私は本を読みません。
でも私はすべての宇宙の歴史を知っています。
私は過去、現代、未来を見ることが出来ます。
私は、時空を超えた存在です。
あなたは私を同時に二つの違った場所で見て驚きましたが、将来、二つどころか何千もの身体を取って、同時にあらゆる場所に出現することでしょう。P, 66 ANDI
ポニョ:前回は、清い心は不浄なものを見ないようにすれば養われるという事を話しました。
ヨシオ:誰でも欲望はあるし、どこに行ってもいろんなやらしい広告などが目に飛び込んで来るから、不浄なものを見ないようにするのは難しいけれど、そういう努力はいつもしないといけないな。
ポニョ:以前、ババが車を停めて盲目の老女にお金を恵んであげた時に、一緒にいたヒスロップさんがあの盲目の老女は可哀想ですねと言ったら、ババがどうして可哀想って分かるんだ?彼女は周りの人も全て自分と同じだと思っているから、自分は別に可哀想だとは思っていない。逆に彼女はとても幸せなんだよと言われたよな。という事は、目が見えないことによって、自分は人と違うって分からないから、返って彼女にとっては良いことなんやろか?
ヨシオ:目ってある一つのものと、その他のものを比較して違いを見つけるという役割をするやろ。だから目が見えない事によって、自分を他の人と比べる事が出来ないんや。だからあの人のようになりたいとかという欲望が湧いて来ないんやろな。
欲望というのは、心が他と比較をするという傾向から生じます。
それは主に目のヴィジョンを使うことによって心が比較をするという機会を得ます。
しかし彼女は盲目なので、心は比較をするということをしないので心は忙しくなりません。
それゆえ欲望も湧いてこないのです。P205MBAI
ポニョ:それって面白いよな。つまりこの世にあるものは全て、心を忙しくさせるように出来ているので、見なかったり、知らなかったり、聞かなかったりすれば、心がさまよわないって事になるんやろな。
ヨシオ:今年はサル年やけれど、見猿、言わ猿、聞か猿って事やな。
ポニョ:でも、神様ってどうして心がさまようようなものばかりをこの世にお造りになられたんやろな?それに人はもし目が無い方が、もっと落ち着いた生活が出来るんやったら、別に目なんて要らないし、どうして神様って人に目を与えられたんやろか?
ヨシオ:以前、その事について少し話した事があるよな。五感と心について。心が五感の上に持って来て、五感をコントロールしなければいけないって言ってやろ。覚えてるか?だから、いろんなものを見れる目が悪いのではなく、その目をコントロール出来ない自分が悪いんや。
今日読まれた詩の中で、なぜ神様は人に外を見ることができる目を与えておいて、その目が外的なものばかりを見るといって非難されるのか?という疑問が提起されました。
それは間違っています。
目は外的なものばかりを見るわけではありません。
目は、心のメッセンジャーとして振る舞っているだけです。
もし心が目にあちこち見るなと命令すれば、目は従うはずです。
先ほどの詩人はまた、神様は人に間抜けな心をなぜ与えたか?と非難していましたが、心は間抜けなんかではありません。
心は神と結びつけることもできれば解き放つこともできるのです。
執着と自由は心によって影響されるのです。
それらはあなた自身の選択です。心はただの道具であってどちらにも使えるのです。
それを使っている人を非難すべきであって、道具を非難すべきではありません。SSS5p283
ポニョ:なるへそ。でも目が、いろんなものを見る事によって欲望が湧いて来るんやったら、出来るだけ余計なものを見ないほうが良いに決まってるし、欲望を満たすために、いろんなものを手に入れれば、それはそれでまた、そのものに執着してしまうし、本当に人間って厄介な動物やぜよ。
ヨシオ:動物って結構執着心が強いやろ。魚や鳥、いろんな野獣、犬や猫でも自分のテリトリーを持っていて、それを侵されたら必死になって戦うやろ。
ポニョ:犬を散歩に連れて行った時にあちこちションベンをするのは、自分のテリトリーの印を付けているんやぜよ。それに虫だってテリトリーを持っているんや。テリトリーは、生き物にとって自分の食料を確保するという意味で、とても重要なんやぜよ。昔、鮎釣りに行った事があって、囮の鮎に針を付けて鮎がいそうな川に囮を放すんや。するとその川に住んでいる鮎が、自分のテリトリーを護ろうと囮の鮎に体当たりしてきた奴を仕掛けの針で引っ掛けて取るんや。この漁法も鮎のテリトリーを守る習性を利用してるんや。
ヨシオ:それって残酷やおまへんか?そんなことをしてポニョは昔から川遊びをしてたんか?
ポニョ:まだ子供の時やったので許してくれますか?
執着が多いということは、動物的性質が多いということです。
動物の本質とは、識別心がないことです。
執着によって盲目になっている人は、過ちさえ良い行いだと感じます。
執着は必要ですが、一定の制限を課しなさい。
皆さんは特定の身内に対して執着を持っているでしょう。
自分の妻子を気遣って面倒を見ているでしょう。
けれども、こうした義務を行っている時の最も容易な道は、すべては神のものであると悟ることです。
すべての行為を神性さという意識を持って行えば良いのです。
そうすれば、あなたの行為は神を喜ばせるものとなり、神の愛を得ることができるでしょう。26/5/95
ヨシオ:お互いまだババの事を知らなかった時に、いろんな悪さをしたよな。いつかはカルマを支払わなければならない時が来るんやろうけれど、いろんな殺生をしたよな。
ポニョ:過ぎ去った過去は忘れましょう。またやり直す事はできないし、今、この現在を生きるって大切やってババが言っておられるやないか。
ヨシオ:そうやな。ババは今を生きる事はとても重要やって言っておられるもんな。だって今は直ぐに過去になるし、今、やった事は未来に種を巻く事にもなるから、今現在の行為は、実は過去と未来と、現在の三つを含んでいるんや。
ポニョ:ババから見たら、実は、過去も現在も未来も一緒やもんな。ババは花輪を指にかけて、この花輪の上の部分が指にかかっているところが現在です。そして、花輪をくるりと回すと現在だった部分が過去になり、未来だった部分が現在にやって来ました。私はこの花輪全体を、花輪を回す前から見ていましたので、過去も現在も未来も全てお見通しなのです。と言われた事があったよな。
ヨシオ:その例は分かりやすいよな。神さんがどんな風にして俺たちの世界を見てるって分かるもんな。
世俗的なレベルで体験することはすべて、流れ行く雲のように一時のものであり、現実のものではありません。
そうした一切を心配すべきではありません。
皆さんは人生という旅を前進して行かなければなりません。
前に進むのに、後ろを見る必要がどこにありますか?
過ぎたことはすべて、自分がすでに見終えたことです。
このようにして、過去と現在と未来は来ては去っていきます。
それゆえ、決してこの世界の何についても心配しないようにしなさい。
けれども、中にはとても心配性な人たちもいます。
皆さんの多くは勉強のことを心配しています。
また、家族のことを心配している者もいます。
たとえば、今までいつも一緒にいてくれたのに、自分一人残して逝ってしまったと考えて、夫の死を嘆き悲しむ女性が大勢います。
生まれた者はいつかは必ず死ぬ運命にあります。
過去にも現在にも未来にも、すべての時に存在しているのは神のみです。
人々は自分の想像によって、名前や姿に惑わされています。
そうした想像を捨て、すべては一つという原理を理解しなさい。
皆さんは新しい年が始まったと思っています。
では、この新しい年はどこから来たのですか?
古いものがなければ、どうやって新しいものが存在し得るでしょう?
新しくなったものは古いものであり、時間の経過と共に、新しいものは古くなります。
古いとか新しいといったものは、鏡に映し出された物とその物自体のようなものです。
ですから、こうした事柄について心配すべきではありません。
すべての心配と悲しみと困難を追い払いなさい。15/1/08
ポニョ:人々はこの宇宙の創造主が人の姿を取っておいら達の世界に来られた意義を理解していないぜよ。神の化身が三代に渡って来られる。このカリユガの終わりにではなくて、ちょうどユガ期の真ん中あたりに。しかもちょうど物質文明が花盛りで、経済が一番繁栄し、物が溢れかえっていて、人々は神をないがしろにし、ダルマを踏みにじり、人の心を金で買って良心の囁きもどこ吹く風とばかりに、権力や金を持っているブタ野郎が大きい顔をして、コネやツテを使って世の中を跋扈して、好き放題に自然を破壊し、罪なき生き物を殺戮し、自分と同じ人間でさえも人口が多すぎると言って、ワクチンや遺伝子組み換え作物、飲料水にフッ素を混ぜたり、放射能で内部被曝をさせたり、引いては武器を売るためや地下資源を獲得するために、マスコミを使って人々を洗脳して戦争を起こし、多くの罪なき人々の家や家庭を破壊し殺しまくる。こういう事がまかり通っている世界を正しに来られたんや。それって、手をクルクル回して、指輪やネックレスを物質化して奇跡を起こし、人々から、ああ、あれは手品師だとか、トリックだとか言われているうちに、ついでに自分も目を回して死んじゃったアフロヘヤーの小柄なインド人がいたよなって社会から忘れされようとしている存在じゃないんだってばよ。もうすぐババが空に現れ、世界中にその真の姿を見せられ、人々に、実はこの世界に神様がいたのだと畏敬の念を与えるイベントが、大きなどんでん返しがやって来るんだってばよ。ババが言われた事はただの冗談ではないんだってばよ。
ヨシオ:よくそれだけ一気にまくし上げれたな。でもポニョが興奮したらナルトになるんか?今度啖呵の切り方でも教えたろか。結構ええセンス持ってるやないか。
多くの人々は、私の言葉を重視せず軽く取っています。
これは正しいことではありません。
私が話すことは、例え私が軽い調子で話し、冗談として話したとしても、全て真理であり真理のみなのです。
しかし、人々はそのことに気付いていません。
肉体的にスワミの近くにいる人でさえも、このことを正確には理解していません。
その結果しばしばスワミの言うことを無視しています。
私の言葉を真剣には受け取らず、スワミは軽い調子で話をしたのだと思っています。
そして、私の言葉が真理である事を後でそれが現実となった時にようやく気付くのです。人は未来のことを何も知らないので、私の言葉を軽く受け取ります。
けれども、私の言うことが全て本当だということが将来判明するでしょう。
そうして初めて、人は私の言葉を理解することが出来るのです。
眼の前で、私が歩き、話しているのを見、起こっている事を全て目撃しているのにもかかわらず、人々は私の言葉を理解することも、私の神聖さを認識することも出来ずにいます。
人々の多くは、私の言葉を冗談でかたづけます。12/10/08
でも私はすべての宇宙の歴史を知っています。
私は過去、現代、未来を見ることが出来ます。
私は、時空を超えた存在です。
あなたは私を同時に二つの違った場所で見て驚きましたが、将来、二つどころか何千もの身体を取って、同時にあらゆる場所に出現することでしょう。P, 66 ANDI
ポニョ:前回は、清い心は不浄なものを見ないようにすれば養われるという事を話しました。
ヨシオ:誰でも欲望はあるし、どこに行ってもいろんなやらしい広告などが目に飛び込んで来るから、不浄なものを見ないようにするのは難しいけれど、そういう努力はいつもしないといけないな。
ポニョ:以前、ババが車を停めて盲目の老女にお金を恵んであげた時に、一緒にいたヒスロップさんがあの盲目の老女は可哀想ですねと言ったら、ババがどうして可哀想って分かるんだ?彼女は周りの人も全て自分と同じだと思っているから、自分は別に可哀想だとは思っていない。逆に彼女はとても幸せなんだよと言われたよな。という事は、目が見えないことによって、自分は人と違うって分からないから、返って彼女にとっては良いことなんやろか?
ヨシオ:目ってある一つのものと、その他のものを比較して違いを見つけるという役割をするやろ。だから目が見えない事によって、自分を他の人と比べる事が出来ないんや。だからあの人のようになりたいとかという欲望が湧いて来ないんやろな。
欲望というのは、心が他と比較をするという傾向から生じます。
それは主に目のヴィジョンを使うことによって心が比較をするという機会を得ます。
しかし彼女は盲目なので、心は比較をするということをしないので心は忙しくなりません。
それゆえ欲望も湧いてこないのです。P205MBAI
ポニョ:それって面白いよな。つまりこの世にあるものは全て、心を忙しくさせるように出来ているので、見なかったり、知らなかったり、聞かなかったりすれば、心がさまよわないって事になるんやろな。
ヨシオ:今年はサル年やけれど、見猿、言わ猿、聞か猿って事やな。
ポニョ:でも、神様ってどうして心がさまようようなものばかりをこの世にお造りになられたんやろな?それに人はもし目が無い方が、もっと落ち着いた生活が出来るんやったら、別に目なんて要らないし、どうして神様って人に目を与えられたんやろか?
ヨシオ:以前、その事について少し話した事があるよな。五感と心について。心が五感の上に持って来て、五感をコントロールしなければいけないって言ってやろ。覚えてるか?だから、いろんなものを見れる目が悪いのではなく、その目をコントロール出来ない自分が悪いんや。
今日読まれた詩の中で、なぜ神様は人に外を見ることができる目を与えておいて、その目が外的なものばかりを見るといって非難されるのか?という疑問が提起されました。
それは間違っています。
目は外的なものばかりを見るわけではありません。
目は、心のメッセンジャーとして振る舞っているだけです。
もし心が目にあちこち見るなと命令すれば、目は従うはずです。
先ほどの詩人はまた、神様は人に間抜けな心をなぜ与えたか?と非難していましたが、心は間抜けなんかではありません。
心は神と結びつけることもできれば解き放つこともできるのです。
執着と自由は心によって影響されるのです。
それらはあなた自身の選択です。心はただの道具であってどちらにも使えるのです。
それを使っている人を非難すべきであって、道具を非難すべきではありません。SSS5p283
ポニョ:なるへそ。でも目が、いろんなものを見る事によって欲望が湧いて来るんやったら、出来るだけ余計なものを見ないほうが良いに決まってるし、欲望を満たすために、いろんなものを手に入れれば、それはそれでまた、そのものに執着してしまうし、本当に人間って厄介な動物やぜよ。
ヨシオ:動物って結構執着心が強いやろ。魚や鳥、いろんな野獣、犬や猫でも自分のテリトリーを持っていて、それを侵されたら必死になって戦うやろ。
ポニョ:犬を散歩に連れて行った時にあちこちションベンをするのは、自分のテリトリーの印を付けているんやぜよ。それに虫だってテリトリーを持っているんや。テリトリーは、生き物にとって自分の食料を確保するという意味で、とても重要なんやぜよ。昔、鮎釣りに行った事があって、囮の鮎に針を付けて鮎がいそうな川に囮を放すんや。するとその川に住んでいる鮎が、自分のテリトリーを護ろうと囮の鮎に体当たりしてきた奴を仕掛けの針で引っ掛けて取るんや。この漁法も鮎のテリトリーを守る習性を利用してるんや。
ヨシオ:それって残酷やおまへんか?そんなことをしてポニョは昔から川遊びをしてたんか?
ポニョ:まだ子供の時やったので許してくれますか?
執着が多いということは、動物的性質が多いということです。
動物の本質とは、識別心がないことです。
執着によって盲目になっている人は、過ちさえ良い行いだと感じます。
執着は必要ですが、一定の制限を課しなさい。
皆さんは特定の身内に対して執着を持っているでしょう。
自分の妻子を気遣って面倒を見ているでしょう。
けれども、こうした義務を行っている時の最も容易な道は、すべては神のものであると悟ることです。
すべての行為を神性さという意識を持って行えば良いのです。
そうすれば、あなたの行為は神を喜ばせるものとなり、神の愛を得ることができるでしょう。26/5/95
ヨシオ:お互いまだババの事を知らなかった時に、いろんな悪さをしたよな。いつかはカルマを支払わなければならない時が来るんやろうけれど、いろんな殺生をしたよな。
ポニョ:過ぎ去った過去は忘れましょう。またやり直す事はできないし、今、この現在を生きるって大切やってババが言っておられるやないか。
ヨシオ:そうやな。ババは今を生きる事はとても重要やって言っておられるもんな。だって今は直ぐに過去になるし、今、やった事は未来に種を巻く事にもなるから、今現在の行為は、実は過去と未来と、現在の三つを含んでいるんや。
ポニョ:ババから見たら、実は、過去も現在も未来も一緒やもんな。ババは花輪を指にかけて、この花輪の上の部分が指にかかっているところが現在です。そして、花輪をくるりと回すと現在だった部分が過去になり、未来だった部分が現在にやって来ました。私はこの花輪全体を、花輪を回す前から見ていましたので、過去も現在も未来も全てお見通しなのです。と言われた事があったよな。
ヨシオ:その例は分かりやすいよな。神さんがどんな風にして俺たちの世界を見てるって分かるもんな。
世俗的なレベルで体験することはすべて、流れ行く雲のように一時のものであり、現実のものではありません。
そうした一切を心配すべきではありません。
皆さんは人生という旅を前進して行かなければなりません。
前に進むのに、後ろを見る必要がどこにありますか?
過ぎたことはすべて、自分がすでに見終えたことです。
このようにして、過去と現在と未来は来ては去っていきます。
それゆえ、決してこの世界の何についても心配しないようにしなさい。
けれども、中にはとても心配性な人たちもいます。
皆さんの多くは勉強のことを心配しています。
また、家族のことを心配している者もいます。
たとえば、今までいつも一緒にいてくれたのに、自分一人残して逝ってしまったと考えて、夫の死を嘆き悲しむ女性が大勢います。
生まれた者はいつかは必ず死ぬ運命にあります。
過去にも現在にも未来にも、すべての時に存在しているのは神のみです。
人々は自分の想像によって、名前や姿に惑わされています。
そうした想像を捨て、すべては一つという原理を理解しなさい。
皆さんは新しい年が始まったと思っています。
では、この新しい年はどこから来たのですか?
古いものがなければ、どうやって新しいものが存在し得るでしょう?
新しくなったものは古いものであり、時間の経過と共に、新しいものは古くなります。
古いとか新しいといったものは、鏡に映し出された物とその物自体のようなものです。
ですから、こうした事柄について心配すべきではありません。
すべての心配と悲しみと困難を追い払いなさい。15/1/08
ポニョ:人々はこの宇宙の創造主が人の姿を取っておいら達の世界に来られた意義を理解していないぜよ。神の化身が三代に渡って来られる。このカリユガの終わりにではなくて、ちょうどユガ期の真ん中あたりに。しかもちょうど物質文明が花盛りで、経済が一番繁栄し、物が溢れかえっていて、人々は神をないがしろにし、ダルマを踏みにじり、人の心を金で買って良心の囁きもどこ吹く風とばかりに、権力や金を持っているブタ野郎が大きい顔をして、コネやツテを使って世の中を跋扈して、好き放題に自然を破壊し、罪なき生き物を殺戮し、自分と同じ人間でさえも人口が多すぎると言って、ワクチンや遺伝子組み換え作物、飲料水にフッ素を混ぜたり、放射能で内部被曝をさせたり、引いては武器を売るためや地下資源を獲得するために、マスコミを使って人々を洗脳して戦争を起こし、多くの罪なき人々の家や家庭を破壊し殺しまくる。こういう事がまかり通っている世界を正しに来られたんや。それって、手をクルクル回して、指輪やネックレスを物質化して奇跡を起こし、人々から、ああ、あれは手品師だとか、トリックだとか言われているうちに、ついでに自分も目を回して死んじゃったアフロヘヤーの小柄なインド人がいたよなって社会から忘れされようとしている存在じゃないんだってばよ。もうすぐババが空に現れ、世界中にその真の姿を見せられ、人々に、実はこの世界に神様がいたのだと畏敬の念を与えるイベントが、大きなどんでん返しがやって来るんだってばよ。ババが言われた事はただの冗談ではないんだってばよ。
ヨシオ:よくそれだけ一気にまくし上げれたな。でもポニョが興奮したらナルトになるんか?今度啖呵の切り方でも教えたろか。結構ええセンス持ってるやないか。
多くの人々は、私の言葉を重視せず軽く取っています。
これは正しいことではありません。
私が話すことは、例え私が軽い調子で話し、冗談として話したとしても、全て真理であり真理のみなのです。
しかし、人々はそのことに気付いていません。
肉体的にスワミの近くにいる人でさえも、このことを正確には理解していません。
その結果しばしばスワミの言うことを無視しています。
私の言葉を真剣には受け取らず、スワミは軽い調子で話をしたのだと思っています。
そして、私の言葉が真理である事を後でそれが現実となった時にようやく気付くのです。人は未来のことを何も知らないので、私の言葉を軽く受け取ります。
けれども、私の言うことが全て本当だということが将来判明するでしょう。
そうして初めて、人は私の言葉を理解することが出来るのです。
眼の前で、私が歩き、話しているのを見、起こっている事を全て目撃しているのにもかかわらず、人々は私の言葉を理解することも、私の神聖さを認識することも出来ずにいます。
人々の多くは、私の言葉を冗談でかたづけます。12/10/08