磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原発の現代史

2008年11月18日 | 読書日記など
『原発の現代史』
   西尾漠・著/技術と人間1988年

「専門家神話」の崩壊がかかれてありますが……。
御用学者など専門家ですらない人たちではないでしょうか?
犯罪者だと書く科学者もいますね。
人間はやっていることで、判断されるべきだとボクは思います。
--ナチスの時も、多くの文化人は見誤った……。またですか?



「はじめに」で書かれてあります。下「」引用。

「それまで原子力などというものとはおよそ無縁なつもりでいた私が、ひょんなきっかけで反原発の運動にかかわるようになって、すでに一五年になる。そのかん私は、運動の現場にいればこそなおさら冷静に、原子力開発をめぐる動きを「観察」しつづけようとしてきた。本書に収められているのは、その観察記録である。
 一九七九年という半端な年からはじまっているが、むろん、意味のないことではない。
 ひとつには、言うまでもなく、この年の三月二十八日、アメリカのスリーマイル島原発で炉心融解という大事故が起きたからだ。この事故によって、原子力発電にかかわるいくつもの神話が、いっきょに崩壊した。-略-」

「専門家神話」 下「」引用。

「あとになっていくら「たいした事故ではなかった」「避難するほどでなかった」と一所懸命に宣伝しても、事故が起きた事実を消すことはできない。
 かくしても、心理作戦失敗す。
 それはまた、原発のような難しい問題は専門家にまかせておけばよいとする「専門家神話」の崩壊をも意味していた。」

他の国への技術移転について……。下「」引用。

「『新聞研究』七八年七月号の座談会「原子力--その今日的状況」でも、森専務理事は、こう発言していた。
「日本自身は平和利用に限定していると信用されていますが、日本で平和利用のため開発した技術がほかの国へ公開されて原爆に使われてもいいのかという問題が、最近、出てきているわけです。(中略)私は、何も三原則をやめろと言っているのではないですよ。そういう意味で、平和利用と軍事利用の裏腹な問題があるので、単に初心に帰ればいいという単純な問題ではいなゆいということです。」
 とすれば、けっきょく何もかも秘密にするほかないだろう。それは、軍事利用と平和利用とを切り離しうるとの前提に立ってすすめられてきた日本の原子力開発そのものを、根底から否定することのはずなのだが、そんなことはおくびにも出せず、秘密管理の強化なる「解決策」が準備されているのである。」

社員と下請の間に明らかに差別がある……。
--下請けは労働者ですらない……。
ある意味、労働者である彼等も差別主義者であることを証明しているのではないか? という意見を投げ掛ける人もいるだろう……。
いや、「原子力帝国」下なら、当然差別主義社会だろう……。

大手新聞……。下「」引用。

「原発はクリーンだなんぞと、それこそ「大胆に宣言」(毎日見出し)してみたり、あろうことか「原子力発電は火力発電に比べ内需形成効果が大きく」うんぬんと“科学技術”とは縁もゆかりもないことを口走ったりするというのも、原発を推進する合理的な理由づけがまったくできなくなってしまったからだろう。
 にもかかわらず、なお原発推進の旗はおろさないのだから、八六年版『原子力発電』の「安全重視」とやらも、いささかならず怪しい。
 読売と日経は「『安全確保』を強調」という、そっくりな大見出しだが、次の見出しでニュアンスのちがいが出る。
 読売は「経済性優先を戒め」といい、日経は「経済性と両立させ推進」という。「『安全確保』が最優先」と大見出しにした朝日も、読売に近い意味あいだろう。-略-」

安全確保などできるわけがないことを、無視して、マスコミはもし事故が起きたら逃げようとする無責任を続けている……。

灰色にすれば、推進できる「灰色ゲーム」を続けている……。

しかし、「公開すれば、自然と廃絶されるのが原発……」

環境の時代になり、灰色は進めない!

それが理性ある行動!

環境の大切さ、命の大切さ、それもわからない人たちに、実権をもつ資格はないと民主主義の社会なら当然だとボクは想う……。






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