黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

猿ヶ京城趾の天狗様(古い地名にこだわり?)

2019-12-31 15:58:36 | 北毛紀行

午後から赤城おろしが吹きまくってます

犬川柳第六弾です。

 菜の花や 天真爛漫に 昼散歩

(なのはなや てんしんらんまんに ひるさんぽ)

菜の花の季節なので、菜の花メイン、ひめちゃんちょっと端になってしまいました

5月、獅子丸はまだ養家に居ます。

朝晩迎えに行って、一緒にお散歩していましたけど。

ひめちゃんは、タバサねーちゃんとは、相性が良く一緒にお散歩できます

ママの昼散歩に、タバサねーちゃんが加わることもありました。

このメンバーだと、ひめちゃんは自宅近くにきて、おかあさんの姿を見かけると、天真爛漫に振る舞います。

喜んで駆け寄ったり、後ろを振り向いて無関心を装ったり。

 

 

 

猿ヶ京城趾を目指します。

おや、宮野城趾の旗です。

関東管領上杉の家紋ですけど?

 

道の突き当たりに、ホテルが建っています。

ここが、猿ヶ京城趾のはずです。

上杉謙信宮野城趾内堀とあります。

大きな説明板があります。

都合で2枚の画像になります。

二つの川が合流する、断崖絶壁の上に築かれたんですね

上杉の旗がはためいています。

ホテルの敷地ではあるけれど、史跡でもあります。

上の縄張り図で、本丸と書かれた辺りを散策です。

聖観音かな?

武者行列をするのかな?

湖面を見下ろします。

川でも、断崖絶壁で、登ってくるのは不可能でしょう。

 

さて、反対側の天狗様に参拝です。

こんにちは

スタンプ頂きます

民話があります。

上杉謙信がここで天狗様に武運を祈願した

そうだったんですか

こちらも宮野城趾です

猿ヶ京城趾は説明板だけです

実は古い説明板は宮野城趾でした。

おとめ婆の祈りめぐり』では、ここの紹介写真は、「宮野城趾砦の由来」として大きな説明板映ってます。

いろいろな事情で、今は猿ヶ京城趾となったようですね。

でも、地元では、「宮野城趾」なのです。

宮野はこだわりの地名なのでしょう

 

ひめちゃんちは葛塚城堀之内にありますけど、地元の人もほとんど葛塚なんて地名は忘れています

葛塚は、幾多の戦乱の結果荒れ果てて、こかんの郷になってしまったのです

こかんの郷、後閑(ごか)が地名になってしまったのです。

 

「おがんしょめぐり」始めたばかりですけど、ひめちゃんたちのお散歩までに帰らなければなりません。

続きは、来年雪が溶けたらかな

 

 

 

本年も、たくさんのご訪問、ありがとうございました

これからも、まだまだ歩き続けます。

来年もよろしくお願いします

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猿ヶ京関所跡のやる気稲荷

2019-12-30 21:30:01 | 北毛紀行

犬川柳第五弾です。

いつまでも ママの子どもだよ よろしくね

今年5月、まだ獅子丸は帰ってきてません。

ひめちゃんが、よく七海ママとお散歩に行ってました。

本当にうれしそうです

ママの前だと、子どもに返れたのです。

ママもいつまでも保護する対象と認識し、よその犬に出会ったりすると、守ろうとしています

ひめちゃんは、ママにはいつまでも守るべき存在なのです

 

 

猿ヶ京の関所跡です。

 

資料館のパンフレットで、この関所の位置を確認しておきましょう。

ここを越えると、まもなく越後です

沼田からではなく、吾妻の方からやってくるのですね

今回は、国道17号線で沼田経由で来ました。

道理で来る途中、吾妻の中之条方面の表示があったわけです。

ちょっと気になっていたのです。

そのうちに、中之条経由で来てみましょう

 

パンフレットには、関所の配置図もあります。

今は、左側の役人の住居前にいます

 

資料館の案内があります。

 

さて、やる気稲荷はどこでしょう?

どうも、中のようです。

いきなりの民話です。

「向こうの山、上の山、あの山、後ろの山」、いい名前です

 

レトロな空間にやって来ました

猿ヶ京の関所についての説明板です。

新治村(にいはるむら)だったのですね

 

この巨大な説明板の裏に、やる気稲荷がありました

やる気稲荷のスタンプと猿ヶ京のスタンプがあります

やる気稲荷のお話があります。

関守の家のやる気のない孫を心配して、やる気が出るように毎日祈っていたばあさまが、孫がやる気が出て帰ってきたとき石になってしまった。

その石で稲荷様を祀った。

 

スタンプをゲットして、資料館に向かいます。

左手に大きな木があります

高野槇(こうやまきとあります。

この木は歴史を見続けてきた木です。

『猿ヶ京温泉語りガイド おとめ婆の祈り』によれば、

関守高野氏のご先祖は、大阪夏の陣に真田信吉に随って参戦した。

その帰り高野山に詣でた。

そこで実生の高野槇の苗木を持ち帰った。

高野家では、この木を家守りとして、家族の心を一つにした。


資料館の縁側に駕籠(かご)があります。

庶民が乗った駕籠です。

余り楽そうではなさそうですけど?

 

入り口から声をかけます。

「こんにちは。」

「入りますか?」

「はい。」

「お金かかりますよ。」

「はい、お願いします。」

入館料¥250を払います。

館内は一部を除いて、カメラOKでした。

 

目にとまった展示がありました。

江戸時代には、庶民の旅が盛んになったのです。

神社仏閣詣で、湯治の旅、知識を深める為の旅が盛んになったのです。

その流れの中で、山上の常広寺に、田中藤左衛門がやって来、毛呂権蔵がやって来、足利鶏足寺の和尚がやって来たのです

 

良寛さんに向き合うコーナーもありました

良寛さんは、越後の出身だったのですか

お寺が通行手形を発行していたのです

 

見所いっぱいでした

 

民話関係の冊子を販売しています。

その中の一冊を買い求めました。

『猿ヶ京温泉語りガイド おとめ婆の祈りです。

おとめばあさんの後ろ姿がいいですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猿ヶ京おがんしょめぐり・序章

2019-12-29 20:35:32 | 北毛紀行

犬川柳第四弾です。

ずうずうしい だって生まれた ウチだもん

獅子丸は、7年ぶりに実家に帰りました。

でも、全く遠慮というものがありません

まるで20年も居るような顔で暮らしています

実家の記憶を、両親や兄弟のことを、ズーッと覚えていたようです

 

 

 

謙信のさかさ桜と日枝神社に別れを告げて、国道17号線を走ります。

ナビの目的地は、「まんてん星の湯」です。

上の地図の、猿ヶ京関所資料館と与謝野晶子文学館の中間くらいの所にあります。

ここが「さるがきょうおがんしょめぐり」の出発地なのです。

 

名胡桃城でゲットした資料の中に、「さるがきょうおがんしょめぐり」ありました。

「おがんしょめぐり」をしながら、猿ヶ京を散策してみましょう

おがんしょとは、聞き慣れない言葉ですけど、ミニパワースポットというところでしょう。


駐車場から出てすぐに、見慣れないものがあります

旧新治村(にいはるむら)出身の歌人・阿部鳩雨とあります。

ここは今はみなかみ町だけど、合併前は新治村だったのです。

歌碑の隣にも、見慣れないものがあります。

手湯というようです。

 

手を入れてみると、暖かい

そばに、民話があります。

手湯「カッパの湯」です

いきなり、和んじゃいました

 

とりあえず、赤谷湖の方に下ってみます。

歌碑があります。

作者は佐藤春夫です。

よくみえませんけど、「湖底」うんぬんとあります。

そういえば、赤谷湖は人造の湖で、湖底に沈んだ温泉街があったといいます。

 

少し行くと、今度は句碑です。

野竹雨城、のだけうじょう?

野口雨情なら知ってるけど?

検索すると、群馬の近代俳句の基礎を築き多くの新進作家を育てたということです。

失礼しました

 

いくらも行かないうちに、民話と歌碑(句碑)の驚きの世界が広がっていたのです

中央の白い建物の辺りが出発点です。

 

石造物がいっぱいです。

「沼田横堂三十三番観音札所・六番聖観世音菩薩」とあります

みやま文庫『上州の観音札所』(内山信次著)によれば、

 六番 宮野 大羽山  利根郡新治村猿ヶ京

宮野は猿ヶ京の旧名である。関所址のうらの洋品店の横に、大正の頃まで観音堂があって、尼さまがいて、大羽山(おおばさん)と呼ばれていた。別の資料に大葉山ともある。

 参り来てここを宮野の大羽山二世安楽と我ぞたのむる


すぐまた手湯があります

民話もセットです

いたちの湯にも、手を入れてみました。

暖かい、感激です

手ゆで癒やされて、湖の方に下ります。

まもなく、超クラシックな建物が見えてきました

猿ヶ京関所資料館です。

あそこに、おがんじょ・やる気稲荷があるはずです

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関東管領ゆかり(?)の日枝神社

2019-12-28 15:33:50 | 北毛紀行

犬川柳第三弾です。

生きてたね 大きくなったね また来るよ

 先日、久しぶりに東の牧場の方にいきました。

しばらく行かないうちに、東の牧場でヤギさんたちが居たところは、すっかり子牛の牛舎になってました

ヤギ肉になってしまったのか

鏑木川沿いの一角に、元気なヤギさんの姿がありました

 

 

 

謙信のさかさ桜から、国道沿いに神社が見えます。

さかさ桜の説明板には、「上杉謙信が関東管領上杉憲政ゆかりの日枝神社に参拝した」とありました。

あれが、関東管領上杉憲政ゆかりの日枝神社のようです。

 

『猿ヶ京温泉語りガイドおとめ婆の祈り』(NPOこどもにいはる塾)には、

謙信が山越えをして猿ヶ京砦を築き、さあ、いよいよ関東制覇だ。猿ヶ京砦を少し下がると、うっそうとした木立の中に、神社が見えたんだと。信心深い謙信は、はてと思って、木立をのぞくと、そばにいた憲政が、「わしが、命からがらここまで逃げてくると、三国峠が見えた。ほっとして、あたりを見渡すと、あの社が立っていたんで、これからのことを頼んだ。こうして、これから北条めを、蹴散らしに行けるとは、夢のようだ。」とうれし泣きしているんだと。(謙信逆さ桜・樹齢450年)

 

国道沿いにありバス停「逆桜(さかさざくら)」の所を、社殿の方に降ります。

鳥居のほうに回り込みます。

額には、「日枝大神」とあります。

右手には、神楽殿があります。

 

鳥居をくぐりながら、下の参道を覗きます。

機会があったら、下の参道から登りましょう。

今回は先があるので、パスです。

 

神楽殿は、現役のようです。

 

さて、本殿に参拝です。

こちらももちろん現役です

極彩色というほどではありませんけど、鮮やかに彩色されています

 

手水社は、季節柄凍結を恐れて、お休み中です。

 

神楽殿と本殿の間を通ると、灯籠があります。

こちらからの短縮参道もあったのかな?

 

国道沿いに出ます。

「自然と史跡と民話の郷 これより猿ヶ京温泉」と国道沿いにあります。

残念ながら、関東管領上杉憲政の記憶はありませんでした

でも、平井城から越後の謙信を頼って落ちていく途中、ちょっと一休みして、これからのことを祈ったかも知れません

 

国道に出て、駐車場に戻ります。

さあまもなく、いよいよ上杉謙信が名付けた(?)猿ヶ京です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三国街道・謙信のさかさ桜

2019-12-26 20:05:29 | 北毛紀行


犬川柳第二弾です

湯上がりの 美女犬だよ ママ似でしょ

ゆあがりの びじょけんだよ ままにでしょ

ひめちゃんは、あまり七海ママに似ていません。

けれど、この間シャンプーやさんに行ってきた後は、やっぱりママに似ていました

足もママの足です

 

やってみると、犬川柳は難しいです。

ベストショットでも、5・7・5の言葉がうまく思い浮かばない

でも、頑張ります

 

 

 

太助の郷から先の国道17号線が気になります。

12月21日、三度目のみなかみ町行きです

三度目なので少し慣れて、赤谷湖畔までノンストップです。

さかさ桜の表示で左折、駐車場があります

高原の湖です

向こうに見えるのは、猿ヶ京の町です

 

さて、さかさ桜はどこに?

駐車場の左手にありました。

でも、元気がなさそうです

説明板があります。

初めての越山の時に、春日山から持ってきた桜の鞭を逆に刺した。

地元では、この桜の咲き具合をみて、その年の作柄を占った。

樹高18.2m、目通り6.2m、根回り11.0mである。

 

大きな大きな桜の木だったのですね。

この説明板が設置された頃は、威容を誇っていたのですね

いまは、本体はほとんど枯れて、一部だけ生き残っているという感じです

 

根元に石造物があります。

馬頭観音かな?

こちらは庚申塔です。

「みざる、きかざる」です。

手前は、首のないお地蔵様かな

合掌

 

説明板の文面からすると、ここは日枝神社の境内だったのです。

日枝神社の方へ歩きます。

さかさ桜の遠景です。

ちょっと寂しいさかさ桜です

 

おや、一瞬牛かなと思いました。

説明板も何もありませんけど、この風景にとても似合ってます

 

バス停があります

懐かしい

バス停・逆桜(さかさざくら)です

ひめちゃんちの桐生市新里町には、バス停はありません

桐生市と合併したときに、バス路線は廃止されてしまったのです

年を取ったら免許返納と単純にはいきません


これから、謙信も詣でたという日枝神社に詣でまーす



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする