サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

もう六周年ですか?

2017-04-24 16:00:03 | 日記
サイババさんが肉体を離れらてから六周年と再降臨の前夜祭を兼ねて、サイババさんの御講話の中から特に心に響いた甘露のような御言葉と、英知の教えを網羅しました「サイのメッセージ」という本を公開しました。
https://bccks.jp/bcck/149385/info
以前公開しました「Sai's Messages for the Golden Age 」の増補改訂版です。以前の倍近い七十七万文字を超えた内容は多彩にわたり、項目も増えました。元本は「Pages」を使っていますので圧縮して400ページに抑えましたが、bccksではページ数は2736ページもあります。目次のページ数は「Pages」を基にしたものです。ページ数はダウンロードされる媒体によって変わって来ます。bccksの都合により今回はepubには対応出来なくなりましたが、bccks reader のアプリでも読む事が出来ます。紙本の設定はまだしておりません。電子本はもちろん無料です。容量が大きいのでダウンロードに時間がかかるかもしれませんが、サイのメッセージを通じて読者の皆さまにサイの恩寵が行き渡りますようにお祈り致しております。本当にありがとうございました。

許す心は、本を読んで学べるものではありません。
先生に教わって身につくものでもありません。
市場で買えるものでもありません。
辛い環境で修行にひたむきに取り組むことによって、許す心ははじめて身につきます。試練を迎えているとき、問題や困難が山のようにあるときにこそ、許す心は身につくのです。人間はいろいろな欠点を内に持っています。試練に遭ったとき、隠れていた弱さが、怒り、恐怖、おごり、憎しみとなって現れます。そんなときこそ許す心を学ばねばなりません。許す心が身についていなければ、人生に安らぎはないし、ひどい苦難に出会うでしょう。許す心が無ければ誤った道に進むことになります。だから許す心の大事さに気づかなくてはなりません。許す心が無ければ、学歴や力や名声があったとしても何にもなりません。SGc25

ポニョ:今日はサイババさんが一時的に肉体を離れらて六年目ですね。普通は6周忌って言うんやけれど、自分たちはあくまで一時的に離れらたと信じているのでそう呼ばないんでヤンス。今日はまず最初にSouljournsさんが編集されたサイババさんの三周忌の時の動画をお送りしますね。
https://m.youtube.com/watch?v=nfaguSEp5bo
ヨシオ:もう六年になるんか。時間が経つのは早いもんやな。早く戻って来られないと、こっちに帰って来る道を忘れてしまうやろな。

ポニョ:忘れはしないやろうけれど、あっちの方が可愛い天女さん達がいっぱいおられるから帰って来たいと言う気持ちが薄れて来るぜよ。と言う様な馬鹿な会話はどっちでも良いけれど、以前許す事は大切だそれは神の境地に達するのに、欠かせない徳だという話しをした事があるよな。自分が間違いを犯した事に気付いて、謝って来た人を許すのは誰にでも出来るけれど、自分に迷惑をかけたり傷つけたのに、嘘ぶって何も悪い事をしていないと平然としている人まで許すってちょっと難しいぜよ。

ヨシオ:ポニョを傷つけたのに、謝らず平然としている人を許すってアホやないか。なんで許さないといけないんや。その人は、また同じような事をしてポニョを傷つけるやないか。

ポニョ:そうやろ。だからおいらを傷つけた全ての人を愛するって変やなって思ったんやぜよ。

ヨシオ:でもそれは、このポニョが自分が肉体だと思っている世界での話しなんや。そうではなく、ポニョが自分がアートマで、そのアートマに向かって歩んでいる霊性修行者だと悟ったら、たとえその人がまたポニョを傷つけようが、殺しに来ようが関係なく、全ての人を許さなければならないんや。だって全てはアートマであって神さんやから。

ポニョ:ちょっとあんた。言ってる事がさっぱり分かりませんが。なんでこの物質世界で生きている人で、自分は肉体だと思い込んでいる人が他人から迷惑をかけれても許さなくても良くて、霊性修行者やったらどんな迷惑をかけられて、かけた人が反省していなくても許さなくてはならないって、全然分からんっちゃ。それは論理的ではない。

ヨシオ:なんやそれって宇宙大作戦のスポックの常用語やないか。

ポニョ:そういや、あんたはスポックに似てるぜよ。ガラの悪いスポックや。略してガラスポ。

ヨシオ:何がガラスポや。俺が言いたい事は、人はこの世界で生きている限り、いろんな霊的なレベルの人と交わらなければいけないやろ。動物から生まれ変わったばかりで、まだ獣性がたくさん残っている人は、平気で他人に迷惑をかけた後、自分で悪い事をしたと思っていないから、迷惑をかけた人に対して謝らないけれど、それってその人にとっては自然なんや。だからそういう霊的に低い人に頭を打たす為に、商売人やったら、もうその人との全てのビジネスをキャンセルするとか、学生やったらもうクラスで一緒に話したり、昼食を一緒に食べないとかという行為をするようになるやろ。すると迷惑をかけた人は、なんでみんなからつまはじきにされるのかなとか、取り引き先が、取り引きに応じなくなったけれど、この前の自分の態度が原因やったんかなとか思い始めて、自分の態度を直して行くやろ。だから見かけは、その人を許していないように見えるけれど、実際は、その人を無視をしたり、仲間はずれにして罰を与える事によって、その人が良くなるようにする行為なんや。

ポニョ:逆にそういう事をしないと、いつまで経ってもその人は自分の間違いから抜け出せずに、いつも同じ間違いばかり起こすぜよ。

ヨシオ:問題はそういう行為は、ポニョがその人を恨み、復讐したり、仕返しをしようとする行為ではなく、その人を愛する事によって出て来た行為であるかどうかなんや。

ポニョ:でもその辺の線引きが難しいぜよ。

ヨシオ:簡単やないか。何事も愛でもってすればその行為はダルマに基づいた行為になるんや。

激しい修行によって様々な力を身につけた人はいますが、許す心に欠けているために、なかなかその成果を味わうことが出来ないでいるのです。
~この徳が人々の中で輝くようにならなければ、人類は滅びてしまいます。
~ただしどんなことがあっても絶対に許さなければならない、と言うわけではありません。
許す場合には、全体の条件を注意深く考えて正しく判断すべきです。
~恐れている人、慎ましやかな人、悔い改めている人、意識を失っている人、酔いつぶれている人、悲しんでいる人、許しを請うている人、そして女を殺さず許さねばならないとドロパティーは言いました。
~感謝を知らない人間は、蛇のようです。
感謝を知らない相手を許したところで何にもなりません。
ただしそれは世間での話です。
神に向かう世界では、許す心を知るのはとても大切です。
許す心は、神の境地に達するのにどうしても欠かせない徳であり、いつでも実践すべきものです。SGc25

ポニョ:うーん。そんな簡単に言われても難しいのは難しいぜよ。神戸にお住まいの村尾さんって方は、小学校六年生の時に母親を自殺で亡くされたんや。そのきっかけは、なんと自分が母親に冷たい態度を取ったからなんや。その話を少し紹介すると
http://blogs.yahoo.co.jp/kawachikakekomian/14213962.html

「まーくん、写真撮ろう」。神戸市の小学6年生だった春。ストレスなどで病気を患っていた母親は、この日体調がよく、地域のお祭りに一緒に参加した。しかし村尾さんは、写真撮影を断った。「母親っ子」だった村尾さんは、体調を崩して家事も滞りがちだった母親に、冷たい態度をとっていた。
1週間後。「いってらっしゃい」という声かけに答えず、小学校へ向かった。その日、母はこの世を去った。


ヨシオ:悲しい話やな。子供って四六時中母親の愛が欲しいからな。それを叶えられなかったから、母親に反発したんやろな。

ポニョ:今では、日本の子どもの6人に1人が貧困状態といわれるけれど、村尾さんは、「子どもの貧困」に取り組む公益財団法人「あすのば」立ち上げて、その事務局長を務めておられるんや。

ヨシオ:良かったやないか。そういう悲劇を乗り越えた人は、謙虚になって、強くなり、愛に溢れた人になっていくんや。だからどんな悲劇的な事件でも全ては良い事なんや。

ポニョ:そんなヨギの真似をしないでくれませんか?すぐに頭に来るくせに。でもこの村尾さんは、自分のせいで母親が自殺したと思い込んでしまうと、子どもの心はデリケートやから大変な心の重荷になったやろうな。母親にもっと優しくしてあげたら良かったな、あの時に行ってきまーすと言えば良かったなって後悔するやろな。おいらやったら耐え切れないぜよ。あんたもそんな経験の一つや二つはあるやろ。

ヨシオ:あるかな…。無いかな…。いや、あるな。

ポニョ:どっちやねん。

ヨシオ:ちょっと今の話からずれるかもしれないけれど、俺はこう見えても小学校中学校時代はハンサムで女子からモテたんや。扇町中の張か、船場中の一色かというぐらいハンサムやったんやで。高校は私学の男子校に進学したから女っ気は無かったけど。嫁さんに出会ったのが高校二年の時や。嫁さんはまだ小学生やったけどな。小中時代は俺のファンクラブも出来たんやで。でも俺は、俺に一途な気持ちで愛してくれている女子たちに対して、申し訳ない気持ちになるんや。だって俺は全然、そのファンクラブの子たちに興味が無かったから。だから俺の事を嫌いになってもらいたいと思って、その子達にわざと冷たい素振りをしたな。苦い思い出や。モテる男は辛いよな。

ポニョ:なんや色恋の話ですか。もうちょっと内容のある話かなと思ったんやけれど。あんたがハンサムやったって、今の馬面で、眉間に深いシワがあるコワモテの顔からは想像出来ないぜよ。でもあんたは、その子たちの事を心から思っていたからこそ、冷たい態度を取ったんやろ。それもダルマの行為になるんですか?

ヨシオ:俺に聞くなっちゅうに。ポニョが俺にもなんか似たような経験は無いかって聞いたから、紹介しただけや。でもそれと同じような事を、サイババさんはいつもやっておられるやろ。

ポニョ:そういや、そうやぜよ。アシュラムに行った人は、ダルシャンに出てババさんの愛をもらおうと必死になるよな。出来るだけババさんに近づこうと思って一番前列に走って行こうとしたり、御足に触れようと争って手を伸ばしたり、インタビューに呼んでもらおうとしたり、手紙を書いて受け取ってもらおうと努力したり、でもババさんは、それらの全ての帰依者に対して同じように対応されないぜよ。ある帰依者には、アシュラムに到着するや否や、すぐにインタビューに呼んで毎日のように目をかけられるけれど、別の帰依者に対しては何年も無視されるやろ。またある帰依者には、最初は赤児をあやすように面倒を見られるけれど、突然その人を無視されたり、ひどい場合にはアシュラムからその人を追い出したりされるやろ。もちろんババさんは愛の化身やから、ババさんが何をされても全て愛の行為だけれど、ババさんの帰依者一人ひとりに対する対処の違いには本当に驚くよな。

ヨシオ:そうやな。俺が知っているアメリカからやって来た世界的に有名なドクターは、自分はアメリカではとてもリッチで快適な生活をしているし、いろんなサイの奉仕活動にも顔を出し、お金も結構寄付していたので、ババさんのアシュラムに行けばすぐにババさんからインタビューに呼んでもらって、インタビュールームでコーヒーをサイババさんから出されて、二人でゆっくりと話が出来るやろなと期待してインドに行ったんや。ところが蓋を開けてみると、ドクターが帰るまで一回もインタビューに呼んでもらえず、手紙も取ってもらえず、ダルシャンで目も見てもらえないどころか、最前列に場所が取れても、そのドクターの近くにサイババさんが来るとドクターを避けてどこかに行ってしまわれるんや。それでそのドクターはとても落ち込んで、アメリカに帰るや否や、家の中にある全てのサイババさんの写真や本をゴミ箱に捨て、もう二度とサイババの事には関係したくないと思ったんや。ところが時が経つに連れて、自分がした事が大きな間違いであった事に気が付き、もう一度ババさんのアシュラムにまで行って、自分がした愚かな行為を謝りに行ったんや。するとババは、今回はドクターをインタビューに呼び、こう言われたんや。「この前お前が来た時は、お前のプライドがとても高くて、近寄り難かったけれど、今回は随分と低くなってやって来たんだね。」と。

みなさんの五感がなぜ弱いのか調べてみなさい。
答えは簡単です。
それは、感覚の誤用、利己心、心の狭さによるものです。
私には頭のてっぺんから爪先まで、利己主義のかけらもありません。
皆さんは私のものです。私の唯一の関心事は、皆さんの幸福と霊的進歩です。STPS2p270

ポニョ:帰依者がどれくらい神に近くに行けるかは、その人の持っているカルマやエゴや欲望によって変わって来るんやろな。

ヨシオ:人はどれだけ欲望やエゴを持っていても、それらを凌駕するほどの神への愛を持っていたら神さんの近くに行けるんや。

人々は自分の幸せや悲しみは神のせいだと思っています。
けれども神は幸せも悲しみも与えません。
どちらも神のせいではありません。
そうとは思えないとしたらそれはあなたの妄想です。
もし今日あなたが誰かをぶてば、あなたは後で、その人か、あるいは別の人にぶたれるでしょう。
もしあなたが、今誰かを傷つけたなら、あなたも同じように傷つけられるでしょう。
つまり、人は誰もが自分の行為の報いを受けることになっているのです。
あなたが体験することはすべて、あなたがしたことの反作用、反映、反響以外の何ものでもありません。
神はそれに何の関係もありません。
あなたがすることはすべてあなたに返ってきます。
ですから善を見て、善を為し、善を味わいなさい。
神は何もあなたに与えませんし、何もあなたから受け取りません。
神は何にもどんな時にも干渉しません。
あなたの悪い行いが、あなたの難儀の原因です。
この真理を理解すること無く、人は自分の受難について神を責めます。
あなたの損失と獲得、幸せと悲しみ、生と死を神のせいだと考えるのは大間違いです。
神は永遠の照覧者です。何についても神を責めてはいけません。
あなたの望みが叶うのも、叶わないのも、あなた自身に責任があるのです。
人は皆、自分が体験することはすべて、自分に責任があると考えなければなりません。30/1/10



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