サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

受験勉強の無い世界にシュタイナー

2019-03-16 04:00:19 | 日記

ポニョ:今日から三日間シュタイナー教育についての記事を再掲しますね。
あんたら五人の子供もいて、教育はどうしてたんや。

ヨシオ:前世での断片的な記憶から、自分は先生をしていたということは知っていたので、昔から先生という職業にとても向いているとは思っていたな。



だから、将来は先生になろうと決めていたんや。

ポニョ:それが、一転してビジネスマンか。えらい違いやんか。

ヨシオ:偶然になってしまったんや。たまたま塾教師になるための試験会場にアメリカのポスターが貼ってあって、そこにコインランドリーの写真があったんや。
その頃、まだ日本には無くて、最初の店をオープンした時、お客さんは汚れ物を乾燥機の中に放り込んで洗剤を入れるもんやから大変やったで。
お袋が、一日中付きっ切りやったな。



それでも、まだ教育のことは自分でとても興味があったし、自分の霊的な体験からシュタイナー教育が一番やと思ってたんや。

ポニョ:子供の学校はシュタイナーにしたいなー。か?(笑)

ヨシオ:その通り。それで学校を探したんやけれど、日本にはまだその頃シュタイナースクールは無かったんや。

俺が住んでた近くにある関西大の幼稚園が実験的にやっているということを聞いていたけれど、まだまだ日本では難しいと諦めていたんや。

ポニョ:今では日本ではもう知らない人がいないぐらいシュタイナー教育が有名になっているけれど、それの一体どこに惹かれたんや。



ヨシオ:さっきも言ったけれど、霊的なことがよく分かった人、もちろん創始者のシュタイナー自身やけど、が創り上げた教育システムに興味があったんや。

具体的に言うと、人の身体には、肉体とそのすぐ内側に幾つかの霊体があって、それぞれが刀の鞘みたいに順番に収まっていて、その中核に光を常に出しているアートマがあるんやけれど、その霊体も人が摂る食物から出来ていて人の身体が死ぬと、やがてそれぞれのレベルの霊体も、時間をかけて宇宙に充満してるエーテルに溶け込んでいくんや。



それで、肉体は人が摂った食べ物の一番波動の粗い部分を採り入れて肉体を保持するんやけれど、霊体はそれよりももっと波動が細かい部分、想念に近い波動を持った霊力を栄養として取り入れるんや。

だから、テレビを見たり漫画を読みながら食事したりすると、その時に見ていたり頭で想像した暴力シーンとか性的なシーンが想念と一緒になって霊的な身体に食べ物と一緒に自分の霊体に取り入れられてしまうんや。

というのも、想念のレベルと、食物の霊体の波動のレベルは同じやから。

今の教育は、肉体である身体だけを重視して、霊体を全く無視しているところに問題があるとずっと思っていたところ、シュタイナー教育に巡り合ったんや。

ポニョ:ほんまに今の教育は肉体だけやもんな。霊体が肉体にどんな働きをするのかとか。霊体を傷つける行為とは一体何かとか。また、霊体にとって良い事とは何かとか。そういうことに対して全く考慮してないぜよ。



ヨシオ:それが今の教育だけではなくて、世界中のあらゆる問題を引き起こしているんや。

物質至上主義、金が全て、名誉や地位、権威や権力というものへ価値を置きすぎてる。

逆に、その人がどれくらい同情心を持っているか。

どれくらいの道徳心を持っているか。

どれくらい愛を人と分かち合えるか。

どれくらい自己犠牲の精神を持っているか。

神様を愛する心を持ち合わせているか。

そういった、人としての価値を高める教育は、人としてこの社会で生きて行く上で一番大切なことなのに、無視され続けている。

これらがこの世界が大きく混乱している一つの大きな原因なんや。

シュタイナー教育は、今言ったような人間の価値を高める教育については余り言及しないけれど、しかし価値を高めるためのベースになる人の霊体をどのように豊かに育んで行くかを身に付けさせてくれるんや。

ポニョ:それって、とても良さそうじゃんか。



ヨシオ:そう。自分もいろいろと当たったけれど、これほど霊的な身体に焦点を当てた教育制度を見たことも聞いたこともなかったので、当初はとても驚いたな。

シュタイナー自身がとても霊的な人でオーラが見ることが出来、新入生一人ひとりのオーラの色を見てから担任の教師に、その一人ひとりの生徒の性格や嗜好、気質などをアドバイスしていたようやな。

だから今も、子供が最初に入学した時に、滲み絵というのをやるんだけれどそれは、水に浸した画用紙の上から、水彩絵の具でなんでも子供が好のむ色を使わせて絵を描いて行くんだけれど、絵が滲んでしまうので普通のお絵描きの絵のようにならない。

他人が見ると、抽象画のように見えるけれど子供に何を描いているか分かっているんや。

訓練されたシュタイナー学校の教師は、その子がどんな色を好みどんな絵を描くかを見て、その子のオーラの色を判断して今後のその子の指導教育に役立てて行くんやで。

ポニョ:それはすごい。



ヨシオ:それに子供の発達によって、子供に対して色の与える影響というものを無視できないんだ。

だから学年が上がるに連れて、教室の壁や天井の色を変えなくてはいけないこともあるんや。

綺麗に塗られてある塗料の上から、また違う色を塗り直させられたこともあって、無駄やなぁと思ったけれど、それって大事な事なんや。

ポニョ:パースに引っ越してすぐにシュタイナーに入れたんか?

ヨシオ:いや、パースにもまだ無かったんや。シュタイナーの保育園はアボリジニの職業訓練校の敷地の中にあっただけやったな。

次の年に、幼稚園がスタートしたのですぐに長男を入れたんや。

ポニョ:どうやった子供の反応は。

ヨシオ:それまで公立の幼稚園に通っていたんやけれど言葉に着いていけなかったので、落ちこぼれのようになっていて、先生も面倒見きれないというような雰囲気があったんや。でもシュタイナーに移ってからはすぐに友達も出来、言葉の問題も解決したな。それにとても良い先生に当たって幸運だった。

シュタイナー教育は、一年生から八年生まで同じ担任の先生が見てくれるんや。
だから先生の良し悪しが子供に大きく影響するんや。

それに途中であまり良くない先生だと分かっても、制度上とてもその先生をやめてもらうのは難しいんや。

うちの場合は、四人とも同じ学校に行ってたから、一人の先生を除いて全て良い先生やったな。
その学校は小学部だけしか無かったので、長男だけ中高部のある別の学校へ移ったけれど、そこはドイツ系移民が多く住む街でアデレードの近くにあり、百年近くも歴史のある大きなシュタイナー学校で、卒業生も多く輩出してみんな社会のいろいろな場で活躍しているんや。

それにそこの高等部を卒業すれば、どの大学にもシュタイナー学校からの推薦書があれば、受験勉強をしなくても入学出来るようになっていたんや。



ポニョ:すごいな。日本の受験生聞いたら泡吹くで。でもそれだけシュタイナー教育が社会から認められているということやろな。

ヨシオ:そうやな。大学側もシュタイナー卒業生は、大学入学後もとても良い成績を取ってるから信頼してるんや。

だから、その大きなシュタイナー学校に子供を入れたい両親はたくさんいて、お腹の中に赤ちゃんがいる時から名前を決めて申し込むんや。

ポニョ:女か男か分からん場合はどうするんや?



ヨシオ:あとで名前を変えるか、男でも女でも付けれる名前って結構あるからその名前を選ぶんだりして両親も苦労しとるわ。

逆にそうしないと、定員がすぐにいっぱいになって入れないぐらい人気があるんやで。

ポニョ:それだけ人気があるんやな。

ヨシオ:学校の方もそれだけ人気があるので、子供が入学後、両親がしっかりシュタイナー教育を理解してサポート出来るかどうかをチェックして新入生を選ぶことが出来るねん。

つまり、子供を入れるだけ入れてあとは、学校任せみたいな親っておるやろ。

だから学校の方針にそぐわない家庭かどうか先生が家庭訪問するんやで。

でないと、きちんと学校の方針を守っている家庭から来ている子供に 、悪い影響を与えるやんか。

ポニョ:へー。それで何をチェックするのん。

ヨシオ:まず、テレビにコンピューターゲームや。学校から帰って来た子供に、テレビのスイッチをつける親は失格や。

ポニョ:なに~。テレビ見たらあかんのけ。



ヨシオ:そうや。うちもテレビは倉庫に放り込んだ。

家にテレビが無くなったんや。最高やろ。

ポニョ:ほんなら、ニュースとか見られへんやないか。

ヨシオ:ポニョもいつも言うてるやろ。マスコミはマスゴミやって。

ニュースや映画は人を洗脳する道具やろ。

ポニョ:その通りやけど。たまには、スポーツも見たいぜよ。

ヨシオ:子供をきちんと育てようと思ったら、両親も犠牲払わなあかんのや。

子供が真っ直ぐに育つんやったら、それぐらいの犠牲は、犠牲って言えないやろ。

ポニョ:おいらにはちょっと苦しいな。

どの家にもテレビがあります。

テレビは、金持ちの家には、各部屋に置かれています。

テレビが出現してから、人の心は汚染されました。

テレビの無かったころには心はそれほどは汚染されてはいませんでした。

暴力行為も、以前にはそれほど多くはありませんでした。

今日テレビはどの部屋にも置いてあります。

人々は食事を取りながらテレビを見ます。

その結果、テレビに映る下劣なことも(霊的身体にも取り入れて)消化します。

テレビに集中することは、見る者の世界観に影響を及ぼします。

テレビの見せる、感覚、思い、行為は見る人の心をいっぱいにします。

知らず知らずのうちに苛立ちと悪い思いが人々の心に入ります。

やがてそれらは心に根を張るでしょう。

それゆえ、食事をしながら恐ろしい事件を話題にすべきではありません。

心を興奮させる話題を食卓にのぼらしてはいけません。

食事をしている間は静粛にしなさい。

音響さえ心に侵入して影響を及ぼします。食事の時はテレビを見てはいけません。

それは蜂蜜を塗った刃。蜂蜜をなめるなら、刃は舌を切ります。

バラタ(インド)のみではありません。全世界がテレビの悪影響に犯されています。

世界には無秩序、不和、欲求不満が溢れています。テレビを見ることを完全に止めなさい。

ことに食事中であれば尚のこと、仕事中であれば仕事に集中しなさい。
15/1/1996

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