磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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反核・軍縮宣言集-1982年の証言-

2008年11月16日 | 読書日記など
『反核・軍縮宣言集-1982年の証言-』
   服部学・監修/国際教育フォーラム・編/新時代社1983年

また「吉本隆明」の論について書かれてあります。
--あきれたものですね。
自殺したい人がいるから、その人たちの自由を守り、街の各所に毒薬を置け!
--それが自由主義ではないか!
上のような意見を言う人がいたら、発狂しているとしか思えない。
核兵器や、危険な原発を子供たちに残してしまったことを文化人たちが謝罪したら、それは理性のある判断と私は思う。
--しかし、この本もチェルノブイリ事故以前です……。



もちろん、私はソ連や中国の核兵器が平和の武器なんていう人たちは一線を画します。

狙われているのは我々なのですから、そんなことをいう人たちを敵、あるいは反日という人がいても、私は否定できません……。

--私自身は、よく考えて欲しいが……。欲に目がくらんだ人たちは今も理解できないようだ。

今年、広島市の谷本清平和賞を受けた高橋昭博の文章をあげている。下「」引用。

「「統一」と市民団体や一部の学者、文化人、宗教家がこれに果たしてきた役割を高く評価する意見がある一方、「アメリカであれソ連であれ、その核実験に対して厳然たる態度で反対できなかった、いわゆる統一大会やNGO国際シンポジウムは、魂の入らない抜けがら同然のものであった。まさに茶番劇であった。」(高橋昭博『ヒロシマ、ひとりからの出発』筑摩書房 一九七八年)との見解もあり、「統一」の是非をめぐって原水禁運動関係団体を中心にさまざまな論議が現在もなおかわされている。」

立派な態度であるとボクは思う。
--庶民的な被爆者の一人である高橋さんは、現実を見ておられると思う。

「3 ローマ法王庁核兵器使用の結果に関する宣言」1981年10月8日、「19 ガンジー平和財団(抄)」などが取り上げられている。

「◆ 吉本隆明による「反核」異論とその反撃」
--また、平和のためにはあまり役立たない論争をとりあげている。

『読書新聞』(八二年八月九日)山本啓・著。下「」引用。

「「核の軍事利用と平和量との表裏一体性に眼をつぶり、核問題をひたすら被爆体験の悲惨さにむすびつけるのであれば、反核運動は、現実の核開発の進行に手をかす役割をはたしてしまいかねない」と指摘。」

人類の未来にとって大きな負債を背負わせた吉本の論。
これこそ、マイナーな立場であろうが、ファシズムといわれても仕方がないとボクは思う。
『原子力帝国』が何であるかということも、この時代でも理解されていたのだから……。
『原子力帝国』に手をかしたのは、吉本もである……。そう云われているのも仕方がないだろう……。


「◆ しだいに“コップのなかの嵐”論争に」 下「」引用。

「吉本隆明-略-『平凡パンチ』(八二年四月十二日)での三浦雅士との対談「現代と若者」だった。
-略-「ちゃちな政治性で文学の世界が牛耳れると思っている根性がしゃくにさわる」」

文学などは、そもそもが個人のものであり、いい文学を生もうと努力してほしかった。
--もちろん、『原子力帝国』に手をかしてほしくはない。

ジョン&ヨーコのように、ラブ&ピースで生きてほしいものだ!
きれいごとと言われても、ジョンやヨーコは苦労している。
--ファンはそれを知っている!
間違えたら、人間だったら謝るものだ!
--そんな当たり前のこともジョン&ヨーコは実行している。

ゼロサムゲームの人たちは反省することはゲームに敗けることなので、しないようだ。
--別名はクラウゼヴィッツ人ですね。

さらに吉本批判……。下「」引用。

「『読書人』紙上で山本啓が二回にわたり書いている-略-「吉本は核の軍事利用は政治の問題で、核の平和利用は政治の問題ではないといいたいのか? だが、この発想は、五○年代の原子物理学者が核開発に手をかすにあたってもちいた論理そのものなのだ。そうして最近ではす原発推進派がもちいている論理そのものなのだ。つまり、吉本の論理は、彼が理念的に闘っている国家権力そのものの論理なのだ」と。」

まず、原子力というものは、基礎的には科学の問題である。
--どんなエライ文学者であろうが、これを覆すことはできまい。
これが、まず吉本はぬけている。

そして、政治の問題として、原子力は推進されていく。
科学としては、推進などできるシロモノではない。
--それには、政治の方針にあわせた御用科学者たちが現われて、科学を歪めていく。
それに合わせる御用ジャーナリズムがあらわれてくる……。
--見せかけの平和な時代になり、原子力の平和利用。
このときも、御用学者により科学は歪められていく。
それに合わせる御用ジャーナリズム。

そのような機関も「ネットワーク化」されているともいう。
被爆者をモルモット視化したのは、ABCC……。

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そして、我々も今ではモルモット……。

吉本は、科学も政治も理解できなかったのか、理解しようとしなかったのか?
--それはボクにはわからないが、吉本は「原子力帝国」という非民主主義を選択!
彼自身はそれを理解していたか、それとも憎きスターリン主義と思っていたのか?
原子力は平和といっても、「原子力帝国」下に人々を置く……。

そして、ヴェイユも否定していたようだ。下「」引用。

「吉本隆明は-略-大江の『核と大火と「人間」の声』所収「講演草稿として書くあとがき」をとりあげ、大江の核終末論は「被虐的(マゾヒック)な論理が病理の域まで入りこんだ極地)ではないか、しかもこれは第二次大戦期のシモーヌ・ヴェイユがおちいった痛ましい思想の倒錯と同根の病いと見る。」

ボクはヴェイユは病とは思わない。
--それ以前に、エンデ作品を読んでいたからだ。
エンデ作品なら、そのようなことを思っていた……。

最近、映画をみた。
エンデに似ているのだが、ちがうようだった。
スペインのフランコ軍が登場するのが、暗くて病的なのだ。
--しかし、観賞後思った。現実を観念的にきちんと表現している……。
そして、エンデの観念や情緒は正しかったとも思った……。

今のボクと、それ以前のボク。
--ボクは平和な日本に生まれた。
そして、育ったといわれても、見せかけとはいえそうだろう……。

そして、小泉政権の台頭。
--ボクの心は変化していた。
そして、健全なのは、エンデではないか?

--それはナチスを相手にしていたエンデなのだから……。
それを理解できなかったボクの感性こそが、子供だった、あるいはノー天気だったと思えた……。

吉本はチェルノブイリ事故の後でも、原発は平和だと思っているのだろうか?
--原発ジプシーがいなければ、動かないシステムなのに……。
多くの被害者もいるのに……。

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そして、大きな事故になれば、初期から国家予算の何倍もかかるというの……。

始末できるか原発の放射能

そして、原発推進派は灰色にしたら、ゲームは勝つという……。
吉本さん、何をしたか、理解されていますか?










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