●2010.09.18.より
グループホームの母の部屋で泊まるのも2日目.
昨晩は、夜半も母はぐっすり眠っていたので、私も眠る。
気がついたら、朝7時半!
おお、ぐっすり眠ったこと。
母もそうであったことを祈る。
目が覚めた母に私は言う。
「お母さん、おはよう」
・・・・じっと私の顔を見て・・・
「あれ、晴子ぉ、うれしいわぁ」。
ああ、「お母さん」が戻ってきた!
これは、家にいるときのいつもの朝の始まりの言葉だったのだ。
朝起きて、何がなんだかわからなくなる母は、
私の顔を見て、声を聞いて初めて、
「ああ、私は生きとったんや」とわかるのだと、
常々言っていた。
あの母が戻ってきたのだ。
今朝は、「母が戻ってきた」と思える変化がたくさんあった。
●西の山に手を合わせる
母の部屋の窓から見える西の山を見て、
「長谷山と経ケ峰やなあ」と言ったのだ。
昨日は、「山が綺麗だ」と言っただけで、
山の名前も
以前から見ていたことすらもわかってはいないようだったのだ。
驚いた。
そして、右手だけで山に向かって拝んだ。
私が母が自分では動かせない左手を右手に合わせて肘を支えると、
そのままじっと手を合わせておれた。
「山に手を合わせる」
これもレモンさんに来てからの母の習慣だったのだ。
●腰を上げて、助けてくれる。
・私が母の紙パッドを交換しようとすると、
「私は何もせんでええのかいな」と聞く。
そこで、
「じゃあ、腰を上げてくれる?
そしたら、私すごく助かるわ」と言って、
動かない左の足も右足と同じようにお山状態にすると、
腰をかすかに上げてくれた。
少しでも私を助けようとしてくれる、
そんな母が戻ってきた。
そして、腰を上げることができた。
これまた、嬉しいこと!
●食事中に手を合わせる
食事中も母は、手を何度も合わせた。
「美味しくて、ありがたいなあ」そう言って、
手を合わせるのだ。
今生きている、
それを「美味しく食べることができる」ことで実感し感謝する。
これも、以前の母の習慣である。
●お世話になった大好きな倉田さんに・・・
食事中倉田さんが姿を見せると
顔を見てすぐに「あれぇ・・・」と言って涙ぐみ始めた。
3ヶ月で倉田さんが母にとって特別の存在になっていた。
それでも、倉田さんのことも怪訝な表情で見つめ、
必死で頭の中で検索するものの見つからない・・・
それが、これまでの表情だった。
それが、今日やっと倉田さんがわかったのだ。
その様子を見て、
ここで倉田さんが母にとってどれほど支えになっていたのかを察っせられ、
私も泣けてきた。
その涙、鼻水を母は慎ましく自分で拭く。
いつの間に引っ張ってきたのか・・・
尿漏れ防止シートで・・・
あらあらあら、お茶目なこと!
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ぐっすり寝て起きた所が、
母にとって居心地のよい場所で、
母の脳が活性化され、脳の中の何かがつながったのだろう。
一気に以前の母が戻ってきたようなのだ。
レモンの里だったから、このような変化があったのだろう。
本当に帰らせていただいてよかった。
それを実感する一日の始まりだった。
母の変化は、レモンの里の方や私を元気づけてくれる。
母の生命力だろうか?
母とレモンの里とのご縁の深さであろうか?
人間の持つ力の不思議さであろうか?
子育てよりもむしろ変化が早く、楽しみになってきた。
年齢的に、人生の終わりには間違いなく向かっている。
調子のよい日も悪い日もある。
これを踏まえたうえで、
私はリハビリが楽しみで仕方がない。
母の変化について、三つの視点を持つことにした。
1. 嚥下機能の快復
2. 再発を防ぎ、安心して心地よく日常生活ができるような体の快復。
3. 母から教わること。
1については、グループホーム方々とも兄たちとも共有できるようにノートを作っていこうと思う。
2については、リハビリや高血圧について、もう少し勉強してみようと思う。
3については、この素老日誌で綴っていこうと思う。
今、母から身をもって教わる時間を頂いている。
この時間を私は大切に紡ぎつつ、残していきたい。
心からそう思う。