黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

日光裏街道総集編42(師走のわたらせ渓谷鉄道・上神梅駅)

2024-01-14 22:33:44 | 日光裏街道総集編

昨日の天気予報には、雪マークも出ましたけど、結局降ったのは雨でした

懐かしい雪の朝の写真が出てきました

 

七海ママ、初めての冬です。

ピチピチギャルのナナちゃんです

 

ひめちゃん、2歳の冬です。

もう10年も前になります。

ママといっぱい遊んだね

ママも、まだはつらつとしていました

近所の雄犬たちには、ひめちゃんよりママの方がもてました。

 

 

 

(2020年)12月27日、高泉の巨大な宝篋印塔を確認した後、県道333号線(日光裏街道)を東に走り、上神梅に出ました。

92が上神梅(かみかんばい)駅です。

 

つづら折りのカーブをなんとかクリアーして、神梅小学校が見えてきました

子どもがいなくなって、現在は廃校だそうですね

左奥にある神梅神社、覚成寺も行きました

 

 

国道122号線に出て、上神梅駅に初めて寄ってみます。

わたらせ渓谷鉄道は、しばらく前に、大間々駅から足尾まで乗ったことがあります。

大間々の次の駅が上神梅だったのですね。

 

「関東ふれあいの道」の案内図です。

 

なんともノスタルジックな駅舎です

無人駅ですね。

解放されているようです

まだ、大きなクリスマスツリーがあります

 

ちょっと失礼して、改札を通過してみます。

改札を出て、ホームを見学です。

 

下り、足尾方面です。

 

上り大間々方面です。

 

改めて改札付近です。

かわいい

夜は、ライトアップされるのでしょう

誰もいないのに、きれいに整理整頓され、プランターにも苗が植わっていました

地域の人の協力もあるのでしょう。

 

寒い日が続きました。

プランターの植物は元気かな?

 

 

一昨年秋、トロッコ列車・わっしー号で、足尾銅山観光に行ってきました。

昨年も行こうとしましたけど、トロッコ券が取れませんでした。

人々の移動が多くなってきたようです。

早めにゲットする必要が出てきました。

 

初出  2021.1.16   カテゴリー 日光裏街道 師走のわたらせ渓谷鉄道・上神梅駅

改稿  2024.1.14

 

日光裏街道は、神梅で銅山街道に合流します。

旅人はまだ日光目指して歩いていますけど、あとは銅山街道としての総集編が良さそうです

日光裏街道総集編、ひとまずはこのへんで

 

 

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日光裏街道総集編41(子どもがいなくなっちゃってねえ・神梅小学校と神梅神社)

2024-01-07 20:01:29 | 日光裏街道総集編

寒い寒い1日でした

でも、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、膳城趾公園に車でお出かけしてきました

獅子丸がいた頃は、何度もみんなで朝散歩で足を延ばしました。

この元記事のころ(2020年8月)、元気なきょうだいのアーカイブです。

 

 

小次郎パパとの関係は微妙でした

 

 

 

 

 

天海下賜の開運菩薩の御朱印がほしい覚成寺(かくじょうじ)を後にして、すぐ近くにあるはずの神梅神社(かんばいじんじゃ)を目指します。

91覚成寺の少し上(北)になります。

 

心細く、細い道を進みます。

ナビは目的地に到着しましたというけれど、それらしい神社は見当たりません

どうしよう

少し行って、おばさんがいます

「こんにちは あのう、神梅神社に行きたいんですけど。」

「すぐ後ろだよ。」

「ここに、車を置かせてもらっていいですか?」

「坂だから気をつけて置きな。」

「ありがとうございます

 

左前方に、学校が見えます。

神梅小学校です。

「あそこの学校は、今使ってないんですか?」

「そうなんだよ。子どもがいなくなっちゃってねえ

「あんなにちゃんとした学校なのに、もったいないですね。」

「子どもがいないんだから、しょうがないね

廃校のイメージからはまだちょっと距離がある、現役に近い雰囲気です。

 

さて、教えてもらったように少し戻ります。

 

奥まった所にある、目立たない鳥居です

さっきは見落としてしまいました。

神梅神社の額は、落ちているだけでなく割れています

でも、階段に手すりが付いてます

 

登り切って振り返ると、神梅の鎮守の感じです

いくつもの境内社があります。

 

味わいのある山里の雰囲気の社殿です。

中には本殿かな

失礼します

真新しい幣束です

2礼2拍1礼です

 

さて、社殿の周りを一回り。

けっこう厳しい環境に鎮座しています

 

階段を降りて見上げると、やっぱり厳しい環境に鎮座しています

 

さてこの神社については、説明板等はいっさいありませんでした。

大間々町誌の基礎資料『大間々町の社寺』にあるかな?

ありません

もしかしたら、上神梅村の最初に記載のある、菅原神社のようです

梅のイメージの屋根パーツがあったし。

そうすると、天神様ですね。

小学校が廃校になって、ちょっといやかなり寂しい学問の神様です。

 

神梅の地名は、天神様の梅にちなむのかな?

 

神梅は山田郡大間々町を経て、今はみどり市です。

かつては、勢多郡でした。

『上野国郡村誌勢多郡』に、「上野国勢多郡上神梅村」があります。

往古深沢村ト云慶安年間分レテ宿廻村神梅両村トナル寛文十一年神梅村ヲ割テ上下トス而シテ上神梅村ト称ス上組ヲ呼ビテ今猶深沢ト云

 

同書「上野国勢多郡奥沢村」には、神梅村両村ニ接シとあります。

 

奥沢の隣村だったのです

 

 

初出 2020.08.06  カテゴリー群馬県・旧勢多郡 子どもがいなくなっちゃってねえ(廃校と神梅神社)

改稿 2020.08.06

 

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日光裏街道総集編40(天海下賜の開運菩薩・覚成寺)

2024-01-02 19:18:57 | 日光裏街道総集編

明けましておめでとうございます

寒い日が続いていますけど、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、元気にお散歩しています。

ひめちゃんは、今年の2月で、12歳になります。

タバサねーちゃんは現在15歳半、7月にお誕生日が来たら16歳です。

昼間は、テラスのお部屋で、湯たんぽを入れてもらって過ごします

夕方のお散歩の後は、おうちに入れてもらって、室内犬です

今年もよろしくお願いします

 

 

 

 

桐生塚の角地蔵に行く途中の県道333号線に、覚成寺(かくじょうじ)の矢印がありました。

91が覚成寺です

現在このあたりは「みどり市」ですけど、かつては「勢多郡神梅村」でした。

 

後日(2020年8月)、改めて訪ねてみました。

駐車場はどうなのかなと思いつつ、境内に駐車です。

自然の湧き水かな?

庫裏にご挨拶しておきましょう

「こんにちは 御朱印お願いできますか?」

「うちはやってません。」

「それでは、境内を散策させて頂きます

「どうぞ

 

 

本堂かな?

唯一の大きなお堂です。

 

説明板があります。

ええ、慈覚大師円仁の創建ですって

徳川家康の守り本尊がどうしてここにあるの

天海僧正御座石って、あの天海が来たの

 

左側を拡大してみます。

現在地より西北の山中ですか

天海より、黒川衆との関連がありそうだけど

 

家康の守り本尊北辰妙見菩薩の由来もあります。

都合で2枚になります。

 

天海が家康の遺骨を日光に運ぶとき、乞食坊主に身をやつして一夜の宿を求めたのですか

山海の珍味をもってもてなしたのに感激して、家康の守り本尊妙見菩薩を置いていったのですって

 

ぜひ妙見大菩薩の御朱印がほしいですね

 

失礼します

妙見菩薩は、ご本尊の左の厨子の中でしょうか?

合掌

 

 

さて、子安地蔵です。

合掌

 

おや、こんなかわいいお地蔵様も

洗心地蔵尊ですって

「なむじぞうがんのうそん」と唱えながら、お水を3回掛けます

 

 

境内の石造物は、明治以前、江戸時代の雰囲気です

「6名様かな?」と一回りしましたけど、2名様でした

 

 

山門をくぐります。

こじんまりといい雰囲気の山門です

あれ、天海僧正の御座石は、何処だったかな

 

もう一度境内に入って、探します。

ありました

天海僧正が腰掛けて休んだ石ですね

さっき前を通りました。

めだたなく風景にしっかり埋没していたのです。

さっきは三猿に気を取られていました。

 

ぜひ御朱印がほしい開運の妙見菩薩のお寺でした

さて、近くの神梅神社にも寄っていきましょう

 

 

初出 2020.08.04  カテゴリー 群馬県・旧勢多郡  天海下賜の開運菩薩・覚成寺

改稿 2024.01.02

 

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日光裏街道総集編39(奥沢東昌寺の謎3・桐生塚の怪異)

2023-12-30 13:50:53 | 日光裏街道総集編

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、諏訪神社のあたりを歩いてきました。

今朝は浅間山も、雪は溶けているようです。

 

 

奥沢東昌寺は、黒保根村の正円寺の隠居寺でした。

明治の時代まで実際に隠居して住んだと言うことです。

途中にある角地蔵(みどり市)も、正円寺と深い関わりがあります。

上の卍が正円寺、96番が角地蔵だと思われます。

 

さて、今日(2020.04.16)は2018年9月24日に行った、深沢の角地蔵縁日の記事をリメイクする予定でした。

ところが、直に対面した角地蔵さんのお写真がないのです

パソコンにはもちろん、カメラに入れていたSDカードにもありません

この日の朝、6:16にひめちゃんが、ミニドッグランから大脱走する瞬間が撮影されています。

ひめちゃん、貪欲な食欲だけど、その後もスリムな体型を維持してます

今でも、飛び出す危険はあります

けれども、ひめちゃんは、居間のガラス戸を開けておくと、飛び込みます。

おうちの中が大好きなのです。

 

その後残っている画像の記録時間は、15:18、帰りがけに寄った円空仏の寺・禅桂寺です。

画像ナンバーからすると、11枚抜けています

yahooブログの記録では、直に拝んだ角地蔵とその周辺の風景がアップされています。(この記事は元々は、yahooブログの記事です。)

そんなバナナ

まさか、桐生塚(千人塚)の怪奇現象

正円寺28世さんが、成仏できない桐生家の家臣達の鬼火を見て、鎮魂のために建立したという角地蔵です。

角地蔵は、ネット上に生のお姿をさらしたくないのかもしれません

 

そんなわけで、角地蔵縁日の話は、画像なしです

でも、2018年9月1日と2020年1月13日に行ってますので、縁日の話の後に角地蔵(堂)の画像アップします

 

 

(2018年)9月24日は、深沢の角地蔵の縁日です。

深沢城城趾にある、正円寺の和尚さんもみえるということでした。

到着が午後になってしまったので、残念ながら和尚さんはおかえりになった後でした

でも、元気なおばさん達が出迎えてくれました

「こんにちは

「靴を脱いでどうぞ

「失礼します。」

本体に直接対面です

下半身も大きいです

体に比べてお顔が小さいです

やはり顔のサイズを間違えて、石工(いしく)が逃げたのだと思われます

 

子どもがほしい時は、お米を包んであげるのだろそうです

授かった話も聞かせてもらいました

もう子どもがほしい歳でもないけど、まあ、とにかく合掌

 

近所のおばさん達が、手作りのお惣菜を持ってきて、お茶を入れてくれています

なつかしい日本のお惣菜です

そのなかに、どうしてもなんだかわからないおいしい佃煮がありました

「おいしいです

「なんだかわかるかい?」

「いいえ、わかりません

「ゴーヤだよ。」

「え、全然苦みないですよおいしいです

あるおばさんが、「レシピ教わっておいた方がいいよ。」と、言ってくれました

 

貴重なレシピを教えてもらいました

 

材料 ゴーヤ1kg、 沖縄黒糖300g、 醤油150g、 削り節30g、 

           酢100cc、 じゃこ少々

作り方 ① ゴーヤは縦半分に切り、種を取り、1mmくらいの薄切りにする。

    ② ①を煮え立った湯に入れてゆがく。かなりしっかり火を通す。

    ③ ②が冷めたら、しっかりしぼり、レシピの煮汁で煮る。

ありがとうございます

作ってみます

 

それからもう一度角地蔵にご挨拶して、外の石仏のみなさんにもご挨拶して帰りました。

 

 

9月1日の、ガラス越の角地蔵です。

 

2020年の1月13日に訪問したときの画像です

向かって右の不動明王と、左の赤いおがけの奪衣婆(だつえば)が目立ちます。

あれ、説明板が曲がってる

ロウバイの花の芽が膨らんでいました

さて、石仏の皆様にご挨拶です。

 

後ろの森の向こうは、深沢城でしょうか?

この不動明王は、なんとなく角地蔵に似ています

地獄で衣を脱がせて生前の罪を測るという奪衣婆、なぜここにあるのでしょう?

奪衣婆の脇を道なりにいくと、銅山街道の深沢宿です。

一般的には、国道122号線が、足尾の銅を運んだ銅山街道といわれます。

本当の銅山街道は、もっと山の中を通っていたのです

 

 

 

 

初出   2020.04.16   カテゴリー 旧勢多郡とその周辺  桐生塚の怪異(角地蔵とゴーヤ)

改稿   2023.12.30

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日光裏街道総集編38(奥沢東昌寺の謎2・角地蔵と正円寺)

2023-12-25 19:32:35 | 日光裏街道総集編

寒い寒い朝でした

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、天神田を歩いてきました

どの田んぼにも、真っ白な霜が降りていました。

 

この元記事のころ、2020年の4月、獅子丸には実家に帰ってから、初めての春でした

きょうだいのひめちゃんやタバサねーちゃんと、楽しくお散歩していました

時には、七海ママのそこらまでのちい散歩にも付き合いました。

7年間養子に行っていても、獅子丸は、ママを忘れていなかった

ママも、我が子を忘れていなかった

犬は人間が考える以上に、しっかりした記憶と感情を持っています

 

 

 

日光裏街道は、やがて足尾からの銅山街道に合流します。

銅山街道は、国道122号線と言われますけど、本来の銅山街道はもう少し西の山中を通っていたとか。

奥沢の東の方を通っていたそうです

この記事は、本来は番外編になりそうですけど、「奥沢・東昌寺の謎」と言うことで、日光裏街道総集編にも含めます

 

(2018年9月1日)

東昌寺の本寺・正円寺をめざして、国道122号線を北上します。

途中、深沢の角地蔵に寄りました。

国道に表示はなかったと思いますが、曲がるところを間違えなければ、道なりに着きます。

説明板もあります。

そうなんですか

高山彦九郎も来ていたんですね

 

お堂は閉まっていて、角地蔵は拝めません。

ガラス戸越に、カメラで捕らえたお姿です。

確かに顔が四角です

残念ですけど、ガラス越の参拝だけで、正円寺に向かいます。

 

 

ここは深沢城の一角だったということです。

 

和尚さんによると、東昌寺は正円寺の隠居寺だったとのことです

昔、銅山街道はもっと山の中を通っていて、奥沢の近くを通っていたんだそうです

奥沢は行き交う人々で賑わっていたのだそうです

明治の初めまで東昌寺に隠居して、実際に住んでいたそうです。

近年は無住で荒れ果てていたのを、5年前にこちらの和尚さんが手をいれたのだそうです。

 

東昌寺のご本尊は子安観音で、源義家が奥州征伐に行くとき、戦勝祈願して置いて行ったという伝承があるそうです

60年に1度、ご開帳しているそうです。

次回のご開帳は、当分先になりそうです。

 

 

境内を少し散策です。

珍しい青面金剛です

 

深沢城というと、やはり黒川衆の阿久沢氏です。

阿久沢氏累代の墓があります

説明板が古すぎるのが残念です

ここは、黒保根、桐生市黒保根町です。

桐生市には、合併した村々の史跡も大事にしてほしいものです

 

 

深沢城趾の方にまわります。

説明板の劣化がすごい

 

ここらへんから、桐生家の成仏できない戦死者の鬼火が見えたのでしょうか?

それで、正円寺28世の盈仙(えいせん)和尚が、角地蔵を建立することになったと聞きました。

角地蔵は、体に比べて顔が小さいように思えました。

角地蔵のあるところは現在みどり市で、説明板も新しくきれいになってました

正円寺の和尚さんも、「顔のサイズを間違えたのでは」との説です。

 

 

9月24日は角地蔵の縁日だそうです。

また、24日に伺います

 

 

追伸

9月24日、角地蔵の縁日に行きました

おいしいゴーヤの佃煮のレシピも教わりました。

次回「角地蔵とゴーヤの佃煮」です

 

(つづく)

 

 

 

初出  2020.04.15 角地蔵と正円寺(奥沢・東昌寺の謎2)カテゴリー旧勢多郡とその周辺・総集編

改稿  2023.12.25

 

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