赤城山初冠雪です
ひめちゃんと獅子丸は、岩神沼に着きました。
雪のせいか、いつもはめだつ地蔵岳がはっきり分かりません。
もう少し北に上って、上の沼を廻って帰ります。
ここから見える赤城山は、かなり白いです
左の白いガードレールの向こうは新沼です。
ここからUターンして帰ります。
あ
白鷺(しらさぎ)と鴨(かも)です
朝ご飯中かな?
彼らはまもなく翼を広げて、いつもの芦原に行ってしまいました
赤城山は、しっかりと雪をかぶってます。
鳥たちの競演とでも言うのでしょうか?
たくさんの鳥の姿が見えました
ワープステーション江戸のあと、筑波山神社に向かいます。
車中から見えた筑波山です
右の方に赤い鳥居が見えます
筑波山もみじまつりの旗がはためいていました。
バスは参道下の駐車場に入ってくれました。
神社はすぐと思いきや、こんな看板が目立ちます
山頂にはケーブルカーで行くべきなのかな?
御朱印もらって境内散策して、集合時間になってしまいそう。
ケーブルカーはパスしよう。
行く手に朱塗りのきれいな橋があります。
神様が渡る橋です。
つくば道の碑があります。
筑波山は万葉の昔から神の山と仰がれてきた。近世には江戸城の鬼門を守る祈願所となり、歴代将軍の崇高も厚かった。この道は三代家光の時に参詣道として開設され、往時の信仰の道を今に伝えるものである。
随神門が見えてきます。
狛犬です。
左右で製作年代が違うような印象です。
階段を上がって、随神門です。
左は、倭建命(やまとたけるのみこと)です
東征の途中、筑波山に登拝したんですか
連歌(れんが)は、倭建命に始まるのですね
そう、連歌は「筑波の道」だったですね。
右は、豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)です。
「崇神天皇の皇子で、長く此の地を治めた」とあります。
「下毛君、上野喜美の祖」ともあります
門をくぐると、左に万葉歌碑があります。
そう、ここは歌垣で有名な筑波山でした
付近(境内)の案内図もあります。
万葉歌碑を確認です。
あれ、有名な嬥歌(かがい・歌垣)の歌がない
『万葉集』の筑波山の歌といったら、絶対これだと思うんですけど
(巻9-1759)
鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津の その津の上に 率ひて 未通女壮士の 行き集ひ かがふ嬥歌に 人妻に 我も交らむ 我が妻に 他も言問へ この山を 領く神の 昔より 禁めぬ行事ぞ 今日のみは めぐしもな見そ 言も咎むな
わしのすむ つくばのやまの もはきつの そのつのうえに あともいて おとめおとこの ゆきつどい かがうかがいに ひとづまに われもまじらん わがつまに ひともこととえ このやまを うしわくかみの むかしより いさめぬわざぞ きょうのみは めぐしもなみそ こともとがむな
鷲の住む筑波の山の裳羽服津の、その和泉のほとりに、つれだって女や男が集まり、歌をかけ合う嬥歌で、他人の妻に私も交わろう。わが妻に他人も言葉をかけよ。この山をお治めになる神が、昔から禁じない事だ。今日だけは監視をするな。咎め事もするな。
(テキスト・講談社文庫『万葉集(二)』中西進)
現代のモラルでは、品行方正とは言えないかも知れません。
でも、万葉のおおらかな時代の歌と割り切れば、モラルがどうのという問題ではないように思うのですけど
茂林寺の狸が浴衣を着ているのが、思い出されます。
(つづく)