磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

怒りをこめて起ちあがれ 核のない世界をめざして

2008年04月30日 | 読書日記など
『怒りをこめて起ちあがれ 核のない世界をめざして』
   勝部元・著/マルジュ社1982年

京都生れで、出版当時は桃山学院大学の学長だった方が書かれた本です。著者は、4歳のとき広島に移り住んだという……。



故郷、広島ではなくなったという。下「」引用。

「わたしは四歳のときから、小、中、高校と広島で育ち、広島はわたしの故郷ですが、いまはわたしの“ヒロシマ”はありません。一九四五年八月六日の朝、一発の原爆が、なつかしい街も、通りも、公園も、すべてを吹飛ばし、現在あるものはまったく別の街、別の道路、別の「ヒロシマ」です。」

悲話が無数にあるという。下「」引用。

「たくさんの友人、知人、親戚がこのとき亡くなってしまいました。わたしのもっとも近い親戚でかつ中学(広島高等師範学校付属中学)の恩師でもあったひとは、そのとき、東南アジアよりの留学生を引率して流川町を歩いていました。そして残ったものは靴と足首だけでした。そのひとの奥さんは娘の安否をきづかって、たずね歩き、やっと検疫所のあった似島の病院でさがし出すことができました。しかしそのときはもうその娘は息を引きとる寸前でした。そしてこの奥さん自身も夫と娘を失った二週間後には、亡くなってしまいました。このような悲しい話は、無数にあります。」

原爆を伝えるとき、この悲話は捨てておけないものと思います。

このような人間的感情よりも、イデオロギーが大切なんて、ボクにとっては洗脳された人たちのように思えてなりません……。

イデオロギーというのは、このような人間的感情に奉仕する道具でしかないとボクは思っています。
--もちろん、人類を幸福にすべき道具であるべきです。それに役立たないイデオロギーなど興味ありません。他者から奪い取れるから、持っているイデオロギーなど、盗人のイデオロギーでしょう……。

著者は原爆投下時、牢獄にいたという。下「」引用。

「わたしはこのときジャーナリストの弾圧で有名な「横浜事件」に連座して一年半の獄中生活のあげくをえ、瀕死の状態で、監視つきのまま横浜の日赤病院のベッドで寝ていました。用紙不足で半截になっていた新聞が、「広島に新型爆弾投下」「屋外防空壕に入り白い下着を着ていれば恐るるに足らず」と報じていたのを昨日のように思い出します。」


ヒロシマもきちんと伝えられていませんね。スリーマイル島も、チェルノブイリも……。

国際機関などもその共犯者のような存在でしたね……。

アラン・レネ監督は「ヒロシマ・わが愛」(ざんねんなことにこのすぐれた映画は「二十四時間の情事」というひどくつまらぬ日本語の題名のため多くのひとがみそこねました)について、価値ある映画だということが書かれてありました。
--この映画は予告編をみて、そう見たいとは思わなかったのですが、この文章でみたいと思いました。

「平和屋」「反核屋」という言葉を書かれてありました。下「」引用。

「運動は分裂し、平和をねがうはずの運動と組織が、お互いに他組織に敵意をもち、憎悪と罵詈雑言をくり返すことになったのです。これでは原水禁運動という日本の大衆の独創的なすばらしい運動が次第に色あせ、政党と労組の代行物となり、年一回の催しが職業的「平和屋」「反核屋」が主導する組織動員による行事化してしまうのは当然でした。運動は衰え、国民にソッポをむかれ、広島市民にひんしゅくをかうようになったのはあたり前のことでしょう。」

この批判された相手は、どうやら日本共産党のようです。

そして、こんなことも書かれてありました。下「」引用。

「共産党は六六年に中国と決裂し、ソ連とも何回も接近をはかったにもかかわらず、以前、険悪なかんけいはそのまま続き、いわゆる「自主独立」の立場をとるようになりました。そこでは、もはや原水協と原水禁との間には原則的立場の違いはなくなってしまったのです。」

日米安保はウソだと書かれてありました。下「」引用。

「お人好しの日本人は、アメリカの「核のカサ」で日本を守ってもらつている、と信じてやまないのですが、じつはこれもそもそも始めから真っ赤なウソなのです。
 安保条約のもとで、日本にあるアメリカの軍事基地は日本を守るためにあるのではなく、アメリカを守るためにある。それは敵(ソ連)の核兵器の攻撃を「うけとめ、吸収する」(recieve and absorb)ためにあるということは明らかです(新名丈夫『政治』光文社、一○六、一○九頁)。つまり日本人は安保条約によりアメリカのための盾となり、敵の核をすいとる「スポンジ」となる義務を負い、アメリカは日本人をみな殺しにする権利があるといっているのです。」







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022 Dr.赤髭<永井隆博士

2008年04月30日 | ライト小説
Bad News...Good luck!


二、Dr.赤髭とモンスター・パニック・ドクター




022 Dr.赤髭<永井隆博士


「おっ! 宮城くんは、ホームレスの医療の現場に行ったんだよなあー」

「行きましたよ。救急医療なども大変でしょうけど、ああいう無料で診てくれる医師っていいですよね。ああいう人たちのことを赤髭というんですよね」

「赤髭……。それはちっと違う気がするがなあー」

「どうして、赤髭でしょう、無料でみているなら……」

「赤髭はボランティアじゃないね。それを職業としているんだよ」

「それはそうかもしれないけど……。じゃ、ドクター赤髭!」

「もしかしてモンスター・パニック・ドクターは駄目な医者で、ドクター赤髭はすぐれているとでも思っているのかい?」

「はい! そうじゃないですか?」

「だから、お子ちゃまは困ったもんだね」

「どうしてですか?」

「そりゃ、個々の問題だよ、すぐれた医師は一般にもいる! だけど、君たちのすばらしいといってるのは、おそらくドクター赤髭と、モンスターパニック・ドクターの差ではなく、システムの差だよ」

「システムの差?」

「そうだよ、システムでこきつかわれて、ボロボロになっている、患者さえもモンスターに思ってしまうほど、追い込まれているというわけだ。そして、かたや、どうだい?……」

「どうだいって?……」

「自分で考えな! システムがどうだったか?」

「それは、慈善活動で、多くの人たちに支えられています……」

「そうだろう……。その差が大きいんだよ」

「システムの差か……」

「どんな人でも、追い込まれたら、パニックになって、とんでもない行動をするものだ。でも、冷静な人間は、相手のせいなんかにしないで、もっと観察しようと思うもんだなあー。特にマスコミの人間には大切なことだろうと思うよ」

「しかしですね、堀さん。お休みの日といえども、ボランティアをされている医師は偉いと思いませんか?」

「それは、もちろん思うよ。されど、医師としての力量はさほど違わないかもしれない。それでも、そのドクター赤髭より偉い医師がいたよ。その人の名前は永井隆博士。『長崎の鐘』の作者だよ」

「知っていますよ。高校の修学旅行は長崎でした」

「彼も無料で。それも、夜中でさえ、往診してくれたんだよ!」







閑話休題

永井隆の娘さんの文章を

原作としたものを

吉永小百合さんが朗読

吉永さんの原爆関係の朗読では

一番素晴らしいとボクは思う。

茅乃さんも、吉永さんも、

どちらも快活な感じの人だから、

あっているような気がする。

被爆医師の娘の遺志くみ、
吉永小百合さんが詩朗読
長崎【朝日新聞】
2008年04月29日20時46分


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ヒロシマはどう記録されたか NHKと中国新聞の原爆報道

2008年04月29日 | 読書日記など
『ヒロシマはどう記録されたか NHKと中国新聞の原爆報道』
   NHK出版・編/NHK出版2003年

あのマッド・ドクターというわれるゲイル博士のことが書かれてありましたが、権威としてしか書かれてありませんでした……。



この当時は北朝鮮の核兵器が問題となっていたようです。下「」引用。

「この平成十五(二○○三)年四月二十六日、中国新聞朝刊は一面トップに、ワシントン発共同で、「北朝鮮、再処理開始/核兵器保有、米に通告」というショッキングなニュースを次のように報じた。」

しかし、北朝鮮が「もんじゅ」は経済的な問題で作られたのではなく、核兵器開発と北朝鮮が批判していたことは書かれていない。

この本の内容は、今までに紹介してきた本でほとんどのことが書かれてきました。

「市民の手で原爆の絵を残そう」の、きっかけになった小林さんの話。下「」引用。

「昭和四十九年五月十五日、小林岩吉さんという七十七歳のお年寄りが下駄履きで姿でNHKを訪れ、当時放送中の朝のテレビ小説「鳩子の海」を見て、改めて「あの日」を思い出したとして、持参した一枚の絵を取り出した。絵の説明書きには、「昭和二十年八月六日午後四時頃萬代橋付近」とある。」

ヒロシマ新聞』は反響が大きかったという。そして、受賞までしたという。下「」引用。

「反響は読者からだけにとどまらず、いくつかの賞まで受賞することになった。第一回「平和・協同ジャーナリスト基金賞」奨励賞、テレビ朝日「やじうまワイド」特別賞、第一回「新聞労連大賞」優秀賞の受賞など、喜びと同時に、戸惑いを感ずる一因ともなった。」

ゲイル博士のことが書かれてありました。下「」引用。

「六月の終わり、理事長室にアメリカから国際電話がかかった。偶然居合わせたディレクターは許可をとる間もなく、カメラを回すよう指示しした。電話の相手は、アメリカのロバート・ゲイル博士だった。チェルノブイリの生物医学的影響の研究を、長期的に国際協力によって行うことが科学者との間で合意され、広島の研究者たちの協力を求めてきたのである。」


そして、このような本のことをボクは思い出しました。



チェルノブイリから広島へ












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講談社文庫 キミは核を見たか NUCLEAR FACT BOOK

2008年04月29日 | 読書日記など
『講談社文庫 キミは核を見たか NUCLEAR FACT BOOK』
   三根生久大・著/講談社1986年



核地雷もまだ使う気なのだろうか? 下「」引用。

「山地や隘路に設置し、核爆発を起こさせ、それによって、クレーターやその他の障害を作り、敵軍の戦車や部隊の前進や後退を阻止する目的で、米軍が開発した戦場用核兵器の一つ。-略-米軍での実験によると、核爆発力が一○倍になると、クレーターの大きさは二倍になることが立証され、爆発力が一~二キロトンの場合、最適深度とされる地中四○メートルに設置し、爆発させると、直径一○○メトール、深さ三○メートルのクレーターができる。
 米陸軍や海兵隊の工兵大隊には、核地雷専門チームが編成されている。」

MIRVによって、より危険になったという。下「」引用。

「このMIRVの登場はミサイル時代に一大旋風を捲き起こした。というのも、MIRVによって一基のミサイルで、同時に三~一四個の弾頭を運搬し、それぞれで、幅一五○キロメートル、長さ五○○キロメートル内の同じ数の目標を攻撃でき、さらに理論的には相手型のICBM基地に先制攻撃をかけて、それを全滅してしまうことも可能ならしめるのだ。」

ソ連も8年後の1973年にはMIRV開発に成功。


レーガンによる軍拡の一つ。下「」引用。

「一九七四年には原型機が初飛行する段階までになったが、カーター大統領はその量産計画を中止し、その後、八一年、レーガン大統領がそれを復活させるという紆余曲折の経緯をたどって、現在では、一九八八年までにB-1が一○○機生産されることになっている。」

5トンだったものが、7年余りで、核弾頭に……。下「」引用。

「太平洋戦争の末期、広島、長崎に投下された原爆が重さ五トンもあって、重爆撃機でなければ運搬できなかった当時のことを考えると、それから七年余りで、砲弾の中に納まるほどに核兵器が小型化、軽量化されたという事実はまさに驚愕の他はない。」

地中軍事都市「NORAD(North American Air Defence Command)」、1700人が棲息しているという。下「」引用。

「この「地中軍事都市」ともいわれるNORADには米陸・海・空・海兵隊とカナダ軍の将兵、スタッフ約一七○○名が勤務し、医療施設からはじまって、レストラン、バー、理髪店に至るまで、ありとあらゆる施設が整っており、核爆発によって外部と遮断された場合も、ここの「居住民」が一ヵ月以上「籠城」できるだけの施設と物資を貯蔵している。」

そこで一ヵ月生き残ったところで、「核の冬」だろう……。
--「核の冬」氷点下45度の寒気が襲う。

こんな状況ではやはり絶滅かも……。下「」引用。

「「……これらの状況の下では、散らばった生存者が人口を増やすことは不可能で、何十年、あるいは何世紀かの間に消滅してしまうという可能性を排除することはできない。別の言葉でいえば、全面核戦争が人類を絶滅させる可能性が排除することはできない」
 これがセーガン博士をはじめとするTTAPS研究グループのいわゆる「核の冬」に対する一致した意見である。」










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マスコミ市民双書 メディアの犯罪 報道の人権侵害を問う

2008年04月29日 | 読書日記など
『マスコミ市民双書 メディアの犯罪 報道の人権侵害を問う』
   「マスコミ市民」編集部・編/日本マスコミ市民会議1985年

ボクは原爆や原子力のことを取り上げています。そこでの、マスコミの扱い方が実にひどいと思っています。取り上げもしてもらえないこと……。それも大きな犯罪ではないかとボクには思えます……。



マスコミ報道のために自殺した人がいたという。下「」引用。

「大阪府東大阪市の近畿総合銀行花園支店で一九八二年末、夜間金庫に投入されたはずの現金百八十万円あまりが蒸発した。捜査が始まって間もなく、現金を投入した近くの電気店店長が自殺。犯人となりえる人物が限られた事件だっただけに、真犯人の銀行ガードマンの逮捕後、「犯人扱いした警察と新聞報道のゆきすぎが自殺に追いやった」と批判が出た。」

まるで犯人のように伝えたマスコミ。下「」引用。

「十七日付のサンケイ新聞の「カバンにヒモをつければ数回に一回程度、途中に設けた検知針に触れずにうまくカバンを引きあげることができた」という表現も、ヒモつきのカバンを投入してレシートが出ることを発見した府警の実験が不正確に伝えられただけに、岩下店長の自殺を伝えた一月十五日付の同紙の社会面の「行員の反応は“シロ”と出たのに、店長らは極度に緊張していて判定するだけの反応が出なかった」という記事とともに、同店長の遺族から犯人扱いしたものと強い非難が出た。」

真犯人がわかり、マスコミは銀行非難をしたが、読者は電話で手紙で非難してきたという。妻の岩下さんは「マスコミは恐い」と。

原発関連のことでは、自殺者が出ても記事にもしていない。
--それは問題ではないというのか?
いつものことについては書かれていない。


1983年1月20日朝刊で、黒木東宮侍従長の死亡が報道。
名前をふせることで、宮内庁や皇室に対して配慮。
「知人宅で倒れた」→「トルコ風呂で倒れた」と変更→「新宿区新宿三丁目の外出先で倒れた」にさらに変更。
--一般人ならトルコ風呂と表現のはずなのにと書かれていた。
週刊誌の報道も宮内庁に配慮していたという。

フィンランドの報道評議会があるという。

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【方 策】
1 官庁記者クラブ制の解消。
2 マスコミ人による横断的、ギルド的組織形成と協力、相互批判。
3 以上1、2は現状では無理といわれるでしょう。そこで今すぐできることは情報の受け手の側から、「読者・視聴者」としてする情報産業への活発な批判と、マスコミによる被疑者の勇気ある抗議を大量に行なうこと。


原発や核兵器のことは、日本いや人類に関わることをきちんと伝えないのに、他のことが満足いくなどというのは不可能のようにボクには思える……。

他の本では、暴力団関係者などには、事務所さえも訪問しないで記事を書くくせに、社会的弱者などには24時間監視体制をはったりする……。

この体質にあきれはてる……。










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