サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

インタビュー特集(55)人格の欠陥の巻

2017-10-07 16:00:48 | 日記
ポニョ:前回からの光明瞑想の続きから入るけれど、呼吸をコントロールするプラナーヤーマ瞑想について昔はよく講話の中で述べておられたからトライしたけれど、ここ二十年ぐらいはそれは危険だからトライしない方が良いと言われたよな。

ヨシオ:帰依者の数が増えて来ると同時に、帰依者の質も落ちて来たからやろな。昔はそのような瞑想をしても、大丈夫な帰依者がよくきていたんやろな。

ポニョ:おいらも昔よく 、呼吸をコントロールする瞑想をしたけれど、肺が痛くなって来たのでやめたんや。

ヨシオ:クンダリーニ ヨーガでもやってたんやろ。どんなペースでやってたんや?

ポニョ:サイババさんが言われた通り、最初は四秒で息を吸い、八秒止めて、十六秒大丈夫な息を出していたんやけれど、サイババさんが講話でそれらを同じ時間をかけてしなさいと新しい指示を出されたので、一回八秒ずつ三回してたんやけれど、そのうち慣れて来て十六秒ずつに増やしたんや。だから一分間に約一回ぐらいのペースで息を吸ったり、はいたりしてたんやけれど、やがて胸が痛くなって来たんや。だからやめっちゃった。

ヨシオ:サイババさんはその瞑想はきちんとグルについてしないと危険やと言われているで。自分で適当にしたらいかんと言われたんや。その点、光明瞑想はとても安全で誰でも出来るからお薦めですよと言っておられたな。

(光明瞑想の続きから)その光があなたの口まで届けば、偽りを言ったり、中傷したり自慢したりする可能性は完全に消えてしまいます。それが耳に届く時、スキャンダルを聞きたがる気持ちはなくなってしまいます。光が手足を包む時、あなたの手足は、無益な行いや間違った行為に携わろうとする傾向を失ってしまいます。一切の暗い欲望は、まばゆい智恵の光によって破壊されてしまいます。よこしまな思いや、有害な想念はすべて消えてしまいます。あなたの全身を光で満たしなさい。

光が輝きを増すにつれて、それはあなたの周り一面を照らし、あなたを愛で包んでしまいます。それをさらに広げて、光があなたの家族や、あなたの愛する人々や、友人たちや隣人たちをも包むようにしなさい。見知らぬ人々や、競争相手や、あなたに敵対する人々までも愛の光に包み込みなさい。全世界を光で満たしなさい。全人類を光で照らしなさい。生きとし生けるものすべてを、その光の中に入れなさい。その光を宇宙の果てまで広げ、さらには、あらゆる空間と時間を超えて広げなさい。すべてが光であると観想しなさい。

すべてが一つであると見ることができるようになったとき、あなたは瞑想の状態に入ったのです。その光を覆い隠す冷淡さや頑迷さを取り除きなさい。闇の働きを振り払って光の鎧を着けなさい。すべてを光と見なすことは、あなたにとって最もやりがいのある大切な任務となります。神は光です。

Q 毎回の祈りの長さはどれくらいにしたらよいでしょう?

毎日の祈りは、あなたが喜んでそれを続けられる長さとしなさい。15分間の祈りは、そのうちだんだん長くなり、1時間かそれ以上になるでしょう。深く祈りなさい。また、一定の手順に従って祈りなさい。祈りや瞑想に過ごす時間の1分1分が、それだけあなたを神に近づけてくれます。

Q 日々の祈りは悪癖を克服する助けになるでしょうか?

あなたが、もはや暗くよこしまな思いを楽しまず、不正な計画や、不正手段による収益を望まなくなる時が必ずやって来ます。あなたは、死んだものや毒性や中毒性のある食べ物や飲み物を好まなくなります。人間性を落としめる一切の行為に喜んで携わろうとする心がなくなってしまいます。ゴシップや危害に無関心になります。

Q 神と一つに溶け込むまでには、どれくらいの時間がかかるのでしょう?

あなたの心の旅路は、あなたがそう望むからという理由だけで、すぐに完成されるというわけには行きません。神の王国に入ることは、長い年月をかけて霊性修行を行った結果、もたらされるものです。

Q 私は待つことが嫌いです。神に到達する近道はないのでしょうか?

すべての出来事の中に神の御手を感知しなさい。そうすれば、あなたは、はしゃいだり、憂惨になったり、せっかちになったりしなくなります。あなたの人生は、神の体験の連続となります。あなたは、イエスと共に聖なる世界に生き、言葉に言い尽くせない平安を知り、すべてを神の永遠の光と見るようになります。「神は光であり、神のうちには微塵も闇がありません」〔ヨハネによる福音書1:5〕。

Q どうしたら最もよく神に仕えることができ、最も人類の役に立つことができるのでしょう?

まずあなたは、神を体験しなければなりません。あなたにとって、自分自身の体験ほど真実なものは他にありません。人生において神を体験するには、人類を神と見なさなければなりません。神と人類同胞とに捧げる何らかの仕事に携わりなさい。説教するのではなく、実践しなさい。「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」〔ルカによる福音書6:31、マタイによる福音書7:12〕。自分が人からされたくないことを人にしてはなりません。二重の規準を持ってはなりません。すべての人を自分自身のごとく扱いなさい。他者を信頼するには、まず自分自身を信頼しなければなりません。自分自身と他の人々との両方を尊敬しなければなりません。人類は一つの社会です。あなたが自分自身に危害を加えれば、全人類を弱めることになります。あなたが人を害すれば、あなた自身の力が失われます。あなたが人から望む待遇は、あなたが人に対して果たさなければならない義務の尺度です。個人としての完成は、他の人に奉仕することを通して初めて得られます。

Q どのようにすれば、最もよく他の人に奉仕することができますか?

まず最初に、あなた自身の人格を作り直しなさい。次に、あなたの家庭を神の愛の天国にしなさい。それから、あなたの近所を改善し、あなたの住む都市、あなたの国、そして全世界を改善しなさい。あなたは、イエスの道が完全なる喜びに到る道であるということを、身をもって示さなければなりません。あなたには大きな責任があります。どんな状況に置かれても、あなたが勇気と無私の心と確信とを持っていれば、周りの人々は、あなたが霊性修行に時間をかけたことによって以前より善い人間、幸せな人間、建設的な人間になったということに気が付くのです。祈りや霊的生活は、あなたが公衆の目から離れた時だけに実践するものではありません。それは毎日24時間携わっていなければならない仕事です。神に近づくために祈り、黙想し、瞑想することは、神と自分自身の魂に対するあなたの義務です。

神から与えられた身体は、有益に使わなければなりません。それは、健康を保って、肉体を持って生きるという神の贈り物を充分に役立てることができるようにするためです。怠慢になったり、強情や気まぐれに陥ったりすることによって、神を裏切ってはなりません。

Q 人格の欠陥とはどのようなものですか? また、それらの欠陥を克服するにはどうすればよいのでしょう?

人格の欠陥とは、あなたの性質の中にあるもののうち、あなたと他の人々を神への道から逸脱させたり、神への道の邪魔をしたりするもののことです。善い人格とは、人間本来の神聖な魂が顕現されたものです。

Q 人格の欠陥は、どのようにして作られたのですか?

心と感覚は、欲望と挫折という泥沼にはまり込みます。誰かが新しい車を持っているのを見ると、すぐにその人の車と同じものを欲しくなるばかりでなく、その人のものよりもよいと思える車が欲しくなります。こういったことはどれも、私たちをより一層神に近づけてくれるものでしょうか? 聖書には、イエスは「富める人が神の王国に入るより、駱駝が針の穴を通るほうが易しい」(マタイによる福音書19:24)と教えたとあります。

Q それは、世界の富める国々の人には魂の救いのチャンスがないという意味ですか?

必ずしもそういうことではありません。しかし、それは、イエスが生きたように生き、また、イエスが私たちすべてに望んでいる生き方をするには、自分を神から逸脱させる物事への欲望をコントロールすることに、非常な注意を払わなければならないことを意味しています。

神の目に映る私たちの姿は、私たちがどの程度まで人格改善を行ったかによって決まります。野放しの感覚と、心がさまようことによって、霊的な努力に対する感情的な障害が生じます。これらの弱点に心を占領させてしまえば、神の居場所がなくなります。祈るために静かに座る時、私たちの注意は何に向けられているでしょう? それは、私たちを神から引き離すもの、すなわち、怒り、貪欲、欲望、妬み、悲しみ、高慢、恐れ、利己主義、憎しみなどに向けられています。これらの名前は、私たちのさまざまな人間的弱点のうちのいくつかに付けられたものです。私たちのうちの誰が、それらを完全に克服しているでしょうか?
スワミの顔が少しずつ…なる動画です。
https://m.youtube.com/watch?v=CAlTwGEwB1k

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