サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

インタビュー特集(45)自分が作者だの巻

2017-04-25 16:00:24 | 日記

ポニョ:今日から六回に分けてお送りするインタビュー記事は、36人のサイネットの帰依者たちが協力して、「サイ引用辞典」からの引用を、大変読みやすいインタビュー形式にまとめたものです。

ヨシオ:という事はサイババさんとのインタビューという形を取っただけで、本当はそうではないんや。

ポニョ:でもとても上手く編集してあって本当にインタビューでの会話みたいやぜよ。

ヨシオ:俺もサッと目を通したけれど、ポニョが言ってくれなかったら気がつかない程、上手く編集してあるよな。しかも出典先をきちんと載せているからもっと詳しく読みたかったら出典先の文献も読めるし。という事で今日はどうして生まれたのか、その人として生まれ、生きて行く目的や、神の元へ旅する理由などを説明しています。

ポニョ:こういう人として生まれた目的や理由などを系統的にサイババさんとの会話形式で説されたら頭の中が整理されてわかりやすいぜよ。今日の会話で人はどうしてこのような不幸がいっぱいあるような世界に住まなくてはいけないのか、という疑問を投げかけて、その答えとして「あなたがたは、世間の荒波にもまれるという経験を通じて学ばなくてはならないのです。世間に住まうということは、人間として生きるカリキュラムの中でも、非常に重要な科目なのです。」なんて言っているけれど、説得力に乏しいよな。多分この答えを見つけて来たのは学生さんやぜよ。

ヨシオ:彼らは彼らなりに一生懸命サイババさんの講話の中から答えを見つけて来たんやろ。なかなか出来ないで。

ポニョ:でも、もし同じ質問をされたらあんたやったらどう答える?

ヨシオ:俺は人と話す時は自分のレベルをその人のレベルに合わせ、調整して話すんや。だから一概にどう答えると言っても相手の人によって答えが違うんや。もしポニョが聞いて来たと仮定したらこう答えるかな。人は肉体ではなくその中に鎮座しているアートマやろ。この世で起こる全ての不幸な事件や出来事は全て、何の偶然も無いんや。必ずその原因があるんや。人は自分の人生は不幸やとか言って文句を言うけれど、自分って一体誰やねん。と言うことをしっかり問い詰めたら、実は自分が出会う全ての事件や不幸な出来事は自分が生まれる前に、真の自分であるアートマが事前にセットアップされてあるものなんや。という事は、自分が遭遇するいろんな出来事や事件は、真の自分であるアートマがポニョというエゴや欲望を持った個我が、少しでもそのエゴや欲望を個我から取り除き、本来の神聖なアートマに戻るというか、悟るために仕組んだものなんや。つまりこの世でポニョが遭遇する全ての事件や出来事は全て、自分がポニョだと思いこんでいる個我の為に役立つんや。だから人生で何が起こっても、どんな不幸なように見えるような出来事であってもそれらは自分が自分の為に仕込んだものやから、誰にも文句を言えないんや。

ポニョ:なるへそ。そういう理由やったら受け入れられるぜよ。つまり真のポニョであるアートマが、自分がポニョであると思い込んでいるポニョの為に、ポニョの人生をプログラムしたから一切何が人生で起こっても文句を言うなって言いたいんやろ。つまり自分が書いたシナリオに登場している自分が、自分のシナリオにケチを付けている事と同じなんや。

ヨシオ:そういう事やな。言い換えれば、自分が蒔いた種は自分が刈り取ることによって、真の自分に近づきますよって事や。

ポニョ:それってカルマの法則やぜよ。

ヨシオ:神さんが全てを愛でもってこの三界の世界を創造されたから、カルマの法則も、輪廻転生の法則も全て愛の法則なんや。人は自分の人生で苦しいことがあっても、それは自分が蒔いた種を今刈っていると思って受け入れなくてはいけないんや。

ポニョ:でもこの物質世界に人という肉体をまとって住んでいれば、なかなかそういう一歩高いレベルから自分の運命を見て生きて行くのは難しいぜよ。

ヨシオ:でも死んで肉体から離れた時に全てが明らかになるんや。自分がいた世界に実は自分が属していなかった事が分かるんや。というわけでインタビュー記事には入って行きますね。

問:スワミ、なぜ私は生まれたのですか?

サイ:どんな目的であなたが生まれたか?(1) 人は、自分が人間ではなく神であるという真実を悟るために・・・この世に生まれてきたのです。波は、風に踊り、日向ぼっこをし、雨とじゃれている間、自分が海の懐に抱かれて戯れていると思っていて、実は自分が海そのものであることには気付いていません。波は、真実を悟るまでは上へ下へとふりまわされるでしょうが、真実を悟った時には、 冷静に落ち着くことができ、心の平和を手に入れることができるのです(2)。

問:どうして私が神だと言うのでしょう、スワミ?私は、人間の肉体をもった人間です。

サイ:あなたがたは・・・神であるあなた自身を顕在化させるために、この肉体---この容れ物---のなかにいるだけです。この身体は、あなた自身が、衝動や欲望という糸を使ってつむいだ繭(まゆ)なのです。そこから飛び立つための羽を育てるのにそれを使いなさい(3)!

問:我々は神に到達しなければならないのでしょうか?

サイ:全ての生き物は神に到達しなければなりません(4)。人間から神へと旅するのは、人間の使命なのです---あなたがたがすでに、動物から人間へと旅してきたように(5)。飛行機を使う人も、車やバスに乗る人も、汽車での旅を好む人も、あるいはてくてくと歩いていくことを選ぶ人もあるでしょうが、いつの日か、全ての人がゴールにたどり着かねばなりません。(6)

問:しかし、スワミ、どこで神を見つければいいのでしょう?

サイ:神の原則は、人間の核心です。・・・神の原則は、絶えることのない、また押さえることのできない強さの源です。神はここにいます。あなたの前・後ろ・内・外、どこにでもいます。知性を通 じてあなたがたが神を見出す、その知性すらも神なのです(7)。

問:もし、このプラシャンティ・ニラヤムで、スワミのもとに住んでいれば、神を見いだすことはたやすいのでしょうが。

サイ:あなたが今いるところが、あなたが勝利をおさめることのできる競技場であり、また、あなたが勝つための技術をみがく練習場でもあるのです(8)。

問:でも、なぜ、不幸がはびこる世界に、私自身も不幸だというのに、住んでいなくてはならないのでしょう。

サイ:あなたがたは、世間の荒波にもまれるという経験を通じて学ばなくてはならないのです。世間に住まうということは、人間として生きるカリキュラムの中でも、非常に重要な科目なのです(9)。
  この世界は・・・我々が、過去の自分の行動の因果を体験するために一時的に来た場所で、いわばホテルのようなものです。肉体は、我々がカルマの結果を経験するために入らなくてはならなかったホテルの部屋のようなものです(10)。

問:私は、家にいる時、様々なことで気が散ってしまいます。神を生活のなかに見いだそうとすらしなくなってしまうこともよくあるのですが。

サイ:人の姿の内にある神を見いだす努力をしていない人は、人生を無駄にしていると言わざるを得ません。世界の名だたる聖典はすべて、自分の神性を見いだす事が非常に重要であると説いていますが、それは、人は神性を悟ることなしには本当の至福を味わうことができないからです。しかし、人は、世俗的な快楽や成功を追い求めて、永遠の幸せをもたらす内なる神性を探究していないのです(11)。

問:でも、スワミ、それはとても長い道のりではありませんか?

サイ:そうです、あなたの道程はとても長いのです。でも、落胆することはありません(12)。私はあなたを導くために来たのですから(13)。私は・・・あなたのレッスンを、初めから終わりまで助ける準備がいつでも出来ています(14)。

(1) Sathyam, Sivam, Sundaram, III, 81.
(2) Voice of the Avatar, II, 4.
(3) Sathya Sai Speaks, IV, 12.
(4) SSS, I, 14.
(5) Sathya Sai Baba: Embodiment of Love, 65.
(6) SSS, IV, 40.
(7) VOA, II, 10.
(8) SSS, VIII, 5.
(9) SSS, I, 12.
(10) Sanathana Sarathi, 30, May 1987, 122.
(11) SSS, XI, 57.
(12) SSS, I, 196.
(13) Life of Bhagavan Sri Sathya Sai Baba, frontispiece.
(14) SSS, I, 196.

(c) Copyright Sathya Sai Central Trust


最新の画像もっと見る