サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

全てに魂が宿っている事を教える学校

2019-01-06 04:00:12 | 日記
真に学ぶべきことはいかにして他の人々に役立つかであって、いかにして真我を認識するかでなくてはなりません。
教育は、生きとし生けるものが一つであるということを認識させるものでなければなりません。23/11/91


ポニョ:昨日まで沖縄の辺野古に修学旅行に行く高校の話をしたけれど、東京の世田谷にも和光学園という小学校が沖縄に行って平和学習をしているんやで。
https://archive.is/XdKhC

また同じ世田谷にある大東学園も沖縄に修学旅行に行くんや。
http://www.daitogakuen.ed.jp/education/feature/

ヨシオ:俺たちがまだ知らないだけで、そういう学校がたくさんあるんやろな。

ポニョ:あんたは日本にいてたら、子供を愛農学園か独立学園に入れていたって言ってたよな。

ヨシオ:知り合いの人が、そこで働いていたんや。その人がこの学校に子供を入れると良い子が出来るよ。良い子がたくさんいるよ。と言って勧めてくれたんや。でも、俺はもっと霊的な事を教えるシュタイナースクールを探していたんやけれど、日本ではその頃、関大幼稚園が実験的に取り入れていただけやったんや。だから、オーストラリアに引っ越した時に一番最初にしたことは、シュタイナースクールを見つけることやったんや。でも、アデレードやメルボルンのようにドイツ系の移民が多いところは、もうシュタイナースクールが幾つか設立されていたんやけれど、ここは準備委員会がやっと立ち上げたばかりの段階やったんや。それで俺も委員になり、英語が分からんかったけれど会合によく行ってたな。それで、なんとか幼稚園がスタートしたので長男が入園し、西オーストラリア州におけるシュタイナースクールの第一期生となったんや。

ポニョ:入れたかった学校が出来て良かったな。

ヨシオ:先生も愛がいっぱいある人で良かったな。最初は、水に浸した画用紙の上から絵の具を垂らして、色を滲ませながら描いて行く方法で絵を描かせていたな。そうすると、その子の持っているオーラの色が分かるんやて。

ポニョ:オーラの色がどうやって分かるんや。それに、分かったら何か役に立つんか?

ヨシオ:子供達の性質や気質が分かるから指導しやすくなるんや。そもそもオーラって何かというと、人がそれぞれ持っている霊体の波動が出す霊的な色なんや。例えば波動が低くいつもボーッとして半分眠たい様な状態で、反応が鈍く、何かをしようという気力も意欲もないし、たとえやったとしても結果だけを常に追い求めて努力もしたがらない人っているやろ。そう人のオーラは黒っぽい色やったり緑色なんや。また、いつも何かを求めて落ち着かず、人と話していても話題があっちこっちに飛び、何かにすぐ興奮して飛びつくけれど、長続きはせず、すぐに気が変わりって心変わりをし、やっと何かに向かって一生懸命やり始めたなと見ていたら、自分の思い通りの結果を得られないと激昂し、興奮して全てを人のせいにする人っているやろ。そういう人の波動はポニョのように赤っぽい色やったり、濃いオレンジ色なんや。逆に、どんな事をやっても常に落ち着いて、たんたんと着実に最後まで同じペースでやり遂げ、結果が思い通りにならなくても、上手く出来ても興奮したり得意がったり失望したりせず、常に微笑みを浮かべて全てを受け入れて落ち着いた性質の人っているやろ。俺みたいに。その人のオーラは、白っぽい色やったりピンク色や薄いブルーなんや。

様々な人が様々の考えを持っています。それゆえ人の考えは皆違うのです。
これらの相違によって、心もまた異なる色を持ちます。
例えば怒りに満ちた心は赤い色をしています。
利己的な心は、茶色です。
自分中心の心はオレンジ色です。神に捧げた心は純白です。
私達は心を色々な色に染めています。
色は、外から来るのではありません。
心に特定の色をつけたのはその人の想念です。
それゆえ心が良い想念で満たされている時のみ、その人の人生は平安で安全なのです。24/5/9?

ポニョ:あのね、なんでおいらは赤であんたは白なんや。それっておかしいやないか。あんただってカーッと来ることがあるやないか。その時はお猿のお尻のように、オーラが真っ赤っかになっているぜよ。

神の化身が地上を歩くとその土地を神聖化する、といわれるその御足に触れること自体に霊的な意義があるのです。
科学的に見ても神の御足に触れることは、次のような理由で意味があります。血流は足から頭へと流れます。
人がつま先に触れるとその流れを感じることができます。
それが神のエネルギーなのです。
物質的な目でみると身体は肉体です。
しかし霊的にみるとオーラがどの身体の周りにもあるのです。
それは霊的なエネルギーが輝いているのです。
このエネルギーは波動からもたらせます。
それ故「神を見たものは罪を帳消しに出来る。神と言葉を交わしたものは苦しみを打ち消すことが出来る。神の御足に触れたものは自らの行為の結果から免れることが出来る。」と言われているのです。
信者が神の御足に触れると、それはまるでプラスとマイナスの電極が触れるようなもので、神のエネルギーを引き寄せることができるのです。
この結合はハートとハートの関係でなくてはなりません。
そうして始めて神のエネルギーが注ぎ込むことができるのです。
その結果、神と信者は一つになります。18/12/94

ヨシオ:お猿のお尻は無いやろ。すぐにカッカ来るなよさっきから。ずっと赤色のオーラが、火山が噴火しているみたいに出たままやないか。もう一杯冷たい水を飲んで来いや。シュタイナーがこの学校を始めた時に、登校してきた子供一人ひとりのオーラを見て、担任の先生にその子の気質を教えて、子供達を指導する為の参考にしていたんや。でも、誰でもシュタイナーのようにオーラが見えるわけではないので、滲む絵を描かせてその子供のオーラを調べるんや。例えば赤っぽい色をたくさん使っている子は、自分の気質が鈍性で波動が低いので赤のような明るい色を好むんや。というのも自分の中にある鈍性の性質を活性化さそうとその子の本能が働いているんや。

ポニョ:ということは、その子の持っているオーラの色と反対のというか、対色を使って絵を描くってことか。

ヨシオ:基本的にはそうなんや。シュタイナーの先生たちは、それを読み取る訓練をするんや。

ポニョ:ふーん。面白いな。すごい霊的な学校やな。以前、この話をしたよな。確か。「受験勉強の無い学校にシュタイナー」っていうタイトルで。

ヨシオ:そうやったな。ずっと昔のような気がするよな。重複する記事があるかもしれないけれど少し転載しよか。

ここから過去記事です。

ポニョ:今では、日本ではもう知らん人もいないぐらいシュタイナー教育が有名になっているけれど、一体どこに惹かれたんや。



ヨシオ:さっきも言ったけれど、霊的なことがよく分かった人、もちろん創始者のシュタイナー自身やけど、が創り上げた教育システムに興味があったんや。

具体的に言うと、人の身体には、肉体とそのすぐ内側に幾つかの霊体があって、それぞれが刀の鞘みたいに順番に収まっていて、その中核に光を常に出しているアートマがあるんやけれど、その霊体も人が摂る食物から出来ていて人の身体が死ぬと、やがてそれぞれのレベルの霊体も、時間をかけて宇宙に充満してるエーテルに溶け込んでいくんや。



それで、肉体は人が摂った食べ物の一番波動の粗い部分を採り入れて肉体を保持するんやけれど、霊体はそれよりももっと波動が細かい部分、想念に近い波動を持った霊力を栄養として取り入れるんや。

だから、テレビを見たり漫画を読みながら食事したりすると、その時に見ていたり頭で想像した暴力シーンとか性的なシーンが想念と一緒になって霊的な身体に食べ物と一緒に自分の霊体に取り入れられてしまうんや。

というのも、想念のレベルと、食物の霊体の波動のレベルは同じやから。

今の教育は、肉体である身体だけを重視して、霊体を全く無視しているところに問題があるとずっと思っていたところ、シュタイナー教育に巡り合ったんや。

ポニョ:ほんまに、今の教育は肉体だけやもんな。霊体が、肉体にどんな働きをするのか。霊体を傷つける行為は何か。逆に、霊体にとって良い事とは何か。そういうことに対して全く考慮してないもんな。



ヨシオ:それが、今の教育だけではなくて、世界中のあらゆる問題を引き起こしとるねん。

物質至上主義、金が全て、名誉や地位、権威や権力というものへ価値を置きすぎてる。

逆に、その人が、どれくらい同情心を持っているか。

どれくらいの道徳心を持っているか。

どれくらい愛を人と分かち合えるか。

どれくらい自己犠牲の精神を持っているか。

神様を愛する心を持ち合わせているか。

そういった、人としての価値を高める教育は、人としてのこの社会で生きて行く上で一番大切なことなのに、無視され続けている。

これが、この世界が大きく混乱している一つの大きな原因なんや。

シュタイナー教育は、今言ったような人間の価値を高める教育については余り言及しないけれど、しかし価値を高めるためのベースになる人の霊体をどのように豊かに育んで行くかを身に付けさせてくれるんや。

ポニョ:それって、とても良さそうじゃんか。



ヨシオ:そう。自分もいろいろと当たったけれど、これほど霊的な身体に焦点を当てた教育制度を見たことも聞いたこともなかったので、当初はとても驚いたよ。

シュタイナー自身がとても霊的な人でオーラが見ることが出来、新入生一人ひとりのオーラの色を見てから担任の教師に、その一人ひとりの生徒の性格や嗜好、気質などをアドバイスしていたようだね。

だから今も、子供が最初に入学した時に、滲み絵というのをやるんだけれどそれは、水に浸した画用紙の上から、水彩絵の具でなんでも子供が好のむ色を使わせて絵を描いて行くんだけれど、絵が滲んでしまうので普通のお絵描きの絵のようにならない。

他人が見ると、抽象画のように見えるけれど子供に何を描いているか分かっているんや。

訓練されたシュタイナー学校の教師は、その子がどんな色を好みどんな絵を描くかを見て、その子のオーラの色を判断して今後のその子の指導教育に役立てて行くんやで。

ポニョ:それはすごい。



ヨシオ:それに子供の発達によって、子供に対して色の与える影響というものを無視できないんだ。

だから、学年が上がるに連れて教室の壁や天井の色を変えなくてはいけないこともあるんや。

綺麗に塗られてある塗料の上から、また違う色を塗り直させられたこともあって、無駄だなぁと思ったけれど、それって大事な事なんや。

ポニョ:パースに引っ越してすぐにシュタイナーに入れたの。

ヨシオ:いや、パースにもまだ無かったんだ。保育園は、アボリジニの職業訓練校の敷地の中にあっただけだった。

次の年に、幼稚園がスタートしたのですぐに長男を入れたよ。

ポニョ:どうだった。子供の反応は。

ヨシオ:それまで、公立の幼稚園に行ってたんだけれど言葉に着いていけなかったので、落ちこぼれのようになっていて、先生も面倒見きれないというような雰囲気があって、どちらも可哀想だったんだけれど、シュタイナーに移ってからはすぐに友達も出来、言葉の問題も解決したよ。

とても良い先生に当たって幸運だった。

シュタイナー教育は、一年生から八年生まで同じ担任の先生が見るねん。

だから、先生の良し悪しが子供に大きく影響するんや。

それに、途中であまり良くない先生だと分かっても、制度上とてもその先生をやめてもらうのはよっぽどでないと難しいねん。

うちの場合は、四人とも同じ学校行ってたから、一人の先生を除いて全て良い先生やった。
そこは、小学部だけしか無かったので、長男だけ中高部のある別の学校へ移ったけれど、そこはドイツ系移民が多く住む街でアデレードの近くにあり、百年近くも歴史のある大きなシュタイナー学校で、卒業生も多くてみんな社会のいろいろな場で活躍している。

そこの高等部を卒業すれば、どの大学にもシュタイナー学校からの推薦があれば、受験勉強をしなくても入学出来るようになっていたんや。



ポニョ:すごいな。日本の受験生聞いたら泡吹くで。でも、それだけ社会から認められているということや。

ヨシオ:そうやな。大学側も、シュタイナー卒業生は、大学入学後もとても良い成績を取ってるから信頼してるねん。

だから、その大きなシュタイナー学校に子供を入れたい両親はたくさんいて、お腹の中に赤ちゃんがいる時から、名前を決めて申し込むんや。

ポニョ:女か男か分からん場合はどうするねん。



ヨシオ:よう知らんけど、あとで名前を変えるか、男でも女でも付けれる名前って結構あるからその名前を選ぶか。両親も苦労しとるわ。

逆に、そうしないと定員がすぐにいっぱいになって入れないぐらい人気があるんやで。

ポニョ:そんだけ人気があるんやな。

ヨシオ:学校の方も、それだけ人気があるので両親が子供が入学後、しっかりシュタイナー教育を理解してサポート出来るかどうかチェックして新入生を選ぶことが出来るねん。

つまり、子供を入れるだけ入れてあとは、学校任せみたいな親っておるやろ。

だから学校の方針にそぐわない家庭かどうか先生が家庭訪問するんやで。

でないと、きちんと学校の方針を守っている家庭から来ている子供に 、悪い影響を与えるやんか。

ポニョ:へー。それで何をチェックするのん。

ヨシオ:まず、テレビにコンピューターゲームや。学校から帰って来た子供に、テレビのスイッチをつける親は失格や。

ポニョ:なに~。テレビ見たらあかんのけ。



ヨシオ:そうや。うちもテレビは倉庫に放り込んだ。

家にテレビが無くなったんや。最高やろ。

ポニョ:ほんなら、ニュースとか見られへんやんか。

ヨシオ:あんたもいつも言うてるやんか。マスコミはマスゴミやって。

ニュースや映画は人を洗脳する道具やろ。

ポニョ:その通りやけど。たまには、スポーツも見たいやんか。

ヨシオ:子供をきちんと育てようと思ったら、両親も犠牲払わなあかんねん。

子供が真っ直ぐに育つんやったら、それぐらいの犠牲は、犠牲って言えないよ。

ポニョ:おいらにはちょっと苦しいな。

どの家にもテレビがあります。

テレビは、金持ちの家には、各部屋に置かれています。

テレビが出現してから、人の心は汚染されました。

テレビの無かったころには心はそれほどは汚染されてはいませんでした。

暴力行為も、以前にはそれほど多くはありませんでした。

今日テレビはどの部屋にも置いてあります。

人々は食事を取りながらテレビを見ます。

その結果、テレビに映る下劣なことも(霊的身体にも取り入れて)消化します。

テレビに集中することは、見る者の世界観に影響を及ぼします。

テレビの見せる、感覚、思い、行為は見る人の心をいっぱいにします。

知らず知らずのうちに苛立ちと悪い思いが人々の心に入ります。

やがてそれらは心に根を張るでしょう。

それゆえ、食事をしながら恐ろしい事件を話題にすべきではありません。

心を興奮させる話題を食卓にのぼらしてはいけません。

食事をしている間は静粛にしなさい。

音響さえ心に侵入して影響を及ぼします。食事の時はテレビを見てはいけません。

それは蜂蜜を塗った刃。蜂蜜をなめるなら、刃は舌を切ります。

バラタ(インド)のみではありません。全世界がテレビの悪影響に犯されています。

世界には無秩序、不和、欲求不満が溢れています。テレビを見ることを完全に止めなさい。

ことに食事中であれば尚のこと、仕事中であれば仕事に集中しなさい。
15/1/1996

ポニョ:コンピューターも与えたらあかんって言ってたな。

ヨシオ:コンピューターも小さい時に与えてしまうと、どのようにして、どういう原理で、どういう仕組みで作動するか分かっていないのに使うとコンピューターの奴隷になってしまう。

コンピューターも、その仕組みが分かる年代になるまで、うちも使わさなかったな。

逆に、おもちゃでも何でも何か新しいものを与えると、何でも分解してしまって元通りに組み立てられない時は親としては大変だった。
コンピューターを初めて与えた時も先ず、中がどのようになっているか見ようとしてネジ回しを持って来るからビクビクもんやで。

ポニョ:そら新品のコンピューターを分解したら金かかるで。おもちゃやないんやから。

ヨシオ:授業もとてもユニークで、例えば化学の時間だと、いろんな石を集めてきて一つひとつをガスバーナーで溶けるまで焼いて、それがどんな色に変化するとか、溶けたときの匂いの違いとか、溶けたものを混ぜるとどうなるとか、まるで中世の錬金術師のような事を一日中やって、家に帰ってきても目を輝かせて、その授業の事を話してくれるんや。

ポニョ:ほんまに錬金術師やなそれって。金造る授業ってないのか。



ヨシオ:あんたが講師になってやったらええやろ。

また教科書も無く、自分で大きなノートブックを作って毎日習ったことを、色んな絵を混じえて書いていくので、今ではそれはすごい大事なシュタイナー学校の想い出になっている。

シュタイナー教育から得た一番の収穫は、何と言ってもテレビや映画を見せない事で、想像力イメージ創りの力が養えるということやった。と思う。

この世界は、心によって創り出されたイメージです。SSSVol1chp9

うちの子は、小さい時から瞑想をさせてるんやけれど、神様のイメージを瞑想中に自分の中で創ることが普通に出来るようになるようや。

しかも、そのイメージを長い間保てるし、やがてその自分の創った神のイメージと話したり遊んだり出来るようになる。

想像力を養えば、瞑想にとても役に立つんや。



ポニョ:それは、すごいな。

神の御姿を完全に心の中でイメージしてそこに心をそそぎ込むようにすべきです。

神の御姿が、外界に見られる時、それは条件付き二元論です。

心の中で見れる時、それは条件付き一元論です。

神の御姿が、アートマに吸収された時、それは不二一元論となります。

外界で見れる神の御姿は、まず第一に心に吸収されて、次に魂に吸収されなければなりません。

自分で選んだ神のイメージに集中して、他に心を揺らすべきではありません。

心を御姿の型に流し込むことによって、心が神の御姿になるのです。

CWSSBJp117



ヨシオ:何をやるにも、自分の中で想像力を膨らますことが出来るので、複雑な仕事でも自分の頭の中では想像力を働かせて、もうやりのけてしまっているから、実際の仕事をするに当たってもプレッシャーは軽減される。

シュタイナー教育では、直感力とか想像力をまかなっている右脳が良い具合に発達するみたいやね。



例えば、バイオリンとかチェロ、フルートを鳴らすと右脳が反応するねん。

シュタイナー教育では、これらの楽器を音楽の時間に習うんや。

ポニョ:そういえば、日本語は左脳をよく使うらしいから、ちょうどバランスがとれて良いかもしれんな。

ヨシオ:あんたの脳はシーソーみたいやなぁ。また先生も、その子の良いところをいつも見てくれるので、子供達もいつもポジティブでハッピーな子供ができるねん。



また、バイオダイナミックというシュタイナー自身が考え出した、天体や地球の動きが植物に与える影響を考慮した有機農法で作られた野菜を食べるように生徒や保護者にも勧めているので、自分達のような、菜食主義者にはピッタリだね。

いつも、新鮮な野菜を学校に近くの農家の人が届けてくれるんだ。

シュタイナーの教え自体がサイババの言われている事と本質的には、ほとんど変わらないので子供達を安心して学校に送り出す事が出来たんだ。

それに愛情を豊かに注げる先生が多くてとても良いよ。

特に、朝一番に教室に入る前に、一人ひとりの生徒の顔を思い浮かべて、その子たちの良いところを思い浮かべてから教室に入るねん。



ポニョ:そらええわ。おいらの担任は、いつも寝起きが悪くて、おいら朝イチにいつも怒鳴られてた悪い思い出があるな。

ヨシオ:もちろん、いろいろな生徒がいるので問題も起こる。

特に、定員割れのクラスでは、運営の都合上、いろんな子供が、入って来るので前の学校でコンピューターゲームをしていた子や、テレビや映画ばかりを見ていた子がクラスに入って来ると先生も大変だけれど、子供達も影響を受けるのは否定できない。

子供の絵を見たら、誰が編入生かすぐ分かるで。全然違うもんな。
でも、個人個人の子供の意思を尊重するので、大変自立した自由な魂の子供が出来るが、逆に自分の意思に反したことであっても、社会的な義務、子供としての義務だからしなさい。と言っても、やらないし、やりたがらない。という傾向に陥りやすい。

シュタイナー教育は、子供を自由に何でもさす教育ではなくて、魂の自由を目指す教育なんだけれど、それを取り違えて子供を放任さす親が多い。




教育の究極の目的は、社会に有用な優れた人格を持った人材を育てることだから、モラルや自己犠牲、自制心、規律も、もっと子供達に教えるといいんじゃないかと思う。

ところが、学校側はしっかりとそういうことを教えるが、親の方がシュタイナー教育の理念を理解していないために子供が影響を受けるんや。特にモラルのない人々がいると、学校側としても大変や。



“人類は今日、物質的、社会的な分野で素晴らしい進歩を遂げています。
しかし、モラルの面や霊的には、狭い考えや低いレベルにとどまっています。
どうしてこのようになってしまったのでしょうか。
それは、これまで多くの生を経て来て利己心を培ってきたからなのです。
人々の人生のすべての局面において、行動を促してきたのは利己的な興味だけなのです。
人は、利己心に踊らされてきたのです。何に関心を持とうと、誰を愛しようと、自らの利己的な思いが根本にあるのであって、そのものの為であるとか、その人の為に愛するというわけでは無いのです。
人は、自分の興味の無いものに対しては少しでも関心を持とうとしません。SS5/96p113”

もちろん、東洋人には受け入れ易いカルマの法則や輪廻転生などを教えるし、神を信じることも大事だと教える。



でも、社会や家庭において自分のやらねばならぬことを、嫌でもせねばならない事もある。
そういう義務を嫌だと思わずに、積極的にやらなくてはならない。

そういう、嫌なことでもそれを好きになってやらなくてはならない、子供としての義務も好きになってやる。ということを教える。という事が求められていると思う。

つまり、規律を守り、礼儀よく、自制心をもって社会的にも、社会的な弱者や歳を召された老人を尊敬して奉仕活動をするなども大切なことだと思う。

この世を、快適に過ごすには、やらなくてはいけない義務を好きになる事、ってサイババさんも言っておられるけど、本当にその通りだと思うね。

現に自分は、母の介護を十年以上してきたけれど、それを負担ではなく、好きになろうと努力して来たからやり遂げることが出来たと思う。



でも、そういうことはたぶん、日本のシュタイナー学校の方が進んでいるやろな。

日本でのシュタイナー教育は、西洋にあるシュタイナー学校よりももっと、人々の中に儒教や仏教の教えが生きているのでいい条件だと思う。

モラルもあって規律や自制心、奉仕活動も積極的にやる日本独自のシュタイナー学校が出来れば素晴らしいやろうね。

こちらでも、両親にシュタイナー教育の事をもっと正確に理解してもらうために努力しているが、先ほども言ったように子供を学校任せにする親が多い。

学校のために色々な奉仕活動があるが、そういう活動に全然出て来ない両親も少なくない。

それで、否応なくペナルティーを課す事もある。

つまり、罰金を取るのだ。やむえない処置だけれど、こうしないと出て来ないから。
やはり、学校と生徒、教師と両親も積極的に協力して運営していかなくてはならないだろうね。


“教育の目的は人格を培うことにある」といわれます。
今日の人々が高貴な人格を失ってしまったために、尊敬や崇敬の心もまた次第に失われつつあります。”

“もしも子供が未だ幼い内から嘘を言ってもいいように思い、偽りの心を持っているとその癖は、後になればなるほど大きくなっていきます。
逆に幼い内から、真実こそは人生の基本だと教えていれば、子供は立派な人格者に育ち多くの偉大なことを成し遂げるでしょう。”

ここまで過去記事でした。

ヨシオ:それで、子供達をいつも自然の中で過ごさせるようにして、木々や虫たちそして全ての生きとし生けるものの中に自分たちと同じ魂が宿っていることを教えられるんや。ある日、子供達が学校から帰って来たので一緒に近くの雑木林の道を抜けて歩いていたら、突然、娘が悲しい顔をして俺の方を見るんや。俺は一体何が娘を悲しませたのか分からなかったので、何も言わずに涙を出しながら立ち止まっている娘の前に膝まづいて娘の手を握りながら聞いたんや。どうしてそんなに悲しんでいるんやって。すると、娘は「お父さんはクモさんの心が分からないの?あれだけ一生懸命綺麗な巣を、大変な努力をしながら時間をかけて作ったのに、雑木林を歩いている間にお父さんは三つも巣を壊したんだよ。今度から、蜘蛛の巣を見つけたら避けて歩かないといけないよ。蜘蛛さんが可哀想だよ。」と言ったんや。俺は、この件を先生に話すと、クラスで森に行き、全ての生きとし生けるものの中に自分たちと同じ魂が宿っていることを教えるために、蜘蛛が口から出す最初の一本の糸から、綺麗な巣を作り上げるまで、クラス中でじっと動かずに息を飲むようにして観察したって言ってたんや。そして、その作り上げた蜘蛛の巣を朝一番にみんなで見に行くと、朝露が巣の全面にキラキラと朝日を浴びながら光っていて、まるでクリスマスの時に飾り付けるイルミネーションのようで、子供達がそれを見て歓声をあげて喜んでいたんやて。俺はその話を聞いて、子供達の小さなハートの中には、全ての生きとし生けるものの中に、魂を感じ取れるほどの鋭い感性があるんだって分かったんや。大人たちは知らず知らずのうちに、そういう子供達の感性を破壊して来たんやろなって思い、これからはもっと子供達のそういう繊細な感性と向かい合いながら、気をつけて子育てをして行かなければならないなって娘の涙を見ながら思ったな。

帰依の道から学ぶことで何よりも大切なのは、神を愛するだけで無く、生きとし生けるものすべてを愛すること、どの人も神様だと信じて接することです。
神をあがめながら人を傷つけているようでは、神を信じる心を持っているとはいえません。SGc3


ポニョ:全ての生きとし生けるものの中に、自分たちと同じ魂を見る教育か。蜘蛛は、ただの虫だからと思って無視したらあかんな。自分たちと同じ、神様から生を受けた魂なんや。一緒にこの素晴らしい惑星である地球に住ませてもらっている仲間同志なんや。魂仲間なんや。おいらもそんな学校に行っていたら、もっと感性が鋭くて繊細な魂の大人になっていたんやろな。

ヨシオ:今でも遅くないやろ。まず漫画を読むのをやめろや、ポニョは。暴力シーンやら性描写が多くて魂が穢れるだけやないか。

ポニョ:ナルトもか?これだけはやめられないんだってばよ。

何ものに対しても嫌悪する心が少しも無く、生きとし生けるものに対して常に親しく慈悲深いこと。
一切のものに内在する神聖を認めるとき、その人は、真の愛を持つ人といえる。6/85
このような真の愛を持つ者のみが、人間と呼ぶに値します。
真の愛と徳を持たぬ者は、ただ人間の姿をしているだけです。6/01




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