磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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朝永振一郎著作集8 量子力学的世界像

2008年05月24日 | 読書日記など
『朝永振一郎著作集8 量子力学的世界像』
   朝永振一郎・著/牧二郎・解説/みすず書房1982年

著者の専門分野に入ってきて、さらに理解不能に入ってきた読者磯野鱧男。戯曲が2つ。落語好き、映画好きだけでなく、このようなことも好きだった朝永博士……。



戯曲「光子の裁判-ある日の夢-」。下「」引用。

「検「それでは被告にたずねるが、被告は前から室内にひそんでいたのではないというのであるか」
被「そうです。私がその直前に部屋の外にいたということは確かな証拠があります。現にその直前、私は門のところにいたのです。すなわちそこで門衛が私をつかまえて、入門の手続きをとらせたのであります。このことはさきほど門衛の証言で明らかにされたことです」

光子といっても、森光子さんではありません。

陽子から中性子。下「」引用。

「この媒介粒子の考えとハイゼンベルクの仮説とを結合すると、陽子は何か伝記的の粒子を中間的に放出して、自身は電気を失い中性子に変化していくことが時々あるものと考えられる。この時、その陽子の近くに他の中性子が存在しないならば、この粒子は大体(1)で与えられる時間の後には再び吸収されて、中性子に変化していた陽子はもとの陽子にもどるであろう。この時、もし近くに他の中性子が存在すれば、この媒介粒子はもとにもどらずにその中性子に吸収されることも起り得る。この時はこの中性子ともとの陽子とは、その状態を交換したことになり、ここに交換的の力が作用することになる。」

素粒子。下「」引用。

「ところが今世紀にはいって、この原子がさらにいろいろな素粒子から出来ていることがわかった。そこで、すべての物質は電子・陽子・中性子・中間子などの素粒子から組立てられていることになった。」

素粒子とは……。下「」引用。

「素粒子とは、これこれの色をもつとか、これこれの温度をもつとかいう、文章の主語になれないようなものである。-略-すなわち素粒子はある点では通常の粒子に似ているが、他の点では全く似ていないのである。
 素粒子が通常の粒子に似ている点と似てない点とを、これからだんだん述べていこう。」

光子とは光点のようであり、光点でないという。下「」引用。

「電子や光子やその他の素粒子は米粒のようなものと非常に異なったものであることがわかった。それは自己同一性をもたないという点でむしろ電光ニュースの光点のようなものであることがわかったが、さらにまた運動の道筋を持たないという点で、この光点とも異なったものである。」

将来に大きな期待があるという。下「」引用。

「現在の素粒子論にまだこういう不満足な点であるということは、一面残念なことであるが、しかし、完全でないということは、他面未来に多くの可能性を蔵していることにもなる。こう考えてわれわれは将来に大きな期待をかけているのである。」

「《史劇》『ファウスト』風 中性子誕生の前夜』
原作 ウォルフガング・ギョエテ
演出 “理論物理学研究所”突撃隊
標語 : 批判するためにではなく N.ボーア」
--これを朝永博士が翻訳しているようです。

訳者口上。下「」引用。

「この戯作「史劇ファウスト」は、ボーア原子模型の五○年記念の催しのとき、余興として参加者に配られたものである。参加者の一人であった有山兼孝氏が訳者にこれを見せて下さったので、拝借して訳してみた。作の構想は、パウリの中性子(現在の用語では中性微子)をめぐる話を中心に、他のいろいろな挿話をも織りまぜて、ゲーテの『ファウスト』をもじったものであるが、『ファウスト』の中の主の役をボーアに、ファウストの役をエーレンフェスト、そしてメフィストの役をパウリにやらせ、また中性微子をグレートヘンに人格化させようというのである。-略-」










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