

あれ、桜が咲いてます

先日訪問したばかりですけど、寄って行きます

 

まず、鳥居の前のバス停・時刻表を確認です。

現役で運行されているのですね

新里にもバス路線を残して欲しかったですね

 

鳥居の側に2本の桜があって、開花しています。

タバサねーちゃん、階段を元気に登ります。

やはり、桜の開花はうれしいものです

川内から山を越えると、(みどり市)大間々町長尾根・小平そして高津戸です

 

 

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白柴タバサちゃんの皿窪城の記憶・川内八幡宮を尋ねて

2022-03-25 17:21:23 | 山田川紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

タバサねーちゃんが、天神田(字天神)の方に進路を取ります。

天神田を歩いて、タバサねーちゃんは意図的に進路を取ってます

ケンくんちに寄りたかったのです

でも、残念、ケンくんはいません

ひめちゃんも追いついて、クンクン。

お散歩に行っちゃったかな?

 

 

 

3月20日、タバサねーちゃんは、桐生市川内方面に出かけました。

まずは、仁田山城の支城・皿窪城(さらくぼじょう)があったという雷電山の麓の八幡宮(桐生市川内町5丁目)です。

ここには、皿窪城の居館があったということになりそうです

 

今回は、川内小学校の信号から県道338号線を上ってきました。

すぐ近くに、大間々の長尾根からの道もあります。

いつか通ってきましたけど、そのころはつまらない道に思えました。

大切な大間々町長尾根・小平への道だったのです

またそのうちに通ってみましょう

 

 

真っ赤な一の鳥居の隣には、バス停です

東の桐生市にはしっかり路線バス(おりひめバス)が通っているのです

 

一の鳥居に額はありません。

 

二の鳥居に額がありますけど、判読不能です。

 

 

立派な社殿です

 

隣は社務所かな?

 

 

拝殿で、2礼2拍1礼です。

 

 

振り返ると、右後ろには立派な舞台?

 

 

境内社があるよ

タバサねーちゃんは、ここでは情報収集しません

ワンコ様は、来てないかな?

 

雷電愛宕神社です。

雷電神社と愛宕神社を一緒に祀ってあるようです。

2礼2拍1礼です。

 

隣は何だろう?

中には古い御神輿でした。

 

 

さて社殿の周りを一周してみましょう。

杉の落ち葉がいっぱいで歩きにくいですわ

人間にも歩きにくい道でした

時にはタバサねーちゃん抱っこして、なんとか一周です。

 

 

後ろの山を見ながら、さようならです

あの山の頂上に、皿窪城があったんですね

 

県道を上って、白瀧神社を目指します

 

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