ヨシオ:サイババさんが11月に25歳になられた年、1950年4月14日の出来事をヴァラドゥという帰依者の方がこう述べています。
その夜、ババと私ともう一人の帰依者と三人、部屋にいました。そして、9時ごろにサイババさんがやって来て、私たちの方を見られたのです。
そのババの表情によって、私たちは、ババがご自分の部屋に入りたいという事がこれまでの経験ですぐに分かりました。
それで、もう一人の帰依者と私と三人でババの部屋に入りました。そして、ドアを閉めるや否や、サイバは意識を失われて倒れられたのです。
私は、それを予期していましたから、倒れて来るババの体をしっかり受け止めることが出来ました。
私ともう一人の帰依者は、それぞれババの手を持って、ゆっくりと床にババの身体を寝かせようとしました。
すると、ババの身体は、私たちの手から離れて宙に浮き上がって来たのです。
ババの身体は、板のように硬くなっていました。
そして、何かをつぶやいていました。よく聞くと、「ラマナマハリシが私の蓮華の足にやって来た。」と言っておられました。(訳注:ラマナマハリシは、"Who I am ?"と問い続けて瞑想をする南インドの有名な聖者でした。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/ef/fcfc0d6c10834f76ad14dba3f1545c0f.jpg)
その後、ババの右足の足の裏から、とてもいい香りのする綺麗なヴィブティが二kgも出て来て、私たちの足がヴィブティで覆われてしまいました。
私は、それらのヴィブティを拾い集めていましたが、その間もババの身体は宙に浮いたままだったんです。
その後、しばらくしてからババの身体はゆっくりと床に降りて行きました。そしてババが元に戻られてから「私が身体を離れている間に何か話したか」と聞かれましたので、私は「ラマナマハリシが亡くなって私の蓮華の足にたどり着いた。」と言われたと答えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e4/e92e97e91a4b0b2dcb6e45f68a0db7e3.jpg)
そして、「これらのヴィブティがあなたの足から吹き出して来たんですよ」と言うと、ババは「それらを皆に分け与えなさい。」と言われました。
そして、二三日後、私は新聞でラマナマハリシがババが身体を離れられた時と同じ時に、亡くなられたことを知ったのです。それによると、亡くなられたのは八時四十七分でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/97/7ea928507146b20aa8b162091d3ac7e6.jpg)
その頃、マンディールの建設は、その年のサイババさんの25歳の誕生日に合わせて建立するために、急ピッチで進められていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d7/54240b24de75584fc09f73af9c89cd01.jpg)
そのために、12mの梁が礼拝所の為に運び込んで来なければならなかったのです。
その梁を、ペヌコンダ駅から36kmの曲がりくねったガタガタ道を通ってどうやって運んで来るのかが、大きな問題でした。
それに、途中にあるブッカパトナムの村の中を通っている道はとても細くて、家々が道に張り付いている状態だったのです。
その上、途中に何度も水が流れるところを越え、最後には、柔らかい砂の河原が広がっているチットラヴァティの河原をも越えなくてはならなかったのです。
技術者たちは、これらをクリアーするのは不可能なので、ババに礼拝室の屋根の設計変更を提案しましたが、ババはその提案をはね除けたのです。
ある日、サイの帰依者の道路交通局長の家の前で大きなクレーンが立ち往生していました。
そのクレーンはダム建設に使っていたのですが、運転手は、クレーンは故障して動かなくなったと言ってました。
それで、道路交通局長はババに、もしそのクレーンを直すことが出来ればそのクレーンで梁を運ぶことが出来るとババに進言しに行きました。
ババは手からヴィブティを出して、その人に与えクレーンのエンジンに振りかけてこするように言いました 。
そして、そのようにするとクレーンのエンジンは生き返ったのでした。運転手は早速クレーンで梁を運び始めましたが、途中の村人は、誰もこんな大きな機械を見たことは無かったので沿道は人だかりでした。
クレーンは、途中の丘までは上手く運べたんですが、そこで遂にエンコしてしまいました。
サイババさんはそのエンコしたクレーンまで出向いて行きました。
そして、運転手の横に乗り込んで、自らクレーンを操縦して河原も横切り、建築現場まで梁を運ばれたのです。
しかし問題はこれからでした。それらの大きな長い梁を持ち上げて屋根に据えるのにウインチなどで持ち上げるのですが、梁が重たすぎて、中途で止まってしまったのでした。
一度、無理に持ち上げようとしたのですが、重みで梁が傾いてしまい建築中のマンディールの一部を壊してしまったのでした。
それでこのままの状態で梁をぶら下げたままにしておけないので、降ろそうとしましたが、それも途中の壁などに引っかかって降ろせなくなったのです。
それで、急遽ババのところに人が派遣されて事情を説明しに行きました。
というのも、その頃ババは身体の療養の為にほとんどプッタパルティに帰っておらず、バンガロールのセティさんの家におられたのでした。
それでも、無理を押してプッタパルティにやって来たババは、作業員に梁を上げなさいと指示を出されました。
そして、再び作業を開始すると、今回はなんと目にも止まらぬ速さで梁は所定の位置に設置されていたのです。
その時ババは、別に作業員を手伝ってロープを引いたりせず、ただ指示を出されただけなのでした。その次の梁も全く問題なく全て順調に設置することが出来たのです。
サイババさんの神聖な思い出
プルナイヤさんの話
ある日、チットラヴァティ川の河原にいた時、ババは川の水を両手で汲まれて、私に受け取りなさいと言って私の手の中に水を注がれました。
でも、その水は金のお守りに変わったのです。ババはこれを首の周りに付けておけば、これから誰もあなたを傷つけることは出来ないと言われました。
また、チットラヴァティ川を横切っている時、ババは川砂を手で掴まれて、それを、強い風に向かってサラサラと手からこぼされていました。
砂が全部風に吹き飛ばされたと思ったら、手には誕生石のついた美しい指輪が現れました。
そして、それを私の息子にプレゼントされて、これをいつもはめていれば、悪いものはお前に近付くことが出来ず、神の祝福が常に降り注ぐであろうと言われたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/f1/b2bbd2a56a0780b68667b94c1f04f253.jpg)
“ダルマ(正義)が衰えアダルマ(反正義)が増すとき、私はダルマを確立するために化身する。
今日の世界では、正義が衰え、真理が忘れられています。
全世界は不正行為と無秩序と邪悪な振る舞いに満ちています。
このような混沌とした状態に対しては、神への信仰だけが永続的な改善策です。
真理のみが拠り所です。なぜなら真理は神だからです。
愛は神です。愛に生きなさい。愛がなくては人は生きることができません。
ですから、人は神を愛し、神から愛という贈りものを受け取らなくてはなりません。
愛によってのみ神に到達することができます。
“私は探しています。ずっとずっと探し続けています。
私は当時も探しました。私は今も探しています。
私はずっと、真の、そして、正義にかなった人間を捜し続けているのです。”
https://m.youtube.com/watch?v=EgatICXd8dk
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b2/96c26de3c01f10407f490a895db694a5.jpg)
その夜、ババと私ともう一人の帰依者と三人、部屋にいました。そして、9時ごろにサイババさんがやって来て、私たちの方を見られたのです。
そのババの表情によって、私たちは、ババがご自分の部屋に入りたいという事がこれまでの経験ですぐに分かりました。
それで、もう一人の帰依者と私と三人でババの部屋に入りました。そして、ドアを閉めるや否や、サイバは意識を失われて倒れられたのです。
私は、それを予期していましたから、倒れて来るババの体をしっかり受け止めることが出来ました。
私ともう一人の帰依者は、それぞれババの手を持って、ゆっくりと床にババの身体を寝かせようとしました。
すると、ババの身体は、私たちの手から離れて宙に浮き上がって来たのです。
ババの身体は、板のように硬くなっていました。
そして、何かをつぶやいていました。よく聞くと、「ラマナマハリシが私の蓮華の足にやって来た。」と言っておられました。(訳注:ラマナマハリシは、"Who I am ?"と問い続けて瞑想をする南インドの有名な聖者でした。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/ef/fcfc0d6c10834f76ad14dba3f1545c0f.jpg)
その後、ババの右足の足の裏から、とてもいい香りのする綺麗なヴィブティが二kgも出て来て、私たちの足がヴィブティで覆われてしまいました。
私は、それらのヴィブティを拾い集めていましたが、その間もババの身体は宙に浮いたままだったんです。
その後、しばらくしてからババの身体はゆっくりと床に降りて行きました。そしてババが元に戻られてから「私が身体を離れている間に何か話したか」と聞かれましたので、私は「ラマナマハリシが亡くなって私の蓮華の足にたどり着いた。」と言われたと答えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e4/e92e97e91a4b0b2dcb6e45f68a0db7e3.jpg)
そして、「これらのヴィブティがあなたの足から吹き出して来たんですよ」と言うと、ババは「それらを皆に分け与えなさい。」と言われました。
そして、二三日後、私は新聞でラマナマハリシがババが身体を離れられた時と同じ時に、亡くなられたことを知ったのです。それによると、亡くなられたのは八時四十七分でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/97/7ea928507146b20aa8b162091d3ac7e6.jpg)
その頃、マンディールの建設は、その年のサイババさんの25歳の誕生日に合わせて建立するために、急ピッチで進められていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d7/54240b24de75584fc09f73af9c89cd01.jpg)
そのために、12mの梁が礼拝所の為に運び込んで来なければならなかったのです。
その梁を、ペヌコンダ駅から36kmの曲がりくねったガタガタ道を通ってどうやって運んで来るのかが、大きな問題でした。
それに、途中にあるブッカパトナムの村の中を通っている道はとても細くて、家々が道に張り付いている状態だったのです。
その上、途中に何度も水が流れるところを越え、最後には、柔らかい砂の河原が広がっているチットラヴァティの河原をも越えなくてはならなかったのです。
技術者たちは、これらをクリアーするのは不可能なので、ババに礼拝室の屋根の設計変更を提案しましたが、ババはその提案をはね除けたのです。
ある日、サイの帰依者の道路交通局長の家の前で大きなクレーンが立ち往生していました。
そのクレーンはダム建設に使っていたのですが、運転手は、クレーンは故障して動かなくなったと言ってました。
それで、道路交通局長はババに、もしそのクレーンを直すことが出来ればそのクレーンで梁を運ぶことが出来るとババに進言しに行きました。
ババは手からヴィブティを出して、その人に与えクレーンのエンジンに振りかけてこするように言いました 。
そして、そのようにするとクレーンのエンジンは生き返ったのでした。運転手は早速クレーンで梁を運び始めましたが、途中の村人は、誰もこんな大きな機械を見たことは無かったので沿道は人だかりでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/b1/17bbbc18ce37a280ad4f89e4fffeb556.jpg)
プッタパルティへの道
クレーンは、途中の丘までは上手く運べたんですが、そこで遂にエンコしてしまいました。
サイババさんはそのエンコしたクレーンまで出向いて行きました。
そして、運転手の横に乗り込んで、自らクレーンを操縦して河原も横切り、建築現場まで梁を運ばれたのです。
しかし問題はこれからでした。それらの大きな長い梁を持ち上げて屋根に据えるのにウインチなどで持ち上げるのですが、梁が重たすぎて、中途で止まってしまったのでした。
一度、無理に持ち上げようとしたのですが、重みで梁が傾いてしまい建築中のマンディールの一部を壊してしまったのでした。
それでこのままの状態で梁をぶら下げたままにしておけないので、降ろそうとしましたが、それも途中の壁などに引っかかって降ろせなくなったのです。
それで、急遽ババのところに人が派遣されて事情を説明しに行きました。
というのも、その頃ババは身体の療養の為にほとんどプッタパルティに帰っておらず、バンガロールのセティさんの家におられたのでした。
それでも、無理を押してプッタパルティにやって来たババは、作業員に梁を上げなさいと指示を出されました。
そして、再び作業を開始すると、今回はなんと目にも止まらぬ速さで梁は所定の位置に設置されていたのです。
その時ババは、別に作業員を手伝ってロープを引いたりせず、ただ指示を出されただけなのでした。その次の梁も全く問題なく全て順調に設置することが出来たのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f4/885c4a756bf7ff15d31f9623b00310a5.jpg)
建築現場のババ
サイババさんの神聖な思い出
プルナイヤさんの話
ある日、チットラヴァティ川の河原にいた時、ババは川の水を両手で汲まれて、私に受け取りなさいと言って私の手の中に水を注がれました。
でも、その水は金のお守りに変わったのです。ババはこれを首の周りに付けておけば、これから誰もあなたを傷つけることは出来ないと言われました。
また、チットラヴァティ川を横切っている時、ババは川砂を手で掴まれて、それを、強い風に向かってサラサラと手からこぼされていました。
砂が全部風に吹き飛ばされたと思ったら、手には誕生石のついた美しい指輪が現れました。
そして、それを私の息子にプレゼントされて、これをいつもはめていれば、悪いものはお前に近付くことが出来ず、神の祝福が常に降り注ぐであろうと言われたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/f1/b2bbd2a56a0780b68667b94c1f04f253.jpg)
“ダルマ(正義)が衰えアダルマ(反正義)が増すとき、私はダルマを確立するために化身する。
今日の世界では、正義が衰え、真理が忘れられています。
全世界は不正行為と無秩序と邪悪な振る舞いに満ちています。
このような混沌とした状態に対しては、神への信仰だけが永続的な改善策です。
真理のみが拠り所です。なぜなら真理は神だからです。
愛は神です。愛に生きなさい。愛がなくては人は生きることができません。
ですから、人は神を愛し、神から愛という贈りものを受け取らなくてはなりません。
愛によってのみ神に到達することができます。
“私は探しています。ずっとずっと探し続けています。
私は当時も探しました。私は今も探しています。
私はずっと、真の、そして、正義にかなった人間を捜し続けているのです。”
https://m.youtube.com/watch?v=EgatICXd8dk
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b2/96c26de3c01f10407f490a895db694a5.jpg)
いつもありがとうございます。
ブログから発信される愛のパワーがどんどん強くなっているような気がします。
涙がとまらなくなることがあります。
悩んでいることの答えがブログのテーマになっていたりして、そのことに気づいたら自分も神様と掛けっこしているみたいで嬉しかった、じゃなくて嬉しカルカルでした。
うふふ。
終わるのは淋しいですが、たくさんの愛を伝えていただきありがとうございました。
お役目あとすこし頑張ってください。
昨年末にこのブログを始めて六月に終わるというのは、早くから決めていました。というのも世界がそろそろガタガタし始めて、皆さんがこういうものを読む余裕が無くなるからです。次の五回程で大急ぎでサイババさんの話を取り敢えず終了しますが、また、単発で記事を載せるかもしれませんのでその時に又、お会いしましょう。本当にありがとうございました。水の上さんのコメントを読むのが楽しみでした。ポニョ
ババの話し以外にも、世界情勢や表では報道されないことをたくさん発信してくれて。
それらを読んでいて、こういう時だからこそババの教えを守って生きていくことの大切さを改めて感じました。
質問にも丁寧に答えてくださって感謝です。
それから、いつぞや紹介してくださったKrishna Dasの曲、大好きになりした。スティングとハモっていたりしてびっくり。
またどこかで、お会いできるとうれしいです。