雑誌の旧号を集めて、創刊号から揃えるまでに至ったことはありません。
次第に興味が薄れてきたり、面白味の少ない号が続いたりすると、興味が湧いた号だけ買えばいいやと思ったり、好きな作家の作品が掲載されている号だけでいいやと思い始めると、中途半端になっていきます。
新刊書店で出合って定期購読するようになり、さかのぼって創刊号から集め始めた雑誌に「季刊銀花」「版画藝術」「SFマガジン」などがありますが、どれも途中で集めるのを諦めてしまいました。
作品の初出誌を集めるというのも、星新一氏のように作品が多い作家は、とても集めきれないとすぐに挫折しました。ご本人に教えてもらわない限り、企業誌に書いたもの、匿名で書いたものまで、とても集めきれるものではありません。だからといって、著作だったら集められるだろうと思っても、市販されなかった著作もあるので意外にむずかしいのです。
そんな言い訳はさておいて、今日は数多く世に送り出されている「本に関する定期刊行物」について書いてみることにします。
書評が好きというわけではなく、今でいえば「本の雑誌」(本の雑誌社)のように「本の周辺の事」まで含めたものが好みなのです。
「本の雑誌」は手元に創刊号から揃っていました。2号から新刊書店で買っていましたが、創刊号はかなりたってから古本で買った覚えがあります。創刊号は500部しか作らなかったそうですから、限定本並ですね。どこかにまとめてあるはずなのですが、現物が行方不明なので、出てきたら画像を載せます。
以前、3号で終刊になった「書物と装釘」 (昭和5年5月~11月)を紹介しましたが、その流れから生まれたといっても良い「書物展望」(昭和6年7月創刊)を紹介します。手元にあるのは10冊ほどですが、中には表紙に蔵書票の現物が貼ってある号があります。
八木福次郎著『書痴斎藤昌三と書物展望社』(2006年1月 平凡社刊)によると、「書物と装釘」に執筆していた庄司浅水と斎藤昌三、東京堂の岩本和三郎、資本主として佐々木幸四郎、柳田泉の五氏で「書物展望」を創刊したものの、ひとりふたりと去り、5巻8号(昭和10年)からは齋藤昌三ひとりになったようです。
手元には表紙にオリジナル書票が貼ってあるものが2冊あり、古い方は第7巻第1号[通巻67号](昭和12年1月)。この年は丑年。貼付の書票は干支にちなんだもの。
編輯兼発行人は斎藤昌三、発行所は書物展望社となっています。
貼付の書票の作者は山内神斧、蔵書印は硯友社。
目次に名を連ねている三十数名の中で、名前を知っている方だけ挙げると、片山敏彦、土岐善麿、矢野峰人、小塚省治、恩地孝四郎、斎藤昌三ぐらいでした。タイトルで興味をひかれるものは「書物と印刷の話」「むかしばなし」「丑にちなむ蔵書票」「装本現在未来」「昭和拾一年度限定版顧望」「装釘界大観」「装釘匠の夢」。
現在では「装丁」「装幀」と表記されることがほとんどですが、この時代は「釘」の字が使われています。実際に釘を使って綴じていた時期があるために、この字が使われているようですが、使用例を年代で調べると面白そうです。
※ 手元にある「書物展望」の別の号の目次を見ると、昭和7年8月の第2巻第8号に「詩集の装幀」と題した長田恒雄の文章と「歌集の装幀」と題した熊谷武至の文章が載っていました。昭和18年3月の第13巻第3号[通巻141号] には木村荘八の「装幀異変」と題する一文が載っているので、「装釘」や「装幀」という使用する漢字は書き手(版元も)に委ねられていたと言えるのかもしれません。
表紙にオリジナル書票が貼ってあるもののもう1冊は、第12巻第5号[通巻131号](昭和17年5月)。
貼付の書票の作者は池田木一、蔵書印は山縣有朋。斎藤昌三の連載「続銀魚部隊(15)」に、上に出てきた小塚省治が亡くなったことが書かれています。小塚省治は日本蔵書票協会の会長で、40歳を超えたばかりでした。
その2冊より古い号で、蔵書票の特輯が組まれたものがあります。
第5巻第3号[通巻45号](昭和10年3月)。
オリジナル作品の貼付はありませんが、特輯記事は16本あって、壽岳文章、田中敬、斎藤昌三、織田一磨、恩地孝四郎、式場隆三郎、さとうよねじろう、中田一男、小塚省治などが蔵書票について語っています。