ポニョ:今日のインタビューの最後の方でサイババさんは「私とあなたは一つではないのです。私とあなたは「私たち」なのです。私たちと私たちは一つなのです。
私はそちらにもいるし、あなたがたはこちらにもいます。何の違いもありません。」とおっしゃったけれど、サイババさんと私は一つであると考えると、自分だけが神と一緒になるんだという小乗仏教の世界になってしまうから、全ての人々が神だという観点を持たないといけないと言って諭して下さったよな。
ヨシオ:霊的な観点では私と神の関係がとても重要やけれど、サイババさんはもっと周りのみんな事を考えろ。君の人生は君の周りにいる全ての人々に中におられる神さんを見ていくのがとても大切やって言っておられたな。
ポニョ:それって究極の霊性修行やぜよ。でも霊性修行って個人と神さんの関係やろ。だからおいらがいつもツイッターしているように世俗的な事にあまり首を突っ込んだら、神さんとの関係が薄くなって来るって言ってなかったか?
ヨシオ:人の心の中にある椅子はただ一つしか無いんや。そこに神さんが座るのか、それとも自分が自分だと思い込んでいるエゴポニョが座るのかは、それぞれの人によって変わって来るんや。
ポニョ:アルドラッガーさんは、大陸間弾道弾ミサイルの研究を長年やって来られたので、その危険性を十分知っていて、いつもその恐怖におののいていたんや、でもある日インタビュールームでサイババさんに、いくら世界が滅びそうになっていても君は心配する必要はないじゃないの。だってその前に君が肉体から離れてしまったら君はミサイルの一体何を心配しなくてはいけないんだ?って聞かれたんや。
ヨシオ:しかしだからと言って世俗で生きている俺たちは、世俗から全く切り離して生きるなんて出来っこないやろ。だって子供だって学校に行かなくてはならないし。だから毎日の生活で神の御名を唱え、全ての行為を神さんに捧げるって大事な事なんや。そうすれば人の行為は神への捧げ物となって神聖化されるし、その人の行為はその人に影響を与えなくなるんや。しかしいくら人里離れたところに住んでいても、人はこの世界やあの世界でも想念の力などで繋がっているから、世界で一旦何かが起こったら、その影響から逃れるってとても難しいけどな。
ポニョ:逆に個人がルッドラムのようなパワフルなヴェーダを唱えると、その波動は世界を駆け巡るぜよ。というわけで今日も張り切って行きましょう。
あなたがたはこのシェッド(小屋)に座っていますが、この小屋の基礎は何でしょうか?
土台がこの基礎になっていますが、土台がなければ壁は強くならないですよね。
壁が無ければ屋根もない。屋根が無ければ住むことができません。
それゆえに、アートマへの確信は土台なのです。
アートマへの満足は壁のようなものです。
アートマへの犠牲は屋根のようなものです。
アートマへの気づきは生命です。
悟りこそが生命です。
気づきなさい、悟りなさい!
あなたがたは、「私は悟りが欲しい」と言います。そのためには、あなたがたは自分自身を知らなければなりません。
あなたがたは誰だろうか?
(指差しながら)これは私の肉体である。これは私のマインド(思考的心)である。これは私の手である。これは私の足である。これは私の頭である。では、私とは誰ですか?
(一同笑い)
これを自ら問いなさい。これは、とてもとても重要です。
あなたがたは、「これは私の肉体です」と言う。「これは私の足です」、「これは私のマインドです」と言う。では「私」とは誰ですか?
私は肉体とは別のものですよね。私はマインドとは別のものでもあります。
(ハンカチをつまんで捨てる)これは私のハンカチです。
(一同笑い)
ハンカチは私とは別のものです。これは椅子、椅子は私とは別のものです。
あなたがたが「これは私の肉体」と言うなら、あなたがたは肉体とは別のものであり、肉体ではないですよね。これが最初の問いかけだです。
あなたがたは、これは自分のマインドだと言うなら、あなたがたは心とは別のものであり、心ではないのです。
あなたがたは元々、心とは別の存在です。別、別、全く別の存在です。
「これではない、これではない…」、これはヴェーダーンタ哲学で、「ネティ、ネティ…」(これではない、これではない、)と言っていく手法です。(*グニャーナ ヨーガの典型的手法。あらゆるものを識別していき、最後に否定しようのない唯一のものが残る)
私は肉体ではない。私はマインドではないという風に。
私はアートマ(真我、内在神、真の私)である。アートマは不変である。
マインドは常に変わり続けます。マインドは猿のようなものです。マインドは狂った猿のようなものです。
(一同笑い)
そのような猿に従ってはなりません。
生まれたとき肉体は子供です。10年後、少年と呼ばれるようになります。30年経つと大人と呼ばれます。75年もすると、おじいさんと呼ばれます。
これら四つの名前は、ただ一人の人間に付いているだけです。その間肉体は変化しつづけます。
しかし神は変化しません。神は不滅です。神は常に存在しています。
それでは不滅とは何を意味するのでしょうか? これを自らに問いなさい。
不道徳を取り除くことが不滅への唯一の道であると言われます。それでは不道徳とは何でしょうか?
悪い思い、エゴ、嫉妬心、憎しみ、怒り、これらが悪い思いです。
(通訳が訳さなかったのでサイババが訳すように目で促すと、通訳は「これら全ての悪い性質です」と訳す。一同爆笑。これらの単語をサイババは英語で話していたため、みな通訳なしで理解していた)
悪い性質を取り除いたときに不滅は手に入ります。これはとても重要です。
人々はただ銅像のように、ジャパム(御名を繰り返し唱えること。唱名、念仏)やディヤーナム(瞑想)をしているだけです。そのような態度を私は好みません。
(一同笑い)
なぜなら、人々はただ座って目を閉じているだけで、まるでカメラに向かってポーズをとっているようだからです。
(一同爆笑)
マインドはあちこちにさまよっています。そんな人々を信じてはなりません。彼らは派手に見せかけているだけです。彼らはマインドを台なしにするハンターです。そのような人たちに従ってはなりません。
いつも幸せでいなさい。
「私は神」、「私は神」、「私は神」と考えなさい。あなたがたも神なのです。そのように考えなさい。
あなたがたは一人の人間ではありません。三人です。あなたが自分だと考えているあなた。それは肉体です。
他人があなただと考えているあなた。それはマインド(思考的心)です。
本当のあなた。それはアートマ(真我、内在神、真の私)です。
あなたが自分だと考えているあなた。それは肉体に過ぎないのです。私は何歳、私は女、私は男…。あなたがたが自分であると考えているものは全て肉体に過ぎません。
他人があなただと考えているあなた。これはマインドです。つまり他人は、あなたが良い人か悪い人かを考えています。あなたがたは良い性質や悪い性質を持っています。
あなたが自分だと考えているあなたは自意識(エゴ)に過ぎません。つまり感覚です。他人があなただと考えているあなたは良心(どういう人間であるかという、マインドが創り出したイメージ)です。
本当のあなたは純粋意識です。純粋意識は永遠なるものです。良心は変化します。
自意識(エゴ)には多くの浮き沈みがあります。自意識は水の泡のごとき肉体のようなものです。肉体に従ってはいけません。マインドにも従ってはいけません。
あなたは純粋意識です。あなたは不変です。あなたは神です。
「私と神は一つである」と考えること。
これは正しくないです。最初からそう考えるのは正しくないです。
(バクタ帰依者の一人を指差して)「私と神は一つである」と言うのは正しいだろうか?
バクタ(神を愛する者、帰依者)たちは口々に「はい」と言う。
私とあなたは「私たち」です!!
(一同爆笑)
私とあなたは「私たち」です。私たちと私たちは一つです。私たちは一つです。
(一同笑い)
私の許へ来る多くの人が「私とあなたは一つです」と言います。
(一同笑い)
私とあなたは一つではないのです。私とあなたは「私たち」なのです。私たちと私たちは一つなのです。
私はそちらにもいるし、あなたがたはこちらにもいます。何の違いもありません。
神性は自分の中にあるという確信を持たなければなりません。
あなたがたはアートマ スワルーパ(真我の化身)です。これがヴェーダーンタ哲学なのです。すなわち、「私はアートマたるブラムハン(絶対実在、神)です」(笑顔)
それがアートマなのです。