あなた方は、なぜ私のダルシャンを得た後も苦悩を経験しなければならないのか?と思う者もあるだろう。
それは、いくつもの前世で積み上げたカルマを支払っているからなのだ。
~私のダルシャンを得た後、次の世で良い人生が待っている。
良い人生であれば間違いを犯すことはない。
そして、間違いを犯さなければ、再び生まれ変わることも無い。
これは単純明解な真理なのだ。P260ANDI
ポニョ:今日はババの愛の物語の三回目をお送りします。以前もダルシャンの話をしたけれど、ダルシャンにはドラマがあるよな。
ヨシオ:そうやな。ババだけがご存知な事ってあるから、どうしてダルシャンでそういう事をされるのかさっぱり横で見ていても分からない事があるよな。
ポニョ:おいらが驚いたのは、インド人の女性のほっぺを思いっきり引っ叩かれた事や。みんな周りにいた人はめちゃびっくりしたって言ってたな。
ヨシオ:誰がやねん。主語が抜けてるやないか。
ポニョ:明日からS夫人の特集をするけれど、そのS夫人が言ってたんや。ちょうど隣に座っていたんやて。それを見て、なんで愛の化身と言われている方がこんなに酷く女性を大きな音がするほどピンタせなあかんねん。と一瞬ムカッと来たんやて。その次のダルシャンでババはS夫人を睨まれて、さっきは私にムカッと来たやろ?と言われたのが分かって恐ろしかったと言っておられたな。それから、しばらくしてその叩かれた女性が再び自分の隣に座っていたので、思い切ってこの前どうして叩かれたのか聞いたんや。すると、その女性は私は、春を売って生活していました。こんな神聖なところに本当は来れない身なんです。と言ったんやて。
ヨシオ:はーるよ来いか…。嫌な世界やな。
ポニョ:なんでやねん。
ヨシオ:俺が見た不思議なダルシャンは、あるインド人女性が毎回ババが近づいて来ると、突然立ち上がってクルクル回り始めるんや。それもすごいスピードで。俺はそれを見ながら、一体全体これは何ですか?と思っていたんやけれど、後でその女性は興奮するとクルクル回りだす奇病やったんやて。数週間したら、その女性は大人しく座っておられたな。
ポニョ:北欧から来たゴールデンボーイの話を知ってるけ?アンチババのキャンペーンにいつも出て来る金髪の青年やけれど、その青年は毎回インタビューに呼ばれるから、ゴールデンボーイというあだ名が付いたんや。アンチババキャンペーンを張っている人は、その青年はババのお慰み青年だと言って、嘘八百のニセ情報を流しているんやけれど、この前ヒッピーくずれの青年がインタビュールームにいつでも入っても良いと言われて、突然ババに叱られてそのエゴがあからさまになった青年の話をしたやろ。それと一緒のパターンなんや。その青年もババに毎回呼ばれて、自分は特別やと思い込んでいたんや。でもある日、ババがその青年のエゴを凹ますために、突然無視されたんや。すると、その青年は、ダルシャン会場でみんなが静かに座ってババのダルシャンを受けている時に突然立ち上がって、ババの方に向かって凄い剣幕で殴りかかろうとしたんや。ちょうどおいらの目の前やったから、おいらは走って行って止めようと思ったんやけれど、周りにいたボランティアの人達に取り押さえられていたけどな。
ヨシオ:ババは、「私は何の欲望もありません。もしあるとしたら、君たちがみんな、神の方に向いて欲しいな、という欲望だけです」と言われたことがあったな。ババは「君たちが持っている欲望が、どれ程薄汚くて汚れていようと、それに対処する覚悟は出来ています」と言われた事がある。その金髪の青年や、以前紹介したと思うけれど、スウェーデンのサイの会長が子供の頃、性的に犯されてゲイが持っている欲望に弄ばれ、精神的に深く傷付いてトラウマが残っていたとしたら、ババはそういう帰依者の為に、俺たちでは理解出来ない方法で、その人たちを救うという事もされるんや。ババはそういうレベルの低い欲望なんて無いんや。もしあると信じている人がいれば、それは、その人の思いがババに投影されているだけなんや。ババはその人の本当のお母さんやから、その人のために一番と思われる治療をされるんや。それを見たり、噂を聞いたりして自分なりの解釈をして大騒ぎして、神に対して疑問を持ったり、批判したりする事は、苦い風邪薬を母親に飲まされたと言って、近所中に母親の悪口をふれまくり、ひどい場合は、自分の母親を警察に訴えるようなものなんや。
ポニョ:そういう事やよな。皆さん聞いて下さい。私の母親はお菓子を夕食の前にくれないんです。なんて酷い母なんでしょうか?皆さんそう思いませんかぁ?と叫びまくっているようなもんやな。というわけで、今日はダルシャンでのエピソードを少ししましたが、このまま引き続き、面白いダルシャンのエピソードを二つほどお送りします。一つ目は、息子の嫁探しの話です。
ポニョ:おいらが聞いた話で面白かったのは、マドラスからサイの帰依者でない男の人が、帰依者である奥さんの手紙を持ってダルシャンに来られた話や。ババは手紙を取られた途端それをまた、その男の人に投げ返されたんや。それを周りで見ていた人は、少し笑ったりしたんで、その人は少し恥をかいたような気分になり、顔を赤くされていたんや。
ヨシオ:そら誰でも恥ずかしいやろな。自分が手渡した手紙を投げ返されたら。それで、その人は手紙の内容を知ってたんか。
ポニョ:ああ、知っておられたんや。それには、奥さんが息子の見合い相手だった四人の花嫁候補の名前が書いてあって、サイババさんにどの娘さんがええのか聞こうとされていたんや。それで、旦那さんが家に帰って来られたので、どうでしたか?と聞くと、旦那さんはこれが答えじゃ。俺は大変皆の前で恥をかいたと言って、奥さんに手紙を投げてぶつけられたんや。
それで、奥さんはちょっと待って、と言って手紙の封を開けると、三人の名前が塗りつぶしてあって、一人の娘さんの名前だけがそこに書いてあったんや。
ヨシオ:すごい話やな。でも四人の娘さんから選べるってなんてラッキーな息子や。
それも、神さんが選んでくれるんやもんな。以前サイの大学の卒業生同士を紹介して結婚させた話があったけど、ババが二人を引き合わせた結婚話は、二人の相性が全く正反対の場合が多いらしいな。
ポニョ:その方がお互い理解するのに努力せなあかんし、結婚生活自体が霊性修行の場になるんやろうな。
ヨシオ:ハートがきれいなだけでは、神を見れない。そのハートを愛で満たさなければいけないと言われているけれど、人生って、生まれてから死ぬまでハートを愛でどれくらい満たせて行くかの旅なんやろな。ポニョは胃袋をどれくらい満たさなければいけないかが、幸せかどうかの尺度やけどな。
ポニョ:おいらの事はほっといてくれますか。
ヨシオ:という話やったな。俺が聞いた話も面白いで。それは、二人のインド人が、ババがダルシャンを終えてインタビュールームに消えた瞬間、ダルシャングランドで、取っ組み合いの大喧嘩を始めたんや。人々が中に入って喧嘩を止め、喧嘩の理由を聞くと、一人の人の手紙をババが取られて、それを封も開けずに近くにいた別のインド人に渡し、そして、その手紙を受け取った別のインド人の手紙を取られて、その手紙を先ほどのインド人に中身も確かめずに渡されたんや。つまり、二人の人の手紙を中身も見ずに交換されたんや。それで、一方のインド人が「俺の手紙を返してくれ。」と頼んだんやけれど、別のインド人は、「嫌じゃ。これはババ様からのプレゼントなんじゃ。ワシのもんじゃ。」と言ったので「いや違う。その手紙は俺がババ様に捧げたんだ。お前に取られてたまるか!」とか言って取っ組み合いを始めたんや。それで仕方なしにアシュラムにいる長老を呼んで来て、仲裁をしてもらう事にしたんや。長老は、二人から問題の手紙を受け取り封を開けたんや。そして二人の前でそれを見せたんや。すると一人の人の手紙からは500ルピー札が出て来て、もう一方の手紙から、びっしりとババに書いたはずなのに、全ての字が消えてしまっている、白紙の便箋が出て来たんや。二人のインド人は、明日ダルシャンで、ババにこの件について聞こうということになって、その日は、長老に手紙を預けることにしたんや。
そして、次の日のダルシャンで、ババは二人にこう言ったんや。お前は強盗団の一味として今までたくさんの悪事を働いて来た。でも最近、心の中に私への信仰心が芽生え始めたので、全ての今まで犯した罪を手紙に箇条書きに書き、神へのお供え代りに500ルピーを同封して、私に罪に許しを乞う手紙を渡しただろう。私はそのお供えを受け取り、お前の願いを受け入れてお前の罪を全て許し、今日から、白紙のような純白な綺麗な心で人生の再スタートをすれば良いと思い、お前に白紙の紙が入っている手紙を渡したのだ。そして、もう一人の男に向かって、お前は全てを捨てて苦行をしている。私に会うために遠方から、なけなしの金を使ってここにやって来て、念願の私のダルシャンを得ることが出来たけれど、ここに七日間滞在している間に、残りの金を全て使い果たしてしまったので、帰ることが出来なくなってしまった。お前は、手紙にその窮状を書いて私に渡しただろう。私はその便箋に書かれた文章を全て消して真っ白な紙にして、もう一人の者に渡したのだ。その代わり、お前には、この500ルピーをプレゼントしよう。これだけあれば、帰りの道中で充分食料を得て、腹を空かす事無く、無事に家にたどり着けることが出来るだろう、と言われたんや。
心は純粋な愛で満たされるべきです。
感覚の対象への執着を育ててはなりません。
自分自身の心を汚してはなりません。
そうして初めて本当の幸福を体験するのです。
この世界のすべての人々は、自分自身のために、何を変革し、何を正さなくてはならないか、何を達成せねばならないのかを細かく検討しなくてはなりません。それに応じて身を処さなければならないのです。
そうして初めて人は本当の人間らしさに気づくのです。
「私」と呼ばれる神は、あらゆる人間に内在しています。
この「私」という神が、ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神として受け取られることはありません。
これらは、神を認識するために人間が神に帰せた名前です。
名はそれほど重要ではありません。
本当の神は「私」なのです。
「私は私である」
私たちはブラフマー神を創造者、ヴィシュヌは維持者、そしてシヴァは破壊者と考えています。
私達が憶念するその神の姿で、神はそれぞれの人にダルシャンを与えるのです。17/2/07
それは、いくつもの前世で積み上げたカルマを支払っているからなのだ。
~私のダルシャンを得た後、次の世で良い人生が待っている。
良い人生であれば間違いを犯すことはない。
そして、間違いを犯さなければ、再び生まれ変わることも無い。
これは単純明解な真理なのだ。P260ANDI
ポニョ:今日はババの愛の物語の三回目をお送りします。以前もダルシャンの話をしたけれど、ダルシャンにはドラマがあるよな。
ヨシオ:そうやな。ババだけがご存知な事ってあるから、どうしてダルシャンでそういう事をされるのかさっぱり横で見ていても分からない事があるよな。
ポニョ:おいらが驚いたのは、インド人の女性のほっぺを思いっきり引っ叩かれた事や。みんな周りにいた人はめちゃびっくりしたって言ってたな。
ヨシオ:誰がやねん。主語が抜けてるやないか。
ポニョ:明日からS夫人の特集をするけれど、そのS夫人が言ってたんや。ちょうど隣に座っていたんやて。それを見て、なんで愛の化身と言われている方がこんなに酷く女性を大きな音がするほどピンタせなあかんねん。と一瞬ムカッと来たんやて。その次のダルシャンでババはS夫人を睨まれて、さっきは私にムカッと来たやろ?と言われたのが分かって恐ろしかったと言っておられたな。それから、しばらくしてその叩かれた女性が再び自分の隣に座っていたので、思い切ってこの前どうして叩かれたのか聞いたんや。すると、その女性は私は、春を売って生活していました。こんな神聖なところに本当は来れない身なんです。と言ったんやて。
ヨシオ:はーるよ来いか…。嫌な世界やな。
ポニョ:なんでやねん。
ヨシオ:俺が見た不思議なダルシャンは、あるインド人女性が毎回ババが近づいて来ると、突然立ち上がってクルクル回り始めるんや。それもすごいスピードで。俺はそれを見ながら、一体全体これは何ですか?と思っていたんやけれど、後でその女性は興奮するとクルクル回りだす奇病やったんやて。数週間したら、その女性は大人しく座っておられたな。
ポニョ:北欧から来たゴールデンボーイの話を知ってるけ?アンチババのキャンペーンにいつも出て来る金髪の青年やけれど、その青年は毎回インタビューに呼ばれるから、ゴールデンボーイというあだ名が付いたんや。アンチババキャンペーンを張っている人は、その青年はババのお慰み青年だと言って、嘘八百のニセ情報を流しているんやけれど、この前ヒッピーくずれの青年がインタビュールームにいつでも入っても良いと言われて、突然ババに叱られてそのエゴがあからさまになった青年の話をしたやろ。それと一緒のパターンなんや。その青年もババに毎回呼ばれて、自分は特別やと思い込んでいたんや。でもある日、ババがその青年のエゴを凹ますために、突然無視されたんや。すると、その青年は、ダルシャン会場でみんなが静かに座ってババのダルシャンを受けている時に突然立ち上がって、ババの方に向かって凄い剣幕で殴りかかろうとしたんや。ちょうどおいらの目の前やったから、おいらは走って行って止めようと思ったんやけれど、周りにいたボランティアの人達に取り押さえられていたけどな。
ヨシオ:ババは、「私は何の欲望もありません。もしあるとしたら、君たちがみんな、神の方に向いて欲しいな、という欲望だけです」と言われたことがあったな。ババは「君たちが持っている欲望が、どれ程薄汚くて汚れていようと、それに対処する覚悟は出来ています」と言われた事がある。その金髪の青年や、以前紹介したと思うけれど、スウェーデンのサイの会長が子供の頃、性的に犯されてゲイが持っている欲望に弄ばれ、精神的に深く傷付いてトラウマが残っていたとしたら、ババはそういう帰依者の為に、俺たちでは理解出来ない方法で、その人たちを救うという事もされるんや。ババはそういうレベルの低い欲望なんて無いんや。もしあると信じている人がいれば、それは、その人の思いがババに投影されているだけなんや。ババはその人の本当のお母さんやから、その人のために一番と思われる治療をされるんや。それを見たり、噂を聞いたりして自分なりの解釈をして大騒ぎして、神に対して疑問を持ったり、批判したりする事は、苦い風邪薬を母親に飲まされたと言って、近所中に母親の悪口をふれまくり、ひどい場合は、自分の母親を警察に訴えるようなものなんや。
ポニョ:そういう事やよな。皆さん聞いて下さい。私の母親はお菓子を夕食の前にくれないんです。なんて酷い母なんでしょうか?皆さんそう思いませんかぁ?と叫びまくっているようなもんやな。というわけで、今日はダルシャンでのエピソードを少ししましたが、このまま引き続き、面白いダルシャンのエピソードを二つほどお送りします。一つ目は、息子の嫁探しの話です。
ポニョ:おいらが聞いた話で面白かったのは、マドラスからサイの帰依者でない男の人が、帰依者である奥さんの手紙を持ってダルシャンに来られた話や。ババは手紙を取られた途端それをまた、その男の人に投げ返されたんや。それを周りで見ていた人は、少し笑ったりしたんで、その人は少し恥をかいたような気分になり、顔を赤くされていたんや。
ヨシオ:そら誰でも恥ずかしいやろな。自分が手渡した手紙を投げ返されたら。それで、その人は手紙の内容を知ってたんか。
ポニョ:ああ、知っておられたんや。それには、奥さんが息子の見合い相手だった四人の花嫁候補の名前が書いてあって、サイババさんにどの娘さんがええのか聞こうとされていたんや。それで、旦那さんが家に帰って来られたので、どうでしたか?と聞くと、旦那さんはこれが答えじゃ。俺は大変皆の前で恥をかいたと言って、奥さんに手紙を投げてぶつけられたんや。
それで、奥さんはちょっと待って、と言って手紙の封を開けると、三人の名前が塗りつぶしてあって、一人の娘さんの名前だけがそこに書いてあったんや。
ヨシオ:すごい話やな。でも四人の娘さんから選べるってなんてラッキーな息子や。
それも、神さんが選んでくれるんやもんな。以前サイの大学の卒業生同士を紹介して結婚させた話があったけど、ババが二人を引き合わせた結婚話は、二人の相性が全く正反対の場合が多いらしいな。
ポニョ:その方がお互い理解するのに努力せなあかんし、結婚生活自体が霊性修行の場になるんやろうな。
ヨシオ:ハートがきれいなだけでは、神を見れない。そのハートを愛で満たさなければいけないと言われているけれど、人生って、生まれてから死ぬまでハートを愛でどれくらい満たせて行くかの旅なんやろな。ポニョは胃袋をどれくらい満たさなければいけないかが、幸せかどうかの尺度やけどな。
ポニョ:おいらの事はほっといてくれますか。
ヨシオ:という話やったな。俺が聞いた話も面白いで。それは、二人のインド人が、ババがダルシャンを終えてインタビュールームに消えた瞬間、ダルシャングランドで、取っ組み合いの大喧嘩を始めたんや。人々が中に入って喧嘩を止め、喧嘩の理由を聞くと、一人の人の手紙をババが取られて、それを封も開けずに近くにいた別のインド人に渡し、そして、その手紙を受け取った別のインド人の手紙を取られて、その手紙を先ほどのインド人に中身も確かめずに渡されたんや。つまり、二人の人の手紙を中身も見ずに交換されたんや。それで、一方のインド人が「俺の手紙を返してくれ。」と頼んだんやけれど、別のインド人は、「嫌じゃ。これはババ様からのプレゼントなんじゃ。ワシのもんじゃ。」と言ったので「いや違う。その手紙は俺がババ様に捧げたんだ。お前に取られてたまるか!」とか言って取っ組み合いを始めたんや。それで仕方なしにアシュラムにいる長老を呼んで来て、仲裁をしてもらう事にしたんや。長老は、二人から問題の手紙を受け取り封を開けたんや。そして二人の前でそれを見せたんや。すると一人の人の手紙からは500ルピー札が出て来て、もう一方の手紙から、びっしりとババに書いたはずなのに、全ての字が消えてしまっている、白紙の便箋が出て来たんや。二人のインド人は、明日ダルシャンで、ババにこの件について聞こうということになって、その日は、長老に手紙を預けることにしたんや。
そして、次の日のダルシャンで、ババは二人にこう言ったんや。お前は強盗団の一味として今までたくさんの悪事を働いて来た。でも最近、心の中に私への信仰心が芽生え始めたので、全ての今まで犯した罪を手紙に箇条書きに書き、神へのお供え代りに500ルピーを同封して、私に罪に許しを乞う手紙を渡しただろう。私はそのお供えを受け取り、お前の願いを受け入れてお前の罪を全て許し、今日から、白紙のような純白な綺麗な心で人生の再スタートをすれば良いと思い、お前に白紙の紙が入っている手紙を渡したのだ。そして、もう一人の男に向かって、お前は全てを捨てて苦行をしている。私に会うために遠方から、なけなしの金を使ってここにやって来て、念願の私のダルシャンを得ることが出来たけれど、ここに七日間滞在している間に、残りの金を全て使い果たしてしまったので、帰ることが出来なくなってしまった。お前は、手紙にその窮状を書いて私に渡しただろう。私はその便箋に書かれた文章を全て消して真っ白な紙にして、もう一人の者に渡したのだ。その代わり、お前には、この500ルピーをプレゼントしよう。これだけあれば、帰りの道中で充分食料を得て、腹を空かす事無く、無事に家にたどり着けることが出来るだろう、と言われたんや。
心は純粋な愛で満たされるべきです。
感覚の対象への執着を育ててはなりません。
自分自身の心を汚してはなりません。
そうして初めて本当の幸福を体験するのです。
この世界のすべての人々は、自分自身のために、何を変革し、何を正さなくてはならないか、何を達成せねばならないのかを細かく検討しなくてはなりません。それに応じて身を処さなければならないのです。
そうして初めて人は本当の人間らしさに気づくのです。
「私」と呼ばれる神は、あらゆる人間に内在しています。
この「私」という神が、ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神として受け取られることはありません。
これらは、神を認識するために人間が神に帰せた名前です。
名はそれほど重要ではありません。
本当の神は「私」なのです。
「私は私である」
私たちはブラフマー神を創造者、ヴィシュヌは維持者、そしてシヴァは破壊者と考えています。
私達が憶念するその神の姿で、神はそれぞれの人にダルシャンを与えるのです。17/2/07