サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

浅はかな文明

2016-04-25 00:00:16 | 日記
バーラタ(インド)の太古の文明の栄光は言葉では言い尽くせません。
バーラタの輝かしい伝統はインドの住民のみでなく、全世界が誇りにするべきものです。
しかしながら、時の経過や、増大する西洋文明の影響のため、この偉大な伝統は忘れ去られています。18/2/04

ポニョ:昨日はサイババさんが一時的に身を隠されたマハーサマディーの日でしたが、地球環境を考えるアースデーでもありました。今日から三、四回ほど地球やこの星の文明について話してみたいと思います。最近、あんたの夢に出て来られたババの話をしていたけれど、おいらがやっぱり一番面白かった夢は、高貴なお方があんたの守護霊になって、あんたが断ったけれど実はその高貴なお方はババやったという話や。あれは何度読んでも面白いぜよ。

ヨシオ:またその夢の話か。人の失敗を笑うのはもうやめとけや。俺はあの後も、ババに向かってあんなひどい事を言ったんでめちゃ後悔したんやで。それで瞑想の時に、あの夢のシーンを思い出してババを呼び出して何度も謝ったんや。でもある日ふと気がついて、あの時の無礼を詫びる一番の良いやり方は、これからあんな小生意気な若いアマの売り子が俺に失礼な態度をしても絶対腹を立てないと誓って、あの高貴なおっさんが言われたように俺の中にあるちっぽけなプライドを傷付けられても絶対に平静でいる事を瞑想中にババを呼び出して誓ったんや。するとその日の夜に、ババが夢に出て来られて俺の前に立ち、満面の笑顔で俺を祝福してくれたんや。

ポニョ:それは良かったぜよ。でもあんたはまだ、おいらがちょっとからかっただけで頭に来て汚い言葉で罵しることがあるぜよ。

ヨシオ:ポニョにとって汚い言葉でもそれは俺にとっては普通の言葉なんや。育ちが育ちやからそういう言葉が自然に口から出て来るのは仕方ないやろ。でもその夢の後、俺がムカつくような状況をババがわざと作り出して、俺に何度もテストをされたんや。

ポニョ:へえ~。それは知らなんだ。どんなテストやったんや?

ヨシオ:俺はここオーストラリアに移住してから、日本にいる時のように毎日のようにムカついたりしなくなったんや。日本にいる時には少なくとも一日五回ぐらいはめちゃムカついて、人に対して汚い言葉で怒鳴ったり、車を運転している時も他のドライバーに怒鳴って嫌がらせをしたりしていたんや。でもその夢以来そういう事は無くなったな。

ポニョ:あんたが住んでいたところは、日本でも一番ヤクザが多くて交通マナーも悪い大阪やったからな。でもそれってあんたがオーストラリアに移住して、交通マナーが良いとか、オーストラリアに住んでいる人がもっと落ち着いて生活しているから頭に来なくなったというのが理由じゃないのか?

ヨシオ:それもあるかもしれんな。だってこちらでは知らない人と目が合ったら、ニコッと微笑むやろ。大阪でそんな事をしたら「われ、なんでわいの顔を見て笑うんや?ええ加減にさらせ!わいの顔になんか付いているんか?いてまうぞおんどれ!」とか言われるやろ。だからここに来て一番戸惑ったのは、見知らぬ人の人と目がった時にニコッと微笑まれた事やな。でも俺もそれが習慣だと知らなかったから、最初は微笑んでくれた人を睨み返したったんや。

ポニョ:微笑んだ人に対して睨み返すって、あんたはほんまに性格が歪んでるよな。

ヨシオ:だから昔の話やって言ってるやろ。よく聞けや。ほんまにすぐに上げ足を取りやがって。

ポニョ:ほら、こんな風にすぐにムカつくやろ。全然治ってないやんか。

人には三つのタイプがあります。
鈍性の人は鉄の塊のように、心を柔らげようとする如何なる影響も受けません。
激性の人は綿のように、何でも吸い取りますが本性は決して変えません。
浄性の人は他の人の喜びや悲しみを見たり、至高神の栄光を耳にすると、バターのようにすぐ心を溶かします。
浄性の人々は同情心の泉に深く沈潜します。
怒り、嫉妬、貪欲、短気はツボに開けられた多くの穴です。
平安と幸福と満足という水はその穴から漏り、ツボは空になります。
ツボは修繕し水漏れを止めなければなりません。27/9/60

ヨシオ:これでもマシになったんや。でもオーストラリアって人種差別があるやろ。まだ相当数の人が黒人や東洋人、特に日本人、アボリジニに対して差別意識を持っているんや。幸い俺の名字は中国人の名字やろ。だから日本から来たって分からないんや。それで俺の前で日本人の悪口を言う人が多くて閉口したな。

ポニョ:ふーん。そんなにまだ反日感情が残ってるんか。オーストラリアは。

ヨシオ:年寄りは特に多いな。でもそういう年寄りは戦争を体験してきた人やから、戦争中にそういう反日教育を受けているんや。

ポニョ:アメリカでも沖縄に攻め入る時に、一人ひとりの兵隊に、まるで人を鹿やウサギの狩猟に行くように狩猟狩りの許可証を配ったんや。その許可証には、狩猟期間は無く無制限。狩猟対象は醜い日本人。狩猟出来る数は好きなだけ。と印刷してあって、軍人だけではなく一般人をも、獣を狩猟するように殺しても良いという狩猟許可のサインがしてあるんや。もちろん遊び心で作成したんやろうけれど、そういう風に兵士を洗脳しないと一般人を平気で殺せるようにはならないぜよ。

ヨシオ:それってひどいよな。こちらもそういう風にして洗脳されたオーストラリアの兵隊たちが帰還しても、未だ日本人に対して差別意識を持ってるんやろな。でもそういう世代って毎年死んでいなくなって来ているので、段々と住み良い社会になりつつあるけどな。でも俺が移住した三十年前はまだそんなおかしな洗脳されたおじんがたくさんいたんや。それで俺も何回かそういうおじんに差別的な言葉をかけられて頭に来た事があるな。でもババのあの夢を思い出して自分を抑えたんや。

ポニョ:それでうまく抑えられたんか?無理やろ。あんたのような短気な男は。

ヨシオ:…そうやな。無理やな。なかなか難しい。でも手は出さなくなったで。

ポニョ:それは当たり前やないの。それで今でもまだムカって来るんか?

ヨシオ:一瞬やけどな。そういう意味では昔と比べてあまり進化してないかもしれんな。この前も酒を飲んでる酔っ払いが図書館に入って来て。俺が嫁さんと日本語で話しているのを横で聞いていたんやけれど、突然「英語を話せない奴はここから出て行け。」って言ったんや。俺はすぐに「わけのわからん事を言う奴がここから出て行け」と言おうとしたら、嫁さんが俺に「言い返したらダメよ。酔っ払いと喧嘩してどうするの?」って言われたので言葉を飲み込んでおとなしくしたんや。またこれは三十年近く前やけれど、オーストラリア国籍を取ってパスポートを申請しようと申請書をもらいに郵便局へ行くと、郵便局のおっさんが「あんたみたいなアジア人でこの国の新参者が、オーストラリアのパスポートを取るんか?世の中も変わったな。」と言って馬鹿にするんや。俺は「パスポートを取ってどこが悪いんや。」と言い返そうとしたけれど、ババの夢を思い出してちょっと気を落ち着かせながら、そのおっさんに「四万年もオーストラリアに住んでいるこの国の本当の主人であるアボリジニから見たら、俺もあんたも新参者やな。俺は日本から来て、あんたの先祖はヨーロッパから来たもんな。」と笑いながら言って書類を受け取ったんや。おっさんは苦虫を潰したように顔をしかめていたけどな。

ポニョ:これはあんたの特技やな。すぐに何を言われても、売り言葉に対して買い言葉が出て来るんやな。おいらやったら、そんな四万年だとかアボリジニだとかの言葉はしばらく考えないと出て来ないぜよ。

ヨシオ:そんな事やからポニョは喧嘩が弱いんや。すぐに言い返す言葉が出て来ないと言い負けるやろ。俺はそういう土地柄で育ったから口で言い合いしても、手で殴り合いしても負けないから喧嘩にはめっぽう強かったんや。

ポニョ:そんな事を自慢してどうするねん。あんたはババが夢に出て来られた時と比べて、それほどマシなキャラにまだなっていないな。

ヨシオ:そうかもしれんな。自分ではかなりマシになったと思い込んでいるけどな。でも人から見たらまだまだなんやろな。でも、人から見てどう思われようと俺は関心が無いんや。ババから見てどう思われている方が重要なんや。でも最近は何を言われてもほとんどムカって来ないけどな。「ああまた、ババがテストをされているな。今度は合格するぞ。」って思うようにしてるんや。もうええ年やしな。

ポニョ:そうか。それは良い心がけやぜよ。おいらも真似しようかな。おいらも結構短気なところがあるからな。でもこういう風に、ババが夢に出て来られて帰依者を良い方向に導かれるってすごいよなババさんの力って。おいらもババの夢を見たいな。

ヨシオ:以前も言ったように、俺は普段からババを友達のように思って付き合わせてもらってるんや。それは夢の中でも同じでババが夢に来られた時は、もちろん状況にもよるけれど、とても親しく感じてリラックスして話が出来るんや。以前夢に出て来られた時もこんな質問をした事があるんや。その夢の中で、見た事もないような素晴らしい景色のところにババと二人で立っていてその光景に見とれていたんや。そして俺はおもむろにババにこんな質問をしたんや。「なあババさんよ。あんたはこの素晴らしい宇宙を創造し、宇宙開闢以来からいろんな文明が起こって滅びるのを見て来たやろ。俺は興味があるのは、あんたのような神さんの目から見て、今、俺が生まれて住んでいる現代の文明を過去の文明と比べたらどう違う?」って。

ポニョ:興味深い質問やぜよ。今この文明は道徳が衰退してひどい状態になってるもんな。それでババ様はどう言われたんや?

日常の行動を識別して行う時、彼は道徳を守る人と言われます。
道徳のない生活は、全く無益です。
社会の威信は社会を構成する人々の道徳にかかっています。
道徳を失った社会には、悲嘆が待ち受けます。
国家であれ、社会であれ、人々の行為が道徳にそむくならば、彼らが営々と築いてきた文明は滅びます。
財産、地位、権威等々を豊かに持っていようとも、それらは虚飾にすぎません。
人としての価値を高めるものは、道徳のみです。17/9/92

ヨシオ:ババはしばらくの間地平線の彼方を見てから俺にこう答えたんや。「この文明の人たちは、自分が一体どうして生まれて来たのかという探求なんてしない。人生って何かって事も考えようともしない。自分の周りにある物質のみに関心があって、全然生きる目的とは何かという事に興味が無いように見える。」と言われたんで俺は「という事はこの文明は、他の文明と比べて物質だけを追求したり、コントロールしようとし、霊的な事には関心が無い浅はかな文明なんやろうか。」と言うと「残念ながらそういう事やな。」と言われたんや。

西洋の言葉では、人は命を捨てると言います。
しかしインドでは、人は身体を捨てると言います。
西洋人は人は身体を持ち、身体には魂があるといいます。
インドではそうは言いません。
バラタ国民は、人は魂があり、魂は一時的に身体に包まれていると言います。
それゆえ、バラタ国民は感覚による快楽と世間的な栄光を求める文明と文化は砂上の楼閣であり、崩壊するまでの間、ほんの少し輝いているに過ぎないと感じるのです。VVc14


他人って一体誰ですか?

2016-04-24 00:00:28 | 日記
心をきれいにするには、高貴さを養い、神聖な思いを身につけ、多の人々に奉仕しなくてはならない。
誰も他の人々を傷つけず、人類同胞に対して愛情や同情を持つ人は偉大な人である。SSN秋1995p,18

ポニョ:おいらが大好きなルフィーが出て来るアニメの声優たちが、熊本の被災者の皆さんに素敵な励ましのメッセージを動画でアップしてるぜよ。
https://m.youtube.com/watch?v=TwZukIocYQs
ヨシオ:ポニョはナルトだけではなく、ワンピースも見てるんか?これがポニョがいつまで経っても若い秘密やな。

ポニョ:血湧き肉躍るやぜよ。アニメは昔から大好きなんや。さて、昨日は心の波立ちが宇宙を創造する原動力になったお話をしました。

ヨシオ:昨日のポニョの話でちょっと疑問に思ったんやけれど、読者のココナッツさんって知り合いじゃないんやろ。なのにどうして夢の中で出て来た女性がココナッツさんって分かったんや?

ポニョ:それは簡単やぜよ。夢の中でグループインタビューが終わり、インタビュールームから全員が出て行った後、おいらだけがババの近くに立っていたんや。するとワンピースかパンジャビのような服を着た女性が一人で部屋に入って来て、頭がココナッツやったんや。だからすぐココナッツさんって分かったんや。

ヨシオ:それは冗談やろ。以前イタリアのグループが呼ばれた時に、頭がツルピンの男性が遅れて入って来た時に、ババがみんな見ろ。ココナッツが部屋に入って来たって言われたけどな。

ポニョ:冗談でした。夢の中やからどういうわけかその女性がココナッツさんってすぐに分かったんや。とても感じの良い女性やったな。ババと親しそうに話しておられてぜよ。

ヨシオ:やっぱり。俺はまだポニョの冗談に引っかかるほど、もうろくしてないな。でも頭がココナッツの人が歩いていたら不気味やろな。

ポニョ:最近記事にしたけれど、あまりババの夢を見ないおいらも、ババの夢を見た事があるぜよ。ちょっとその夢を再掲すると

おいらが丘の上に建っている立派で大きな集会場の近くを歩いていたんや。すると、その建物に続く坂道を、立派な身なりをしたたくさんの人々が疲れた表情で下って来たんや。おいらはどういうわけか、どうしてその人たちがやつれた表情で建物から出て来たのかその理由を知っていたんや。そして、おいらはその坂道を人々とは逆の方向に歩いて建物の中に入って行くと、まだたくさんの人々が、集会場に残っていて首を振ったりもうお手上げだ、という感じで両手を持ち上げたりしていたんや。おいらは、少し高いところに立って大きな声でこう言ったんや。「皆さ~ん!悪役のお務めご苦労さんでした。人類を家畜と見なしてその人間的な価値を否定し、ワクチンや食べ物の中に毒を混ぜて人工削減しようとし、また戦争によって金儲けをしようとし、中央銀行、巨大銀行を使って世界各国の経済を支配して人々から富を取り上げその富を一極に集中させ、TPPによって多国籍企業の権利を国家主権の上に置き、世界中に混乱と破壊と貧困と暴力と差別と不正と虚偽と不義とをもたらし、多くの人々を虫けらのように殺して来た皆さん。あなた方の役割は終わりました。お引き取り下さい。大変ご苦労さんでした。もうしばらくの間、人類の歴史においてあなた方の出番はありませんので、舞台裏でゆっくりとカルマを支払う準備をしておいて下さいね。あなた方がなされた多くの不義のおかげで、人々は目覚めることが出来ました。そして、毎日、平々凡々と世俗の世に幻想を持って過ごして来た人々が苦難を体験し、頭を打ち、神様を求めるようになりました。おかげで神の化身が人々の求めに応じて、再び世界中に現れるという奇跡を演出する条件が整いました。本当に悪役を上手く演じて下さって御苦労さんでした。」と言って、疲れて憔悴しきっている、悪魔のような、動物以下と言うと動物が気を悪くする醜い人間もどきの悪臭のする悪徳タヌキジジイたちをいたわっていたら目が覚めたんやぜよ。

ヨシオ:ほら、夢を見ても自分が関心があったりする事は、しっかり微細体に刻み込まれるから夢を覚えているやないか。実は感受性が強い人って、自らの波動を自然界や霊界、他の人の心の動きなどに同調出来やすい人かもしれないな。だから自分の波動を自分の周りの人や生き物の波動に近付ける事が出来て同情心が強くなり、その人や生き物の気持ちになれるんや。

ポニョ:最近ババが新聞の記事を読まれて肩を震わせて泣いておられた話をしたけれど、神さんって同情心がすごい強いよな。

ヨシオ:例の、貧しい母子が食べるものが無くて、お腹を空かせて泣く子供を見ていられなくて自分の子供を井戸に投げ込んで殺し、自分も井戸に飛び込んで死んだニュースやろ。それってめちゃ可哀想やな。ババの同情心って半端じゃないんや。だってその腹を空かせたお母さんの中におられたんやから、そのお母さんがどれほど苦しんだか御自分の事のように知っておられるんや。

ポニョ:ババは全ての人の小さな心の動きまでご存知やもんな。

ヨシオ:どれくらい同情心を持っているかは人によって違うやろ。ある人はそういう悲劇的なニュースを見ても、ああそいつらはカルマを支払っているんや。過去生でよっぽど悪事を働いたんやろな。とか言って何事も無かったように振舞える人もいれば、その自殺した母子がどこに住んでいて、その地方の福祉の担当職員は誰やとか、地方政府の福祉政策の遅れとか分析するけれど、その母子には全く関心が無い人だっているやろ。でもババのようにその母子の気持ちと一つになって、ポニョのように殺されて人に食される生き物たちの気持ちになれる人だっているんや。その違いは、その人がどれくらい神様に近いかによって変わって来るんや。

人に三つのタイプがあります。鈍性の人は鉄の塊のように、心を柔らげようとする如何なる影響も受けません。
激性の人は綿のように、何でも吸い取りますが本性は決して変えません。
浄性の人は他の人の喜びや悲しみを見たり、至高神の栄光を耳にすると、バターのようにすぐ心を溶かします。
浄性の人々は同情心の泉に深く沈潜します。
怒り、嫉妬、貪欲、短気はツボに開けられた多くの穴です。
平安と幸福と満足という水はその穴から漏り、ツボは空になります。
ツボは修繕し水漏れを止めなければなりません。27/9/60

ポニョ:神様って一人ひとりの中におられてその小さな心の動きまで知ることが出来るほど、自分の波動のレベルをコントロール出来るってことなんか?

ヨシオ:波動は動物から生まれ変わった時は、まだ動物の波動を持っているんや。姿かたちは人でも、その性質は残酷で争い好きで、他の人を傷つけたりする事をなんとも思わない人っているやろ。そういう人は同情心のかけらも持っていなくて、波動もとても荒いんや。

ポニョ:でも何度も人として生まれ変わり、人生で別れと出会いを繰り返し、得たものを手放す寂しさや、執着心、欲望、嫉妬心を持つ事によって人と争い揉め事を繰り返してカルマを作り、死んで霊になった時にその馬鹿らしさを実感して初めて賢くなって行くんや。

ヨシオ:それと同時に、自分が痛い目に遭っているから他の人の痛みも分かるようになり、その人の波動の荒さがだんだん消えていって、他の人の波動の中にも入って行けるようになって行くんや。それが同情心なんや。

ポニョ:でも現代の社会は子供の頃から暴力や詐欺、ヘイトなどで溢れているから、なかなか他の人への同情心なんて湧いてくるような環境じゃないぜよ。

コミック、ホラー、ピストルを持った男の絵、映画のポスターや映画といったものは、人をして自分が肉体だと思わせます。
これらのものは人をヒーローからゼロに陥れることがあります。
子供は金や金銭で売買するということに対して信仰心のようなものを持ち、同情心や愛といったものを養う代わりに、残酷さやずるさのようなものに対してあこがれるようになります。
それ故、家庭、学校、そして社会という三つの領域においてこの偉大な国の将来の為に、こういうことに対して戦わなければなりません。SS5p362

ヨシオ:まず家庭の中からそういうものを追い出さなければいけないよな。

ポニョ:それはそうやぜよ。両親がまず模範を示さないと、子供達の前で人の悪口を言ったり傲慢な態度で人に接したりしたら、子供に同情心なんて湧くわけがないぜよ。

両親が、家庭の祭壇の前で礼拝したり、静かに瞑想したり、他人の過ちを許したり、苦痛や悲しみに同情する姿が子供達の目に入らなくてはなりません。
そうではなく、両親が子供達に 頼るべき神はなく、頼みとする力も勇気も無く、心配したり、絶望したり、不平不満を言ったり、ふさぎこんだりする様子を見せてはいけません。EHV

ヨシオ:子供達に同情心を植え付けるには、親たちが率先して奉仕活動をしたりして心を綺麗にしていかなければならないんや。

ポニョ:今日は同情心の話をしたけれど、同情心って感受性や霊体や霊的波動などと繋がっていて面白いよな。

ヨシオ:他の人に同情するって事はどういう事なんや?どうして神様は憐れみの心を持っておられるんや?どうして神様は人々に愛だけを注げるんやろか?神さんの同情心って、どうしてこれほど他の人の気持ちになれる程強いんやろか?どうして神様って慈愛の化身なんやろか?一体、他の人って誰の事なんや?実のところこの世は全てが一つなんや。神さんしか存在しないんや。他人や、自分と違う他のものなんて本当はどこにもいないんや。実はこの世には自分しか存在しないんや。それを悟った時に人は究極の喜びに浸れるんや。

神を信じる人には四つのタイプがあります。
一つ目は、悩みや苦しみのあるときに神に祈る人。
困ったときや、人生の試練にであったときにだけ神に祈る人です。
二つ目は、富や財産や権力を神に祈る人です。
長寿や子孫の繁栄を祈り、財産や牛や、宝石や金などを願う人です。
~たいていの人は、そういう俗世間の願い事ばかりしています。
三つ目は神の節理を知りたいと努力する人です。
神はどこにいるのだろう。
神とは何だろう。
どうすれば神に達することが出来るのか?
私と神はどんな風に繋がっているのか?
私とは何か?等の知識を身につけようとします。
~これらの知識が身についたとき、四つ目の英知の人の段階にたどり着きます。
英知とは世間一般の知識では無くて神に向かう知識、すべてを超えた知識を言います。
英知とは、すべては一つだと悟ることです。
~世間の知識は、何をしてもそれは自分に戻ってきます。
何を言っても、何を考えても、結局は自分自身に返ってくるのです。
ところが神に向かう世界には、触れるものも、見るものも、聞くものも、何の反応もありません。
ただすべてを超えた知識があるだけです。
これこそは真の知識です。
そこには反応するものも、響き渡る音も、映し出される姿もありません。
そこには二つ目のものが無いからです。
そこではすべては一つです。
二つのものがあるところには、一方を手に入れたいという思いか、一方を退けたいと思う思いがいつでもおこります。
つまり欲望か、恐怖の感情がいつも起こるのです。
けれども、真の知識に満ちていれば、他の人も他のものも経験する事はありません。
他のものなどどこにもありません。
そうなれば、欲望も恐怖もおこらないでしょう。
それこそは英知、最高の知識と呼ばれるに相応しいものです。
高度な意識の状態では、何を見ることも、何を聞くこともありません。
ただ究極の悦びに満たされています。
これこそが、「完全存在、完全知、完全至福」と呼ばれる、永遠の悦びなのです。SGc14


心で作られたカラクリの話

2016-04-23 00:00:02 | 日記
あなたは、目覚めの時は夢は存在していないので、夢は真理を仄めかしていることを知りません。
あなたが、真の英知を得たときに目覚めの時の経験も非存在となります。
その時まで、この目覚め時の体験を本当だと思い込みますが、真の英知を得た後はこの目覚め時の体験に対して少しの価値を付与するだけとなるでしょう。SSSvol4p, 117

ポニョ:普段、ババさんが夢に出てこられないけれど、今朝本当に久しぶりに出て来られたので、めちゃ嬉しかったぜよ。

ヨシオ:ポニョが夢を見ること自体が珍しいのに、ババが夢に出て来られるって本当に珍しいよな。ところでどんな夢やったんや?

ヨシオ:ココナッツというペンネームの、身体が少し不調であまり外出されない女性がコメントされたので、それに返事を書いたら夢の中でババが、おいらやその女性がいるグループをインタビューに呼んでくれたんや。でも、ココナッツさんはトイレかどこかに行かれていなかったんや。それでインタビューが終わりみんなが部屋から出たけれど、おいらだけ一人残り少しの間ババと二人だけになったんや。めちゃ嬉しくて興奮したけれど、でも何も聞きたい事は無かったので、しばらくして部屋から出ようとすると、そのココナッツさんという女性が遅れて部屋に入って来て、ババさんと二人で少し話されて、それが終わるとおいらと一緒に部屋から出たんや。

ヨシオ:コメントの投稿は忙しくて一時止めてたんやろ?また再開したんか?

ポニョ:ちょっと時間に余裕が出て来たんで少しの間再開したんや。

ヨシオ:それでババは一体何を話されたんや?

ポニョ:それが起きたら全部忘れた。

ヨシオ:何やねん。一番大事なことを覚えてないって!ちょっとぐらい覚えとけや。

ポニョ:おいらにとっては、これだけ夢を覚えているだけでも奇跡なんや。めちゃ嬉しカルカル。

ヨシオ:まあ。それでポニョが嬉しいねんやったらそれでええけれど、俺も近年は一年に一回ぐらいしかババさんが夢に来られないけれど、熊本で地震が起こった日の朝に夢に来られたな。ほら、俺は世界の波動を良くするために毎日二回ルッドラムを唱えているやろ。

ポニョ:おいらも唱えているぜよ。

ヨシオ:そうやったな。それで夢の中でホーマーという四角い護摩壇があって、僧侶たちが火にギーやらいろんなものを捧げているのを見てたら、ババさんがお連れの人たちと一緒にやって来られたんや。そしてホーマーの前に地べたに座られたので、俺も急いでババさんの横に座ると、ババさんの太ももと俺の太ももが触れたんや。するとババさんは顔を横に向けて俺の方を見てくれたんで、俺もババの顔を見たんや。お互いニコニコして見つめあっているところで目が覚めた。

ポニョ:へえ~なんか恋人同士みたいな雰囲気やぜよ。良かったな。でも熊本の地震を始め世界中の火山が噴火を始めている時やから、そういう時にババさんが世界の波動を鎮める祭りごとに出て来られる夢って大きな意味があるんやろな。このまま収束すればええのにな。おいらも最近ルッドラムを唱え終わると、ルッドラムの波動が余韻として耳にしばらく残っていて、身体全体がルッドラムの波動に溶け込んで行きそうになるんや。でもその後で瞑想を始めると、その余韻はだんだん薄くなって消えて行くんや。最初はすごいで。ルッドラムをまだ唱えているような、ウワンウワンという波動が耳に残っているんや。おいらの霊体がルッドラムの波動に相応してこんな風に耳に残っているんやろか?それともただの耳鳴りかな?

ヨシオ:ウワンウワンか。それはすごいな。でもポニは昔から耳が悪くて耳鼻咽喉科に通っていたから、ただの耳鳴りやろな。ポニョの声は大きいからな。ちょっと医者に見てもらった方がええかもしれんな。

ポニョ:あのね、もしもし?おいらが久々に霊的な波動を感じたという話をしているのに、耳鼻咽喉科はないでしょう。夢の話に戻るけれど、以前ルッドラムを練習している時に、夢の中でもルッドラムを唱えていたって言う記事を載せたけれど、あんたが初めてアシュラムに行った時に、夢の中でガヤトリマントラを唱えたって話をしてたよな。今日はその話を再掲してみよか。


ヨシオ:俺が初めてアシュラムに行った時の話はいろんなエピソードがあったよな。でもあのガヤトリマントラの話はちょっと不気味やったな。朝、目を覚ますと、一緒に行ったお袋と長男が俺の顔を心配そうに覗き込んでいたんや。そして、「ヨシオあんた大丈夫か?」なんて聞いて来たんで、俺は、「朝の挨拶は、おはようと言うんだよって、どこかのお母さんに教えてもらいましたが…」と言うと、お袋は俺に、「あんたが昨夜寝付いた時に、大きな声でオームと何回も唱えていたんやで。そのあと、調子や音が外れたガヤトリマントラも、大きな声で唱えていたんや。私や孫はそらもう、驚いて飛び起きたんやで。二人で、あんたが寝ながらオームやガヤトリマントラを唱えているのを心配しながら見ていたんや。それで、今朝も朝早くから起きて、あんたに何か変な霊が乗り移ったんと違うかと心配して、こうしてあんたが起きるのを待っていたんや。」と言ったんや。

ポニョ:寝ながらオームやガヤトリマントラを唱えるって面白いな。でも、寝ているから調子外れになるよな。

ヨシオ:それを聞いて、俺は昨夜の夢をだんだん思い出したんや。それは、ちょうど寝付いた時やったんやけれど、メガネをかけた年配のインド人を先頭にして、何十人も長い行列を組んで、人が一列になって俺の方に向かって来るんや。それも、全員足が見えなくて、宙に浮いて、滑るようにゆっくりと一列縦隊で無言でやって来るんや。俺は、一瞬、彼らは幽霊やと思い、もし、変な地縛霊やった良くないので、ガヤトリマントラを唱えて撃退しようと思い、大きな声でガヤトリを唱え始めたんや。最初にオームを何回か言った後、どういうわけか次の節が出てこないんや。それで、それを思い出すまで、何度もオームを唱えていたんや。そのうち、その幽霊の一列縦隊は、どんどん俺に向かって近付いて来たんや。そしてよく見ると、一番先頭にいたメガネのインド人の年寄りは、カスツーリさんだと分かったんや。俺は、何度かババの本に出て来るカスツーリさんの写真を見ていたから、すぐに分かったんや。それで、どういうわけか、彼らが俺に挨拶に来てくれたって分かったんや。そのうち、ガヤトリマントラの次の節も思い出したので、それを唱え始めていて、俺はゆったりと安心した気分で、カスツーリさんと向かい合っていたんや。そのうち、カスツーリさんたちの幽霊軍団は俺の目の前まで来たところで、俺はとても幸せな気分になったんや。そのまま、深い眠りに就いた。


ポニョ:それは面白い体験やったな。あんたが初めてインドに行く少し前にカスツーリさんが他界されたんやったかな?確か。

ヨシオ:そうやったみたいやな。

ポニョ:でもいくらあの有名なカスツーリさんとは言え、幽霊軍団を率いて一列縦隊で近づいて来たら恐ろしいよな。おいらもそんな時すぐにガヤトリマントラが口から出てくるように、普段から練習しないといけないよな。でもどうしてあんたのところに幽霊達がやって来たんやろうか?

ヨシオ:それは、俺にも分からん。でも、挨拶に来てくれたことだけはすぐに分かったんや。そしてその日、ババがインタビューに呼んでくれたんや。


ポニョ:という記事でした。

ヨシオ:あの時の夢は今でもはっきり覚えているな。足の無い白装束の霊達が、暗闇の中から一列縦隊となって一言も言わずに俺の方へ真っ直ぐ向かって来るんや。先頭の幽霊は髪の毛が薄くてメガネをしてたな。ほとんどがインド人やった。

ポニョ:それって不気味でヤンス。霊界ってそんな感じの霊達がウロウロしてるんやろか?夢の世界と霊界は紙一重で繋がっているもんな。

ヨシオ:どちらも人の想念の世界やもんな。

ポニョ:ババは人間は外で見たものを自分の中で複製して作り出すことができると言っておられるけれど、夢もそのうちの一つやもんな。

私たちの認知している世界のすべては、実は私たちが創り出しているといわれていますが、それには例外が一つだけあります。
外から人間の中に入ってくるものが一つだけ存在するのです。
それは、外的な対象物に執着することによって発生するエゴです。
この世俗的な欲望を切り取ってしまえば、エゴは自動的に消滅します。
外界から受けた印象を自分の中に取り込んで、それを真実と見なしてしまうのは有害です。
人間は外で見たものを自分の中で複製して作り出すことができるので、自分が再び創ったと勘違いするからです。
ところが、実は、外界で見るものは、すでにその人の中にある(アートマ)の記憶を呼び起こすだけなのです。CWSSBp110

ヨシオ:ババが言われた意味は、自分の外にある世界は、全て創造主ブラフマンが創った世界であって、それは、アートマである各自の心の中にもその雛形を持っているんや。全ては神なのに人は外の世界を見たり聞いたりして体験すると、その外の世界の事物や事象を自分のものにしたいという欲望や自分のものという執着を持ち始め、エゴを膨らませて、自分も含めて全てが神だアートマだという事を忘れてしまうんや。夢は単に心が昼間起きている時に見たり聞いたりして体験した事を再び自分の心の中で創り出している心のからくりに過ぎないんや。

ポニョ:そのからくりの世界にババはやって来て人を導いて行かれるって面白いよな。ババにとってはこの世界や想念の世界も含めて全てがお遊びの場なんやろな。

夢を見ている状態では、時間も、活動も、目的も、結果もありません。
そのすべてが無いのです。
さて眠りについて誰かに起こされたとします。
起きてみるとほんの五分ほどしか眠っていません。
その五分の間に、夢を見てマドラスに行っていたというわけです。
どうしてそんなことが出来るのでしょうか。
普通の状態ならこんな事は起こりません。
それは心の中にだけで起こったことです。
肉体も感覚も、何も活動していません。
この心の経験は微妙な世界の出来事です。
時間、活動、目的、結果の四つの要素を経験するのは物質としての身体です。
夢を見ている微妙な世界では、その四つとも経験していません。
心によるからくりが世界を創り出していたのです。SGc31

ヨシオ:人が外界の印象を元に創り出した心のからくりは、次から次へと狂った猿が木から木に飛び移るように、夢の中でとりとめのない意味の無いシーンを創り出すやろ。そういう夢の中のシーンの中に入って人を導くために、ババはその人が夢から醒める直前にその人の夢の中に入られてヴィジョンを見せたり、教えを説いたりされるんや。

ポニョ:夢を見初めた頃に来られても、夢から醒めたら覚えていないもんな。おいらは夢は多分見てるんやけれど、起きたら全然覚えていないんや。鯉や生き物、食べ物の夢はよく覚えているんやけどな。

ヨシオ:夢は誰でも同じように見ているんやけれど、それを起きた時に覚えているかどうかは、その夢を自分の微細体にどれくらい深く刻んでいるかどうかによって違うんや。人によって感受性は違うように、人は同じことを体験しても、同じものを見ても、人によって感じ方が違うやろ。ある人は何にも感じないけれど、片や詩人や小説家、画家や芸術家のようにとても繊細な神経を持っていて、普通の人が見たらただの夕陽に染まった雲に小雨がかかっているだけやのに、それを見て感傷的になって泣いたりする人っているやろ。

ポニョ:それっておいらには全く理解できない世界でヤンス。その小雨が酸性雨でおいらのオクラのマルミちゃんに降り注いでいたらめちゃ悲しくなって感傷的になるけどな。

ヨシオ:ポニョは現実主義者やもんな。このように感受性って人によって違うんや。だから夢を見てもそれを覚えているかどうかは、人の感受性の強さによって変わってくるんや。でもポニョはめちゃ腹立った時に、にわか詩人になれるほど感受性が強いやろ。

ポニョ:正義の味方ポニョは、悪がはびこり人々や罪も無い生き物たちを苦しめているのを見たら、感情的になっていろんな憤怒の思いが心の底から吹き出てくるんでヤンス。

ヨシオ:以前も動物達を思った怒りの詩人になってたもんな。ちょっと久々にポニョの動物達を思う詩を夢の話題と関係無いけれど貼っておこか。

ポニョ:ちょっと恥ずかしいでヤンス。



そろそろ地球の大掃除が、始まるで。

千年至福の時代の為の大掃除や。

今苦しんでいる、人や魚や、豚君や、牛君や、ニワトリさん。もうちょっとの辛抱やで。





君たちの苦しみおじさんはよ~く分かってるで。

君たちの痛みは、このおじさんも感じてるで。

君たちの悔しさも、骨身にしみて毎日のように、おじさんの魂を揺り動かしているんやで。

君たちの苦しみのこと考えたら、ほんまにやりきれん、涙を堪えて祈ってる。

ごめんやで。ホンマにごめんやで。

おじさんと、おんなじ人間が、こんなに地球をグチャグチャにしてごめんやで。

許してや。

おじさんが、人間の代表やったら、千回いや、何万回生まれ変わっても罪を償いきれへんのを知ってる。

口も聞かれへんで、ただ涙だけ流して場へ送られて行く君たち。

家族や仲間から切り離されて、人の胃袋に放り込まれる為だけの命と違うやんな。

人間に言うたれ、俺ら豚はなあ~、お前らに食われるためにこの地球に生を受けたんと違うぞ。って。




人間に言うぞ~。俺らニワトリはなあ~、唐揚げにされる為に、この地球に生を受けたんと違うぞ。

俺たちの肉食べたら、あんたら間抜けになるねんで。しゃーから、お願いやから食べんとってな。




そやそや、その調子で言うたれ。

人間に言うぞ~。俺ら魚はなあ~。

刺身になりたくないねん。活き造りやめてーな。

生きたまま、お腹裂かんとってや。切腹やないで。

あんたらの死体も飾り付けて、熊か虎に食べてもらったらどんな気するねん。


小エビ君や白魚君がどうしても言いたいことあるねんて。

あの~。踊り食いだけやめてくれる?

あの~。誤解してはるかもしれへんけど、あれ僕ら踊ってるのんと違うねんで~。

痛くてのたうち回ってるねんで~。




そうや、俺たち、ドジョウも生きたまま食われるねんで。

胃酸の海の中で、自分の身体が溶けて行くって地獄やで。

暴れまくらなあかんぐらい痛いねんで。

そんなんの為に、俺ら生まれたんと違うねんで~。ええ加減にして欲しいわ。




もっと言うたれ。牛さん。あんたが、一番大きい声で言うたれ。

人間よ。ええ加減にせえよ。わしらの事バカにするな。

どんだけ苦しい思いしてるか知っとんのんけ。

わしらは、物とちゃうぞ。

生きてるんやで。

ワシらにガキもおるし、家族もおる。

人間と同んなじ心もある。

さみしい気持ちも、嬉しい気持ちもあるねん。

人間と変わらんのやで。

たまに落ち込む時もあるで。

わしら、もう お前らに食われたくないのや。




ええ加減に、さらせ。

てめえら、わしら動物よりひどい生きもんやな。

天罰下るぞ。天誅や。

わしら、何もしゃべられへんと思ってるんやろうけど、殺される前にお前の瞳をじっと見てるねんで。

じっと見て、わしを食べた奴、承知せんって言うとるんや。

もう食べてんとってくれや。

そんなんの為に生れたんやない。

これ以上、罪を作るな。

わしらは、プラスティックで包装されてショッピングセンターに並んでると思ってんねんやったら、

そこへ行く前のわしらを見てから、ワシの肉買うてんか。

そこで、そこの場で、ワシらの怨念のうめき声聞かしたるわ。

それ聞いても、まだ買うと言うねんやったら、

てめえは、人間やってる資格はないぜ。




皆んなよう言うてくれた。

おじさんは、あんたらもっと言いたいことあるのん知ってる。

でもな、もう少しで、もうちょっとであのアホな人間どもの住んでる世界がひっくり返る。

あいつら、君らの事ただの物扱い、商品扱いして来たやろ。

あいつら、君らを金儲けに利用してきたやろ。

そんな世界は、もう終わりや。

バイバイや。

あの高層ビルの眺めのええオフィスの部屋で、ふっくらした椅子に座って電話一本であんたらの命、弄んできた連中、莫大な金をその後ろで動かしてきた連中、世界を陰で操ってマスゴミ使って嘘ばっかりこいてきた連中、全部終わりや。

新しい世の中になったら、君たちの子孫は君たちの事を悲しむだろう。嘆くだろう。

何という酷い時代に、自分たちの両親や祖父母が生きていたんだろうと。

おじさんは、知っている。

このような、ひどい、とっても地獄のようなひどい時代はもう終わりだってことを。

君たちのような酷い扱いを受けた時代は、君たちで最後だと。

安心して逝くがよい。

おいらの、兄弟たちよ。

本当に悪かったな。ごめんよ。

許してな。恨まんとってな。



すべての人、すべての生き物は愛の具現です。
あらゆる鳥や動物や昆虫は、人間と同じように幸せを手に入れたいと望んでいます。
それらも人間同様に幸せを味わうのです。
けれども、それらが楽しむ幸せと人間が楽しむ幸せには違いがあります。
鳥や動物や昆虫は、幸せによって有頂天になることもなければ、悲しみによって落胆することもありません。
幸せと悲しみを平静に受け取ります。
しかし、人間は平静さに欠けています。
人間は欲望が満たされると有頂天になり、満たされないと欲求不満に陥ります。
欲望と怒りは人生という木を枯らす害虫のようなものです。
2/4/2203


ヨシオ:この詩は、何遍読んでもポニョの動物達への想いが伝わってくるよな。

ポニョ:でもおいらはさっきもあんたが言ったように、雲にかかる小雨を見て何かを感じるなんていう感受性は持っていないぜよ。そういやおいらが毎日唱えているルッドラムの一節に、秋雲に降りかかる小雨に太陽の光が反射してキラキラ光る中におられるあなた様に祈ります、なんて表現があるけれど、それってすごい感受性やなって思うぜよ。

ヨシオ:ルッドラムのナマカムの第七章十四節やな。昔の人って自然と一体になって生活をされていたから、こういう俺たちが気付かないような自然の一つのシーンに対しても繊細になれたんやろな。

ポニョ:おいらも丹波の山奥で毎年夏休みに行って過ごしたけれど、そこまで自然の営みについて繊細に表現出来る感受性は持っていないぜよ。

ヨシオ:でも人によって感受性は違うやろ。ポニョのように食べ物や生き物についての感受性が高い人もいるし、そうでは無く人間関係のようなものに感受性が強い人もいるやろ。人はそれぞれ違うからな。

ポニョ:でもそういう、違う心の特性をもっているいろんな人の夢の中に神さんは出て来られるってすごいよな。

ヨシオ:それって別にすごいことでも何でもないんや。というのもこの世界を創造したブラフマンに世界を創造させようとした力は、さっきポニョが言ったルッドラムの持っている波動のように、全てはアートマなのに創造主ブラフマンが自らが多となって自分を見ようと意思したことが原因なんや。その意志、言い換えれば創造主ブラフマンの欲望が波立つ心となって、この宇宙全体を創造したんや。だからさっきもポニョが言ったように、この世界は神さんのプレイグランドなんや。だから宇宙や地球や、人の心の中や夢の中にでさえ自分の思ったタイミングで自由に出入り出来るんや。

ポニョ:この世界にあるもの全ては、波動によって創られたって言うもんな。一つひとつの物質や微細体のレベルの違いは、波動が違う事によって成り立っているんやな。でもブラフマンって全ては自分なのに、その自分自身を見たいなんて矛盾してるぜよ。

ヨシオ:だから創造主ブラフマンは鈍性やと言われているんや。ポニョや俺たちの心がいつも波立って落ち着かないのは、俺たちを創造したブラフマンが波立つ心によってこの世界を創造したからなんや。今日は予定字数を大幅に超過してしまったので、明日またこの続きをもう少し掘り下げて話をしよか。

夢見ている時、人は衝動を追い求め、求めた物を手にいれて満足します。
感覚世界が人を引きつけ、目的の事物を追い求めさせる魅力は、目覚めている状態と夢見る状態の両方に存在します。
心は常に波立ち騒ぎます。
その波立ちこそが潜在する衝動因を育て、繁殖させ、根をはびこらせる肥沃な畑なのです。
実際、一切の創造主の背後にあって創造生じさせるものは、波立つ心に他なりません。UVc5

キチガイ親と神さん

2016-04-22 00:00:25 | 日記
あなたが私のことを思ったからといって私があなたの夢に来るわけではありません。私があなたのことを思ったときにのみ、私はあなたの夢に来るのです。P293ANDI

ポニョ:ババさんが夢に出て来て帰依者達を神の元に導く話をしていますが、ババさんが帰依者達を守る為に、夢に出て来てアドバイスをする事もあるよな。

ヨシオ:確かこのエピソードはずっと前に紹介したけれど、俺たち家族は昔ババの帰依者になった頃、子供達が大好きなメロンが入っているベジタリアンスパゲティを食べに、近くにあるレストランに毎週一回連れて行ってたんや。するとある日ババさんが夢に来られてこう言ったんや。もう二度とあのレストランに行ってはならないって。俺はどうしてかなと興味があって、俺たちはレストランの常連だったので、そこのマネージャーに頼んで厨房を見せてもらったんや。すると壁には赤ちゃんゴキブリが這いまくっていて、料理を作っているシェフは食わえ煙草で煙草の灰が調理している料理に落ちているのも構わず調理していたんや。俺はこんな不潔なところで調理していた料理を子供に食わしていたんかと後悔して二度とそのレストランには行かなかったな。

ポニョ:おいらも小さな食堂屋さんをおっ母が経営していたけれど、赤ちゃんゴキブリは油を扱うところでは出てくるのは当たり前やぜよ。全てのゴキちゃんを退治するのはなかなか難しいな。ゴキブリホイホイがすぐにいっぱいになるんや。でも壁にベイビーゴキちゃんの団体が這っているってよっぽど不潔やぜよ。知ってる?ゴキちゃんって首だけをきれいにちょん切っても二週間も生きてるんやで。それで口が無いから餓死して死ぬんや。

ヨシオ:気持ち悪いなその話は。ババが言われた意味はそれだけではなく、その調理人の想念が悪いとか、俺たちの目には見えない理由があったからかもしれないな。先日もお釈迦様の花祭りで、家族総出で大きな祝賀行事に行ったんや。家族のみんながそこにある出店ので食事をしたいって言ったんや。全ての出店は菜食で全部で20軒ぐらいあったかな。その内のタイ仏教徒が出している出店でいろんな料理を買って食べたんや。俺は嫁さん以外の人が作った料理は食べないので、みんなが食べるのを見てたんやけれど、みんなが美味しいから一緒に食べようと勧めてくれたので、料理をしていた女の人をチェックするとふくよかな浄性そうな人やったので、少し一緒に食べたんやけれど、その日から三日間普段見ないようなひどい夢を見たんや。それは誰かから借金をして首が回らなくなったり、お金を寄付してくれって言われてしたら、実は騙されてたり、後もう一つの夢はもっとひどい話やからここでは言えないけれど、その料理をしていた女の人の想念がしっかりと入っていたな。俺はもうこりごりやな外食するのは。外で食べるとその料理を作った人の想念が俺の中に入って来るんや。普段思ったことがないような思いが湧いて来たり夢に出て来るので、すぐにその料理人がどんな思いでその料理を作ったのか分かるんや。それって気持ち悪いやろ。

ハートを純粋にするために努力をしなさい。
このことにあなたの最大の努力を傾けなさい。
ハートが純粋であれば、どのようなことでも成し遂げることができます。
ハートを純粋にするには、神聖な食物を食べなければなりません。
食物を調理する人は神聖な感情をもっていなければなりません。
昔は、正統のブラーミンは、自分の妻が調理した食物にしか手をつけませんでした。
その理由は、主婦は、家族全体の幸福を願って食事の準備をしたからです。
一方、料理人を雇えば、彼らがどんな感情で食事を作るかは、神のみぞ知るところです!
料理人の不浄な思いが料理に入れば、それはあなたの心を毒します。
アンナム ブラムハ(食事は神)です。
ですから、食事は神聖な気持ちで調理すべきです。
物理的な清潔さのみでは不十分です。
心もまた純粋でなければなりません。
料理に使う野菜は、正しい方法で手に入れたものであるように気をつけるべきです。
例えば、夫が市場から野菜を持って帰ります。
彼は、職権を乱用して、お金を払わずにそれを持ち帰ったのかも知れず、あるいは、小売り業者自身が、不正な手段でその野菜を手に入れたのかも知れません。
そのような野菜を食べれば、あなたの心は汚染されます。
あなたは、自分が食べる食物があなたの行動の原因であることに気づきません。
不浄な食物は、人に神聖でない行動をとらせます。23/11/02

ポニョ:そうやな。おいらはまだそこまで繊細じゃないし、どこで何を食べても胃袋が膨れるだけで、霊体には何の影響も無いけれど。でもそういう日常的な生活にまでババさんが色々夢に出て来てアドバイスしてくれるって良いよな。

ヨシオ:次の夢のエピソードも以前紹介したけれど、長女がまだ三、四歳ぐらいの時によくハレクリシュナグループが経営するゴパールという菜食カレー屋さんに昼飯を食べに連れて行っていた時があって、そのレストランの壁には子供の頃のクリシュナの絵が飾ってあったんや。俺の娘はクリシュナが好きで家でクリシュナを讃えるインドの歌をテープで流すと、娘は部屋に飛んで行ってパンジャビの服に着替えて歌に合わせて踊り出すんや。その踊りがまるでプロ並みの振り付けで、一体どこで覚えたんやろかと思うぐらい上手かったんや。それでいつも来客が来ると娘のパフォーマンスを見てもらうのが、訪問者へのもてなしのようになっていたんや。ある日、その娘が朝目覚めると俺に、「今朝クリシュナが夢にやって来たよ」って言うんや。そして「夢の中でクリシュナはフルートを吹いたり、私とダンスをしていたんやけれど、突然クリシュナの顔がサイババさんの顔に変わったの。お父さん。クリシュナとサイババさんは同じ神さんなんだよ」って言うんや。

ポニョ:三つや四つの子供がそんなことを言うって驚くよな。

ヨシオ:そして暫くしたらまたこんな夢も見たんや。ババが両手の指先を胸元で合わせて綺麗な三角形を作って踊っていたんや。そしてその三角形の真ん中に卵が浮かんでいたんや。そしてその合わした両手と両足の指の間からは蜂蜜が流れ出していたんや。俺はその頃、ババの帰依者になったばかりでそれが何の意味か分からなかったので、サイセンターに行って聞くと、「その卵はリンガムと言って、宇宙の形を現しており、ババ様が宇宙全体をその手の中に持っておられるという意味です。また指の間から流れ出した蜂蜜は、アムリタという名の神の飲み物で、神の化身の指の間から常に流れています。」と言われたんや。俺はとても驚いて、こんな小さな娘がどうしてそのような夢を見るのかなと不思議な気持ちに包まれたことがあったな。

ポニョ:その長女さんの話は以前記事にしたよな。確か頭を強く打って意識不明になったエピソードを紹介したよな。

ヨシオ:そうそう。あの時は少し焦ったな。意識不明になったまま、胃の中にある全てのものを吐き出し、胃酸しか出ないのにまだ戻そうとしてるんや。まだあいつが三歳の頃やったな。医者に絶対安静やと言われたので緊急病棟に入院し、涙を出しながら苦しそうに戻し続けている娘を見ながら、俺はババにお願いをしたんや。「俺はこの娘の肉体の親やけれど、あんたは本当の親や。本当の親であるあんたが自分の娘を連れて帰るのはあんたの自由や。それに関しては俺は一切口を挟むつもりもないし、反対する理由もない。でも肉体の親として一つだけあんたにお願いできるかな?それは、あんたがこの娘を連れて帰る時に痛みを感じないようにして連れて帰ってくれるか?もちろんその痛みを感じるのがこの娘のカルマであれば仕方がない。でもその場合は、俺にそのカルマを肩代わりさせてくれるかな。どんな痛みでも受け取るで。それぐらいの小さな願いは叶えてくれてもええやろ?なあババさんよ、頼むわ。一生のお願いや。娘がこんな風にして苦しむのを見てられないんや。お願いやから聞いてくれるか?」と涙を流しながらお願いしたんや。そして娘の小さいおでこにヴィブティを塗り、口の中にも入れ、枕の下にはババの写真を入れてすやすやと寝息を立てて寝始めた娘の顔を見ながら一晩一緒に過ごしたんや。すると翌朝、娘は突然意識を取り戻して大きな目を開けてこう言ったんや。「お父さんおはよう。私、サイババさんの夢を見たの。サイババさんが私に『どうしたの?どこが痛いの?』って聞いてくれたので私は『頭が痛いの』って言うと、ババさんは『これを飲めば良くなるよ』と言って緑色と赤色の丸い薬をくれたの。それで二つ一緒に飲むと、ババさんは『良い子だ。朝起きればもう治っているよ。』と言われたの。お父さん、私、お腹が空いちゃったよ。」って言ったんや。俺はおもわずババさんに「ありがとう」って言って娘を抱きしめて、「お母さんの作った朝ごはんを食べに帰ろうね」と言って家に帰る用意をしてたら、看護婦と医者が病室にやって来て、「あなたはいったい何をしているのか」と問い詰めるように俺に聞いたんや。俺は「この娘には特別なかかりつけの医者がいて、その医者がもう完治してくれたので家に連れて帰る準備をしているところや。今まで世話になった、ご苦労さん」と言うと、「きちがい親だ君は!」と言って、「どうしても連れて帰るのであれば書類に一筆書いてからでないとこの病院から一歩も外に出すわけにはいかん」と言ったので、「どんな書類でも書いたるわ」と言って書類にサインをしてから連れて帰ったんや。

ポニョ:医者も意識不明の子供が、突然お腹が空いたって言って起きたら驚いたやろな。

ヨシオ:驚いていたって言うより、俺が連れて帰るって聞かないので呆れていたな。むちゃくちゃするキチガイ親やと思っていたんやろ。

ポニョ:次女さんにも確かババさんが夢に出て来た面白いエピソードがあったよな。

ヨシオ:そうやったな。あれは確かまだ長女と長男は本が読めるけれど、次女はまだ読めない頃やったな。この前、ラーマヤーナの話を記事にしたけれど、その時にこのブログに紹介したラーマヤーナの本を二人の子供に与えて読ませていたんや。でも次女は絵本でしかラーマヤーナの物語を知らないので、とても悲しんでいたんや。というのも長女はクリシュナが大好きやけれど、次女はラーマとシータが大好きで、ラーマヤーナの絵本を何度もボロボロになるまで読み返していたんや。それで次女は、お兄ちゃんとお姉ちゃんにラーマヤーナの本を読んで聞かせて欲しいと頼んだんやけれど、二人とも自分が読むのに必死で、妹に読み聞かす余裕なんてなかったんや。でもそんなある日、次女はペラペラとラーマヤーナの詳しいストーリーを、まるで本を読んで知っているかのように朝食の時にお兄ちゃんやお姉ちゃん達と一緒に話しているんや。俺はその会話を横で聞いていて、ラーマヤーナのストーリーを絵本でしか知らないはずなのに、どうしてそんな詳しいエピソードを知っているのか不思議に思って次女に聞きただすと、次女は驚くべき事を口にしたんや。それは毎晩夢にババがやって来て1章ずつ、次女に直接ラーマヤーナの詳しいストーリーを読み聞かせているんや。それで長女や長男達も、妹の方が自分たちが読んでいるところよりも先のエピソードを知っているのでとても驚いていたな。

ポニョ:それは誰でも驚くぜよ。子供の心は純粋やからそういった神様を求める願いは、直接神様の元に届くんやろな。おいら達もみんな子供の頃は、そんな純粋な思いを持っていたやろか。あんたのような強面の顔を見てると、あんたにもそんな時があったなんて信じられないけどな。

ヨシオ:顔は関係無いやろ。

心の中の小さな想念は、池に投げ込まれた小石のように乱れを作り出し、心全体に広がって、さらにそこから全身に広がっていきます。
全身はその想念の性質の影響を受けます。
目はその想念に促されたとおりの光景を探します。
手はその想念の波の影響で、その想念とよく似た性質の行為をします。
同様に、足も感化されて、心にある想念に促された場所へと向かいます。
ですから、心に純粋で神聖な思いを育てるべきなのです。
純粋な思いが心からハートに入ると、それは体の隅々にまでに広がって全身を清めます。反対に、思いが不純でも、同じように全身がその不純物の影響を受けます。
もし、国中の人が純粋な思いでいるならば、国中が神聖になります。
それゆえ、神聖な思いを育てることが重要なのです。
もし、すべての人のハートに良い思いがあれば、人類は慈悲深くなります。
それと同じように、人生も甘美なものになります。
近ごろでは、人の心もハートも、汚れた不純な思いでいっぱいです。
不純がはびこる原因は何でしょう?
悪い想念こそが悪の源です。
いつも自らの心を検証し、その思いが正しいか間違っているか、純粋なものか汚れたものかを、まず最初に調べなさい。24/11/00


夢って思いが鏡に写っているのか?

2016-04-21 00:00:15 | 日記
誕生も死も、肉体と関係するものであり、人間の魂と関係するものではありません。
その両方の原因は心です。
すべてのものは人間が自分で作り出したものです。
人生は夢です。
夢に出てくるものがどうして本物であり得るでしょう? 
すべては幻想にすぎません。
幻想に浸っている限り、ブラフマー(神)のヴィジョン(視野、視力、姿)を得ることはできません。
幻想という足かせをはずして初めて実在するものを体験することができます。25/12/03

ポニョ:ババとコンタクトするのにというか、ババがあんたにコンタクトするのに、三つの方法でしてこられると言ってたけれど、夢の中に出て来られてコンタクトするって、おいらのように夢を見ても覚えられない人には難しいやろな。

ヨシオ:ポニョも時々夢を覚えているやないか?この前は交通事故の夢を見て側壁にぶつかり死にそうになって夢の中でサイラムって唱えてたって言ってたやろ。

ポニョ:あれはめちゃリアルやったぜよ。すぐに飛び起きてしまったんや。カラーでしかも音声まで入っていて、おいらの叫び声まで聞こえたんやで。寝間着も汗でぐっしょり濡れていたし、心臓の鼓動も速くてまだドキドキしてたな。でも夢の中でも、サイラムって唱えれたから良かったな。

夢の中でライオンに追いかけられるなら、あなたはすぐに目を覚まし、目覚めのレベルに戻って来ます。
夢の中で生じたことは、あなたを目覚めさせる力を持ちます。
そのように目が覚めている時、あなたがそれを夢と見做すならば、神の恩寵によってあなたは目覚めの世界から、突然に英知の世界に導かれるかもしれません。
怖いライオンの夢を見て、人は夢の世界から目覚めの世界へ返りました。
あなたが目覚めの世界を夢とみるなら、その時、英知の世界は夢からの覚醒に当たります。
それゆえ、聖者や賢者達は私達に目覚めよ、起きよ、悟れよ、と呼びかけてきたのです。SSIB1972

ヨシオ:夢って普通はその人のイメージの世界で、昼間の間の何か体験したり強く思ったり印象に残った事が夢となって現れるんや。

ポニョ:そういや、知り合いの人の車に乗せてもらったんやけれど、めちゃ速い運転をするんや。まるで道路をレース場か何かと間違えているように。特に交差点ではギヤを一つか二つ落としてアクセルを踏みながらドリフトしながら回るんやで。もし誰か歩行者がカーブの向こうにいてたらどうするんや?って聞いたら、そんなこと簡単や。ヒール&トウで運転してるからすぐ止まれる。それでも間に合わなかったらハンドルを切ってパーキングブレーキをかけてら車はクルッと半回転して止まるんや。俺は何度もやったことがあるから安心して乗っとけやて。あいつ一度事故って頭打たないと治らないやろな。でもめちゃ怖かったぜよ。おいらは何十年もバイクに乗っていてスピードに慣れているけれど、公道をあんな風にして走った事はないぜよ。

夢は、起きているときの反応と、反映と、反響にすぎません。
昼間に何をしたとしても、夜それは夢の中に入ってきます。
夢は流れ行く雲のようなものです。
夢のあとを追いかけてはなりません。
真理で永遠で不変なる神につかまっていなさい。
そうすれば、恐れも悩みもなくなるでしょう。1/5/08

ヨシオ:ポニョは安全運転やもんな。絶対スピード違反しないし、信号無視もしないし、何と言っても運転してる時は落ち着いているよな。俺の方がせっかちで渋滞の出くわしたら絶対裏道や抜け道を探してウロウロするけれど、ポニョそのまま気長に渋滞している道でも気にせずにいれるもんな。

ポニョ:裏道抜け道を探して早く目的地に着けても知らない道を走ると慣れないから事故の元やぜよ。危険が危ない。

ヨシオ:そういうところがポニョのええとかやな。でも夢の話に戻るけれど、実はこの俺たちが生きて活動している昼間の世界も夢の世界なんや。それに気づくのが俺たちに課せられた霊性修行なんや。

「夢を見ているとき、あなたはいつ自分が夢を見ている ことを自覚しますか? 」
「目覚めるまでは、あなたは自分がその夢と一体になっていませんか? 」
「はい(なっています)」と、私は言いました。わかりますか。スワミが意味されていたのは?眠っているとき、私たちは自分が夢を 見ていることに気づいていないということです。夢の中では、あなたは夢が現実(事実) だと感じています。もう一人の「私」がベッドの上で眠って夢を見ているとは気づかないのです! 二人の「私」は存在しません。一人だけです!
スワミはおっしゃいました。「同様に今、あなたは夢を見ているのです。これらの問題はすべて夢の領域に分類されます。ですから、あなたが自分自身に言い聞かせなければならないことが何であるかわかりますか?『スワミ、それはすべて白昼夢です!』という事です。あなたがそのように言えば、その問題は、あなたに何ら影響を及ぼしません! しかし、起こっていることが何であれ、あなた 自身が(夢と現実を)同一視すれば、あなたは苦しむことになります。それゆえ、あなたは(自分に与えられた)役柄を、ただ(役者として)演じなければならないのです」ラニマーへのインタビュー

ポニョ:そんな話を何度か記事にしたよな。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/a990a13ec6935f506167bec51ddd8271

http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/27d28e1d6c14c4f122879afe48ee7ef2

でもおいらが見る夢で覚えているのは今のような事故やら何かモンスターに追いかけられたりする悪夢が多いんや。これ、なんとか出来ないかな?

ヨシオ:夢って自分の思いが写る鏡みたいなもんなんや。だから昼間、起きている時に正しい事をして、物事に執着するのを少しずつ減らしていけばポニョのような悪夢を見る事も少なくなって行くんや。

目の覚めている状態で執着に捕らわれると、夢を見ている状態や熟睡状態の、最も微妙な姿でも執着が現れます。
夢を見ている状態とは、鏡に映った像のようなものです。
目の覚めた状態でどんなことを経験しても心が受け取ったものが映った姿として夢の中に現れます。
目の覚めた状態と、夢を見ている状態は物と鏡に映し出された物の像に似ています。
目の覚めている状態で正しい道を選び、真実を知り、真実の光りの中で行動していれば、夢を見ている状態でも正しい道を歩んでいけます。
目覚めの道を進むためには、感覚的な物の欠点に気づいて、少しずつその欠点を乗り越えて、執着を捨てていくことが大切なのです。SGc13

ポニョ:そうか。執着を少なくし、普段の生活を正しく律して行けば悪夢は見なくなるんやな。ええ事を聞いたぜよ。夢ってコントロール出来るんや。そういやおいらがルッドラムを学んでいる時に、毎日ルッドラムばかり朝から晩まで唱えていたので夢の中まで唱えていたぜよ。

ヨシオ:ああいうすごい波動を持ったマントラっていうかヴェーダを毎日朝から晩まで唱えたら昼間に見たり聞いたりして霊体にためた悪い波動は一瞬にして萌え尽くされて、夢の中にそういうものが出てくる事は無いやろな。

ポニョ:人は起きている間にいろんな事を体験するけれど、それらはすべて神様が御自分の意思で創造された世界の劇の中の一つのシーンで、おいら達はその劇の中の役者だと気づくのが霊性修行だっていう話は面白かったぜよ。そういう事に気づく為には、その劇を創作された神さんの方、つまり劇のディレクターの方を常に見て、いろんな話やシーンが展開し、自分も演じている劇の夢中になってはいけないって事なんやな。

神は人の内にいるにもかかわらず、人は神に気づくことができずにいます。
人は夢を見ているときに死を体験して悲しく感じることがあります。
そして夢からさめて、それはただの夢だったことを知りほっとするのです。
では、夢の中で死んだのはだれだったのでしょう?
夢は心の創造物にすぎません。
同じように、目が覚めているときの体験もすべて心の創造物です。
私のお父さん、私のお母さん、私の妻、私の子ども、といった感覚はすべて迷妄から生まれます。
それらは現実ではありません。
迷妄のために、人は肉体的な結びつきを作り出し、自らを苦しめているのです。
純粋で汚れのない愛を育むなら、人は痛みや苦しみを感じることはなくなるでしょう。
肉体への愛はにせ物で束の間のものです。
真我への愛は本物で永遠なるものです。
本当の自分を知るためには、内的探求をすべきです。25/12/03

ヨシオ:この世界を真だと思い込み、世俗的なものを追い求め、いろんなものに執着すると、人は輪廻の車輪に巻き込まれて何度もこの世に生まれ変わらなければいけないんや。そしてこの世から得た喜びに満足してその喜びに浸っていると、いつか大きな苦しみがやって来て、人に何が真かを教えてくれるんや。だから人が経験するすべての苦しみや困難は良い事なんや。

ポニョ:幸せは苦しみや悲しみの間にあるってババは言ってられるもんな。それってオクラの収穫と一緒じゃん。収穫すればしばらくの間生えてこないので寂しい思いをするけれど、それは次の収穫の喜びまでの間の悲しみなんや。こういう例を出すと良く理解できるぜよ。でも頭で理解出来ても、実際苦しみや悲しみがやって来た時にはどう対応できるかは、別の問題やぜよ。だってオクラのマルミちゃんが病気になって花が咲いても、実が収穫できない時はめちゃ落ち込んむもんな。知ってる?オクラの花ってめちゃ可愛くて綺麗やねんで。まるで天からの恵みを全て受け取りますよって感じで、天に向かって真っ直ぐ咲くんや。

ヨシオ:オクラの話はもうやめとこ。

夢の世界を照らしているものは何でしょう。
深い眠りの状態では、全くの暗闇になります。
タマスのグナがあるだけです。
その状態では、知識も英知もありません。
ところでどうしてそこが暗闇だと分かるのでしょうか。
どういった認識の光りでそこが暗闇だと分かるのでしょうか。
深い眠りの状態は意識の無い状態、夢を見ている状態は潜在意識の状態、目の覚めているときは顕在意識の状態だと言えます。
その三つを超えた四つ目の状態があります。
それを意識を超えた状態と呼んでいいでしょう。
意識を超えた状態では、あらゆるもの、あらゆるところを見ると共に究極の悦びを味わいます。
一体何がこの悦びの状態に灯りを照らし、完全な悦びを経験させているのでしょう。
それはアートマの放つ光です。
この光が、他の三つの状態を照らし出し、皆さんにその姿を見せてくれているのです。
~暗闇を暗闇と認識できるのは、暗闇さえも認めることの出来る意識の光りがあるからです。
それがアートマの光りです。
このすべてを超えた光りがあるからこそ、他のすべての光りは輝くことが出来るのです。
~目の覚めた状態で見えるものは、夢を見ている状態ではみんな消えて無くなります。
夢を見ている状態で味わう悦び、悲しみも目の覚めた状態に戻ったときに無くなります。目の覚めた状態で見える人も物も、夢を見ている状態では、移りゆく影のようなものです。
深い眠りの状態では、それも完全に消えて無くなります。
そんな風に悦びは、意識の状態によって変わっていきます。
皆さんは、この世の悦びがいつまでも続くと思っているかもしれませんが、それはいつか、大きな苦難となって皆さんに辛い思いをさせるでしょう。SGc19