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黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

『桐生老談記』あとがき

2025-05-07 19:30:55 | 桐生老談記の世界

昨日の冷たい雨は止んで、晴れました

ひめちゃんは堀之内を西に出て、天神田を歩いてきました。

珍しく、妙義山が見えます。

元ケンくんちの畑付近を歩いて帰ります。

ケンくんちには、新しい子が来ているようです。

 

 

 

『桐生老談記』あとがき


天正十二年、新田金山の合戦ある所に、新田金龍寺と世良田長楽寺、この両僧にて和睦を乞いけるに、早速に御両家御承引ありて、早速和睦あり。北条勢も越後勢も小田原に帰陣あり。同天正十八年、小田原北条氏真公は関白秀𠮷朝臣の為に落城に及びけり。この時に新田上野介国重、北条に御加勢あり。これにより、新田、足利の両家、豊臣朝臣より国替え仰せ付けられ、国重常州牛久へ国替えなり。足利の則長公は常陸水戸城主佐竹佐中将義宣の方に落ち給う。時に渋川相模守源義勝殿は、武州川越城主秋元但馬守殿方へ落ち給う。
扨て、山中久留川城主悪沢能登守、松嶋式部小輔降参の節、新田殿への書面に曰く、「我々両家の儀は、その昔、将軍八幡太郎源之義家公、奥州征伐のみぎり、阿部貞任九州へ流罪を仰せ付けられ、七百三十人にて御供仕り、義家公仰せられけるは、碓氷峠を越えては百人の外供なりがたしと仰せによって、百人供致し、残る者どもは、皆々奥州へ帰り、我らは介便の中次ぎの為にこの地に残り、この谷合いを拝領致し、義家公より御朱印頂戴致し、悪沢と申すは栗谷川次郎の末孫、松嶋と申すは鳥海弥三郎の末裔に御坐候えば、天喜五年(1057)十月上旬より、この所に徘徊致し、桐生の旗下にて桐生殿敗残の後、新田の旗下を願わんこそ、この方無念なりと申し上げられたり。

 



あらすじです。


天正12年(1584)、金山城の攻防戦で、由良家と北条家は、新田金龍寺と世良田長楽寺の仲介で和睦しました。

北条勢も越後勢も小田原に帰りました。


天正18年(1590)、小田原の北条氏真公は、関白秀𠮷朝臣の為に落城させられました。

この時、新田上野介国重は北条に加勢しました。
これにより、国重は常陸国牛久へ国替えとなりました。

足利の則長公は常陸水戸城主佐竹佐中将義宣をたよって落ち延びました。
渋川相模守源義勝殿は武州川越城主秋元但馬守殿方へ落ち延びました。

ところで、久留川城主悪沢能登守は松嶋式部小輔降参の節に、新田殿への書面でいいました。

「我々両家は、その昔、将軍八幡太郎義家公、奥州征伐の時、阿部貞任九州へ流罪となり、730人でお供してきました。碓氷峠のむこうは百人だけにせよということで、百人がお供し、残る者たちはみんな奥州へ帰りました。我らは連絡役としてこの地(黒川谷)に残り、この谷合いを拝領しました。義家公より御朱印いただいてます。悪沢は栗谷川次郎の末孫、松嶋は鳥海弥三郎の末裔ですから、天喜五年(1057)十月上旬より、この黒川谷で生活し、生き残るために桐生の旗下になりましたけど、桐生殿敗残の後は、新田の旗下になることに一切雑念はありません。」と申し上げました。



なんともスッキリしない幕切れです。

天正12年の金山城攻防戦にどうして、越後勢がいて小田原に帰るのでしょうか?
確かに小田原征伐の後、由良氏は牛久に配置転換されましたけど、長尾さんも牛久に行ったはずです。
武将達の名前も、まあ物語ですからいいんでしょうけど、ちょっと現実の方々とは違うことが多いです(´・_・`)

『上州坪弓老談記』では、由良氏と北条氏の和睦の使者として、小田原へ行ったのは、金龍寺(太田市)と長林寺(足利市)です。

長林寺には、足利長尾氏累代の墓があります。


後半なぜか黒川衆の出自について述べられています。
実は、これは嘘であるらしいですね(;゜0゜)


江戸時代に旗本として生き残った阿久沢氏が、幕府に提出した文書では、全く違う出自が記されていたといいます。
黒川衆としてのステイタスを高めるために創作された、壮大なロマンだったようです。

次回全体を見返して、『桐生老談記』を卒業したいと思います(^-^)/

 

 

初稿  2020.05.25  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2025.05.07

 

 

(つづく)

 

 

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