磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ドキュメント 被爆記者

2006年10月20日 | 読書日記など
『ドキュメント 被爆記者』
    戸辺秀・著/健友館2001年、2002年2刷

お父さんが新聞記者だった方の、
長崎原爆、永井隆を中心に綴られたものです。




帯に書かれて有ります。下「」引用。

「“極秘情報”最前線の「被爆の実相」を綴る。
○被爆記者が見た「あの日」の実像を再現。
○記者は全身凍りつく思いで、見渡す限りの原子野に入っていった。
○玉音放送はデマか「被爆の町を軍用車が走り回り、軍の市中行進が行われた。」

「語り部」の方も引退されていることが書かれてありました。
でも、まだがんばっておられる方もおられますし、記録には残っています。

もくじ


永井隆にたいする批判があったという。
それは「神の摂理」と原爆投下をされたことで、
政治に利用されたという。

それは著者は誤解と書かれています。
アメリカは神ではありませんね。

それに、すべての人がカトリック教徒ではありませんね。
でも、カトリック教徒としての永井隆を理解できない社会なのでしょうか?

先日のテレビで「火をつけたら、家族が死なないかって想像できないのかしら」と批判していました。

普段ならわかっていることでしょうね。追いつめられた人間は何をするかわからないってことも、テレビの人は想像できないようです。(-_-;)

自分とは違う相手を尊重できた方がよいと思います。そうでないと“いじめ”もなくならないでしょうね。

この本にもどります。
著者の父について書かれてあります。下「」引用。

「戦後、永井番記者として一貫して永井博士を取材する中で、父は多くの事を博士から学んだようだ。筆者が思うに、その中で最大のものは、「人はいかに生きるべきか、またどう死すべきか」という『死生観』のようだ。」


“軍服に非ずば人に非ず”そんな感じが戦時中だったそうです。

永井隆はベトスセラーの連続で、相当の印税があるものと予想されていたが、出版社の倒産その他で思ったほどではなかったという。

1998年、長男の永井誠一氏、「市立永井図書館」館長就任。
2000年4月に改装オープンした「長崎市永井隆記念館」の初代館長に。
2001年4月4日、永井誠一氏、死亡。
2001年、市民団体「サンクトペテルブルクに長崎原爆資料館をつくる会」の働きで、ロシアの国立サントクペテルブルク歴史博物館に長崎原爆の常設展示会が設。ニューヨークの国連本部に次いで二例目。



【関連サイト】
永井隆ストーリー







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