黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

椿の実の熟す時

2019-10-31 22:15:39 | 日記

獅子丸とタバサねーちゃんは、ぬいぐるみをくわえて、ウルカムダンスをします

獅子丸は、7年間養子に行っていました。

だから、タバサねーちゃんを見習ったということはありません。

でも、2人ともちょっとした外出から帰っても、ぬいぐるみをくわえてウルカムダンスをします。

この2人は、ぬいぐるみを解体新書しません

ひめちゃんは、あっという間に解体新書してしまいます。

タバサねーちゃんがくわえているクマさんのぬいぐるみは、本当に長生きです

獅子丸がくわえているのは、実家に帰って買ってもらったものです。

でも、彼のお部屋(サークル)には、養子に行くとき持って行ったクマさんがいます

 

 

 

今日は、ジャングルと化しているガーデンの草むしりをしました

大きな椿の下の雑草を抜いて、絡んだツル草を取って、ふと見上げると見慣れないものがあります。

何だろう?

え、椿の実だ

椿の実って今頃完熟して割れるんだ

この木の花の写真を探しましたけど、見つかりません

たしか赤い小輪だったと思います。

後日咲いたら、晴れ姿もアップします。

 

椿というと、高校時代のある年の合唱コンクールを思い出します。

『万葉集』の椿の歌を歌ったクラスが、あったのです。

 

巨瀬山のつらつら椿つらつらに見つつ思はな巨瀬の春野を(こせやまの・つらつらつばき・つらつらに・みつつしのわな・こせのはるのを) 巻1-54


この歌は、大宝元年(701)の秋9月、持統天皇が文武天皇とともに、紀伊国の白浜温泉に行幸したときに同行した、坂門人足(さかとのひとたり)の詠んだ歌です。

道中の聖なる山・巨瀬山の椿に呼びかけ賛美することで、その加護を受け、旅の安全を願う歌ということです。

そのクラスは、まさにそのように歌ったのです。

輪唱で何度か繰り返したと思います。

 

行幸の9月は旧暦なので、ちょうど今頃の季節になるかもしれません。

もしかしたら、この実の熟する季節は、春とともに生命力みなぎる季節なのかもしれません

もう花芽も成長しつつありますし。

 

椿の女神のパワーをいただきます

ありがとうございます

15実生の札のある椿が、花芽を初めて付けています

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足利紀行総集編・石清水八幡宮もかくや?(菅東山出世稲荷)

2019-10-30 21:01:38 | 足利紀行

ひめちゃんは獅子丸と、朝日の中を蕨沢川源流近くまで行ってきました。

蕨沢川が流れ出してまもなくの、久留美田橋の付近に、大きな豚舎があります。

あれ、フンスで囲ってる

イノシシが侵入するのを防ぐ目的でしょうか?

20年近く歩いていますけど、ここでこんなことが行われるのは初めてです

やはり、コレラ菌を持ったイノシシの侵入を、阻止するという事でしょう。

道の草はまだ濡れていましたけど、ひめちゃんたちは元気に歩いてきます

時々、道の草を食べながら帰ります。

なぜか、獅子丸はスギナをよく食べます

ひめちゃんたちは食べません。

 

 

 

光得寺の東に神社がありました。

(2018年)12月4日、紅葉がきれいです

 

鳥居脇の駐車場からの眺めです。

鳥居の前に回ります。

菅東山出世稲荷とあります。

朱色の鳥居の額は、正一位稲荷大明神です。

 

社号の石柱の脇に「火伏の菅田稲荷(すげたいなり)の話」がありました。

元は菅田稲荷といったのですね。

 

鳥居をくぐります。

光得寺の方向を振り返ります。

 

向こうから、おじさんがやってきます。

「こんにちは。紅葉がきれいですね

「こんにちは。ここの紅葉は石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)のようだよ 今年は風が吹かなかったので、残っているんだよ。」

おじさんは、紅葉が心配で、毎日来ているようでした。

「さっき、樺崎八幡宮も行ってきました。あちらの紅葉も、風が吹かないので、残っているんですね

「この神社も樺崎八幡宮と同じ、足利義兼公の創建です

「ありがとうございます。参拝させていただきます

京都の石清水八幡宮は行ったことがないですけど、きっと紅葉も美しいのでしょう。

 

奥の石の鳥居をくぐります。

さらに奥に、かなりクラシックな木の鳥居が見えます。

石段の中央に手すりがあるのは、ありがたい

 

手すりにつかまりながら、真っ赤な拝殿にたどり着きました

狛犬もちゃんといます。

拝殿前には、狐が狛犬のようにいます。

 

裏に回ると、立派な本殿があります

色彩も、かなり残ってます

 

 

本殿の後ろには、石の鳥居と石祠の社が2社、本殿右前方脇に1社あります。

いろいろな御利益があるのでしょう

 

下を見ると、ずいぶんと登ったようです。

気のせいか、御利益で(?)、心が少し軽くなったように感じられました

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひめちゃんちの早咲き椿コレクション

2019-10-29 14:38:25 | 日記

今朝は今にも泣き出しそうな空でした。

ひめちゃんは獅子丸と、諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。

道ばたに薬師仏がある、いわば薬師の道です。

ひめちゃんの視線の先にいるのは、アオサギでしょう。

さっきから飛行していますけど、うまくカメラに収まってくれません

今朝は途中で、畠中の道を、諏訪神社の方に降りてみました。

以前山上の蓮田があった所に出ました。

蓮田の稲は稲刈りされて、干してありました。

左の奥には、左から右へ川が流れています。

ため池の脇を、音を立てて流れています。

この後、どこを流れるのかよく分かりません。

おそらく地上には見えないけれど、諏訪神社付近で、蕨沢川に合流していると思われます。

昔の地図では、現在の蕨沢川は細い川です。

むしろ、現在は支流となっている川の方が太く描かれています。

稲作を便利にするために、さまざまな努力が払われたのでしょう。

空がパラパラと泣き出しました

早く帰って、朝ご飯にしましょう

 

 

 

ひめちゃんちに、先月から椿が咲き出しました。

今年一番早くに咲いたのは、白西王母(しろせいおうぼ)です。

何の変哲もない白い花なので、名札がないとわかりません。

でも、こんなに早く(9月15日撮影)咲くのは、やはり西王母なのでしょう

 

いわゆる西王母も、この頃咲き出しました。

9月の末には、かなり先進みました。

今は満開(?)です

確か赤西王母もあったはずですけど、まだ咲きません。

 

ミニドッグランの片隅で、初めて咲いた花です。

大輪の西洋椿です。

お名前知れずです。

 

先日草むしりをしていると、「あれ、咲いている

名札も無事で「袖隠(そでかくし)」とあります

武士が好み、袖に隠して持ち帰ったとか。

確かに武士が好みそうな雰囲気があります

 

お名前知れずです。

穏やかな秋の日という感じです。

 

こちらも、お名前知れずです。

悪条件の中、よく咲いてくれました

 

基本的に一重が好きで、一重が多く植わっているはずです。

草むしり頑張ります

いっぱい咲いてね

 

「15実生」と札のある鉢植えの椿に、花芽が付いています

種をまいてから、もう4年も経っているのです

椿は成長が遅いといいますけど。

咲いてくれるといいなあ

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐貫庄・実相寺(じっそうじ)

2019-10-28 16:29:36 | 親鸞ゆかりの旅

ひめちゃんは、タバサねーちゃんと一緒に七海ママの昼散歩に付き合いました。

ママとタバサねーちゃんといっしょだと、一番下の子どもに返れます

 

 

宝福寺の御朱印をいただきに、実相寺を訪れます。

車で5分ほどだったと思います。

駐車場からとにかく庫裏を目指します。

和尚さんも帰っていて、宝福寺と実相寺の御朱印とともに、冷えた御茶の缶もいただきました

気温が上がってきたので、冷たい御茶はありがたかったです。

 

さて本堂に参拝です。

本堂は新しいです。

真言宗なので、ご本尊は不動明王です。

欄間に竜と鳳凰です。

 

「天井を見てください。」と和尚さん。

わー、天井絵です

でもどうして鶴が3羽真ん中にいるのでしょう?

極楽に鶴が導いてくれるという話でしょうか?

ここは「鶴舞う形の群馬県」の鶴の頭の部分です

作者の意匠にそんなことがあったのかも知れません。

この本堂でいろいろのイベントも開かれているという事です。

 

実相寺は、慶長18年(1609)板倉沼で二代将軍徳川秀忠の白鳥狩りが行われるからという理由で、周辺の18軒の農家と供にここに移転させられたそうです。

以来400年白鳥狩りは行われていないそうです。

現在、沼は埋め立てられ、工業団地になっているということです。

実相寺も、それなりの歴史をもったお寺です

 

境内を散策です。

いろいろな羅漢さんです

 

豊作なでカッパとあります。

はじめまして

 

お願い地蔵です。

どんなお願いを聞いてくれるのかな?

 

ペット供養塔です。

さっき庫裏で愛犬の塔婆を見ました。

家族として、人間と同じように菩提を弔うのでしょう。

 

隣に小さいながらも神社が見えます。

愛宕神社でした。

火伏せ・防火の神様ですね。

実相寺も何度か火災に見舞われているようですから、ここに愛宕神社があるのも納得です。

 

 

いただいた御朱印です。

阿遮羅とは不動明王の別称だそうです。

お忙しい中、お付き合いくださってありがとうございました

 

 

これにて、とりあえず「親鸞聖人ゆかりの旅」は終了です

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親鸞聖人の転機・佐貫庄宝福寺

2019-10-27 22:00:13 | 親鸞ゆかりの旅

 

ひめちゃんたちの晩ご飯は、秋刀魚(さんま)ご飯のトッピングがつきました

いつものように刻んだキャベツとドッグフードに、塩なしで焼いた秋刀魚をほぐしてごはんに混ぜた、秋刀魚ご飯がつきました。

1尾を6名で山分けです。

みんな大好きです

今年は、塩を振ってない生秋刀魚がなかなか手にはいりません。

きょうは、クチバシがオレンジの新鮮な秋刀魚と逢えました。

 

 

 

「親鸞聖人ゆかりの旅」のツアーのなかで、佐貫の宝福寺(群馬県板倉町)が「自力本願から他力本願へ回心の転機となった地」であると知りました

佐貫庄(さぬきのしょう)は群馬県です。

ちょっと遠いけど、行ける範囲です。

行ってみよう

国道50号線から太田市内で南下し、国道354号線でひたすら東に向かいます。

 

ナビの指示通りで、ちゃんと到着です

向こうに見えるのは、板倉高校の体育館ですね。

かつての宝福寺は、広大な境内を持っていましたけど、板倉高校に敷地を譲渡し、現在は八分の一の広さになってしまったということです。

 

山門を入って左側に駐車場と墓地があります。

石造物がいっぱいです

左の石柱には、「親鸞聖人直作阿弥陀如来像 聖徳太子尊像 玉日宮像 性信上人(しょうしんしょうにん)古蹟」とあります。

横を見ると、寄進者は江戸日本橋の人です

案内板というか、説明板というかでしょうか?

江戸時代には、親鸞聖人ゆかりの寺、また、東上州観音霊場第一番の寺として、多くの人が訪れた事でしょう

隣のお地蔵様は、穏やかなお顔なのに、ちょっとおいたわしい

 

そばにある大きなお地蔵様はご無事のようです

 

さて、堂宇の方に行ってみましょう。

 

あれ、開いてる

いつもはしっかり閉まっているという話ですけど、開いています

 

本堂で法事があるようです。

境内を散策させていただきまーす

 

門を入って左側に、性信上人坐像のあるお堂です。

たぶん耐火建造物なのでしょう。

性信上人は、親鸞二十四八からのうち第一高弟となります。浄土真宗の開祖親鸞が流罪を解かれ、新潟より関東へ入る際、性信が、道案内を務めたとされています。親鸞が四十二歳、建保二年(1214)のことです。そして親鸞は法福寺(現宝福寺)において、「浄土三部経」を千回唱えようとしますが、読み始めて数日で止め、常陸国(現茨城県)に赴いたということです。

横にも説明板があります。

 

太子堂です。

そういえば、宝福寺の開基は聖徳太子だそうです

 

隣に同じような建物があります。

「本尊佛如意輪観音像」とあります。

そういえば、ここは東上州観音霊場の一番札所でした

 

鐘楼堂です。

シンプルイズベストです

 

門の付近に石造物がいくつかあります。

その中でこの方が目立ちました

やさしそうな青面金剛です。

踏み有蹴られている邪鬼も丸顔でかわいい

見ざる、聞かざる、言わざるもはっきりわかります

 

 

法事が終わって、墓地の方に移動するようです。

和尚さんも出てきました

「あのう、御朱印はいただけますか?」

「今は用意がしてないので、向こうの寺まで 来てください。」

「はい、うかがいます。」

実は宝福寺は現在無住で、近くの実相寺で兼務しているそうです。

 

後ほど実相寺でいただいた御朱印です。

閉まっていると思っていた境内が、開いていて、散策できました

現在兼務している実相寺も、親鸞聖人ゆかりの寺になりますね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする