磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

ちくまぶっくす4 ヒロシマ、ひとりからの出発

2008年04月27日 | 読書日記など
『ちくまぶっくす4 ヒロシマ、ひとりからの出発』
   高橋昭博・著/筑摩書房1978年

原爆小文庫の長岡弘芳さんは語る。下「」引用。

「「私たちが被爆者と連帯しようとすれば、高橋さんのような被爆者がひとりでも多いことが望ましい」と訴えてくれた。」



表紙に書かれてあります。下「」引用。

「イデオロギーや党略にふりまわされ、混迷をつづける原水禁運動。十四歳で被爆した体験を原点に、運動を一貫して深部からになってきた一市民の、絶望を越えて未来の生命を託す、せつなる悲願の記録。」

あるイデオロギーの人たちが伝えてきたのとは違う運動の歴史がここにある……。


中国新聞で「原爆被害者の会」があるのを知る。
--同じ運命の人が集まって悩みを打ちあけあうという趣旨。
広島市役所のなかに社会課・被爆者問題の担当者。下「」引用。

「原爆ドームの下に吉川(きっかわ)清さんという人がいるからそこへ行ってみなさい」と親切に教えてくれた。そこで吉川氏を訪ねて、私はこの会に入会したのである。」

この「被害者の会」は、映画『原爆の子』の製作がひとつのきっかけで発足。

昭和29年7月、中国新聞社の「都築博士・浜井市長を囲む座談会」に出席。下「」引用。

「都築博士は原子力は一面では平和利用のできるエネルギーであることを話されたが、私にはあの原爆が平和利用に転換できるものとは当時考えられないことだった。」

マスコミ批判。
--現実よりも、センセーショナルに描こうとしていたという。

アカという批判に対して。援助はイギリスからもあったという。下「」引用。

「原水禁運動のなかで被団協が毎年有志から多くの資金の援助を受けていたのはたしかである。しかし、そういう資金はなにもソ連や中国だけでなく、イギリス、フランス、その他ヨーロッパ、東南アジアなどのあらゆる国から届いていた。また、国内のさまざまの人びと、団体からも資金カンパを受けていた。そういう世界各国、日本各地からの資金が日本原水協にプールされ、そこから施設費、救援資金、生活援助金という具合に細目に分かれて交付されていた。」

イデオロギーの人たちは同じイデオロギーだけの中国やソ連からの寄付だけを誇張していたと思う。

■かたくなな共産党■
--昭和38年2月、日本原水協は、いわる「二・二一声明」発表。
1. いかなる国の原水爆にも反対、原水爆の完全禁止
2. 異なる社会体制の平和共存
3. 原水禁運動は国民大衆のもの
--共産党は反対。妥協の余地のない独善的な体質のあらわれとして、著者の目に映ったという。

映画のことが書かれてあった。

美空ひばりさんにのことも書かれてありました。下「」引用。

「第一回の音楽祭で、美空ひばりは「一本の鉛筆」を歌った。松山善三氏の作詞による広島の原爆をうたった歌である。集まった五千名の聴衆は感動し、拍手が止まらなかった。そのうちのいくにんかでも、原爆問題を考えてくれるだろう。それでじゅうぶん意義があるのだ。」 


人間、白を黒といえるようになったら、それは恐ろしいことだと思います。

やはり言論をするような人間は一人が基本だと思いました。

それでないと信用もできませんね。

ゼロサムゲームで勝ち組になるためには、白を黒という人たちがいますよ。

気をつけてくださいね。

そして、ゼロサムゲームにまきこんで、右左の陣営の力を得ようとしている……。

そこには、純粋さも清さも、そして愛もあるわけがない……。

巻き込まれないでいただきたいものです。
--ボクはそう願います。













もくじ

もくじ

index






エンタメ@BlogRanking


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。