ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

カンチャナブリーの旅 2  ~泰麺鉄道博物館・連合軍共同墓地~

2010年08月18日 22時35分35秒 | カンチャナブリー
クウェー鉄道のあとに、行ったのは

泰麺(たいめん)鉄道博物館

   

泰麺鉄道建設に関する資料が展示されている。
さっき見てきた、クウェー鉄道、正式には泰麺鉄道。
今は観光地となり、たくさんの人で賑わう場所。
だけど、その建設には多くのタイ人や戦争捕虜が駆りたてられ
多くの人が犠牲となった場所。

建設の作業員は、日本軍、連合軍の捕虜、
アジア各地から集められた強制労働者
(タイ人・ミャンマー人、マレーシア人、中国人、インド人など)、そして受刑者。
建設現場はの環境は劣悪で、特に工事の後半は雨季にもかかわらず
休む暇なく働かされ、がりがりにやせて骨と皮だけになった人間の姿が展示してあった。
食料不足からくる栄養失調、そしてコレラやマラリアにかかって死者が次々と出たという。
機械も不足していたために、断崖絶壁の建設現場で、
人海戦術で行う作業は、死者をさらに多く出していった。

これらの多くの犠牲のうえに、当初は5年かかると言われた建設が
翌年10月におわり、鉄道は完成。
  

その後、必要性の低さから、ミャンマー側では全線が廃止。
タイ側では国境から3分の2にあたる区間が廃止となって、タイ側の一部はダムに沈んでいる。
なんだか、切ない。

犠牲者の数はあまりにも多く、日本軍が一切の記録を禁止したこともあって、
死者の数は今も推定でしかない。
「推定」の言葉に、人間の命がどれほど粗末に扱われたのかを伺い知れる。
鉄橋一つを架けるのに、どれだけの命が落とされたのか。
レールの下に敷かれている枕木の数々と同じだけの命が、
ここで落とされたとも言われている。
    

Death Railway (死の鉄道)といわれる、断崖絶壁の建設現場の写真が。

 博物館内は撮影禁止。 だから写真はないけれど、心の中にしっかり残った。







そして、泰麺鉄道博物館のとなりにあるのが、

  連合軍共同墓地
 

 病気や栄養不足で命を落とした連合軍兵士が眠る共同墓地。
カンチャナブリーには、このような墓地が2つある。
6982柱の魂が眠る。
手入れが行き届いて、芝生の中にきれいな花があちこち咲き乱れ、静寂。
    
   

犠牲になった人々の魂も、どうか安らかに眠ってくれますようにと願う。
連合軍の捕虜よりも、劣悪な扱いを受けたというアジア人の労働者達は いったい
どこで眠っているんだろう。
ここに埋葬されることもなかった死者が、たくさんたくさんいるのだろう。