黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

東北に紫雲が見えた寺(緑野郡鬼石浄法寺)・前編

2020-08-11 16:27:02 | 群馬県・西毛

ひめちゃんと獅子丸は、いつもより早くお散歩にでました。

獅子丸は、なぜかスギナをいっぱいパクつきました。

ごちそうさまです。

日射しは、もう高く強くなってます。

赤城山は、かすかにその姿を現しています。

道の右側が堀之内、左が東柴です。

 

 

赤城山の麓、旧勢多郡新里村(現桐生市新里町)の善昌寺には、なんと新田義貞の首塚があります

お年寄りは、「新田義貞は善昌寺にいかって(埋葬されて)んだ」と、普通に言います

新田郡出身のひめちゃんちのおかあさんには信じられません

 

その善昌寺には、「善昌寺縁起」というものが伝えられています。

それによると、大同元年に、伝教大師最澄の関東布教の先達として、宥海上人(ゆうかいしょうにん)が、上野国緑野郡鬼石浄法寺(みどのぐんおにしじょうほうじ)にやってきました。

そして、そこからはるか東北の方に、毎朝紫雲がたなびくのを見ました

不思議に思ってやって来て、建立したのが善昌寺だというのです

宥海さん、先達のお仕事大丈夫だったのかな?

 

まあ、とにかく善昌寺あたりに紫雲が見えたという、緑野郡鬼石浄法寺に行ってみましょう

県内だし

ナビに従って、あれ坂東大橋だ

橋の途中から埼玉県です

戻るわけにもいかず、上里町・神川町を通って、神流川(かんながわ)を渡り群馬県藤岡市です。

コンビニにも寄らず、おいしそうな梨の直売所も無視してきました。

県境を越えないって難しい

 

まあ、とにかく無事到着です

山門をくぐります。

緑野教寺です。

ここは最初は緑野寺(みどのじ)といったそうですね。

 

本堂を目指します。

あとで左の倒れかかった木が、大切な木であることに気がつきます。

この時は、気がつきませんでした

 

本堂です。

読めませんけど、浄法寺の院号は般若浄土院ということなので、般若浄土院でしょう。

 

こんにちは、はるばる東北の紫雲が見えたとかいう土地から来ました

合掌

 

りっぱな宝篋印塔と鐘楼堂が見えます。

せっかちおじさんは、もう鐘楼堂の方に行ってます。

 

あれ、柱に何かいる

4本の柱みんな龍がいます

 

あれ、天井絵だ

天女がいます

 

鐘も天井絵とコラボしているようです。

 

さて、納経所で御朱印を頂きましょう

鐘楼堂の向こうが東北だと思います。

ここから、40km離れたむこうに紫雲がみえたのですね

 

(つづく)

 

 

 

 

コメント

甘楽紀行・駆け足で小幡城下散策

2020-08-09 21:53:25 | 甘楽紀行

ひめちゃんちの近くの田んぼに、案山子(かかし)が出現しました。

黒ビニールをちぎったカラスも、たくさん出現しています。

雀除けの空砲も、今年初めて発射されました。

獅子丸は、「怖いようと大騒ぎです

 

葛の花も咲き始めました

最近は外来のツル草(?)に追われて、葛もだいぶ少なくなっているようです。

 

 

 

秋畑の天徳寺から、小幡の町に入ります。

織田家七代の墓の表示が目立ちます。

小幡は、織田家七代の城下町でした

織田は、もちろんあの織田信長の子孫です

でも、寄るのは次回にしよう。

 

中小路(なかこうじ)駐車場の表示に従って、駐車です。

他に車はありません。

付近の案内図があります。

メインストリートの右からやって来て、中小路を左折したのです。

とりあえず赤い線をたどって、右に行ってみます。

江戸時代にタイムスリップしたような空間です

 

左の家は高橋家です。

江戸時代の武家屋敷ですね

 

振り返って、武家屋敷です

後ろの学校は小幡小学校です。

左に見える電柱の脇に駐車場があります。

 

また、少し行くとなにやら説明板のあるお宅があります。

庭園は開放されていない雰囲気でした。

まだ紫陽花が咲いてました。

自然の石を使った石垣が目立ちます。

 

また少し行くと、説明板があるお宅です。

 

突き当たりに、また付近の案内図です。

もちろん、右折です。

特に意識したわけではないけれど、赤い囲みの線を歩いてきたようです。

 

なにやら何本も旗めいています

行く手には、名勝楽山園です。

おじさん興奮気味です

歴代藩主の名前の幟(のぼり)が旗めいていたのです。

 

番所という名の受付で。入場料を払います。

時節柄、記名を求められました。

見どころ案内、つまり園内の地図です。

広い

広さを満喫するのは時間がかかりそう

今日は右半分くらいの予定です

 

重厚な質実剛健といった雰囲気の門です。

 

とりあえずかやぶき屋根の長屋に行ってみます。

案内のビデオが上映されていると、番所で聞きました。

織田家の治世について、その時はわかったつもりになりました。

この肖像画がやはり目立ちました

上野国と織田信長は、関係あったのですね

長屋の前には、何故か餅つきをする足軽(?)です。

甲冑を着けての餅つきは、何か縁起かつぎかな?

 

庭園のメインを、少しだけ駆け足で散策です。

やはり、ゆっくりと一服したいものです

 

出口は別の門です。

檜皮葺(ひわだぶき)かな?

 

道なりに、雄川のほとりを歩きます。

三波石かな?

 

まもなく、道の駅甘楽です。

あれえ、密だ

駐車場もいっぱい、店内も人であふれている

 

寄るのを諦めて、中小路を駐車場に戻ります

また、紅葉の季節か桜の季節に来ましょう

今度は、城下町小幡散策をメインにして

また、そのうちに甘楽紀行続けます

 

コメント

甘楽紀行・秋畑の天徳寺

2020-08-07 20:57:26 | 甘楽紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ようとしていました。

後ろから、タバサねーちゃんと小次郎パパが、やって来ます。

タバサねーちゃんが、さっそうとリードです

パパと獅子丸は眼を合わせません。

ひめちゃんは、一生懸命草を食べています。

「ひめ、早く行こうよ

追い越して余裕のふたりは、おやつを要求しています。

 

 

 

常広寺の若和尚の実家は、甘楽郡甘楽町(かんらまち)の天徳寺だそうです。

そして、甘楽七福神の弁財天のお寺だそうです。

甘楽町は、同じ群馬県なのに、まったく未知の土地です。

これは、是非行ってみなくては。

高崎廻りでゆっくり行きます。

甘楽の街中、小幡の城下町は魅力的です。

でも、寄ってしまったら、甘楽の山奥・秋畑の天徳寺まではいけないかも知れない。

とにかく、天徳寺まで行ってしまいましょう

 

だんだん寂しい道になります

でも、川の流れは清い流れです

そのうちに、ちょっと激しい流れになりました。

しばらく行って右折すると、さらに寂しい山道になります。

「10km先通行止め」の表示もあります

まあ10kmより手前のようですから大丈夫でしょう。

 

やっとお寺が見えてきました、ふう

「砂防指定地 赤谷川」の表示です。

天徳寺に行くには、この細い急な坂道を下るしかないようです

十分過ぎるほど気を付けて坂道を下ります。

 

赤谷川に架かる天徳寺橋を渡ります。

深い深い流れです。

 

やっと着きました

常広寺若和尚の実家、天徳寺です

 

苔むした石造物が、お出迎えです

 

苔むしてはいないけれど、素敵な後ろ姿の方です

聖観音です。

ここは曹洞宗のお寺でした。

曹洞宗のお寺には聖観音ですね。

こちらの角度からも素敵です

 

隣には弁財天です

ここは小幡七福神の弁財天の寺なのです。

ふくよかな、聖観音よりちょっとクラシックかな?

 

庫裏に寄ってご挨拶です

庫裏の前には、かわいいニャンコがお出迎えです

御朱印は書き置きでした。

日付がうまく入りませんでした

 

新里の常広寺の檀家であることを告白して、ご本尊を拝ませて頂きます

実は常広寺で、ここは「ご本尊が釈迦如来と阿弥陀如来の二尊であること」を、聞いてきたのです

天徳寺は、最初はもっと山の中にあり臨済宗のお寺であったけれども、現在地に再建するに及んで曹洞宗に改宗したということです。

過去の宗派のご本尊阿弥陀如来も大切に守ってきたのでしょう。

近年、二尊とも解体修理したけれど、何か由緒でもとの期待空しく、胎内からは何も出てこなかったそうです。

釈迦如来と阿弥陀如来の二尊に合掌

 

外に出て、水子地蔵尊にお参りです。

毎年5月5日には、水子会総供養を行っていて、100人くらいの人が集まるということです。

昭和50年代に水子地蔵尊を建立し、水子寺として檀信徒を問わず随時供養をし、地蔵尊は百数十あるそうです。

合掌

 

大げさに言えば、秘境の山寺ですけど、小幡七福神の弁財天があり、水子地蔵尊の供養を行っています。

だから、人々が遠路はるばるとやってくるのでしょう

 

これから長いお付き合いになるであろう、常広寺の若和尚の実家を訪問できました

駐車場の脇に、ヤマユリが咲いています

帰りに、ちょっと小幡の町に寄って行きましょう

 

 

(つづく)

 

 

 

コメント

子どもがいなくなっちゃってねえ(廃校と神梅神社)

2020-08-06 21:22:06 | 群馬県・旧勢多郡

今朝は、獅子丸がどうしても東の牧場の方に行くと道を譲りません。

獅子丸に引かれて、ヤギさんに逢いに行きました。

おはよう、あれ男の子が2名いる

茶色のはヤギパパです。

白いのが今年の春生まれた男の子です。

パパにはあごひげも生えています。

しばらく逢わなかったので、茶色が今年生まれのボクと勘違いしてしまってました

ごめんなさい。

パパとボク、仲よさそうです。

獅子くん・ひめちゃん、おはよう

せっかく立ち上がってくれたのに、きょうだいは無関心を装っています。

ごめんね、今朝は顔を見れただけでいいみたいよ。

またね、バイバイ

 

ヤギさんには無関心だった獅子くん、帰りに猫を見付けてハンター根性満開です

 

 

天海下賜の開運菩薩の御朱印がほしい覚成寺(かくじょうじ)を後にして、すぐ近くにあるはずの神梅神社(かんばいじんじゃ)を目指します。

心細く、細い道を進みます。

ナビは目的地に到着しましたというけれど、それらしい神社は見当たりません

どうしよう

少し行って、おばさんがいます

「こんにちは。あのう、神梅神社に行きたいんですけど。」

「すぐ後ろだよ。」

「ここに、車を置かせてもらっていいですか?」

「坂だから気をつけておきな。」

「ありがとうございます。」

 

左前方に、学校が見えます。

神梅小学校です。

「あそこの学校は、今使ってないんですか?」

「そうなんだよ。子どもがいなくなっちゃってねえ

「あんなにちゃんとした学校なのに、もったいないですね。」

「子どもがいないんだから、しょうがないね

廃校のイメージからはまだちょっと距離がある、現役に近い雰囲気です。

 

さて、教えてもらったように少し戻ります。

奥まった所にある、目立たない鳥居です

さっきは見落としてしまいました。

神梅神社の額は、落ちているだけでなく割れています

でも、階段に手すりが付いてます

登り切って振り返ると、神梅の鎮守の感じです

いくつもの境内社があります。

 

味わいのある山里の雰囲気の社殿です。

社殿脇にも、境内社です。

失礼します。

真新しい幣束です

2礼2拍1礼で参拝です。

さて、社殿の周りを一回り。

けっこう厳しい環境に鎮座しています。

階段を降りて見上げると、やっぱり厳しい環境に鎮座しています。

 

さてこの神社については、説明板等はいっさいありませんでした。

大間々町誌の基礎資料『大間々町の社寺』にあるかな?

ありません。

もしかしたら、上神梅村の最初に記載のある、菅原神社のようです。

梅のイメージの屋根パーツがあったし。

そうすると、天神様ですね。

小学校が廃校になって、ちょっといやかなり寂しい学問の神様です。

 

神梅の地名は、天神様の梅にちなむのかな?

 

神梅は山田郡大間々町を経て、今はみどり市です。

かつては、勢多郡でした。

『上野国郡村誌勢多郡』に、「上野国勢多郡上神梅村」があります。

往古深沢村ト云慶安年間分レテ宿廻村神梅両村トナル寛文十一年神梅村ヲ割テ上下トス而シテ上神梅村ト称ス上組ヲ呼ビテ今猶深沢ト云

 

同書「上野国勢多郡奥沢村」には、神梅村両村ニ接シとあります。

 

奥沢の隣村だったのです

 

 

 

 

コメント

天海下賜の開運菩薩・覚成寺

2020-08-04 21:26:47 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんは獅子丸と、北の方をお散歩してきました。

高縄の集会所を過ぎて、「あれ、きれいなアナベル」と思いきや、ちょっと違うようです。

紫陽花のようで、そうでもなさそうで、とてもきれいでした

 

蕨沢川の源流の沼直前で、進路変更です。

蕨沢川最初の橋、久留美田橋(くるみだはし)を渡ります。

清らかに静かに流れています。

南に進路を取り、今度は巧橋(たくみはし)を渡ります。

おや、橋のたもとの石造物、今朝は文字が見えま

光の加減で、仏の姿があるように見える事もあるのですけど。

今朝は初めてたくさんの文字が見えます

「往生」の文字もあります

 

小学校も夏休みに入って、黄色い帽子の集団には逢わずに無事帰還です

夏休みなので密を避けるためでしょか?

ひめちゃんちから車で5分ほどの、群馬昆虫の森には、「完全予約制」の大きな立て看板がありました

 

 

 

桐生塚の角地蔵に行く途中の県道333号線に、覚成寺(かくじょうじ)の矢印がありました。

後日、改めて訪ねてみました。

駐車場はどうなのかなと思いつつ、境内に駐車です。

自然の湧き水かな?

庫裏にご挨拶しておきましょう。

「こんにちは。御朱印お願いできますか?」

「うちはやってません。」

「それでは、境内を散策させて頂きます。」

「どうぞ。」

 

本堂かな?

唯一の大きなお堂です。

 

説明板があります。

ええ、慈覚大師円仁の創建ですって

徳川家康の守り本尊がどうしてここにあるの

天海僧正御座石って、あの天海が来たの

 

左側を拡大してみます。

現在地より西北の山中ですか

深沢城にもっと近かったんですね。

天海より、黒川衆との関連がありそうだけど

 

家康の守り本尊北辰妙見菩薩の由来もあります

都合で2枚になります。

天海が家康の遺骨を日光に運ぶとき、乞食坊主に身をやつして一夜の宿を求めたのですか

山海の珍味をもってもてなしたのに感激して、家康の守り本尊妙見菩薩を置いていったのですって

 

ぜひ妙見大菩薩の御朱印がほしいですね

 

失礼します

妙見菩薩は、ご本尊の左の厨子の中でしょうか?

合掌

 

さて、子安地蔵です。

 

おや、こんなかわいいお地蔵様も

洗心地蔵尊ですって

「なむじぞうがんのうそん」と唱えながら、お水を3回掛けます

 

境内の石造物は、明治以前、江戸時代の雰囲気です

「6名様かな?」と一回りしましたけど、2名様でした

 

山門をくぐります。

こじんまりといい雰囲気の山門です

あれ、天海僧正の御座石は、何処だったかな?

 

もう一度境内に入って、探します。

ありました。

天海僧正が腰掛けて休んだ石ですね

さっき前を通りました。

めだたなく風景にしっかり埋没していたのです。

さっきは三猿に気を取られていました。

 

ぜひ御朱印がほしい開運の妙見菩薩のお寺でした

さて、近くの神梅神社にも寄っていきましょう

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント