サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

ネガティヴな想念がある家

2017-03-09 16:00:17 | 日記
一風変わった風貌
丸い籠(かご)のような髪形
特定の宗教や宗派を示す印も、
特定のカーストを示す印も付いていない顔

素早く一瞬にして現れて、
現れたときと同じように素早く消えていく
そしてまた、突然、目の前に現れる

身にまとっているのは足元まで隠れるローブ
ローブは時に足を覆い、時に足を覆わず

彼が戯れ、歌うとき、
生来の美しさと魅力が明らかになる

ポニョ : サイババさんの上記の詩を読んでいたら、「現れたときと同じように素早く消えていく。そしてまた、突然、目の前に現れる」というくだりがあったぜよ。疾風のように現れて、疾風のように去って行く、月光仮面は誰でしょう?月光仮面は誰でしょう?の世界やな。

ヨシオ:突然また目の前に現れると、御自分で詩にされているんやな。死んだはずのサイババさんが、いきなり全世界の大空に現れたら誰でも驚くやろな。

ポニョ:サイババさんは、世界を牛耳っている悪魔のような連中が神の姿を見て、全ての金と権力をコントロールしている自分たちが世界の支配者ではなかったと分かって、やっと彼らも神の方に向かって歩き始めると言われた事があるけれど、そういう時期が近づいているぜよ。

ヨシオ:最近、バブルがはじけてパースの家賃がやっと下がって来たので、息子たちが家賃が低い家を見つけたので、引っ越しの手伝いに行ったんや。新しい家は、以前の家と同じ家賃やったけれど、広さが倍以上もあってしかもゴルフ場を取り囲んで家々が並んでいるので環境が良い地域なんや。高速道路の入り口からも近いし、とても便利が良いから喜んでいたな。それで行ったついでにその新しい家に何泊かしたんやけれど、とてもネガティヴなバイブレーションを感じるので、早速バジャンをしたりルッドラムを唱えたりして、低いバイブレーションを上げようと努力したんやけれど、なかなか上がらないんや。両隣りの家に挨拶に行って以前の住人について聞くと、警察に何度もお世話になっている人で、家の中で騒動を起こすので、パトカーがよくやって来て近所迷惑な人やったと言ってたな。郵便受けにもあちらこちらの会社や個人から訴訟するという手紙が来てるし、大変な家に引っ越したなと思って、ガヤトリやルッドラムを家の中でしっかりと唱えているんや。でも夜になるとネガティヴな感情が襲って来るんや。

ポニョ:以前の住人のネガティヴな想念がまだ、その家の中に残っているって怖い話やぜよ。

ヨシオ:レストランに行って誰かが座っていた席に座ると、その人の想念も食べ物と一緒に取り入れてしまうんやで。しかもその想念の力は、その席に半日以上も残っているんや。だから以前住んでいた人の想念が、その家に何週間も残っていても不思議じゃないんや。その日、俺はその家でサイババさんがニシカーマ カルマについて述べておられる御講話を読んでいたんやけれど、サイババさんの本を読んでいてもネガティヴな感情が襲って来るんやで。その講話でサイババさんは、

どうすればセヴァを通じてエゴを乗り越えることができるのですか? と。愛を染み込ませることによって、仕事は礼拝に変えることができます。仕事を神に捧げるなら、仕事はプージャー(神聖な礼拝)へと聖化されます。これは仕事をエゴのないものにしてくれます。また、成功を得ようとする世俗的な欲望や、失敗への世俗的な恐れもなくなります。できる限り最善を尽くして仕事をやり終えたとき、あなたはプージャーをやり遂げたと感じます。そうすれば、あとはそのプージャーを受け取った神が、あなたにとって最善と見なすものを授けてくれます。こうした態度は、仕事をニシカーマ(執着のないもの)にします。この修行の習慣的な実践は、意識を清らかで純粋なものにさせます。

ヨシオ:と言っておられるけれど、普段、こういう御講話を読んだら素直な俺は「なるほど、全ての行為を捧げたらその行為は神への礼拝となるんだ」とか思って、感心しながら読んで行くんや。

ポニョ:あんたのどこが素直やねん。へそがもつれる程、曲がっているやないか。

ヨシオ:俺はへそ曲がりじゃないぞ。それにもつれる程曲がっているおへそって、どんなおへそや。俺は出べそか。その夜はとてもネガティヴな感情が湧いて来て、サイババさんの講話を読んだ後「俺がサイババさんに導かれてこのプロジェクトを始めたけれど、どうして全てを捧げたのに泥棒が入ったり、雨漏りがしたりして保管してある物が傷んだりするんや。一体いつまでこんな大きな倉庫の管理をせなあかんねん。一度、サイババさんにこれらの物を捧げたから、あなたが全て面倒見ろや。俺はこの倉庫も含めて中に保管してある物全てが、今突然消え失せても全然平気や。これらは全てあんたに捧げた物やからな。でも自分ではサイババさんに全てを捧げたと思っていても、サイババさんから見たら、まだ少しエゴが入っているからこういう事が起こるんか?それじゃ、全てを捧げるって一体どういう事なんや?全てを捧げるって、それは帰依者から見た観点であって、神さんから見たら帰依者のハートには必ずエゴが混じっているから、それは全てを捧げたとは言えないんやろ。それじゃ帰依者としてはどうすればええんや。帰依者の神を想う純粋なハートだけが神さんが喜んで受け取ると言われているけれど、神と離れて存在している帰依者である限り、何を捧げても少しはエゴも入っているから、純粋なハートを捧げてもエゴが混じっているやないか。純粋なハートって一体どんなハートやねん。このプロジェクトの件についても、俺としては全ての行為を神さんに捧げて、プージャをしたつもりやったんやけれど、それを受け取った神さんが、後に帰依者に最善の物を授けてくれると、今読んだ講話の中で言ってたけれど、俺のように泥棒に入られ、雨漏りがする倉庫の面倒をするのが俺に授けてくれた最善のものなんか?それって最善ではなく最悪やないか。いつまでこんな事をせなあかんねん?全てを神に捧げたら、後は神が全ての面倒を見るって言っているけれど、全然面倒見てくれてないやないか?」とか、いろんなネガティヴな想念が湧いて来たんや。それでサイババさんに手紙を原稿用紙十枚分ぐらい書いて愚痴って寝たら、サイババさんが夢に出て来られたんや。

その夢の中で、幕が閉じている大きなステージの上に、俺や他の何人かの人たちがもうすぐ舞台が始まるので忙しく準備していたんや。コンサート会場みたいな感じやったな。いろんな楽器や舞台設備も置いてあった。スポットライトやいろんな照明が眩しくて、働いている人々もみんな綺麗にめかしこんでいたな。そして舞台の中心にいて、働いている人々に色々と指示しておられたのがサイババさんやったんや。俺もとても忙しく働いていたので、サイババさんが他の人たちにどんな指示を与えておられたのか知らないけれど、舞台のカーテンがもうすぐ上がるところやった。そして目が覚めた。俺はまたサイババさんに愚痴ってしもたと思ってちょっと後悔したけれど、夢にサイババさんが現れてくれて嬉しかったな。でも今から考えると、普段出て来ないネガティヴな想念は、以前の住人からの影響やったんや。

ポニョ:ふーん。興味深い夢やぜよ。それってもうすぐいろんな事が起こった後、私が登場するから、もうちょっと我慢して待っとけっというサインなんやろな。でもあんたが舞台を見ている観客席側ではなく、舞台裏でサイババさんと一緒に働いている側にいるって、興味深いよな。サイババさんは、別の御講話ではっきりと「世界のすべての国々がバーラタに敬意を表するのを目にすることができる皆さんは、何と幸運でしょう! しかも皆さんは、来たるべき将来ではなく、この肉体が皆さんと共に、皆さんの目の前にあるうちに、サティヤ サイという名への崇敬が世界中で響き渡るのを耳にすることができるのです。また、皆さんはやがて、サナータナ ダルマ〔太古よりの永遠の法〕、すなわち、世界のすべての人々のためにヴェーダに定められているダルマの、正当な本来の地位の復興を目の当たりにすることができます。」と言っておられるぜよ。先ほど言ったように、サイババさんは月光仮面のように突然現れられるんや。そしてプレマサイババではなく、おいらたちが見慣れたサティアサイババの身体を取られて、もう一度ダルシャンを与えて下さるんやぜよ。その身体は以前のようにサイババさんの肉体が持っておられた霊体に制限されない、神の力が100%発揮出来る身体やから、世界中の空にそのお姿を現し、何千もの影分身のような身体になって世界中の国々に行かれるんや。イスラム教の創始者モハメッドも、将来、全ての人々の教師、グルが現れて世界を救うけれど、その教師は一度死んでしまうがまた現れる。そしてまた現れた後、その教師は死んだ時よりもっと若い姿で現れると予言していたぜよ。また大津波から人々を救う為に山脈を持ち上げたりして人類が今まで目にした事がないようなスケールの大きな、ハリウッド映画のようなスペクタクルな奇跡を連発して、人々に畏敬の念を起こされるんや。そういう神話の世界がもうすぐ始まるんだってばよ。

ヨシオ:ナルトはとっくに終わったんだってばよ。

皆さんは近いうちに、この神聖な名と神聖な姿をまとった神の本質によって降り注がれた至福を、認識することになるでしょう。皆さんにそのチャンスをもたらしてくれる幸運は、隠者や僧侶、聖賢や聖者、さらには、神の栄光の一面の体現者たちに手が届くものよりも、はるかに大きいものなのです。
私が皆さんと共に動き回り、皆さんのように食べ、皆さんと話をするために、皆さんはそれを私が普通の人間であるほんの例証だと信じて惑わされています。そうした間違いを犯さないよう警戒していなさい。私はまた、皆さんと共に歌い、皆さんと共に話し、皆さんと共に行動することで、皆さんを惑わしています。けれども、いついかなる瞬間に私の神性が顔を出すかもしれません。皆さんはその瞬間に備え、準備を整えておかなければなりません。神性は人間性という覆いに包まれています。ですから、皆さんは、神性が皆さんの目に触れないように隠しているマーヤー(迷妄)を克服しようと努めなければなりません。

この、人としての姿の内には、あらゆる神の実在、あらゆる神の本質、
言い換えるなら、人が神のものと見なす、あらゆる名と姿が顕現している

疑いがあなたの気をそらせるのを許してはなりません。あなたの心の祭壇に、私の神性に対する固い信心を据えさえすれば、私の実体を見ることを勝ち得ることができます。そうする代わりに、もし、時計の振り子のように揺れ動き、あるときは信じ、あるときは信じないなら、決して真理を理解することも、至福を得ることもできません。あなた方は、今、今生で、サルヴァダイヴァットワ スワルーパ〔すべての神のすべての姿の化身〕を見るという至福を味わうチャンスを得たのですから、大変幸運なのです。
もう一つ、皆さんに注目してもらいたい事実があります。これまで神が地上に化身したときには、明らかにそれは神の恩寵だとわかる証拠の数々にもかかわらず、その化身が神であることを知る喜びは、化身の肉体がこの世を去って初めて与えられました。化身たちが集めた、人々の忠誠心や信愛は、化身たちの超人的な力や御業、あるいは厳格な最高の権威に対する、恐怖や畏敬を通して生まれたものでした。一方、このサティヤ サイの化身についてしばし考えてみてごらんなさい。物質主義がはびこる、強い不信と不敬の時代に、この化身の何が、世界中から数百万もの人々の崇敬を集めているのでしょう? その根本的な理由は、人の姿の内にあるこの世を超越した神性にあるという事実に、皆さんも納得することでしょう。
その上、世界のすべての国々がバーラタに敬意を表するのを目にすることができる皆さんは、何と幸運でしょう! しかも皆さんは、来たるべき将来ではなく、この肉体が皆さんと共に、皆さんの目の前にあるうちに、サティヤ サイという名への崇敬が世界中で響き渡るのを耳にすることができるのです。また、皆さんはやがて、サナータナ ダルマ〔太古よりの永遠の法〕、すなわち、世界のすべての人々のためにヴェーダに定められているダルマの、正当な本来の地位の復興を目の当たりにすることができます。人々を私のほうに引き寄せ、私のシャクティ(力)とサーマルティヤ(能力)を顕示することによって人々を魅了することだけでなく、ヴェーダのダルマを復興することも、サイのサンカルパ(サイが決意したこと)なのです。それはバラマ タットワム(迷妄の現象)ではありません。そのタットワム(現象)は、真理を支え、非真理を根こそぎにし、その勝利において、あなた方すべてを忘我の歓喜に浸らせます。これはサイのサンカルパ〔意志〕です。



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