私の人生には、生まれた時から「 負荷 」のような責務があった。
それと同時に、「 今の状況では、重荷だ 」 と苦悶を感じている
自分がいたように思う。
だから、早い時期から、両親が暮らす実家を脱出し、一人生活を
したくてたまらなかった ・・・。
今になって感じることというのは、
こういう “ 逃れられないもの ” から逃げても、常に不確かであり、
自己存在そのものに 自信が持てないでいたのではないだろうか ・・・
という 明確な ( 確信に似た ) 事実である。
世界の中で、唯一無二の自分 ・・・なんて、言葉だけのことだ。
本人が、それを感じられているか、あるいは否かなんて ・・・
本当に あやふやなことでしかない。
自分に、課せられている重荷のようなものを、100%受け容れて、
それを背負う覚悟が、きちんとついたあとで ・・・ やっと ・・・
「 唯一無二の自分 」 に 成り得る可能性が、初めて
出てくるのではないだろうか。
我が存在を 自分がちゃんと認めることができて、それに即した感情が
心の奥底に芽生えてくる。
一言でいえば、 「 自 信 」 のようなものだ。
それは、我が存在に対する信頼感ともいえるだろう。
今は ・・・ 心の底から、そういう印象がしている。
若い頃には、気が付かなかったことや、あえてスルーしていたこと、
そして、向き合おうとしなかったことが、今、 要所 要所 に
スッと 浮かぶ時がある。
現実は、厳しい。
しかし、その厳しさと戦うからこそ、日々生きることへの感慨が
生まれいずるのだ。
自分が感じ取ってた 「 負荷 」 や 「 重荷 」 のようなものは ・・・
生きている証 であり、それと同時に、
私の 個性 であったのではないだろうか ・・・ そう思える。
生きる姿勢 は、その人間の特徴や魅力となって反映される。
納得して 重荷を受け容れている人には、自然と ・・・
経てきた時間とともに、凄味が増しているものだ。
私は、これまで、そういう人を、何人も見てきたし、
そういう人から 影響を受けてきた。
彼らは、決して軽くはなかったし、いい加減でもなかった。
正面から “ ある何らかのもの ” を引き受けて、対峙してきた人は、
生活も きちんとしていることが多い。
私は、今、あらためて、そういうことを、しみじみと思い出している。