『原子爆弾傷研究綴』
元吉慶四郎、他・著/米田正治1971年
永井隆も医師としての報告を残しているが、それは万博のころだという。
--当時発表どころか、持っているとGHQに逮捕されるとまで云われていたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/f9/474ad751ff726f3c886c6fa8549c2461.jpg)
「序」にこの本のいきさつを元吉慶四郎(元広島第一陸軍病院長)が書いています。下「」引用。
「 広島原爆後二十六年、此の間原爆に関する発表は幾つか世に出ているが、多くは一般人の個人体験か、被爆の外面的観察乃至被爆後長時日経過後のものである。
然るに、本書は爆弾炸裂から其の後約二ヶ月までの軍医の体験を其の当時記録したものである所に大きな特徴がある。
本書の内容は、昭和四十六年七月二十二日、広島第一陸軍病院の後身である国立柳井療養所の保管する書類の中から発見された原子爆弾研究綴の一部で、江波、櫛ケ浜両分院の数名の軍医の記述によるものである。
爆弾炸裂の状況から始って、炸裂直後の地獄絵図のような悲惨な混乱状況下の収容、治療の状況、患者の氏名、症状経過、使用薬物及び櫛ケ浜分院で更に統計表、解剖所見まで詳細に記載してあり、非常に早々の際よくも斯くまで記録したものと思う程で、原爆資料としては最も貴重なものの一つであると思う。
特に、原爆症という病名さえなかった当時に於いて、詳細な臨床観察や血液検査、解剖等による所見を綜合して放射線による障害と判定してあることは、我国原爆研究の最先端をなすもので、其の卓見誠に敬服に堪えない次第である。」
“ウラニウム”とつきとめたという軍医。下「」引用。
「前記の研究綴はその間、各分院の軍医七人が負傷者の症状・経過の観察や病理究明のり諸検査・解剖所見および治療などの成果ならびに所感を克明に記録したもので、原爆症に対して暗中模索のなかで“ウラニウム”によるものであることをつきとめ、その障害の悲惨さをつづった「軍医の証言」である。」
医療の現場をふんでいる人らしく、短文で簡潔です。下「」引用。
「二、原子爆弾炸裂時の感覚(光、熱、爆風、震動、臭気等に関し成るべく具体的に)
閃光を見たる時、大多数の者は室外に焼夷弾落下せしと感じ、僅かに熱気あり、震動、臭気を感じたるものなし。」
薬は、鎮痛剤の外「ズルフォンアミダ」剤使用。
療法としては……。下「」引用。
「療法としては、亜鉛華オレーフ油の塗布は最も効ありしも、間もなく使用し尽したるを以て、タニタン酸水、食塩水、リバノール、マーキュロクロム等を使用せり。虹波は一部の患者に使用せしも、観察期間短かきため効果は確認すること能わざりき。普通の火傷との差異は、火傷の経過は特に認められざりしも、早期に死亡する者続出し不思議に感じられたるも、後に至りて放射線の作用に依ること判明せり。」
敗血症ではないと検査から判明。下「」引用。
「自分も受持の火傷患者中前記症状を起せるものにて敗血症と考えしものの白血球数を調べたところ四○○以下なり。依って敗血症ならば白血球増多症あるにより疑問をいだく。依って三名の患者につき血液培養を行うも何れも陰性なりし。依って敗血症にあらずと断定せり。然らば何かと云う疑問をいだくに、「ウラニウム」は放射線を放出するから白血球減少はX線による白血球減少と同一の症状にして強度なりしものと考え到着せり。爾後新聞等にいて之の正しさを知る。」
41ページの薄い冊子です。
『長崎医大原子爆弾救護報告』の報告はほとんど永井隆博士だけで書かれたそうですが、大学の先生で専門であるからかなり詳しいです。
長崎医大原子爆弾救護報告
↑同様の内容が長崎医科大学原爆記録集 第一集に掲載されています。
index
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元吉慶四郎、他・著/米田正治1971年
永井隆も医師としての報告を残しているが、それは万博のころだという。
--当時発表どころか、持っているとGHQに逮捕されるとまで云われていたという。
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「序」にこの本のいきさつを元吉慶四郎(元広島第一陸軍病院長)が書いています。下「」引用。
「 広島原爆後二十六年、此の間原爆に関する発表は幾つか世に出ているが、多くは一般人の個人体験か、被爆の外面的観察乃至被爆後長時日経過後のものである。
然るに、本書は爆弾炸裂から其の後約二ヶ月までの軍医の体験を其の当時記録したものである所に大きな特徴がある。
本書の内容は、昭和四十六年七月二十二日、広島第一陸軍病院の後身である国立柳井療養所の保管する書類の中から発見された原子爆弾研究綴の一部で、江波、櫛ケ浜両分院の数名の軍医の記述によるものである。
爆弾炸裂の状況から始って、炸裂直後の地獄絵図のような悲惨な混乱状況下の収容、治療の状況、患者の氏名、症状経過、使用薬物及び櫛ケ浜分院で更に統計表、解剖所見まで詳細に記載してあり、非常に早々の際よくも斯くまで記録したものと思う程で、原爆資料としては最も貴重なものの一つであると思う。
特に、原爆症という病名さえなかった当時に於いて、詳細な臨床観察や血液検査、解剖等による所見を綜合して放射線による障害と判定してあることは、我国原爆研究の最先端をなすもので、其の卓見誠に敬服に堪えない次第である。」
“ウラニウム”とつきとめたという軍医。下「」引用。
「前記の研究綴はその間、各分院の軍医七人が負傷者の症状・経過の観察や病理究明のり諸検査・解剖所見および治療などの成果ならびに所感を克明に記録したもので、原爆症に対して暗中模索のなかで“ウラニウム”によるものであることをつきとめ、その障害の悲惨さをつづった「軍医の証言」である。」
医療の現場をふんでいる人らしく、短文で簡潔です。下「」引用。
「二、原子爆弾炸裂時の感覚(光、熱、爆風、震動、臭気等に関し成るべく具体的に)
閃光を見たる時、大多数の者は室外に焼夷弾落下せしと感じ、僅かに熱気あり、震動、臭気を感じたるものなし。」
薬は、鎮痛剤の外「ズルフォンアミダ」剤使用。
療法としては……。下「」引用。
「療法としては、亜鉛華オレーフ油の塗布は最も効ありしも、間もなく使用し尽したるを以て、タニタン酸水、食塩水、リバノール、マーキュロクロム等を使用せり。虹波は一部の患者に使用せしも、観察期間短かきため効果は確認すること能わざりき。普通の火傷との差異は、火傷の経過は特に認められざりしも、早期に死亡する者続出し不思議に感じられたるも、後に至りて放射線の作用に依ること判明せり。」
敗血症ではないと検査から判明。下「」引用。
「自分も受持の火傷患者中前記症状を起せるものにて敗血症と考えしものの白血球数を調べたところ四○○以下なり。依って敗血症ならば白血球増多症あるにより疑問をいだく。依って三名の患者につき血液培養を行うも何れも陰性なりし。依って敗血症にあらずと断定せり。然らば何かと云う疑問をいだくに、「ウラニウム」は放射線を放出するから白血球減少はX線による白血球減少と同一の症状にして強度なりしものと考え到着せり。爾後新聞等にいて之の正しさを知る。」
41ページの薄い冊子です。
『長崎医大原子爆弾救護報告』の報告はほとんど永井隆博士だけで書かれたそうですが、大学の先生で専門であるからかなり詳しいです。
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↑同様の内容が長崎医科大学原爆記録集 第一集に掲載されています。
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