磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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神は老獪にして… -----アインシュタインの人と学問-----

2008年02月14日 | 読書日記など
『神は老獪にして…
  -アインシュタインの人と学問-』
    アブラハム・パイス(著)/
      西島和彦(監訳)/産業図書1987年

アインシュタインは神を信じていたようですね……。でも、既成の宗教団体ではないようです。ジョン・レノンもそうだったと思います……。



長くなりますが、アインシュタインと科学。下「」引用。

「アインシュタインはかつて個人的な信条を説明して次のように書いている。「宗教なき科学は不具であり、科学なき宗教は盲目である。」「宗教的な人間は、合理的な基礎づけの必要でも可能でもない超人格な対象と目的の意義になんの疑いをもたないという意味において、敬虔なのである。」彼の人生は祈祷と崇拝の人生ではなかった。しかし彼は--合理的な基礎づけの不可能な深い信仰--、すなわち自然には発見されるべき法則が存在するという信仰によって生きた。彼の生涯にわたる探求はその法則を見つけることであった。彼の現実主義と楽観主義は「Raffiniert ist der Herrgott aber boshaftist er nicht. (神は老獪だが悪意はない。)」という言葉によく現れている。同僚からその言葉の意味を問われて彼はこう答えた。「自然がその秘密を隠すのは本質のしからしめる高貴さのためであって、策略のためではない。」

この本のタイトルもまた、ここから取られたと思います。

物理学のことが、たくさん書かれた本でした。
--物理の苦手のボクには、理解不可能な部分がありました。

そして、ヒトラー登場前からユダヤ系差別があったことも書かれてありました。下「」引用。

「またプラハへ行く前にアインシュタインはラウプに次のような手紙を書いている。
「私はプラハから招聘を受け取らなかった。教授会によって提案されただけだった。内閣は私がユダヤ系であることを理由に提案を承認していない。」
 その後皇帝フランツ・ヨーゼフの認可を受けた。」

アインシュタインと日本。下「」引用。

「43歳のアインシュタインは2度目の妻と共に訪日した。本書の中では後に読書は日本にいる彼と出あうことになる。すなわち京都では相対性理論の起源についての重要な講演をし(第6章)、東京では皇室御隣席の観菊会に出席している(第16章)。こうした経験その他によってアインシュタインは東洋の芸術および哲学に対する揺るぎない評価へと覚醒したのである。」

京都講演のことは、『アインシュタイン講演録』東京図書(1971)p.80。


一般に知られているのと違って、アインシュタインの学生時代の成績はよかったという。
小学校では1番だったという……。

亡くなったその日。下「」引用。

「アインシュタインは月曜日の朝早く亡くなった。その前日、彼は統一場理論に関する計算の一番新しいページをくれと言った。未完成の仕事のことが気にかかっていたが、それは死の近いことを知った、まさにこの最後の時間にだけそうだったのではない。彼の生涯を通じてそうだった。」








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