黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

天空の城・沼田城跡

2020-07-31 22:15:41 | 北毛紀行

午後は晴れました

ひめちゃんは小次郎パパと、夕方のお散歩に出ました。

昨日と違って、怪獣ひめゴンが出現するほどの日射しです

タバサねーちゃんと獅子丸も、元気にやって来ます。

晴れて良かったね

 

 

榛名神社から沼田城跡までは、すぐでした。

ナビに従って到着です。

天空の城下町ですか

 

まず観光案内所でたくさんのパンフレットをゲットして、少しのお土産を買います。

おまけで、登城記念の登城印をもらいました。

実は、たくさんの種類の登城印も売っていました。

期間限定のもありました。

何種類も買い求めている人がいます。

そういう時代になったのですね

いくつかの名城に行ってますけど、まだそういう物にお目にかかっていません。

また、新たな気持ちで登城してみましょう

 

さて、観光案内所でもらった城内案内を見ながら、平八石を目指します。

一番遠いスポットと言ってもいいようです。

 

おや、どなたでしょう?

名胡桃城でもお目にかかった気がします。

 

向こうに石像が見えます。

 

平八石の矢印があります。

向こうには鐘楼が見えます。

この二人には名胡桃城で会いました。

あの石像もこの二人かな?

ちょっと寄り道です。

 

やはりそうでした。

真田信之像&小松姫像とあります。

 

さて、鐘楼堂の方へ行きます。

旧沼田町役場で、時を告げていたんですね。

 

付近に沼田城の年表があります。

沼田氏の時代があって、北条氏の支配もあって、真田氏に支配され、天正9年(1581)沼田平八郎が沼田城奪還にやって来て謀殺されたのです。

昔、題名も作者も忘れましたけど、沼田氏の滅亡を描いた小説を読みました。

沼田万鬼斎が、平八郎の母に出会う場面から始まって、沼田城の城門で平八郎が謀殺される迄を描いていました。

沼田城って、どんな所だろう?

ズーッと気にかかっていました。

平八郎は、お隣の旧粕川村女淵城にもいたとか、よけい気になります。

 

振り返ると、オミナエシが満開です。

なんとなく救われるような気分、いいですね

 

鐘楼堂の廻りを廻って、平八石の方へ歩きます。

桜の季節は、きっとすてきな情景でしょう。

 

やっと辿り着きました。

でも、平八郎さんちょっと悲しい

刀を抜こうとしている敵に見張られてる

意図的か偶然かわかりませんけど。

ちょっと気になる情景です

小沢城に沼田大明神として祀られても。

まあとにかく合掌

 

この先は、ビュースポットです。

説明写真付きです。

画面の中央辺りに名胡桃城があります。

あそこらへんは記憶にあります

 

小沢城はあそこですか。

首が飛んでいきそうです。

合掌

 

さて、天狗堂にお参りして、帰りましょう。

天狗の寺・迦葉山は沼田市だったですね。

 

見所がまだまだありますけれど、ひめちゃんたちが待ってます。

きょうは、ここら辺で退却です。

また、そのうちに登城します

 

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夏祓と面美様(めめよしさま)の沼田榛名神社

2020-07-30 21:35:46 | 北毛紀行

午後晴れました

夕方は雲ってきましたけど、雨の心配はなさそうです。

ひめちゃんと小次郎パパは、南の方にお散歩しました。

ピンクのリコリスが咲き始めています

季節は確実に移っているようです。

久しぶりに、南コースの一番南、小学校のあたりまで行ってきました

 

 

 

沼田はよく通りますけど、沼田城へは行ったことがありません。

そうだ、思い切って、行ってみよう

24日に出掛けてみました。

もう少しで沼田城というところで、真っ赤な大鳥居が招いています

榛名神社とあります。

ええ、沼田にも榛名神社があったの

ちょっと寄り道です

現代的なかわいい狛犬です。

 

大きな輪があります

説明板を見ながらくぐっている人がいます。

夏越の祓(なつごしのはらえ)とあります。

本当に茅(ちがや)で作られた輪のようです

この半年の汚れを祓い、残りの半年の疫病よけを祈願する行事です

今の時節に、ぴったりです

 

指示通りにくぐって、拝殿に参拝です。

天井絵もあります。

本殿の説明板があります。

本殿は元々は、沼田万鬼斎顕泰(ぬまたばんきさいあきやす)が建立したものだとあります。

沼田には沼田氏がいたのですね

 

さて、隣の社務所で御朱印をお願いして、御朱印帳を預けます。

少し境内の散策です。

 

拝殿脇に鳥居があります

大国大神とあります。

大黒様のお宮です。

 

隣には石造物がいっぱいです。

余り見かけない形の石宮様です。

 

おや、こちらも珍しい

かわいい狛犬に守られたこの方は、面美様(めめよしさま)です。

説明板もあったのですけど、写真がちょっとボケボケです。

御朱印を頂いたときの案内で確認です。

御祭神の姿を八百年位前に彫ったとの説も。珍しい線彫りの像。顔の部分を撫でた手で自分の顔を撫でると美人になるといわれている。

そうなんですか、ちょっと遅かった

 

ここは裏通りのような感じですけど、実は大変なパワースポットです

 

さっき御朱印をお願いしたときに、何種類かあって面美様もありました

今度来たときは面美様もお願いしましょう

 

裏から見る本殿も鮮やかです

 

本殿の周りを一回りして戻ります。

この日は祝日でした。

久しぶりに、生き生きした神社に参拝できました

 

御朱印をいただきます。

この次は、面美様のもいただきましょう

 

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龍と元三大師がお出迎え(威徳山真光寺・その3)

2020-07-28 15:42:55 | 北毛紀行

ひめちゃんは、小次郎パパと、堀之内の北の方を廻ってきました。

赤城山は、わずかにその姿を見せていました

(ひめちゃんが勝手に思っている)ライバルのミーナちゃんちの、サルスベリが満開です

ひめちゃんちでは、遅咲きのヘメリカリスがまだ咲いています。

今年は何故か、大きなカエルは見当たりません

 

 

 

閻魔堂の隣に、得蓮大徳の入定石があります。

生きながら棺に入って往生するとは、極楽往生を本当に信じていなければできないことです

 

 

 

隣は観音堂です。

残念ながら、しっかり施錠されていて、ガラス越しの参拝です。

思ったより小さめです。

今の世の中では、施錠の必要がありますね。

でも、かつては真光寺のメインの参拝所だったのでしょう。

御朱印は、この百体観音です

板東三十三ヶ寺+西国三十三ヶ寺+秩父三十四ヶ寺の観音様がおいでなのですね。

とにかく、合掌

 

 

後ろを振り返ると、赤門の前に仁王像です。

紫陽花と仁王様のコラボもいいですね

 

 

南に下ります。

「壱銭職の聖徳太子塔」の説明板があります。

安政三年(1858)、当時壱銭職と呼ばれた百名ほどの髪結床の人達が、諸職の神である聖徳太子を祭った塔である。

石工は、高遠石工(たかとういしく)です

当時髪結の料金は、壱銭だったんですね。

 

そばには、聖徳太子堂です。

少し離れると、太子堂はけっこうりっぱな建物です。

たくさんの職人達の信仰を集めたことでしょう。

 

 

おや、また門があります。

今度は黒門です。

門を出て、入りなおしましょう。

 

あれ、元三大師がお出迎えです

文字塔ですけど、紫陽花とのコラボが素敵です

 

参道の両側に、石造物がいっぱいです。

赤ちゃんを抱いたお地蔵様です

 

門をくぐります。

ふと上を見ると、天井絵です。

龍ですね

 

黒門は、龍と元三大師でお出迎えです

 

 

さて、そろそろ退散しましょう。

駐車場に向かいます。

 

あれ、灯籠だけど、考える人?

 

あれ、どこかでみた言葉です。

ひとつのことでもなかなか思うようにならぬものです。だからわたしはひとつのことを一生けんめいやっているのです。

足利の相田みつをさんのことばですね。

心和んで、ひめちゃんたちの待ってる「むーはうす」に帰ります

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高野長英を匿った木暮足翁の墓(威徳山真光寺・その2)

2020-07-27 21:12:00 | 北毛紀行

晴れるでもなく、でも一応雨の心配のない朝でした。

堀之内を北に出ようとしましたけど、ひめちゃんはどうしても西に行くと主張します。

案の定、黄色い帽子の集団と遭遇です

小学校は本来ならば、もう夏休みのはずですけど、コロナの影響で今年はまだのようです。

震えながら、通り過ぎるのを待ちます

結局、南に下り庚申塚古墳を通って帰ります。

赤城山は、その姿を雲の間から覗かせているという感じです。

ひめちゃんは、双体道祖神の前で、道草を食います。

ひめちゃんの願いは、早く夏休みになって

 

 

 

紫陽花の寺・真光寺、奥に進みます

石造物がいっぱいです。

その中に、説明板のあるお地蔵様がありました。

一つの石でできたお地蔵様です。

全体の高さは150センチとあります。

そういわれれば、そのくらいかな。

ここは、万日堂北側墓地というのですね。

 

 

万日堂北側墓地にもう一基説明板付きの石がありました。

木暮足翁(こぐれそくおう)の墓です。

説明板をみてビックリです。

医学は、あの華岡青洲(はなおかせいしゅう)に学んだんですか

『華岡青洲の妻』、読みました

華岡青洲は、日本で(世界で)最初に全身麻酔を用いた手術を成功させた人ですね。

紀州まで行ってきたんですね

天然痘の予防接種までしていたんですか

 

高野長英に蘭学を学んだのですね

いろいろ検索していると、足翁は脱獄後の高野長英を匿ったとも伝えられているそうです

高野長英は、水沢藩(岩手県水沢市)の人で、水沢にいる母を頼って落ちていくときに寄ったとか、寄らなかったとか。

大学時代の友人に水沢の人がいました。

とても誇り高い人でした。

何となく彼女の人格に今納得です

説明板の向きが正面だと思うのですけど?

反対側に、お供え物がありました

仰々しくない人柄の表れた墓石なのでしょう

 

 

それでは、万日堂に参拝です。

県内でも有数の古い寺院建築ですか

確かに装飾性豊かな建造物ですね。

個性豊かな霊獣たちです

来世の極楽往生を願う民衆の信仰を集めたんですね

 

 

万日堂の隣は洪鐘(梵鐘)堂です。

第二次大戦中に、供出を免れたんですね。

音色を聞きたいものです。

 

更に奥は墓地だけなので、東の石造物や堂宇の方に向かいます。

 

 

現代的な、でも美しい聖観音です

おや、お隣のお地蔵様も変わった表情の方です

 

 

その後ろは、石灯籠のようです。

でもよく見ると、中腹にお地蔵様がいます

朱の後が残ってます。

真っ赤に塗られていたのかな

 

 

後ろを向くと、こちらにもお堂があります。

失礼します。

閻魔大王がおいででした。

閻魔堂だったんですね、合掌

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

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元三大師がお出迎え(威徳山真光寺・前編)

2020-07-26 21:17:07 | 北毛紀行

ひめちゃんたちは、お散歩の途中でご褒美を要求することがあります

ずーっと以前は、ビーフジャーキーという名のおやつをあげていました。

最近は、ドッグフードのシニア用を一握り持って行きます。

量や質ではなく、コンタクトを求めているのです

「あたち、うまく○○○ができたよ

「はい、いい子でできたね

 

ひめちゃんたちが、よく草を食べる所に、気になる石があります。

うまくひめちゃんたちと一緒に映ってくれないのですけど

何かを囲っているようにいくつもあります。

ここは葛塚城堀之内です。

塚がいくつもあったはずです。

どうも石室の跡のような?

 

 

 

先日、渋川の威徳山真光寺に行ってきました。

赤城南面の国道353号線をひたすら行き、溝呂木から渋川市内を目指します。

ナビに従って、迷うことなく到着です。

 

駐車場には、立派な薬師如来です

 

 

道を渡って境内に入ります。

おや、元三大師(がんざんだいし)のお出迎えです

元三大師お出迎えの寺は初めてです

普通に見ると、ギョッとする方ですけど、厄除け大師として知られる方だそうです。

 

ウィキペディアによると、

良源(りょうげん、延喜12年9月3日ー永観3年1月3日)は、天台宗の僧。諡は慈恵大師(じえだいし)。一般には通称の元三大師出知られる。また、中世以降は民間において「厄除け大師」など独特の信仰を集め今日に至る。

 

新里の安養寺では、和尚さんが手書きの新聞を時折発行しています。

以前は、元三大師のお札を一緒に配っていたそうです。

ある時、「気持ち悪いから入れないで」と言われたそうです

まあ、気持ちよくは見えないかも知れませんけど。

時節柄、もっと注目されてもいい方のようですね

合掌

 

 

本堂の方に向かいます。

あれ、かわいい

 

 

りっぱな本堂です。

さりげなく、鉢植えの蓮の花があります。

威徳山の山号が見えます。

重厚な向拝です。

やはり柱が4本必要です。

 

 

振り返ると、さすが紫陽花の寺・真光寺です

 

 

本堂前には、説明板があります。

涅槃図のご開帳は、2月15日の涅槃会にご開帳ですね。

狛犬は公開はあるのかな?

 

 

本堂隣の庫裏に寄って、御朱印をお願いしてみます

カエルの置物があります

訪問者が無事帰る?

 

「こんにちは 御朱印お願いできますか?」

「はい、お待ちください。」

和尚さんに御朱印帳を渡してお願いします。

 

その間、付近をジロジロです。

鯱(しゃち)がいる

ずいぶんと凝ってる

 

いただいた御朱印です。

「あのう、おいくらでしょうか?」

「いいんですよ。」

「えッ そうですか、ありがとうございます。それでは、境内をもう少し散策させて頂きます

「どうぞ。」

 

 

本堂の向こうに鳥居が見えます。

行ってみましょう。

橋があります

渡れます

橋の向こうに祠があります。

どなたかおいでです

琵琶を持ってる

弁天様です

しゃがんで静かに手を合わせます

池の縁に、由来がありました。

よく見えないところもあります

でも、大体の内容は、

「東京在住の岸静一さんに夢のお告げがあって、天女の祠を真光寺の勝池に移して祀り、巨益を得ることができた。」というらしいです。

大金持ちの岸静一さん、わかりません。

有名な岸静一さんは、慶応3年(1867)うまれ、日本のスポーツ界の国際化に尽力した人だそうです。

たぶん、別人?

御朱印と一緒に頂いたパンフレットには、まったく記述がありません

 

パンフレット由来には、

威徳山無量寿院真光寺は天台宗比叡山延暦寺に属し、平安時代初めに慈覚大師によって草創されたと伝えられています。鎌倉時代の中頃、長尾氏が白井城主に任ぜられた際に、祈願所として阿弥陀堂を建立。ついで室町時代には比叡山の僧・叡海法印が住し、この地方の宗教文化の中心となっていきました。(後略)

ここは、慈覚大師草創の伝承があるのです

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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