ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

日本にとって 

2010年08月06日 08時00分04秒 | 日記
8月6日、そして、9日は、日本にとっては 忘れてはならない日。
大学の4年間を長崎で過ごした時、長崎の人たちの思いを感じることがよくありました。
同じ日本にいて、同じ九州にいて、だけど、長崎の人たちの平和への思いは、なんて強いんだろうと思ったし、
福岡でも重々、平和学習をうけてきたと思っていたけど、長崎の平和教育に比べれば、全然およばないと
ショックを受けたものでした。

今 私がいるのは、遠く離れた東南アジアだけど、
 8月6日 日本時間で 午前8時15分ごろ
 8月9日、日本時間で 午前11時02分ごろ
黙祷を捧げます。

今の日本の礎になった人たちに尊敬と感謝の念を込めて。


昨年、教えた国語の教科書にこんな詩がありました。
私の大好きな、石垣りんさんの詩です。
生徒達は、覚えているかなあ。







  挨拶 
     原爆の写真によせて

          石垣りん

  あ、
  この焼けただれた顔は
  一九四五年八月六日
  その時広島にいた人
  二五万の焼けただれのひとつ

  すでに此の世にないもの

  とはいえ
  友よ

  向き合った互いの顔を
  も一度見直そう
  戦火の後もとどめぬ
  すこやかな今日の顔
  すがすがしい朝の顔を

  その顔の中に明日の表情をさがすとき
  私はりつぜんとするのだ
       (※りつぜん=恐れおののおくこと)

  地球が原爆を数百個所持して
  生と死のきわどい淵を歩くとき
  なぜそんなにも安らかに
  あなたは美しいのか

  しずかに耳を澄ませ
  何かが近づいてきはしないか
  見きわめなければならないものは目の前に
  えり分けなければならないものは
  手の中にある
  午前八時一五分は
  毎朝やってくる

  一九四五年八月六日の朝
  一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
  いま在る
  あなたの如く、私の如く
  やすらかに 美しく 油断していた。










 この詩は、
「戦争は恐ろしいよ。」「怖いものだよ。」「どんなにいけないことか。」
と何度言われるよりも、恐ろしさを感じる詩です。



私はこんな風に解釈します。

私たちの顔。  焼けただれた跡もない、すがすがしく 朝「おはよう」と挨拶する顔。

耳を澄ませてごらん。
何か聞こえないか?
今にも、核ミサイルが近づいてきていないか?
だって、地球には核兵器がいくらだってある。
私たちは、常に生と死のきわどい淵にいるのだ。
それなのに、そんなことを思いもしていない、安らかな顔の私たち。
午前8時15分、原爆が落とされた時間は毎朝やってくる。
それは,つまり、次の原爆が落とされる危険性は、毎日、この瞬間もやってきているということだ。

だって、1945年8月の朝。
一瞬にして死んだ25万人の人はすべて、いま在る、あなたのように
私のように、
やすらかに 美しい顔をして、まさか、原爆が落とされるなんて思いもしていなかったのだから。


「戦争は終わった。」なんて、言ってはいけないと思う。
だって、まだ、いつだって その危険は続いているんだから。
実際に、核兵器はこの詩が書かれた1952年の何倍にも増えている。

できない!

2010年08月05日 20時14分48秒 | 日記
JICAから 自転車買ってOK の許可がおり、やっと自転車が買えます。嬉しい!
今日の午後、職場の方と一緒に買いに行く約束をしています。
だから、迎えに来てもらうのは、今日で最後。
明日からは、自立して生活できるぞー!
帰りも、送ってもらわなくていいから、自分のきめた時間に帰れるし
心苦しい思いもしないし、さらにゆっくりとセンターから自宅までの
景色や家を見られるぞ。 生活が広がる。
で、今日の朝も お迎えを待っていました。
これまでのお迎え 最早時間7:45の事例があるので、
7:45には準備を整え、いつ来てもすぐ出発できるようにし、
ドアを開けて、壁により掛かって本を読むのが日課です。
 
これは、アパートの廊下。廊下に体半分出た状態で座って読書。 
部屋の中があまり明るくないので、室内では本を読めません。
だから、朝の明るい日の下で、本を読めるのは、とてもいい時間。
のんびり読んでいると、
「ハアハアハアハア」
荒い息づいが。 顔を上げると、ギョギョギョ!! 大きな犬が!
  
本に夢中になってて気づかなかった!
毎晩、ドアの外を歩き回っている、お前じゃないか!
朝も早くからうろつき回ってたのか!
いやー! でかい! 目つき悪い! さすがにこわい!
もう 狂犬病の注射はいやー!
あわてて部屋に入ろうとしたけど、間に合わず、ジタバタしてたら
「フン、別にお前なんか興味ないもんねー」という感じで、
すたすた歩いて行きました。
チーッと、ドア近くのかべにオシッコをひっかけて。
朝から、縄張り確認に忙しかったようです。
 
  またきた! 2回目。「俺の縄張りで何してるんだ?」

そのあとも、のんびり、優雅に読書。
8:10 まだ来ない。   8:30 まだ来ない。
8:45 まだ来ない。今日は遅いなあ。
9:00 最遅時間記録を塗り替えました。
たぶん、仕事が始まるのが8:30からのはずなんだけど・・・ 私は遅刻??
9:20 車が来ました。 トノが迎えに来てくれました。
車に乗って、「サワッディーカー」と挨拶すると
トノは「サワッディーカッ  アハッ」と笑ってます。
私も笑いながら、車に乗ってセンターへ。
センターについたら 9:30。
センター長が受付の前で仁王立ちして待っていてくれたので、
「送れてすみません。」と言うと、
「さちえ!(トノを指さしながら)ルーム!!」
と、センター長。
「ルーム」=忘れる  です。
やっぱり、そんな気がしたんだけど、やっぱり‥。
お迎え忘れられてたみたい。 
毎日のことなのに、なんで忘れるんだろう   
タイ人っておもしろいなあ 









さて、コンケン第9特別教育センターに入って、今日で9日目。

このセンターには、毎日、親が付き添って子どもが通ってきます。
すごく遠い家の子は、センターの敷地内に寮があり、
そこに親子で住み、センターに通っています。
毎日必ず、通ってくるとは限らず、今日行くか行かないかは親次第のようです。
朝は 8:30~ 時間に必ず集まるわけでもなく、
もっと遅くに登場する親子でもいます。
毎日、誰が来るかは分からないようです。
そんなことが、少し見えてきました。


事前に、JICAタイ事務所では
「最初の3ヶ月間はカウンターパートにくっついて、センターの様子をみてもらうようになっている。」
と、聞いていたので、そのつもりでいたら
お昼ご飯の時に、
「さちえ、『プー』の発音ができない、『プー』の口が作れない子がいる。
 日本ではどうする?」
と聞かれました。
うーん? そんな、どの子にも一概(いちがい)には言えないけど・・・
「一人一人対処が違うから、よく見ないと分からない。でも、ケーキを用意して、
 ろうそくをたてて吹かせてみたらどうかな。 その前によくビデオとかで
 吹いては消える様子をよく見せて、分からせて楽しませてあげたら。」
と、答えると、
「ああ、そうねえ~。でも、それもできないのよ。」
と、 聞いた相手はなんだかがっかり顔。
一般論的な、わかりきったこと言っちゃったなあ・・・と、反省。
とっさだったので、さも当然なことを言ってしまいました。


お昼ご飯のあと、みなさんとソファに座ってのんびりしていると、
カウンターパートがやってきて、私のもっている辞書を見ながら
「果物の名前を発音してみて。」
と、一つ一つ私の発音を直してくれます。
「果物の名前、練習するといい。そうしたら、さちえが子どもたちに発音を教えてあげられるから。」
といわれ、そうだな、ふむふむ、と思っていたら

「これから、毎日、午後は発音を教えることはできる? 何でもいいから。」
と言われました。
ええ?? どうだろう?? 絶対できないわけじゃないけど、こんな準備不足の状態で・・・
と考えていると、教室につれていかれ、
「この子に発音を教えてあげてちょうだい。」
といわれました。

えええ???
とても小さな男の子です。
年齢を聞くと、なんと5才!
5才って、そんな!
私は13才から16才までの子どもたちしか、関わったことはありません。
せめてもう少し大きければともかく、5才って・・・
一般的に考えても、まだ、小学校に入る前の、言葉を覚えて仮名を練習しだしたころじゃないの?
それって、幼児教育の分野じゃないの??

なにか言葉を発しているけれど、それがタイ語としての何かの単語なのか、
それとも、意味のないただの音なのか、
それが、まだタイ語の単語不足、タイでの生活経験不足の私には判断がつきません。
そもそも、小さな子どもの発する言葉というのは、日本語であっても親など、聞き慣れている近い人以外は、聞き取るのが難しいものです。
何か一生懸命言おうとしている子どもに対して、やりとりもできないまま、一方的に
私が果物や動物の発音を教えることは、できません!
そんな一方通行の状態で、何もできない!
「私は、まだタイ語がうまく話せないし、子どもの言うことも分かってあげられない。
 それに、子どもをよく観察してからじゃないと、この子に何が必要か、
 考えることができない。どんなやり方がいいのか、まだ 初めて会った子どものことは分からない。
 だから、できない。
 どんなやり方がいいのかは、一人一人違う。
 まずは、子どもたちをよく見させてほしい。
 そして、先生達の教える様子を、見せてもらえませんか?
 せめて、2ヶ月間。」
本当は 日本だったら、3ヶ月から半年かけて、一人の教育計画を作っていたのだけど、
それでも、譲って2ヶ月と言いました。
すると、
「ああ・・・」
と、あきらかにがっくりした感じ。


このときの、私の脱力感、無力感と言ったら・・・。
私も、がっっっっっっくり・・・・・


小さな小さな子達。
なぜ、このセンターには、中学生くらいの子はいないのかな?
「日本では、13才から15才までの子と関わっていました。」
と言ったとき、
「ここにはいない。」
と言われました。
私の伝えたいことを伝えるために それどころじゃなかったので、
じゃあ、いったいどこにいるのか、なぜここにはいないのか?
と聞く余裕がありませんでした。
きいても、 その答えが理解できなかったかも。

どこにいるんだろう?
小さいときだけこの特別教育センターに通ってきて、
大きくなったら 学校に通うのかな?
まだまだ、見えないこと、疑問がたくさん。


今、私が時間の多くを過ごしている 教室
「オーティスティック 2」
   

 入り口にはこの教室に在籍する子どもたちの写真と親の写真があります。
   

オーティスティックとは自閉症という意味の英語です。
教室は 1と2と2つあり、 午前は 1 午後は 2 の教室で過ごしています。


今週は、
 月・火曜日、オーティスティック クラス
 水曜日   身体障害のクラス
 木曜日   聴覚障害のクラス
で過ごすことになっています。


言葉で質問して、言葉で返してもらっても、そのうち理解できることはほんの少し。
だから、
このセンターがいったいどんな役割をしてるのか
どんな風に子どもたちと関わっているのか、
先生はどんな位置づけなのか、
親と先生はどんなふうに関わり合っているのか、
センター以外での時間は、子どもたちはどうやって過ごし、
家や地域でどうしているのか、
タイという国が特別教育でどんなことをやろうとし
どう力を入れているのか
これらを、
自分の目で見て、アンテナを高くして、クンクンと匂いをかいで、目で見て肌で感じたいと思います。

まだ、でくのぼう状態だけど、少しずつ、少しずつ。

「非常事態宣言」の一部解除

2010年08月04日 21時52分09秒 | 日記
「振り返ればやつがいる」8月1日の、衝撃のやつとの出会い。
写真をよく見たいと言ってくれる方があり、好評のため、大きな写真にしました。
象のでかさを、でっかい写真で どうぞ。




これまで、赤シャツ隊のデモ行動によって、出されていた非常事態宣言。
夜間外出禁止令。

タイに来て、本当にそんなことがあったとは思えない静けさだったけど、
焼かれた伊勢丹やセントラルワールド(大きなデパート商業施設)を見て、
現実だったんだと実感しました。
ちょっと前の、雑誌を見ると、家から出られない上、次々と住人達が非難していく緊迫した状態が
生々しく書かれているものもあり、
銃撃戦やデモ行動が確かにあったんだと、思えます。


今もなお、非常事態宣言は出されたままですが、事態の沈静化で、少しずつ解除されつつあります。
つい先日、日本大使館からメールが来ました。

「7月29日(木)、タイ政府は、バンコク都を含む16都県を対象として 発令していた非常事態宣言について、
 その対象地域のうち6県(アユタヤ県、ノンブアラムプー県、チャイ ヤプーム県、チョンブリー県、ムクダハン県、マハーサラカム県) を解除し、以下の10都県に縮小しました。

【非常事態宣言延長対象都県】
 バンコク都、ノンタブリー県、サムットプラカーン県、
 パトゥムタニー県、チェンマイ県、チェンライ県、コンケン県、
 ウドンタニ県、ナコンラチャシーマー県及びウボンラチャタニ県


コンケン!!!!
私が住むところです。
こんなに静かに過ごしているけど、まだ解除されていないんだ・・・。
もともと、赤シャツ隊は、タクシン首相支持層の東北部の人々が多く、
コンケンでも私が訓練所にいるときに、公共施設が焼き討ちされ、
危険な状態に陥りました。
でも、今、そんな感じは全くしないんだけどな。
静かな毎日です。


メールの続きには、
「非常事態宣言が継続発令中のバンコク都内で、7月25日(日)以降
 2件の爆弾事件が発生し、邦人被害は無いものの死者1名、
 負傷者11名が出ています。対象都県に渡航される場合には、
 報道等から最新の治安情勢を入手し、不測の事態に
 巻き込まれないよう十分な注意を払ってください。」

う-ん・・・。
報道等って・・・。
ニュース見てても、意味分からないんだけど、どうしたらいいのかなあ・・・??

コンケン 第9特別教育センター  

2010年08月03日 22時47分20秒 | 日記
仕事がおわって、さあ、そろそろ帰ろうかな・・・
と身支度して、「お先に失礼します。」と言うと、
「どうやって帰るの?」
「歩いて帰ります。明るいし、大丈夫です。」
「だめよ!危ないでしょ! スコールだって降るかもしれないし。
 だれか、さちえを送ってやってー!」
と、私を送る人さがしが始まります。
毎日です。
こういうのは、ごく普通のことのようで、特に親切にしているわけでもなく
当然のことのようです。
だけど、日本人の私には どうしても、悪いなあと思ってしまって、
何度も
「コップンカー」(=ありがとう)の連続です。






さて、私が仕事をしている場所はここです。

เริ่มทำงานที่ศูนย์การศึกษาพิเศษ เขตการศึกษา9 コンケン第9特別教育センター

   

18才までの障害のある児童・生徒達がいます。
タイの教育省が全県に設置している特別支援教育施設の一つで、
地域統括センターとして、タイ東北部の東地区8県をとりまとめています。

スタッフは67名。
うち57名が教師。全員が特別支援教育を履修しています。
理学療法士や作業療法士、看護士もいます。

このセンターに在籍する児童生徒は465名。
 盲 42名
 聾 16名
 知的障害 133名
 身体障害 103名
 自閉症  171名
ただし、この在籍数には、通所できずに自宅学習している生徒も含まれています。
それらの生徒は半数近くを占めるようです。

 
生徒は保護者と共に、毎日通所して、常に保護者が付き添っています。
保護者が毎日子どもと一緒に付き添う・・・。
驚きました。
このセンターに通う子達は、恵まれた環境にある子達です。

  



日本にいたときに要請された内容はこう書いてありました。
「センターでは1才から18才までの様々な障害のある児童生徒に対して
 支援を行うとともに、セミナーや研修会を行い、保護者、周辺の学校への
 啓蒙活動も併せて実施している。
 これまで、センターでは2代にわたって隊員(作業療法士)が活動した。
 現在、センターの利用者の半数が自閉症児となっており、自閉症児の数が急激に
 増加しているが、専門的立場から対応できる職員がいないため、今回、
 自閉症児への隊員ができる養護隊員の派遣を依頼してきている。
 センター長は最近、アメリカにて、自閉症の研修を受講。」

      
    タイ語での正式名称。



センターの入り口前の道路  のどかな田舎道
 

 ここが 受付玄関
  


まだ、どこに何があって どんなことをしていて
どんな子どもたちがいるのか、把握できていません。
センターはとても広いし、
書いてあるのはタイ語だし、 尋ねると教えてくれるけど
説明されるタイ語を理解するのがまだ 全然です。
じっくり観察しながら、この大規模なセンターでどういうことを
やっているのか、理解して、そこから自分が何をできるのか
探していきたいと思っています。

毎日送迎

2010年08月02日 21時47分48秒 | 日記
朝は毎日、お迎えが来ます。
帰りは、誰かが送ってくれます。
ずいぶん前から自転車をほしいと思って、申請も出しているのだけど、
まだ JICAタイ事務所の許可が下りないため、自転車が買えないからです。
ああ、もう、早く-!
職場の皆さんに迷惑かけて申し訳ない。


2キロ~3キロくらいの距離なので、歩いて行ってもいいんだけど
歩いて帰ろうとしたときも、職場の皆さんが、
「危ないから! 人気がない道でしょう?」
と、歩かせてはもらえません。
かといって、私を迎えにくるのを忘れている朝もあり、
ずっと家で待っているけど、こない・・・ という日もありました。
ずいぶん遅くにきてくれましたけど、今日から歩いて来いってことかな、ともんもんと考えちゃいました。

日本人の 疑り深さと余計な気苦労。
タイ人の あっけらかんとしたおおらかな気質。


迎えに来る時間も毎日バラバラで
 初日は
    「7:45にくるからね。」と言われて、7:45ピッタリに車がきました。
 タイの人って、時間にけっこうルーズって聞いてたけど、ぴったりで、びっくり。これが初日の印象です。

 2日目は
    「8:00にくるからね。」といわれて、8:10頃お迎えが。

 3日目からは何も言われず
  8:20にくるときもあれば、忘れられてて9:00近くに来るときもあり、
  8:45頃くるときもあり、
  かといって、急に 7;45にきて、ええ? こんな早く? と私が全く準備できていなかったり。


まちまちな時間です。
今は、お迎え最早記録時間の 7:45までには準備をして、それから、ぼけーっとして、
いつお迎えがきてもいいようにしています。

3日に1回は忘れられたり、忘れかけられていたりしてる毎日、 ドキドキの朝です。それも、スリリングでおもしろいんだけど

でも、早く 自転車が ほしいー! 

恐竜がお迎え

2010年08月02日 02時58分16秒 | 日記
センターの受付入り口には こんな植木があります。
 
かわいいなあ~!
 かごの形。 そして、恐竜かな?

   
 
 恐竜は ちょっと葉っぱが伸びちゃって 恐竜っぽくなくなってはいるけど・・・
 子どもが喜ぶ形にしているところがいいです。

 コンケンは恐竜の化石が見つかったところです。

  
タイでは、いたるところに仏様がいます。
敬虔な仏教の国ですから。
    


そして、ブーゲンビリアが、ここでも元気に咲いています。

    

      

振り返れば やつがいる

2010年08月01日 20時16分49秒 | 日記
振り返ったら、 そこに 象がいた。
そんな経験、みなさんは あるでしょうか。


今日、市場でドリアンを選んでいたときのこと・・・。


「おいしいドリアンはどれですかー?」
と尋ねて、お店のおじさんが選んでくれているとき
なにやら、少しざわつく声が・・・。



? なんだろう? と振り向くと

  パオオーーーーーーン!!

   
象じゃないかーーーー!!!



びっくり仰天、なんてものじゃないです。
ここは、バス乗り場、そしてふつうの市場です。

「20バーツ!」と言って、象のえさを売っています。
初めて見る(動物園じゃなくタイで)象に、興奮して
買います! 買います! すぐにえさを購入しました。

しかし!!
象って、けっこう こわい!!!
えさがなかなかやれません!!

だって、この鼻、 すごい勢いでビョーーーーンッ!!!ってのばしてくるんだもん!

こわいよー! こわいよー!
 すごい迫力だよーう!


えさをやろうとすると、鼻を勢いよく伸ばしてくる迫力に
「キャーーーーッ!」
と思わず悲鳴がでてしまします。


   こ・・・こわ・・・
 


   キャーーーーーーッ!!
  

  

   ぎょえーーーーーっ!!

   


   ぎゃーーーっ!
   


   ぎええぇえぇえぇっぇーーーー!!
 


   パオーーーン!! むしゃむしゃ・・・
  


 「キャーーー!」と悲鳴を上げるたびに、ドリアンのお店の人も、近くのお店の人も大笑いしているのが分かります。
  
 
声を出して 「わっっはっはっは」と笑っています。
日本人が、象に悲鳴を上げながらエサやりする姿に、大うけです。
 拡大図 →  


  こわいけど、ここに立てと言われて、象の隣でびくびくのツーショット記念写真



そして、象は、普通の市場の中を、普通に歩いて去っていきました。

 

   
  足でかっ!  お腹もおしりもでかっ!  ちなみに、この象は子象だそうです。

 
 触手(鼻)を伸ばす象。
 私には、もう、触手にしか見えない。
 

 
 あっ!! 象にひかれそうになっているおばちゃんがいる!!
   気をつけて!! 


   


タイに来て 先輩隊員から
「何がしたい?」
と聞かれて、
「象に乗りたいです!」
と答えたら、
「けっこういろんなところに象はいるけど、
 チェンマイ(タイ最北部の県)で乗った方がいいよ。
 他の所はアスファルトの上を象が歩いたりするけど、
 チェンマイはちゃんと自然だから。」
と言われ、そうか、タイで 初おめにかかる★象 はチェンマイだな、
と勝手に思っていたのに、出会ってしまいました。

振り返ったら、象がいた、そんなことが体験できちゃう、コンケンです。


振り返れば、やつがいる。
 このタイトルでクスッと笑ってしまう人、連絡くださいね。