磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ポプラ・ノンフィクション55 ごめんね、お母さん

2006年11月07日 | 読書日記など
『ポプラ・ノンフィクション55 ごめんね、お母さん
   -長崎で原爆をみた少年の心の記憶-』
     荒木正夫・文/高橋孟・絵/ポプラ社1991年

戦時中でもいろいろな立場の人がいるものです。
直接被爆されたわけではありませんが、
諌早の病院で被災者のお世話をされた方の話しです。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「広島につづいて、長崎にも原子爆弾がおとされました。昭和二十年八月九日午前十一時二分すぎのことです。
 そのとき私は十六歳で、長崎市の中心から三十数キロあまりはなれた。諌早市の、佐世保海軍病院諌早分院で命をうけてはたらいていました。
 原爆投下の一瞬のはげしい閃光は、四十数年後のいまもまぶたにやきついています。けれど、その直後にぞくぞくと病院にはこびこまれてきた、うめき、のたうちまわる被災者たちの苦しげな表情も、けっしてわすれません。」

輸送船に乗り込むことになりました。
しかし、母子家庭の主人公は、母のことが気にかかり脱走します。

“輸送船乗船命令拒否”となり、病院勤務を命じられます。
命令書は以下。下「」引用。

「命令書
 昭和十九年二十八日付を以て
 佐世保海軍病院諌早分院(主計科烹炊所(しゅけいかほうすいしょ))勤務を命ずる
     昭和十九年二月二十五日
        諌早市職業紹介所 所長
  荒木正夫殿」


原爆が投下されたことが噂されます。
しかし、原爆ということはわからず、
新型爆弾ということでした。

そして、今でいう厨房に勤務していた主人公も、
職場にとどまり、負傷者の夕食の準備です。

被災した二人の幼い子どもに角砂糖をプレゼントする主人公。

そして、その二人の子どもの母は死亡します。

いくつもの不幸が描かれています。


サヨナラはお乳の匂い-脱走から生まれた わたしの終戦-




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