磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

子どもたちへ原爆を語りつぐ本

2008年04月06日 | 読書日記など
『子どもたちへ原爆を語りつぐ本』
   広島市こども図書館(編・発行)1985年

原爆に関する本を紹介している冊子といっていいかと思います。子どもたちへとうってあるように一応は子ども向けのようです。



広島市こども図書館の人たちが、本を子どもたちに読んでもらいたいから創られた本ではないでしようか?

それは単に本を読むというのではなく、やはり平和への思いがあるかと思われます。

「はじめに」で館長である辰巳琢さんが書かれています。下「」引用。

「広島市は今年、被爆四十年を迎え、市民の平和への希求は人類共通の悲願として益々強まってまいりました。戦争を体験した私たちの世代には、原爆の惨状が昨日のことのように目に浮んできますが、今の子どもたちにとっては、それを実感として受けとめにくい状況にあります。」


被爆者の方たちは語り部として平和を訴えてこられました。

もくじ


映像などでも知ることもできますし、映画などもあります……。

目 次

本は自分のペースでじっくりも軽くも読めるものですね。

本の大切さを忘れないで欲しいとボクは思います。

この小冊子のタイトルは、『子どもたちへ原爆を語りつぐ本』。

図書館の職員の方たちも、直接ではありませんが、語りつぐために努力されているのだろうと思いました。

わが市の図書館でも、いろいろと頑張っておられるようです。

テレビや新聞は垂れ流しのような状態ですね。責任をもって、マスコミが運営されていないように強く感じる昨今です。

図書館の人たちの地道な努力がありがたく思えたりします……。


5テーマに分類されています。

1 原爆の惨状・その後を伝える  118点
2 原爆のかなしみにふれる  46点
3 原爆の記録・歴史  12点
4 広島・長崎から平和を考える  17点
5 総合的に原爆をとらえる  7点

また、巻末には、さくいんがついてます。







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蝉時雨

2008年04月06日 | 読書日記など
『蝉時雨』
   生口十朗(いくちじゅうろう)・著/
     近代文藝社1987年

破綻のない小説といってかかと思います。常識的に書かれてありますし、古い小説の方程式を使われていると思います。

本名は川本信幹さんというらしいです。



原爆そのものというよりも、それに影響を受けてしまった人たちの話です。

大きな流れに流されているだけの庶民を描いているのでしょうか?

もっと強い怒りがあるのではないでしようか?

こんなに淡々としてられるのでしようか?

ボクにはわかりません。

詩歌というのは、「花鳥風月」を詠むもので、原爆にはあわないという方もいた。

それを越えるには、それなりの思想をもっていないといけないだろう。

正田篠枝たちの詩歌は「花鳥風月」を詠むなどというものではないようです。

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そこから、より意図的に自覚的に、政治や社会を強く見つめたのが栗原貞子ではないでしょうか。

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今までの小説では描けないと、方程式を無視して書き始め、新しい方程式をうんだのが、大田洋子ではないでしょうか?

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目次

遥かな海   5
蝉時雨  59
姪の子  147


「遥かな海」では原爆小頭症が出てきます。
このことは、妊娠初期に下腹部にレントゲンを受けると出現することも知られていました。

まだ、封建主義であり、家制度が残っている。下「」引用。

「新聞やテレビがうるさいことじゃ。確かに原爆は悪い。悪いのは原爆じゃが、こういうことで浅井の名が、どれだけ世間に広まっても、あまり名誉なこととも思えん。」

二世・三世議員が困るのは、家制度などでなった人は、それが当たり前と思っていることでしようね。

今も封建的な政治家たち……。

「蝉時雨」
八月六日、あんなお祭りに何の意味があるのか? と。 下「」引用。

「革新政党だ、なんとか組合だといったところで、自分たちの縄張りの中でいがみ合っているばかりで、自国の政治の流れをほんの少々変える力さえない。」

八月六日。ここにも格差社会が昔からありますね。
多くの被爆者たちは、あの儀式を批判的な人たちがいることも事実ですね。
栗原貞子の歌は見事に歌い上げています。


「姪の子」、原爆小頭症。下「」引用。

「多摩丘陵の自然に囲まれたその施設には、夕子のような子どもたちが大勢入園しているという。」










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-戦争犯罪と戦争という犯罪のあいだ-フェミニズムから見たヒロシマ

2008年04月06日 | 読書日記など
『-戦争犯罪と戦争という犯罪のあいだ-
 フェミニズムから見たヒロシマ
  2000年「女・核・平和」シンポジウム記録』
    上野千鶴子・著/(有)家族社2002年

上野千鶴子さんらしい本といってもいいかと思います。



ドイツと日本の違いを書かれています。

「敗戦ドイツのシンボルはアウシュヴィッツでした。したがって戦後ドイツは加害者性から出発するほかなかったわけですが、戦後日本の出発点は「受難のシンボルとしてのヒロシマ」でしたから、日本では「加害者性」の代わりに「犠牲者性」が構築されました。」

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アイリス・チャンの本は図書館に置いてありません。日本語版はamazon.comでもありません。そして非難されている本は置かれています。著者もこのようなことを書かれています。下「」引用。

「例えば『ザ・レイプ・オブ・ナンジン(南京大虐殺)』の著者アイリス・チャンは、南京虐殺の犠牲者数は三○万であったと出張していますが、三○万という数字にアイリス・チャンが固執する理由があります。それはヒロシマの二○万を超えるということです。南京虐殺はヒロシマ以上の惨事だった、と被告を競うことを「犠牲者のピラミッド」といいますが、アイリス・チャンの論点にはヒロシマをピラミッドの頂点からひきおろそうという意図があります。」

アメリカでは売られているようですね。

批判本を先に読んでも、理解できないだろうし……。
ずっと読めずにいます。

ネットで調べてみると、翻訳本は出ていないようです。



著者はスミソニアン博物館に貸し出すのを反対していたそうです。その理由は「傲慢」だったそうですが? 今から思えば偏狭なものとされています。アメリカには日本人よりも、平和運動に熱心な方がおられると思います。その人たちとの結びつきを、広島の方達は大切にされています。相手を非難するだけでは平和はこないと思います。

日本政府は残虐兵器とは言えないそうです。下「」引用。

「九○年代に入ってからも、ハーグ国際法廷で、残虐兵器をめぐる審理が行われた時に、日本政府がどんな対応をしたかご記憶でしょうか。外務省が送りこんだ官僚は「原爆は残虐兵器とは言えない」という証言をしています。同じ場に、広島市長と長崎市長がのりこんで、外務省と真っ向から対立する証言をしました。」


著者は殺人権のジェンダーなど、「愚行権の平等?」は認めておられません。


戦勝国女性は、正義だったと疑っていないと書いておられます。でも、やはり詳細にみれば、人によるとボクは思います。

秋葉市長は、和解の象徴として、ハナミズキの並木道を作るという。
ハナミズキ植樹式

それは、疲れたからだと著者は書いておられます。ボクはそんなふうに思えません。和解なくして、問題をきちんと把握することもできないのではないでしょうか? 対立では、平和はこないと思います。

「原爆乙女」について、「女は顔が大事」というジェンダーがあると書いておられます。「原爆乙女」の問題を理解されていないと思います。一般で言う美容整形(本当は形成外科)だけに行かれたわけではありません。機能的にも問題があったわけです。ただ、ほかの本でも、男の人でも誰でも医療を受けさせたいと書かれている方が当然だとボクは思います……。

もくじ

上野千鶴子もあまりヒロシマを知らないと思うし、当時は対立での売りの方ですから、和解の人たちの気持ちがわからかったのでしょうか?

対立で本当の平和はきません。ジェンダーの問題も解決する気があるなら、対立だけではすまないと思います。

和解が疲れた結果という上野千鶴子の論理はボクには理解できませんでした。














もくじ






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廣島悲歌

2008年04月06日 | 読書日記など
『廣島悲歌』
    細田民樹・著/世界社s24年

この本も古いです。



紙が劣化していて、ページをめくるのにも気をつかいます……。

この本は小説のようです。下「」引用。(※)旧字は直してあります。

「 私はひとりの作家として、自分の生涯のうちに、原子爆弾に関する小説を書くなどとは、全く思いもそめぬことだったので、今このはしがきを書くにあたり、常時の惨状を、ふりかえりながらぼうぜんとして「いのちなりけり」の感慨を、もよおしているのである。
 いや。私ばかりでない。その道の、ごく少数の専門家をのぞき、全世界の人々で、あの「ピカドン」の第一弾が、広島に投下せられる日まで、誰が果して、これを想像しえただろうか。」

出版というのも、当時の人たちのために書かれたものですね。

旧字というのは、廣島の“廣”がそうです。今では広島ですね。

今となってはかわったものは、漢字だけではありませんね。

この当時の人たちは、本当に戦争はいやだということを実感されていますね。

書き出しも、生まれたときから、核兵器がこの世に存在していたボクとは違うようです。


この本は四年たったという。下「」引用。

「この小説に書いたように、私もまた「あの日」累々たる屍の街に、肉親たちの安否を探して歩いた一人であった。あれから、すでに四年の歳月が流れ、その間には、ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」をはじめ、原子爆弾の報告的記録は、すでに幾つか発表されている。」


ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』の存在はおおきいようですね。


また、護国神社が『軍都』の象徴であったと書かれてありました。

お医者町というところがあったそうです。下「」引用。

「御存知のように、廣島の鹽屋町、大手町、天神町一帶は、お医者町といわれ、開業医だけでも、六十何軒あったんですわ。それがね。無事だと分かったのは、僅か四軒の御主人だけでね。あとは一人残らず亡くなったんですわ。」

南方の復員に十年かかると新聞記事があったという。

東京の『六井(むつい)化学」や、『三菱化成』がつくったサッカリンが横流しされているが、警察はないような状態だったという。

軍都だった広島では、金輪島(かなわじま)に、10億円分の軍需物資があると噂されていたという。○○組が敗戦のどさくさで、安いお金で払い下げられて、大儲けしていると噂していたようです。

焼け太りという人たちもいたようですね。

著者は栗原貞子さんたちと、『中国文化』をつくられました。下「」引用。

「原爆で廃墟になった街の周辺から、敗戦の翌年三月、疎開作家の細田民樹氏、畑耕一氏を中心に私たちは文芸総合誌『中国文化」を創刊した。」『黒い卵(完全版) 占領下検閲と反戦・原爆詩歌集』より


広島悲歌(ひろしまひか)








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